今年の感情礼賛について(学長の挨拶)

はるか昔、まだ個体外環境というものがなかった時代、すべての人間は自分の「感情」を(現在の私達が考えている感情とはずいぶん違ったものですが)ひとりきりで背負って生きなくてはならなかったことをみなさんはご存知でしょうか? 今では想像もできないことですが、それは個人の感情が個体の外部には一切伝わらず、また抑制もされずに野放しにされていた、つまり、すべての個人の心が互いに鎖国をしていたような、まさに暗黒の時代でした。ほぼ20世紀のおわりまで続いたそのような時代の中でも最後の「新近代」特に「科学技術終結期」と呼ばれる時代に生きた旧人達は、当然のこととはいえ彼らの野生の赴くまま際限なく科学技術を発達させ、その途方もない技術を使って獣のように争いあい、テロと呼ばれた日常的な殺戮はもとより、全人類はおろか地球上の全生物を破滅させてしまいかねないほどの戦争を幾度となく引き起こしたといわれます。
しかし、41世紀を生きる私達新人がこうやって地球上で平和に暮らせるのは、他ならぬこの科学技術終結期に私達の祖先が残していったあらゆる技術の、中でも私達が乳児期に受ける個体間接続手術のおかげでもあることを忘れてはなりません。個人の感情を形成する無意識に接続し、監視、制御する現在のような個体外環境が全地球で最終的に統合、整備されたのは2900年代頃だと言われていますが、早くても31世紀になってようやく人類は、際限のない欲望やそこから引き起こされる憎悪、恐怖などと呼ばれていた感情、そして永遠に続く科学技術の進歩という妄想から解放されて、現在のような平和な世界が生まれたということになります。歴史上この出来事は、人類が地球上で存続するための大きな決断であったことはみなさんもご存知の通りです。
ですから、私達は、かつて2000年間にもわたり祖先が直面してきた数多くの危機と多大な犠牲の下に、今日、安全で平和な一生を送れるようになったことを決して忘れてはなりません。「感情礼賛」は私達未来の子孫のために幾代にも渡って苦悩の中で亡くなっていった祖先を一年に一度、彼岸から迎え入れ、旧人が抱いていた感情に触れる大切な機会です。言うまでもなく、故人を偲ぶということは遠い昔に生きたかれらの感情を私達がみずからのものとして受け止めることに他ならないからです。
お話ししましたように、彼らの感情は無数の個人の裡に閉じこめられ(孤独といいます)いつも激しく揺れ動いていました。そのような激情から個人の破滅を救うための知恵として、旧人は太古から宗教、後に芸術と呼ばれることになる技術を発達させていました。今日は、その中でも音を使う芸術の一種、音楽という古代の様式にならって私が考えた新しい礼拝を「感情礼賛」として捧げたいと思います。言うまでもなく、個人単独の感情というものを知らない私達にはもはや宗教や芸術というものは、愚かな戦争などと同様、遠い過去の記憶でしかありません。しかしそれでもなお、太古の人間達がこの地上を越えた世界を夢見て用いた音具や、それから約2000年後に作られたという音響機械などによって、祖先達が生きた過酷な世界を想像しながらも、彼らの昂ぶる感情を鎮めたという「音楽」を何か懐かしく身近なものとして感じてもらいたいと思うのです。