59049 Jahreszähler

 ぼくらは西暦59049年を想像することができるのだろうか。1万年どころか、その100分の1の一世紀後の地球ですらぼくには想像もつかないし、逆に一世紀前の人類は今のような電気文明の黎明期に生きるぼくらの日常を想像もできなかったはずだ。一方で、そのような「桁違いの時間」が現実的な問題として最近話題になった。「核廃棄物処理施設を建設するにあたって10万年後の人類がその施設の危険性を理解できるのか?」という話である。そもそも、そんな時まで人類が地球という惑星に生息しているのか、たとえそうだとして、その時の「人類」なる存在は放射線で簡単に破壊されてしまう地球生命由来の細胞組織によって有性生殖を続けているのかさえ確証はないのだから「考えてみても始まらない」だろう。ただし、ぼくらにそんなことまで考えざるを得なくさせた「今ここに作られた」大量の放射性廃棄物は、昭和時代の(ほんの数十年前の)人間が「考えた」ことの帰結であることを忘れるわけにはいかない。

 シュトックハウゼンは、敦賀原発1号機が営業運転を開始し、初めて送電したという大阪万博にも来日した。その7年後に彼が国立劇場で発表した「歴年」は「数える音楽」である。つまり、人間は「数える存在」であり、太陽を巡る地球の公転を数えることが「歴年」の意味だろう。今では太陽系惑星の運行をコンピュータによって「算出」できるし、何千年後のその位置関係をシミュレートすることもたやすい事だろうが、逆に、宇宙空間の物質の方こそがそれらの「情報」を算出している、言い換えると、人間による計算と森羅万象との間に本質的な違いなどはないと考えてみるのはおかしな考えだろうか。人類とはこの宇宙が、素粒子の次元で、生命体レベルで、そしてその名の通り宇宙的規模で「数えている」ことを感得する奇跡的な存在である。そのような人類の「直感」をぼくは古い伝統を持つ雅楽にも、また「リヒト」をはじめとするシュトックハウゼンの作品の多くにも感じるのだ。
 木戸敏郎氏から今回の新作の依頼を受けた時ぼくに、氏がたびたび強調する「トランスクリプションではなく、トランスフォーメイション」(木戸氏はそれらを”伝承”と”伝統”と区別して呼ぶ)が求められていることは明らかだった。「君らしい新作を書いてほしい」などと言われたわけではまったくない。しかも、今回はその「オリジナル」が古典芸能などではなく、近年まで創作を続けてきたシュトックハウゼンという作曲家のものであり、彼が「歴年」という作品でやってのけたことを再度、氏の言葉を借りれば、”脱構造し、再構造化”するよう要請されたということである。考えてみれば何とも風変わりな依頼である。シュトックハウゼン作品の書法や思考法を研究してそれを再現してみせる意欲はぼくにはないが、偉大な作曲の先達が夢想した「イデア」を「トランスフォーム」することなら自分が引き受ける仕事として相応しいと考え、その依頼に応える形でこの「歴年」を与えられた条件の中で”再構造化”してみることにした。

 今回のぼくの「トランスフォーメイション」においてオリジナルから継承されたのは基本的に「数えること」だけである。舞台上では10人の「桁人」と名付けられたパフォーマーが「蛇居拳舞楽」と呼ばれる規則に従ってそれぞれの状態を更新しながら移動を重ねる。一人の桁人は常に3つの可能性(右回り、対角線、左回り)のうちのどれかの状態にあり、10人の桁人全員で10桁の三進数を表すことになる。10桁の三進数で表せる最大の数は「2222222222」であり、十進数に換算すると「59049」、これが作品のタイトルとなった。つまり、10桁の三進数として桁人の移動に従い「蛇居拳舞楽」という演算プロセスによってその都度年数が「算出」されるのである。シュトックハウゼンの「歴年」においてこのようなプロセスを中断する「寸劇」、すなわち悪魔の誘惑や天使の激励など、ぼくにとっては前世紀の遺物に見えるシアトリカルな側面は原則的に無視したが、ぼくはそのような「物語」の背後に潜む作家の直感そのものを否定してるわけではない。事実それらに代わって詩人の藤井貞和氏が3.11後、絶滅した架空の少数民族ギヤック族の神話としてぼくのために書いてくれた詞、「ひとのきえさり」が演算プロセスのただ中で二人の「詠人」によって詠み上げられる。なお、この作品における音楽家たちは桁人を見守りながら、それぞれの位置と状態に従って決められた音を発する「精霊たち」、あるいは演算システムの外にいる「傍観者」という位置づけである。

 演算規則としての「蛇居拳舞楽」にはひとつの偶然も自由も含まれていない。つまり、初期値が決まれば論理的に次の状態も100(演算)ステップ、いや10000ステップ後の未来(状態)も完全に予測可能である一方で、どこかで一度でも演算を間違えればそれ以後のすべての演算結果は予測とはまったく異なるものになる。そのような事態はまた、「想定外」のこととして制御不能に陥った原発の炉心が融解し、格納容器が破壊され、水素爆発が起き、放射性物質が止めどなく漏れ続けている、現代物理学から見るならば「理論通り」のプロセスが現実に起きている今日の状況と似ていなくもない。そして、その物理学の知見は、ぼくらが、有性生殖を続けるとして、未来の子々孫々に至るまでこの融解した炉心を中断することなく冷却し続けねばならず、西暦2011年に始まったその物理的プロセスが終わるのに10桁の三進数でも表しきれない年月が必要であることも、ぼくたちに教えている。

三輪眞弘(Jun. 30. 2014)