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三十六歌仙和歌巻



歌人名〈別字、別名など〉
元の草書変体仮名に近い表記
(『書道藝術』第18巻 責任編集:中田勇次郎 中央公論社 1971)
現代仮名遣い
(『群書類従・第十輯』和歌部 編纂者:塙保己一 續群書類從完成會 1959)
 
解釈
( )内は転載元

( )は音としてはあるが文字が省略されているところ
{く}は繰り返しの記号
 〃 は一文字繰り返しの記号



柿本人丸
保濃〃〃登明石能浦乃朝霧尓しま可久禮行ふ年をし曾思ふ
ほの{く}と明しの浦のあさ霧に嶋かくれゆく船をしそ思ふ
 
ほのぼのと明けてゆく「明石の浦」の朝霧の中、島かげに消えて行く、そら、あの船をしみじみと思うことだ。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

凡河内躬恒
以徒久とも春能日可里盤王可那久尓ま多見よし野濃山盤雪ふ流
 
どこを照らそう、どこを照らさずにおこうなどと春の光は差別するはずもないのに、ここ吉野の山は春の光もなく雪がまだ降っていることであるよ。
(後撰和歌集─新日本古典文学大系6─ 岩波書店)

中納言家持
閑左〃支能王多勢るハし尓を久霜濃し路支越見連盤夜曾更耳介類
 
鵲が架けたという大空の橋に霜が置いて白々とさえているのを見ると、夜もすっかりふけたことだ。
家持集・冬歌
(新古今和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

在原業平
徒支や安ら怒ハるや无可し濃春ならぬ我身日と徒盤もと能見尓し天
 
月は、そして、春は、昔のままの月であり春であって、自然はやはり変わらない。
それに反して人は変わっていくものなのに、どうしたことか取り残されたように、わたくしのこの身だけがもとの通りの状態であって…

(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

猿丸大夫
を知こ地濃た徒支もしらぬ山中尓お保徒可那久もよぶこと里可那
遠近のたつきもしらぬ山中におほつかなくもよふこ鳥かな
 
遠近の見当もつかない山中で、心もとなさそうにわが子を呼んで鳴くよぶこ鳥よ。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

素性法し〈師〉
今來無と以日しハ可利尓な可徒支濃有明(の)月を待出づる哉
今こむといひしはかりに長月の有明の月を待出つるかな
 
もうすぐ行くよとおっしゃったばかりに秋の夜長をお待ちし続けておりまして、九月の長い夜のありあけの月が出るまでお待ちしてしまったことです。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

中納言兼輔
見可濃ハら王起天流る〃以づ見可ハ以徒見支と天可こ日し可るら無
 
甕の名に負うみかの原を湧いて流れている泉川の、その「いつみ」ではないが、いつ見たというのでこんなにも恋しいのであろう。確かに見たとも思われないのに。
─古今六帖三・読人しらず。兼輔は誤り
(新古今和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

中納言敦忠
身尓し見(て)思心濃としふ連盤終尓色尓も出ぬべき可那
 
切実に恋い慕ってきた思いが、久しく年が経ったので、とうとう思い余って外に現われてしまいそうになったことだ。
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

源公忠朝臣
行屋らで山路暮し徒ほと〃幾須今一聲濃き可滿保し左尓
行やらて山ちくらしつほとゝきす今一聲のきかまほしさに
 
そのまま行くことができないで、山道で日を暮らしてしまった。時鳥のもう一声が聞きたいばかりに。
抄六九。承平三年(九三三)八月二十七日、康子内親王裳着屏風歌
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

徽子女王〈齋宮女御〉
ぬる夢尓う徒〃濃う左も王須ら禮天おもひなぐ左むほど曾ハ可那支
 
夢に見たことで平生の憂さもつい忘れ、しばし心が休まっているとは本当にたわいもないことだ。
─斎宮女御集「上の御夢に見えさせ給ひければ」、五句「ほどのはかなさ」
(新古今和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

藤原敏行朝臣
秋來ぬと目尓ハ左や可尓見え年共風濃をと尓曾驚可連ぬる
秋きぬとめにはさやかに見えねとも風の音にそ驚かれぬる
 
秋が来たと、目にははっきり見えないけれど、風の音で、はっと気づいた。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

源宗于朝臣
常盤なる松濃見ど利も春久れ盤以ま日とし保濃色ま左利介利
ときはなる松のみとりも春くれは今一しほの色まさりけり
 
永遠に変わらない松の緑も、春が来れば、もう一段と染めあげたように色が深くなることだ。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

