M・ハイデガーの著書名として知られる「存在と時間」という言葉は、その著作からは離れて、ここでは情報化された存在の影(奇跡)としての映像や音声などの時間軸を伴う情報が、それを享受する人間の体験としてどのような形態でどのように結びつけられるのかを考える、プロジェクト全体のキーワードとして掲げられた。それは今回の作品においては、映像の連続性を解体し異なる時間軸の中に置くことによって、 毎秒 30枚の静止画を連続した映像として知覚するぼくらに、その分断された時間の間隙を露わにすることであり、また現実の時間の中に存在する肉体と、別の時間軸を伴う映像や音声をはじめとする様々な情報とのインターラクションの可能性を探る試みでもある。




 パフォーマンス作品である「Mass & Media for Percussion」はこのプロジェクトの最初の具体的な結果であり、同時に今後の様々な展開の土台となるプロトタイプでもある。

 「Mass & Media」はステージに立つ打楽器奏者の「演奏」によってマス・メディアの代表ともいえる地上波テレビ放送を「オペレート」し、解体する作品である。打楽器奏者の肉体的な行為は奏者自身にとっては「演奏」に他ならないが、装置にとっては「オペレーション」でありコンピュータに対するコマンドである。その際、綿密に書かれた楽譜はステージで演奏されるべき音楽を決定するものであると同時に、装置の操作手順を記したインストラクションなのである。

 打楽器奏者はステージでただひとりパフォーマンス全体の進行を自在に操る人間である一方で、ミサ(Mass)を執り行う祭司のように、楽譜に書かれたことをひたすら忠実に行う者でもある。また彼はサンプリングされたテレビ放送を自由に操ってはいても、口寄せを行う霊媒(Media)のように、その時間にたまたま放送されている番組の内容については何も知らない。

 ステージに立つ訓練を受けた打楽器奏者はその演奏技術が完璧であればあるほど、揺らぎのない機械のように正確なドラミングを生み出し、その結果として自然で安定した映像のプレイバックを実現する。つまり演奏者の技が優れていればいるほど、彼の存在が逆に無化されていくのである。パフォーマンスはこの実在する演奏家の存在を巡って展開する。









 作品はまず、コンサートという状況の中で、一人の打楽器奏者のドラミングによって、その時間に放送されているテレビ放送をその場でサンプリングし、スクラッチする「装置」として構想された。

 これは通常1秒間に30フレームの速度で表示されるテレビやビデオの映像フレームの再生をすべて打楽器のドラミングによって行う、「手動映像再生装置」である。つまり遅くたたけば映像再生は遅くなり、強くたたけば映像は明るく、そして音声もまた対応する映像フレームに完全に追従する。打楽器のセットアップは映像フレームをコマ送りする正方向用と逆方向用のボンゴを中心にテレビ局のチャンネル切り替え、テレビ放送のサンプリング開始と停止など、いくつかの機能が対応する打楽器に割り当てられており、打楽器奏者は楽譜に従って忠実にパフォーマンスを展開する。





 演奏会用システムでは2台のコンピュータが使われ、1台がデジタル映像処理専用、もう一台が音響処理及び全体のシステムコントロールを受け持つ。

- デジタル映像処理用のコンピュータではこのプロジェクトのために開発された"VideoTronics"と名付けられたDVビデオディレイ・ソフトがMIDIコントロールによる映像信号の録画と再生を受け持ち、システムコントロール用のコンピュータと連動して映像信号の自在なキャプチャリングとスクラッチングを行う他、ドラムの音量に従った明るさの制御も行っている。

- 音響処理及びシステムコントロール用コンピュータはまず、打楽器に取り付けられた複数のコンタクトマイクからドラムトリガーを通してMIDIに変換された演奏情報に従って映像処理用のコンピュータを制御すると同時に、映像と同期して音声信号の取り込みと再生を行う。音声信号のオリジナルの速度とは無関係な速さ、つまり打楽器のトリガーによる自在な時間進行による再生を可能にするため再生部分のアルゴリズムにはグラニュラー・シンセシスが使われている。

 その他、テレビ放送受信用に使われるビデオレコーダーの入力、チャンネル切り替えや映像エフェクターの制御等もこの作品のために開発されたMAX/MSPパッチでリモートコントロールされている。






 ステージ上には大型のビデオ映像用スクリーン、ステージ左右にPAスピーカー、そして打楽器のセットが置かれる他、コンピュータをはじめとするすべての機材も打楽器の横(スクリーンの下)に置かれる。演奏中は打楽器奏者のみがシステムをコントロールし、オペレータは存在しない。この他、客席中央にPA用のミキサーが置かれる。



 「Mass & Media」のために開発されたソフトウェアをはじめとする今回のパフォーマンス用システムは必ずしも打楽器に特化したものではなく、様々な応用、展開が期待される。例えば映像の歴史上にかつて存在した手回し式映写機を使ったライブ・プロジェクションの現代的な復活、ダンサーの動きによって映像フレームをコントロールするシステムなど様々である。

 中でも是非実現させたいものとして「Mass & Media、テレプレゼンス・バージョン」がある。システムの概要でわかるように打楽器奏者の演奏情報はすべてデジタル・データ(MIDI)化されているため、これを転送すれば遠隔地で、しかも複数のシステムを同時に制御することが可能である。これは演奏会場の映像と同時にこの演奏情報を送ることにより、例えば地球上の異なる国々のローカルなテレビ放送を使ったこの作品の異なるバージョンを同時多発的に生み出す可能性を意味している。さらにネットワークを使ったパフォーマンスで常に問題となる時間的な遅れが、この作品の場合、原理的に全く起こらないという特徴がある。つまり画像の転送によって映像情報は必ず遅れるが、MIDI情報も同様に遅れる/遅れさせることによって、送られてきた映像に映る打楽器奏者の動きと完璧に同期してローカルな映像素材を制御することができるのである。