The Point ofOrigin、または「20年後のデビューアルバム」

炎のロックンロール

垣内幸夫氏に捧げる


CD-1: は名実ともにぼくの「原点」で、作曲の勉強を他の人よりもずっと遅く始めて、それでも「どうしても音楽をやりたい」と考えていた頃、満足できないながらも自分流に試みた音楽を紹介します。いずれも高校時代の作品、つまり20年以上前に録音し、今もとにかく残っている、もはや消えそうになったカセットテープの録音がこのCDに収録されています。
 当時ぼくは、学校群制度の都合で都立国立高校に通っていましたが、ほとんど勉強せず、喫茶店で音楽を聴き、ロックバンドをやり、放送部で放送劇を作るためだけに学校に通うような毎日でした。ぼくはファンタスティック・ミワ・バンドという、国立高校初めてのロックバンドを結成し、生活や思想的にもこのバンドの友人達と共にしらけたり、絶望したり、さわいだりしていました。ファンタスティック・ミワ・バンドというバンド名は当時のプラスチック・オノ・バンド、サディスティック・ミカ・バンドなどをもじったものです。


1:宇宙人 (1977)
作詞、作曲、演奏:ファンタスティック・ミワ・バンド
帖佐敦夫(vo. a.g.)、新井和雄(vo. g.)、山野学(bs.)、守本泰夫(dr.)
Studio Recording at ミュージックランド烏山

(7' 51")


 ピアノのための 3つの小品 (1978)
2:第一楽章 (1' 20")
3:第二楽章 (2' 06")
4:第三楽章 (1' 32")

ピアノ:三輪眞弘
Live Recording at 都内のどこかのホール



 炎のロックンロール (1976)
5:イントロダクション (3' 11")
6:雨の日ぼくはきれいだ part-1 (4' 52")
7:ふたつの声の間で (6' 31")
8:雨の日ぼくはきれいだ part-2 (5' 29")
9:やっぱり明日も生きていた (2' 03")
10:レクイエム (9' 17")

ピアノ、電子オルガン、シンセサイザー、他:三輪眞弘
ギター、他:新井和雄
食器、他:守本泰夫
Recording at 東久留米の三輪の家


(total: 44' 17")


Thanks to all members of Fantastic Miwa Band and Akihiro Kamijo

 


 宇宙人 <はじめてのオリジナル・プログレッシブロック作品>
CDに収録するようなクオリティーではないのを十分承知でロックバンド時代の記録をそれでも一曲だけ紹介する事にしました。冗談で加えた、ギターで奏される踏切音で始まる「宇宙人」はファンタスティック・ミワ・バンドの最後期のもので、まずプログレバンドのコピーが多かった活動の中で数少ないオリジナル作品であり、唯一貸しスタジオで録音したものです。実はこの録音はヤマハ主催のコンクールに応募するためのもので、実際にテープを応募したはずです。もし、その夢がこのとき叶っていたら、ぼくら全員の人生はずいぶん違ったものになっていたかもしれません。
バンド作品の常でこの曲の細部までぼくが作曲していったわけではなく、メンバーと相談しながらこの作品は生まれました。ユーライアヒープが聞こえます、キングクリムゾンが聞こえます、ピンクフロイドが聞こえます。これらのバンドの影響があまりにあからさまな部分を今聴くとつい吹き出してしまいますが、プログレに憧れ、必死でコピーし、みようみまねでそれらを消化し自分たちだけの作品を作ろうという強い情熱がありました。当時ぼくはキングクリムゾンの「夜警」のような曲が書けるようになったらいつ死んでもいい、と心底思っていましたが、その曲を愛し、スタイルをマネすればするほど、自分だけの音楽を作りたい、という夢から遠ざかってしまうジレンマも感じていました。

