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学長コラム『素描(全8回)』

2018年1月より岐阜新聞に連載された三輪眞弘学長によるコラム『素描(全8回)』を掲載しました。
ぜひご覧ください。


 

1.IAMAS前夜

23年前、当時作曲家として活動していたデュッセルドルフの自宅に日本から電話があった。岐阜県にメディアアートの学校を作る計画があり、音楽系の作家を探しているのだという。学長に就任する予定の坂根巌夫さんに教員としてぼくを紹介したいとのことだった。それまでぼくは岐阜とはまったく縁がなかったが、それでも直感的に何かの可能性を感じた。何より、当時、世界のメディアアートの動向を日本に紹介する第一人者であった坂根氏とは、ぼくが共同作品を出品していた世界的なメディアアートの祭典、アルス・エレクトロニカ(リンツ・オーストリア)で面識を得たばかりだった。その彼が学長になるということに「これは本気だ」と感じたからだろう。
IAMAS(イアマス)が大学ではなく県立の専修学校で、東京ではなく大垣にあり、音楽ではなくメディアアートの学校であることは、ドイツに住み、音楽におけるコンピューターの可能性を模索していたぼくにとってはむしろ魅力に思えた。何より、日本のメディアアートの先駆けとなる学校に関われることが重要だった。
ぼくはもちろんこの誘いを快諾したが、それはヨーロッパにおける作曲家としてのキャリアを中断することも意味していた。創作活動を続けるためには、現代音楽が盛んなドイツにいた方が恵まれていることは明らかだったからだ。しかし、ぼくは思った。「18年の間、ドイツの社会はぼくを作曲家に育ててくれた。今度はぼく自身が、自分の生まれた国で芸術を育む社会を作る番なのではないか」と。
ぼくは36歳だった。

 

2.メディアアートとは何か

「IAMASはメディアアートの学校だ」と初回に書いたが、芸術と言わずにアートと呼び、それに「メディア」を加えたメディアアートという言葉を自然に受けとめた人は多くなかっただろう。
アートの訳語である「芸術」という言葉は、明治時代から輸入された西洋芸術に対して使われる事が多く、たとえば日本の古典芸能や日本画などと区別されてきた。しかし、それらも語義からは芸術であるに違いなく、さらに現代美術や現代音楽などの新しい創作も含めて、現代社会における芸術の営み全般が近年広く「アート」と呼ばれるようになった。
中でも、20世紀に生まれた電子音楽やビデオアートなどから始まり、現在ではデジタル技術を駆使したコンピューター・グラフィックスなど無数の「表現」が生まれた。それらはすべてメディア技術を介して成立することから、まとめてメディアアートと呼ばれている。
しかし、それは「最新技術によって新しい表現が生まれた」などというのどかな話ではなく、必ず「人間にとって、技術とは何か」という深い問いに直結することになる。
地球規模の通信ネットワークが整備され、進化を続けるバイオ技術や人工知能が、人間世界を劇的に変えている。この先、ぼくらの心性、そして社会がどこに向かうのかを最新技術の中で問い続ける試みこそがメディアアートであるはずだ。
アルスエレクトロニカが1979年から掲げてきた祭典のテーマは「芸術、技術、そして社会」である。人類は莫大なエネルギーと高度な科学技術なしには、この地球に存続すらできない地点にまで来てしまったのだ。

 

3.アートの学校?

1996年にIAMASは専修学校としてスタートした。しかし、なぜ岐阜県は「メディアアートの学校」を作ったのだろうか。
当時、岐阜県は日本における情報産業の中心地を創るべく、大垣市にソフトピアジャパンを拠点とする「先進情報産業団地」や「次世代産業のリーダーを養成」するIAMASを設立した。
ただ、そのための「メディアアートの学校」だと言っても、誰もがそこに何か飛躍を感じるだろう。それは坂根厳夫初代学長の信念によるものだったが、その判断は岐阜県におけるIAMASの存在理由をめぐる疑問として、その後も繰り返し問われ続けることになる。
今思えば、もし、先の文言通りの学校が創られていたら、日本初の「メディアアートの学校」を創った岐阜県や、その後のIAMASの様々な成果が国際的にも注目を集めることはなかっただろう。そして、ぼくは今ここにいなかったに違いない。
山口周著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という本が去年のベストセラーだったそうだ。産業もアートの視点なくして未来がないことを坂根学長はいつも強調していた。そして今、産業界にも大きな発想の転換やブレークスルーが不可欠であることを誰もが認めるようになり、近年IAMASの存在が注目されるようになった。
当時、坂根学長を選び、未来の教育と研究を彼に委ねたことこそが岐阜県の見識だったと思う。
ただし、それは「産業にも寄与するアート」という意味ではない。アートとは、目的と手段に支配された、そのような世界観や発想自体を問い直す試みであり、そうでなくては成立しないからだ。