藤原清正
年濃日し尓しめ徒流野邊乃日めこまつ日可天や千世濃陰をま多まし
子の日してしめつる野への姫小松ひかてや千世の影を待まし
 
子の日の祝いをしようとして、しめを結うておいた野辺に生えている姫小松。根曳きしないで、千年も茂り栄える常磐の木陰となるのを待とうか。
─清正集、初句「子日しに」
(新古今和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

藤原興風
誰を可もし流人尓世無高砂濃ま徒も無可し濃友那らな久に
誰をかもしる人にせん高砂の松もむかしの友ならなくに
 
いったいぜんたい誰を知己とすればよいのかね。あの名高い高砂の松だって古いことは古いだろうが、昔からわが友ではないのに。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

坂上是則
三芳野濃山乃しら雪徒もるらし舊里寒久成ま左流也
みよし野の山のしら雪つもるらし古郷寒く成まさるなり
 
吉野の山の白雪が降り積もっているらしい。この奈良の古い都は寒さがひとしおつのっている。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

三條院女藏人〈小大君〉
以者〃し能よる濃ち支利も多えぬべし安久類王日し幾葛城濃神
岩はしのよるの契りもたえぬへし明る侘しきかつらきの神
 
久米路の岩橋の工事が中途半端のまま終わったように、夜に交わした二人の愛情も、きっと途中で絶えてしまうことだろう。夜が明けるのがつらいことだ、葛城の神のような、醜い私だから。
抄・雑上四六九
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

大中臣能宣
見可きも里衞士濃燒火濃よる盤もえ晝ハきえ徒〃物をこ曾於もへ
 
内裏の御垣守である衛士が焚く火のように、夜は恋の思いに燃え、昼は魂も消えて、毎日物思いすることだ。
(詞花和歌集─新日本古典文学大系9─ 岩波書店)

平兼盛
暮て行秋濃形見尓を久も乃ハ我も登遊日濃しも尓曾有介類
暮て行秋のかたみにおくものは我もとゆひの霜にそ有ける
 
暮れて去って行く秋が、形見として残して置くものは、私の元結の霜、すなわち白髪であった。
抄一三三
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

紀貫之
しら露も時雨も以多久もる山盤した葉乃こら須色づ支尓介利
 
白露もしぐれもひどく漏り落ちる、その「漏る」という名の「守山」の下葉までが残りなく色付いてしまったことだ。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

伊勢
三輪濃山如何尓待見舞としふともたづぬる人もあらじ登於もへ半
三輪の山いかに待みん年ふとも尋ぬる人もあらしと思へは
 
三輪山は神が「待つ」と申しますが、わたくしはいったいどのようにお待ちしてお逢いすることになるのでしょうか。年月が経っても訪ねて来てくださる方なんていらっしゃらないだろうと思いますので。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

山邊赤人
安須可ら盤若菜徒ま牟としめし野尓昨日も今日も雪ハふ利徒〃
明日からは若菜つまむとしめしのに昨日もけふも雪は降りつゝ
 
明日からは若菜を摘もうと、しめを結っておいた野に、昨日も今日も雪は降り続いて。
原歌は万葉集八、初句「あすよりは」。類聚古集の訓は本文に同じ
(新今昔和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

僧正遍昭
須衞濃露もと能し徒くや世中乃を久禮さ幾多徒ためし成ら牟
すゑの露もとの雫や世中のをくれ先立ためしなるらん
 
草木の葉末に宿る露と、根もとにかかる雫(しずく)とは、遅速の差はあっても、いずれも最後には落ちてはかなく消えるもの。それは、人に後れたり、先に死んでいったりする、この世の中の無常の例ででもあろうか。
─遍正集「世のはかなさの思ひ知られ侍りしかば」。和漢朗詠集「無常」
(新古今和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

紀友則
東路濃左や乃な可山那可{く}尓何し可人をおも日曾め劒
 
東海道のさやの中山がその道程の半ばにあるように、なまじ中途半端に、どうしてあの人を恋い慕いはじめたのでしょうか。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

小野小町
色見え天う徒路ふも濃盤世中乃人乃心の華尓曾有介る
色見えてうつろふものは世中の人の心のはなにそ有ける
 
色が見えていて変るものは花ですが、色が見えないで変るものは、世の中の人の心という花であることです。
(古今和歌集─新日本古典文学大系5─ 岩波書店)

中納言朝忠
萬代濃始と今日を以乃里を支天今行末盤神曾可曾へ無
万代のはしめとけふを祈をきて今行末は神そかそへん
 
万代まで続く御代の始まりにと、今日の佳き日を祈って置いて、これから行末のことは、神が知っていることだろうから、神意にお任せしよう。
抄一六四
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