参考資料:新井和雄(vo. g.)氏の海馬に残された20年前の克明な記憶・・
>初めにちょうさ君が“俺達も宇宙人のひとり”というテーマはおもしろいのではな
>いかという話を始めた。
>その時、歌詞の、少なくとも初めの部分(船はぁ・・・みつめぇ)はできていた。
>その歌詞を新井がEm9で弾き語りはじめ、Em9→C→D→Am7まで完成。みんな“これ
>はいいぞ”となり、ちゃんと作ろうと言うことになった。
>次のフレーズに詰まったところで、三輪がくん“次はぜったいこれ”といってAメ
>ジャーコードを指定する。この時新井は“何でこの曲調でAがくるの・・・勘弁して
>よ”と本当は思っていたが、気弱な為口には出さなかった。そこで“メロディーはど
>んなの?”と三輪に問いただしたところ、“BC#DE--EF#GGGF#E---EED---DDC---”と
>の返答。新井はこりゃかっこいい、負けた!と思った。
>ここまでで、Em9→C→D→Am7→A→Am7→Bm7→Am7まで完成。
>次に歌詞が問題となった。メロディーに歌詞が合わない。そこでちょうさ君と守本
>君は歌詞班に、三輪くんと新井は曲版に分かれて分業開始!この時、歌詞版は結構意
>見を衝突させながらケンケンガクガクまとめ作業をやっていたのを覚えている。
>曲は次に頭の繰り返し(Em9→C→D)をくっつけ、最後をEm9で締めて1番がが完成
>。歌詞の当て込みも一番、二番まで終了。
>次はギターソロ。Em→Bm7の繰り返しで新井がフレーズを作成。
>次はサビ(C→D→Em)。ここは三輪くん作成。電話でも話したがここのギターアル
>ベジオを新井は本当は気に入っていなかったが勢いに負けた。
>次のブレイクの部分(ギターのハーモニクスでBm7→Am7→Bm7→Am7→Bm7のところ
>)。ここは新井作成。後に三輪君から“あの部分があるからこそこの曲は良くなった
>”と誉められて感激したのを覚えている。
>次はKBDソロ。D(sus4)→Cの繰り返しで三輪君がフレーズを作成。
>次は三番。歌詞の宛込みは既に完成していたので、難なく終了。但し、最後の決め
>の部分“彼方へ”の3連のとこは全員揃ってフックしましょうと言うことになった。
>次はサビのリフレイン。
>エンディングはギターソロ。サビと同じC→D→Emにのせて新井がフレーズを作成。
>こうして、名曲(?)宇宙人は完成した。

 

 3つの小品 <はじめて楽譜で書いたピアノ作品>
ロックバンドで様々な曲をコピーしている間に自分のオリジナル作品を作りたいという欲求が高まって、ついにぼくは和声やピアノなどを習うようになりました。ある時その先生のところで発表会が開かれることになり書いてみたのがこの作品で、ぼくにとって一応きちんと記譜された、そして自由に作曲した初めての作品だといえます。今考えれば当時は音楽における様々な技法や様式に対する知識もそれほどなかったので、逆に「どうやって作曲したらいいんだ?」などと考え込むこともあまりなく、耳で探りながら音を楽譜に移して作曲していきました。自分で演奏しなくてはならなかったため、ぼくの演奏技術の限界が作品にも大きく影響しています。
なぜか知っていた全音音階をベースに、ディープパープルからいただいてきたキメの不協和音がキモチイイ第一楽章、さらにこの曲はポップスではお馴染みでも、古今東西のピアノ作品ではまず考えられない手動フェードアウトで終わります。どうしていいかわからなくて最後まで楽譜ができず、いくつかの和音やモチーフを手がかりに即興で弾いたのが第二楽章、ピアノ演奏に飛び道具的な「手拍子」という特殊奏法を配し、最後はピアニスト自身が楽譜に書かれているとおりに拍手する、という最終楽章・・という構成です。

 