 

4.芸術と科学の融合

昨年度、創立20周年を祝ったI AMASは、その間に博士前期課程(修士)が併設され、2012年以後は、大学院のみとなった。その道のりが平坦なものであったはずもないが、IAMASは一貫して変わらなかった。それは創設以来の「ミニマルなUniversity」ともいえる性格である。
つまり、少数精鋭の「小さな学校」でありながら、各教員の専門分野がすべて異なり、理系と文系の様々な領域を広くカバーしていることである。それは学生も同様で、大学では学部学科に分かれていた専門がIAMASでは同じ「メディア表現研究科」の名の下で多種多様な研究が進められる。
メディアアートが「芸術、技術、そして社会」を扱う複合的な領域だから当然だとは言うのは簡単だが、はたしてそんな組織が機能するのだろうか。おそらく、IAMASはこの点でも「全国に先駆けて」悩み抜いた学校だった。つまり、創設以来掲げてきた、「芸術と科学の融合」は実際、どのように可能なのかという難題である。
現代美術と情報工学の専門家が何を目的に何を話す必要があるというのだろう。世界観も、使う語彙も異なる各分野の専門家を集めただけでは、「融合」は起こらない。
ただ、ぼくらには一つだけ共通の課題があった。教育である。目の前にいる学生に対して「専門が違うので」という前置きは通じない。むしろ、教員誰もが教育については信念を持ち、互いに一歩も譲らない議論を続けた。
IAMASが目指す「芸術と科学の融合」はいつもこの、学生指導をめぐる様々な葛藤と、そこから生まれた教員相互の信頼から始まる。

 

5.学生は何を学ぶのか

IAMASの多様性、それは、教員や学生の専門分野だけではない。外国人や社会人学生も多く、すでに修士号を他大学で取得してから入学する学生もいる。専門や知識も、年齢や経験も異なる学生たちの誰もに対し、学校として「有意義な」カリキュラムを組むのは至難であることは想像してもらえるだろう。
開学以来、全教員は常に「目の前にいる学生の未来にとって、何がもっとも重要なのか」だけを模索してきた。結論は「自分の頭で考えることを学ぶ」である。
爆発的な技術革新と激変する社会情勢の中で「今、どんな知識や技能を学ぶべきか」は、もはや誰も言うことができない。なぜなら、5年後にはその学んだことが価値を失っているかもしれないからだ。そうではなく、どれほど環境や社会が変化しても、自分の頭で考えることさえできれば、彼らは「生き延びて」いけるに違いない。
個別の専門や技能を越えたこの「メタ学習」とでも呼ぶべき基本方針は、各学生が、「思い描く(構想)、やってみせる(作品化)、説明する(言語化)」という3つの段階をそれぞれの専門を起点に実践するカリキュラムによって具現化されている。
中でも「説明する(言語化)」を重視するのがIAMASの伝統だろう。ただし、それは「プレゼン能力」のことではなく、それぞれの修士作品がこの社会に何を求め、どのような価値を実現したのかをみずからに問い質す、厳しい作業のことである。
大学院のみとなった現在では当然だろうが、これが専修学校の時代から作品制作と共に作品の言語化、「論文」が卒業の条件だった理由である。

 