藤原高光
可久ハ可利へ可多久見遊る世中尓浦山し久も須める月可那
かくはかりへかたくみゆる世中にうら山しくもすめる月哉
 
これほど過ごしがたく見える世の中に、羨ましいことに住み留まって、澄み切って輝いている月だよ。
抄・雑下五〇〇。応和元年(九六一)十二月五日に出家した頃の藤原高光の歌
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

壬生忠峯〈岑〉
ハ類多徒と以ふハ可利尓や見よし野濃山も可須見てけ左ハ見ゆらん
春立といふ計にやみよし野の山も霞てけさは見ゆらむ
 
立春になったというだけで、まだ雪に覆われているはずの吉野山も、霞んで今朝は見えるのだろうか。
抄・一。延喜五年(九〇五)四月二十八日、平定文歌合歌
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

大中臣頼基
日とふし尓千代をこめ多る徒えな連半徒くとも盡じ君可よハ日盤
ひとふしに千代をこめたる杖なれはつくともつきし君の齢は
 
一節ごとに千代の寿命をこめた、この竹の杖だから、どれほど杖を突こうが、尽きようとしても尽きることはあるまい。我が君の寿命は。
抄・一七四
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

源重之
徒くハ山葉山し介山志介〃禮登おも日入尓ハさハらざ里介利
 
筑波山は端山、茂山と重なっている─人目が随分うるさい─が、決心して分け入る─慕い寄る─時には障碍にならないな。
─本歌「筑波山は山しげ山茂きをぞや誰が子も通ふな下に通へわがつまは下に」(風俗歌「筑波山」)、重之集・百首
(新古今和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

源信明朝臣
安多ら夜能月登華とを於那じ久ハ哀し連ら無人尓見世ハや
あたら夜の月と花とをおなしくは心しられん人にみせはや
 
もったいないこの夜の月と花とを、同じことなら、私よりももっと情趣を解するような人にみせたいもだよ。
(後撰和歌集─新日本古典文学大系6─ 岩波書店)

源順
水濃面尓照月な見を可曾ふ連ハ今夜曾秋能も那可成介る
水のおもにてる月なみを數ふれはこよひそ秋の最中成ける
 
小波が立つ池の水面に照り映っている月を見て、月日の数をかぞえてみれば、今宵は秋の最中の八月十五夜であったよ。
抄一一五。天元二年(九七九)十(十二とも)月、内裏屏風歌
(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

清原元輔
ち支里幾那可多見尓袖をし保利徒〃須衞乃松山波こ左じとハ
 
互いに袖の涙を絞りながら約束しましたね、末の松山に波を越させまい、決して心変わりはするまいと。
元輔集。藤原惟規集「をんなに」、歌頭に「後拾遺元輔歌」と注記がある。
(後拾遺和歌集─新日本古典文学大系8─ 岩波書店)

藤原元眞
荒玉濃年を送天ふる雪尓ハるとも見え怒介ふ濃空哉
 
年を送ったのに雪が降って、今日の空は春にはみえないことだよ。
(坪井 訳)

藤原仲文
有明濃徒支能日可里を待保ど尓王可よ能以た久婦介尓け類哉
在明の月の光をまつほとにわかよのいたく更けにけるかな
 
有明の月の出るのを待っている間に、夜がたいそう更けてしまったことだ。
─東宮の恩寵により我が身が栄達することを期待して待っている間に、すっかり年老いてしまったことだ。
抄・雑下五〇一

(拾遺和歌集─新日本古典文学大系7─ 岩波書店)

壬生忠見
燒須共草盤もえ那無春日野を但ハる濃日尓ま可勢たら南
やかすとも草はもえなん春日野をたゝ春の日に任せたらなん
 
焼かないでも草は萌えるであろう。春日野は文字通り春の日なのだから、ただ春の日に委かせておいてほしいものだ。
─忠見集「御屏風に、春日野所々焼く」。和漢朗詠集「草」、ただし作者は忠岑。また重之集にも。共に誤りか
(新古今和歌集─新日本古典文学大系11─ 岩波書店)

中務
秋可世濃吹尓徒氣天も問怒可那お支濃葉なら半を登盤し傳まし
 
秋風が吹くのに託してでもおたよりはいただけないのですね。もし私が荻の葉であれば、秋風を受けて葉擦れの音ぐらいは立てましたでしょうに。すぐお返事しましたでしょうに。
(後撰和歌集─新日本古典文学大系6─ 岩波書店)


→ 三十六歌仙和歌巻(英訳)



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