炎のロックンロール <はじめてつくったオリジナル・アルバム全曲>
6つの小品から構成される「炎のロックンロール」は当初からアルバムとして計画され、プロの音楽家がそうするように、不特定多数の人に買ってもらい、聴いてもらう自分の作品として制作されたものです。自宅でカセットをコピーし、曲名とクレジットの入ったラベルを作り、友達に配り、キモチの問題とはいえ、カセット代の実費をもらって実際に売ったのです。つまりこれがぼくにとっては人生で最初の「デビューアルバム」だったわけです。このアルバムは最初から「録音された音楽作品」を前提にしていました。「電子音楽」というジャンルが存在するのを当時知っていたかは思い出せませんが、タンジェリンドリームなどに憧れ、電子テクノロジーを駆使した自分だけの音楽をひとりで作ってみたいといつも考えていました。また高校の放送部で体験していた録音や音響効果、そして放送劇の手法もぼくの興味の大きな対象であり、今になって考えてみれば、ドイツの「アコースティック・アート」というコンセプトに極めて近いものを当時もっていたことになります。欲しかったシンセサイザーを手に入れ、そしてついに「多重録音」が可能な4トラックのテープレコーダーを手に入れたのをきっかけにこのアルバムを作り始めたのですが、シンセサイザーの多重録音による「電子音楽的」なものではなく、むしろリアルな音素材を中心にして制作が進んでいったのを自分でも不思議に思ったのをよく覚えています。つまり制作当初は、シンセとこのテープレコーダーさえあれば富田勲のような、タンジェリンドリームのような音楽が自分でも作れる!と、漠然と、しかし大いに期待していたのに、実際にやろうとすると、アイデアが浮かばない、ただのマネになってしまう、自分のやりたかったことではない・・という失敗が続き、結局ミワ・バンドのメンバーによる番外のセッションのような方向に進んで行きました。富田勲のような、タンジェリンドリームのような音楽を作るにはコンセプト的にも音楽的知識からも未熟だったこともその理由だったのでしょうが、曖昧模糊とした自分の表現意欲を満足させるもの、伝えたいことにそれらが答えてくれていないことを次第に理解し始めたからです。で、その「表現意欲を満足させるもの、伝えたいこと」とは、個々の作品のタイトルからも見て取れるような、青春特有のナルシスティックな雰囲気や、ひとりの高校生の目前に迫っている、ばからしく不潔なオトナの社会を嫌悪する気分、逆にユートピア的発想の絶対美に対する憧れなどとでも言えば良いのかもしれません。
それらは現在のぼくにとっても遠いものになってしまったけれども、自分の中に自分でもまだ理解しきれない欲求があり、それをとにかく表現することにおいてこのアルバムはかなり正直、正確であったとは言えるかもしれません。
 ところで、「炎のロックンロール」というタイトルですが、これは当時からヒネクレていたぼくの冗談で、自分の趣味と一番かけ離れていそうなタイトルをわざとつけたものです。イギリスのプログレッシブロックを愛し、「ロックはポップスとは違うものなんだ!」と息巻いていたぼくはロックンロールを憎んでいました。
 
イントロダクション

アルバムを作るぞ!という気合いにふさわしく最初の曲は「イントロダクション」と名付けられ、その名の通り導入です。そもそもこのアルバムはシンセを駆使して作るつもりだったこともあり、リングモジュレーターを使って合成した鐘の音が開始を告げるべく鳴り響きます。また、このアルバムの最後に(「レクイエム」)再びこの鐘の音が情景の中に出現し、このアルバムを締めくくるべく呼応することになります。
 