6.IAMASスピリット

古田知事とIAMASの卒業生、真鍋大度君との対談記事が「岐阜県のIAMAS – 日本の未来を担う”人づくり”の最前線」と題して、先端的なデザイン誌『AXIS』2月号に載っている。
彼がリオ五輪閉会式で東京大会の演出を手掛けたことや、知事の大きな期待などが存分に語られ、このコラムの読者にも是非読んで頂ければと思う。
また、最近の卒業生では、島影圭佑君が読字障がい者のために開発したスマート・グラス(眼鏡)「OTON GLASS」が多くの賞を受賞し、NHKをはじめマスコミにも大きく取り上げられている。
ぼくが自慢したい歴代卒業生は他にも数知れないが、彼らに共通する特徴は何より、活動分野が多岐にわたり、既存の業種にとらわれずに独自の領域を開拓するフロンティアだという点だろう。
起業した先の二人で言えば、彼らは潜在的な「ニーズに応える」のではなく、舞台芸術やプロダクト・デザイン界になかったものを自分の頭で考え、新たなジャンルを「創出」したのである。
「IAMASスピリット」とぼくが呼ぶ、この卒業生たちの姿勢は、個人の作家や研究者の場合でも、同期生が共同で起業するような場合でも変わらない。また、今風に言えば、「クリエイティブ・クラス」である彼らには当然、アーティストも多い。そこでは、権威に「評価」されることよりも、未来社会におけるアートの意味を再定義することこそが「IAMASスピリット」なのである。そのような姿勢を共有する卒業生たちが緊密なネットワークで互いに助け合い、全国に広がるひとつの共同体を創り出していることも、IAMASならではだろう。

 

7.リベラルアーツ

個人的な夢だが、ぼくはインドネシアに伝わるガムラン音楽の講座をIAMASに導入したいと思っている。
そこで問われるのは「大学(院)とはどんな場所なのか」ということだろう。高度な研究や教育の場であるのは当然だが、もっとも「高度なこと」とは、様々な専門知識を統合し、この世界を、自分の人生を「世間の常識」ではなく、みずからの視点で俯瞰できる能力だと思う。そのためにこそ幅広く確かな知識が不可欠なのである。
中世から西欧の大学の「リベラルアーツ」には、修辞学や算術などと並んで音楽があり、米国の総合大学の音楽学科では様々な民族音楽の研究や実践も盛んに行われている。高い見識を持った次世代の「人」を育てるためである。だからぼくは、すぐに役立つ「人材」の育成こそが大学の役割だという世間の風潮にいつも困惑するのだ。
西洋音楽はもとより、地上の様々な民族音楽が巨匠の名人芸に依存するようになった中で、ガムランでは各楽器を受け持つ一人一人の音の総体から音楽が立ち現れる。そこに人類の叡智を感じるのはぼくだけだろうか。「人」はそのようにしか生きられないし、そのような慎ましさの中でしか成長できないだろう。
「一般教養」ではなく、先に述べた本来の意味での「リベラルアーツ」という言葉が近年見直されている。「アーツ」はアートの複数形で本来「技芸」という意味である。IAMASは様々な研究を統合し「人間として生きるためのアート」を探求する「知」の拠点であり、また「地」の拠点として地域の未来を考え、それを実践する場所である。

 

8.「メディア表現学」を目指して

前回述べた、大学が「知」と「地」の拠点であることは全国の、特に公立大学に共通した認識だが、IAMASでも現在、その理念の下で様々な取り組みが行われている。
組織としてのIAMASには大学院に加えて「附属図書館」と附置機関である「産業文化研究センター(RCIC)」がある。この3つの組織をそれぞれ強化していく計画案だ。
中でもRCICは大学院と社会を結ぶインターフェースとしてすでに多くの実績があるが、新たに県内企業の生産性向上を目指す「岐阜イノベーション工房プロジェクト」によって地域との一層の協働を図っていく。また、来年度から募集を開始する「社会人短期在学コース」も地域の未来に向けた同様の取り組みである。
次に、前期2年の修士のみだった大学院に「博士課程」を設けるという構想だ。前期・後期の一貫した課程が実現すれば、より継続的で高度な研究が可能になるだけでなく、卒業後に岐阜県を離れ他大学の博士課程に進む卒業生や、潜在的な受験生たちをより広く受け入れることが可能になる。
さらに、附属図書館はデジタル・アーカイブの拡充などに加え、博士課程での研究も視野に入れたメディア表現に関する学際的な研究プロジェクトの拠点、「IAMASメディアアート・センター(IMAC)」へと機能を拡張したい。
大学院における、より高度な研究と教育を「知」と「地」のセンターであるIMACとRCICの両輪で駆動するこのビジョンは、IAMASが育んできた領域横断的な知性を統合する「メディア表現学」という名の、新しい学術領域の確立を見据えたものである。