総ての時間



 ハープのための「総ての時間」は、ネットワーク上に流れ続ける不思議な旋律を神からのメッセージと信じる、独自の教義と文明(「文化」の意)を持つウェブ上の信仰集団「新しい時代」による「混声合唱のための新しい時代」(2001年3月)に続く作品である。
 先の作品の解説で「・・さらにこの薔薇窓を時間領域に顕在化させる仕掛けとしての転調を、様々な方向から唯一の真実(まこと)を断片的に浮かび上がらせる(人間はすべての時間にすべての方向からものを見ることはできない)技法として発展させた「輪廻(わ)」という概念こそが、5度圏の循環によって暗示された、閉じた大宇宙の記号圏(物質圏の起源)を象徴しているのである。」と述べたが、この一文に現れた「すべての時間」という言葉が今回のハープのための作品タイトルとなった。
また、先の解説の中で「教団内に器楽曲は存在しない」と注釈したが、そのような意味でこの作品は教団において音楽作品というよりは、預言者イスターミアから与えられた7つの音による「公案」(と教団では呼ばれている短い旋律)を展開するための修行として行われるもので、本来は信者が、太古のアトランティス文明から伝えられたという原始的な竪琴を使って自らのためだけに演奏するものである。(その名残りとして、かつては低音で奏でられていた2弦のドローンが演奏中、本来の旋律とは独立して、中音域で常に鳴らされる)

 合唱曲と同様「総ての時間」もまた、教団に伝えられる厳格な理論によって作曲されている。「光の卵子」と呼び習わされているこの理論はしかし、作曲法というよりは演奏様式という概念に近く、実際に竪琴を手にした信者が演奏中に決められた規則に従って、次の瞬間に弾くべき新しい音を次々と見つけて行く技術なのである。「光の卵子」による規則を簡潔にまとめると、

・7音からなる音階音を下から順に0から6までの数を割り当てる
・与えられた音階音からなる7つの音(=公案)から始め、7音を限りなく、順に繰り返し続ける。その際、
・その時々の新しい音は、それ自身の数(7音前の数)とその直前の音の数の和を7で割ったあまりの数にし、
 その手順を次々と連鎖させていく。
・5度以上の跳躍をしない。しかし、
・同じ音が反復した場合のみ、弾き初めのオクターブ内の同音名に跳躍する。ただし、その音は演奏されない。
・1音の長さ(音価)は一定である。ただし、
・同じ音が反復した場合は(その音は演奏せず)1音の3倍の音価で休む。
・同じ音が続けてさらに反復した場合は(その音は演奏せず)さらにその3倍、つまり1音の9倍の音価で休む。

というものである。この中で特徴的なのはいうまでもなく「それ自身の数(7音前の数)とその直前の音の数の和を7で割ったあまりの数にする」という点で、これは預言者イスターミアが示した7つの星に象徴される、「新しい時代」における7という数の重要性を物語っている。「7で割ったあまり」とはとりもなおさず、七進数の1の桁ということであるが、実際に教団では通常の十進法とは別に、教義に関わる数の表記に七進法がしばしば用いられ、7進法で表現された特定の数を7つの星の名前で呼んだり、それを7音音階の旋律として奏でたりすることが広く行われている。例えばミ・ド・レ、西洋式の音名表記でe-c-dという3音からなる旋律は、cを起点の0として与えると、3桁の7進数201であり、十進数表記では49 x 2 + 7 x 0 + 1 = 99 のことである。さらに、これだけのわずかな規則によって音名だけでなく、実際に演奏されるオクターブの位置や音価が同時に決まることも「光の卵子」の大きな特徴と言えるだろう。

 「公案」はこの7進法による計算によって、それに続くすべての音及び音響現象を規定している。その中で最初の7音がすべて音階内の第四音(音番号3)で始まり「すべての中庸」と信者達に呼ばれる、内省的で女性的なやさしさと優美さを予言する「公案」が「総ての時間」である。教団には最初の7音だけが記されたいくつかの「公案」が伝えられているのみで楽譜は存在しない。そして「公案」から導き出される展開は、信者が演奏しながら「光の卵子」(という規則)に従って次々と音を導き出し、即興的に何昼夜もかけて演奏を続けていくものである。ただし即興的とは言っても、「公案」が与えられればそれに続く展開は規則(アルゴリズム)によって音高はもちろん音価も一意に決まってしまうので、本当の意味での即興とは異なるということは言うまでもない。

 ただし実際の演奏における即興(即時性の獲得)は、計算というよりは体で覚えたパターンに対する反応とその連鎖によって成り立っている。「新しい時代」のテクネーとして、信者達は修行を重ねるうちに、演奏中めまぐるしくそして絶え間なく行われる、直前に弾かれた7音の数の記憶と忘却、そして7進数の暗算と発音行為(演奏)、そして自ら発した音を深く聴き取ることが、長時間に渡る特殊な精神的平衡状態の中で無意識に行えるようにまでなっていくのである。
 もちろん、この、演奏中に導き出される無数の音に間違いが決してあってはならないとされている・・しかし、間違えるのである。演奏が何時間も続けられていく間にいつ、どこで間違えたのか本人も気付かないまま、確率から言えば、必ず間違えているのだ。そして一音でも間違えれば本来論理的に必ず同じものが出現するはずの音列は、この変異によって、まったく異なったものになってしまうわけだが、信者達はそれを決して間違いとは捉えず、神がいよいよ旋律に降臨する「個別の語り」の段階に達したことだと解釈するのである。同音反復によって生まれる適度な中断とそれによって相対的に浮かび上がる音の集合は、ひとつひとつの音、つまり文字に対する単語と見なされ、信者達にはこの演奏行為、つまり修行自体が「公案」に秘められた神の語りを自らのもとへ呼び寄せ、同時にそれを聴く行いであると信じられているのだ。

 人間の感情表現や意図的な判断を一切排した、論理的な演算のみによって生まれる「総ての時間」は、大きな間隔をおいて、まるでテーマと変奏のように、初期のパターンを少しずつ何度も変形しつつ再現するようなふるまいを示す。その際「光の卵子」はひとつの論理的演算による再起的な生成規則と考えられるわけだが、わずか7つの初期値によって、次に弾かれる音はもちろん、10分後の、1時間後、1日後の音まで完全に決まってしまうにもかかわらず、実際に演奏してみない限りどのような現象が起きるのかは予測できない。最初の7つの音と、それを操作する規則を並べてみても、人間には何も読みとることができないのである。「公案」という設計図は遺伝子(情報)、そして「光の卵子」というこの生成規則はそれを解釈する卵子に喩えることができるだろう。それらが順序という時間的位相の内に置かれ、次々と反応を起こすその時、個別の実在が地上に生まれ出るのである。それは、「新しい時代」の文明を規定する、この記号的宇宙における解釈するものについての暗示でもある。

 本来、何昼夜も続けて行われる演奏の冒頭部分約13分を、信者でない人々にも「新しい時代」の文明に触れてもらえるよう音楽作品として楽譜化したものが「総ての時間」である。

という夢をみた。