雨の日ぼくはきれいだ(Part-1 & Part-2)
なぜそんなことを思いついたのか?とにかく、台所の食器を片っ端から引っぱり出してきて、ガムラン音楽よろしく演奏しました。ミワ・バンドの3人が集まり、何かのきっかけで食器をたたいてみよう、ということになり、始めたら思いもかけないきれいな音がしたので調子にのって録音することにしたのです。水をついではこぼしてチューニングした無数のコップ、ひとつひとつ糸で吊したナイフやフォークによるチャイムなど、セットアップにも相当の時間がかかったのをよく覚えています。録音は一回通してからプレイバックし、それを聴きながら2回目の録音を重ねていく、という形で行われ、基本的にすべて即興ですが、二つのバージョン、Part-1とPart-2は楽器(?)と雰囲気を少し変えてあります。すべては手で演奏しているので作為的であるわけですが多重録音によって同じような「状態」が続く、始めも終わりもないような音楽を考えていました。イメージとしてはやはりぼくにとってのキングクリムゾンのサウンドです。
ナルシスティックなタイトルと共に、結果的にこの2曲は言葉通り、触るとすぐ割れてしまうガラスのコップのようなこのアルバム全体のトーンを決めているように今でも思います。

ふたつの声の間で
「雨の日、ぼくはきれいだ」Part-1とPart-2の間に置かれ、さらにぼくと新井君のふたりの掛け合い、ということでタイトルが決まりました。家の雨戸を閉めきっておもむろにぼくはピアノの前にすわり、新井君はギターを持って、少しだけ打ち合わせてから録音したインプロビゼーションの一発録りです。当時「自分としてはうまくいった」という感想と同時に「これ以上は無理」と自己評価したのをよく覚えています。そして曲の後半に現れる、後からつけ加えた歌や声の部分のような、つまり即興的なひらめきではなく「時間をかけて作る」部分でしか自分が音楽的に対抗できる道はないなと漠然と考えていました。
 
やっぱり明日も生きていた
 放送劇とも、音楽ともつかない作品です。考えたことは放送劇のようなリアルな空間から現実にはない空間への移行、リアルな空間でのシュールリアリスティックな展開です。もちろん放送部でのノウハウが生きているわけですが、なによりその放送部の女の子に失恋してヤケクソなキモチを形にしたかった。曲中に現れる女の子の声は部の放送劇で使われた彼女の声を「サンプル」したものでギターを投げ、部屋中をひっくり返して入魂の一発録りを決行したわけです。直接的な表現が作品の質を落としているとも言えますが、長時間かけて何重にもダビングした素材を加工し、最後のガラスが割れる音も家の外の道路で窓からマイクケーブルを引っ張って録音するなど、それなりに辛抱強く計画的に作曲されています。時代を感じさせるスプリング・リバーブのサウンドが心にしみます。
 
レクイエム
「音楽」というものをバンドの活動でやっていたようなビートとボーカルがあるようなものに限定せず、「音による表現」と拡大解釈して捉えていたのは今でも少し驚きますが、多分タンジェリンドリームの「Zeit」など、ひっくり返るほど抽象的なものに偶然触れていたことによるものだと思われます。
東久留米のぼくの家は小学校のすぐそばだったので、下校の時間帯をねらって窓にマイクをたてて子供たちの声を長時間録音したものをベースに作ったのがこの曲です。オルガンとシンセを手弾きで加え、それが徐々に現実空間を浸食していきます。また、ここでも時々現れる先のカノジョの声が裏のモチーフとして使われています。曲の最後に現れるヘリコプターの音は偶然だったのですが当時からすごく気に入っていました。ただ日常の断片を録音する、そのことだけで時間は切り取られ、オブジェ化したその「日常」は無作為であるが故に、当時のぼくのあらゆる思い入れや夢や絶望をそのまま受け入れてくれたように思います。とにかくテープレコーダーはぼくにとってそのような装置として機能していたことが今になってよくわかります。自分がまだよく知らないこの世界、社会が不安と共に、自分とは直接関わりのない遠景として映っていた当時の心情のようなものを思い出します。レクイエムという言葉の意味は知っていたけれどクラシックのいくつか有名な「レクイエム」を本当に聴いていたかどうかは思い出せません。