音響現象:

この作品では4人の奏者のMIDIキーボードによる合奏によって人声の合成が行われる。その方法は音声合成の研究分野で古くから知られている「フォルマント(ホルマント)合成」呼ばれる原理によるものである。これは人声の母音において、その部分音がある特定の周波数帯域(フォルマント)に強く現れる現象に従い、全周波数帯域に部分音を多く均等に含む波形(例えば鋸波)をバンドパスフィルターによってフォルマント周波数の領域のみ強調し、それ以外の領域を取り除くことにより、擬似的に人声を合成する方法である。その際、この鋸波は人間の声帯、フィルターは人間の口の形にそれぞれ対応することになる。ひとつの母音に対してフォルマントは複数存在するが、この作品では3つのフォルマントでこの合成を行う。

合成する母音は日本語男声のア、エ、イ、オ、ウの5種類ので、一般にそれぞれの母音のフォルマント周波数はおおよそ以下のようになる。(単位はHz)

フォルマント 1
フォルマント 2
フォルマント 3
700
1200
2900
450
1750
2750
300
-
2700
460
880
2800
390
1200
2500

この表をもとに、実際に実験を重ねた結果、それぞれのフォルマントの中心周波数を以下のように決めた。フォルマント帯域内のこれらの周波数は変ロ長調の音階音の中から選ばれたもので、これによってバンドパスフィルターの中心周波数を五線譜に記譜し、鍵盤で「演奏」することが可能になる。

フォルマント 1
フォルマント 2
フォルマント 3
698
1174
3135
440
1759
2793
311
2489
2793
466
879
2793
391
1174
2349

上記の表を楽譜で表すと、

XX楽譜XX

つまりMIDIキーボードの各鍵盤の音程(周波数)はバンドパスフィルターの中心周波数を制御し、一台のキーボードは楽譜上のひとつの音、つまりひとつのフォルマントを担当することになる。これらを3つ重ねあわせた、3台のキーボードの合奏によって弾かれる三和音が一母音に対応する3つのフォルマントを構成するのである。

XX概念図XX

さて、バンドパスフィルターのバンド幅(Qファクター)を極端に小さくしていくと中心周波数以外の周波数成分が削られ、結果として中心周波数に相当する音程が明瞭に聴こえるようになる。極端な場合、それはサイン波に近づいているはずである。実際にホワイトノイズを非常に鋭いバンド幅のフィルターに通し、実験をしてみるととこの現象が確認でき、上記3周波数による「和音」が、それでも人間の声の特徴を持ち続け、母音の発音として聴こえることがわかる。

そこで、今まで説明してきた3つのバンドパスフィルターに加えて、それらに対応する3つのサイン波を発生するオシレーターを用意し、この「和音」を演奏できるようにしてみた。その際、オシレーターが発振する周波数はバンドパスフィルターの中心周波数と同一で共に一台のMIDIキーボードによってコントロールされる。

XX概念図XX