対談 三輪眞弘×水野勝仁「コンピュータがもたらした世界」

02. 作曲とコンピュータの関係性

三輪 例えば僕の場合だったらプログラムを書くとか、それを楽譜ソフトに転送するとか、そういうところでは普通のプログラマーとか事務処理に使っている人とかと基本的には変わりません。よく冗談で言うのですけれど、僕が使っているソフトウェアの開発環境はMaxというソフトウェアですが、見方によっては、じゃあMaxの開発者の手の上で僕らはバリエーションを作っているだけじゃないかという言い方が考えられるわけですね。でももうコンピュータを作ったひとの手の上で僕らは思考しているし思考を制限されているじゃないかと言い始めたらキリがなくなってくる。でも、それはそういうものなんだということは認識しておきたいというのはあります。つまり素晴らしいメロディーを霊感で得て書き留めるという形では、もはや作曲というのは成立しないんだ、というものが認識としてあります。
水野 ということは、Maxを使っているというのは、所与の道具として使われているという感じに近いんですか?
三輪 道具はどんなソフトウェアでもそうですが、考え方を導くと言ったら良い意味だけど、発想を規定したり制限するといった要素が必ず含まれるわけですよね。だからこそ、たとえば僕は楽譜を使う時はシーケンサーソフトは使わない。そうではなくプログラムから作るわけです。それだって別に自慢できる話じゃなくて、その程度の問題なのであって、プログラミングの方がとんでもない発想をカタチにしやすいというだけのことで。やっぱりそれでも用意されてるものがあればそれを使うだろうし、その辺のグラデーションというか曖昧な領域というのがあるのかなと思います。
水野 特にマウスとかを使ったことによる身体の変化というのは、三輪さんのアイデアには意識的には出てきてこないわけですね。
三輪 そうですね、特に僕自身が身体的なタイプではないので。よく作曲の例えで言うんですけれども、基本的にテロリストが爆弾を作るようなもので、こうしたら爆発するはずだぞというのを、時間を掛けてじっくり確実に考えていくようなことが作曲なので、それほど身体性というものは作曲においてはあまりないかもしれませんね。

© IAMAS ARTIST FILE #01 MASAHIRO MIWA