対談 三輪眞弘×水野勝仁「コンピュータがもたらした世界」

10. 作品の所有と共有をめぐって

水野 さきほどYouTubeとか言われていたように、僕なんかはインターネットやテクノロジーに対して楽観主義なんですけど、インターネットを使ってしまえば伝播するような気もするし、それに合わせた音楽版のTumblrのようなシステムとかを作り上げれば、そうしたシステムに乗っ取って逆シミュレーション音楽が伝播していく経路ができあがっていくのかなと思うんです。三輪さん個人がやっているという限界というのもあるのではないでしょうか。なので、つながりを作るという部分のシステマチックな構築というのが必要なんじゃないのかな、といま聞いていて思ったんですが。
三輪 おっしゃるとおりだと思いますし、あとまあ、少し年を取ると、また学校なんかにいるとですね、そういうことでブレイクしましたと言ったら、そういうのは素敵かもしれないけれども、でも本当に僕らの社会がそういうことによって少しずつでも新しい文化が芽生えたり育ったりしていくのかというような事を考えると、これはもうどう考えていいのか未だに僕でも整理できていないところであります。
水野 つい最近、みなさんがいつもネットで見ているようなウェブサイトとかのオークションが行われて、そのオークションで値が付いたんですね。ラファエロ・ローゼンダールという人の作品なんですけども、彼の作品は誰かがオークションで落としても、そのオーナーは年々お金を払って、ドメインを保持して、作品をいつも公開できるようにしておかなければならないんですね。三輪さん自体は「この世」から「あの世」の冥土の世界を往復しながら新しい音楽をつくっているように、いまインターネットの世界の若いアーティスト達っていうのも、言ってみれば「あの世」の世界でずっと活動してきて、「この世」では受け入れられてこなかった。ネットで面白いことをやってるよと言われているけれど、経済価値とかアートマーケットには入ってこなかった。けれど、最近はネットアートの作品をアートマーケットが取り入れようとしている。その時に、全く異なったネットの価値観というが、現実の方に少しずつ入ってきているんですね。従来の「所有」という概念では、僕たちがなにか物を買ったとしたら、それは自分の好きなようにできるわけです。でも今のネットのアーティストはそういうことを許さないというか、買ったものもみんなで見せるんだよと言うわけです。それを前提にしなければ売りませんよということを言っていたりするんですね。こうしたあたらしい「所有」の概念が受け入れられ始めてきた、と言えます。ラファエル・ローゼンダールだけではなく、他の多くのネットのアーティスト達も、ネット上の画像といういくらでもコピーできるものに売買するという行為自体を、僕たちに認めさせようとしてきています。今まで全く水と油だったようなネットと現代美術みたいなところの融合が始まってきている中で、三輪さんの音楽とかっていうのも、今までは端で何かやっているなと言われていたようなことも、音楽の世界そのものじゃなくて、今回の展示のように美術館でやるということも珍しいことかもしれませんけれども、なにかこう違った、いままでその権威にいた人じゃない人たちに拡がっていく可能性っていうのは、すごくあるような気がしていて、とても楽しみに思います。
三輪 そうだといいですよね(笑)。たぶん著作権なども、100年以上前の楽譜出版とかそういうところから考えていかなくてはいけなくて、今ずいぶん色々なところで疑われているというか、違う運動がありますが。たぶんそういうところを全部刷新しないとならないので。たぶんおっしゃっているのは、「所有」というものと「共有」するというもの、みたいなそういうものを僕らはどういうふうに考え扱っていくか、ということだと思うんですけれど。そういう意味で《またりさま》に著作権があるのかと言ったら、一応楽譜を出版していますから、たぶん正式にはどっかのステージでやるんだったら著作権料を払わなければいけないんだろうと思っていますが。僕自身はそれが当然だとはちょっと思えない。ましてさっき言ったような3つのレベルがあるから、それが違う人がやったらどうなっちゃうの、というようなところは何も答えられていないし、用意されていない、というのが現状だと思います。

© IAMAS ARTIST FILE #01 MASAHIRO MIWA