「G‐M」01 脱 出 (1)
タカシのノート 1977年5月21日(金)
ねえさん、ごめんね。
いま、火曜日三時間目の授業が、そろそろ終わる時刻だ。
新館206教室の、窓から2つ目の列の、前から5番目の席にすわっている。澄んだ青空に、ちぎったような雲がくっきり浮かんでいて、いい天気だ。こないだまで窓から見えてた桜の枝は、もうすっかり葉ばかりになった。桜はぼくの高校の自慢らしいけど、ぼくはこの花、なぜか好きじゃない。満開のときなんか、息がつまるような気がする。いまみたいに、葉っぱばっかりになってるほうが、ずっといいと思う。
授業を耳ではしっかり聞きながら、ノートにこれを書いてる。落書き。そう、こういう落書きは、小学校のときから、ずっとしてきた。落書きしながらでないと、学校での時間は過ごせないようになってしまっている。すっかり慣れてるから、いくら書くことに集中してても、聞くとこはちゃんと聞いてる。自分が当てられたり宿題が提出されるのを、ぜったい、聞きのがしたりはしない。落書きのプロ。ノートは、すぐいっぱいになる。ぼくのいままでのノートはたいてい、授業の内容より、落書きのほうが多かった。
でもいま書いてるのは、ほんとは、いままでの落書きとはちがう。マンガも、似顔絵も、ノートの罫線や方眼を利用した、架空の都市の精密なデザインも、ここしばらく、お休みしてる。この二ヶ月というもの、ノートにはこれしか書いてない。ねえさんへの、出さない手紙みたいな、ヘンな文章。こういうの書くの、はじめてなので、読み返すと、ちょっと恥ずかしくなる。でも、消せない。自分がなんでこんなものを書くのか、何を書こうとしてるのか、自分でも知りたいと思う。それにいま、それしか書けない。なんでか、どうしても。
誰かに話しかけたいのに、誰もいない。こんなにたくさんの人間がいて、こんなにたくさんの言葉を交わしているのに、何ひとつ話してる気がしない。母さんも父さんも、べつに嫌いなわけじゃないけど、ぼくの心から遠いところにいる。クラスメートや盛り場での遊び友だちとは、決まりきった言葉を、ただ反復しているだけ。ぼくが好きで近づいてくる女の子も、ロボットみたいにおんなじようなことを言う。ぼくの身体も頭も、自動的にそれらに反応している。だから学校にいても、街にいても、女の子と2人でいても、ほんとは何も変わりはない。あらゆることがまるで儀式みたいに、趣味の悪い芝居みたいに進んでいく。
いまぼくが何かを聞いてほしいと思ってるのは、ねえさんだけなんだ。なのに、面と向かうと、ぼくは喉に石がつまったみたいに、言いたいことが言えなくなる。唇が縫いつけられたように、なってしまう。ぼくの口からは、ぶっきらぼうな、相手をただ困らすための、イヤな言葉しか出てこない。どうしてそうなってしまうのか、ほんとにわからない。ねえさんが自分を抑えて、落ち着いて対応してくれればくれるほど、ぼくの言葉はますます、粗暴になる。
相手を傷つけることで、というか、相手が自分の言葉によって傷つくのを見ることで、そんなことをしている自分自身をもっと罰したいという気持ちになる。こんなの、まともな考え方じゃない。けど、そういう気持ちになる。で、ねえさんがしまいにあきらめて、悲しい顔して部屋を出ていった後、いつも、本当にその場で死にたいと思う。これの繰り返し。
物理の授業でいま、重力の話をしている。巨大な星が爆発すると、その残骸が「ブラックホール」というもんになって、それはものすごい重力をもっているので、どんな軽い物質も、光さえもそこから外には逃げられないらしい。光すら逃げられないということは、ブラックホールのなかで何が起こっているかは、ぜったいに外からはわからないということだ。それはただ、大きな影にしか見えない。
ぼくにはこの「ブラックホール」という考えは、何だか恐ろしい。その中ではたしかに何かが起こっているはずなのに、けっしてその外には知られることがない。だとすればその外にいる誰かにとっては、ブラックホールの「中」の世界は、意味をもたない。逆にブラックホールの中にいる誰かにとっては、その「外」は意味をもたない。そういうことになるんじゃないだろうか。なのにその中も外も、同じ宇宙に存在しているって、どういうことだろうか。そもそも、どうしてブラックホールみたいなもんが、存在しなくちゃいけないのか? あーなんか息がつまる、こういうふうに考えると。
ねえさん。こうしてノートのなかで呼びかけてる時だけ、少し、ほんの少しだけ、ぼくは楽になれる。ノートのなかでしか呼びかけられず、ぜったいにこのノートを見せはしないんだから、この「ねえさん」は、現実世界のねえさんじゃないのかもしれない。そう、たぶん、ないんだろう。でも、それでもいいという気もする。そうだとしても、それは現実のねえさんと、ぜんぜん無関係なわけじゃない。ノートに書くことで、つまりそういう、現実でもたんなる架空でもない誰かに呼びかけることで、ぼくは少しだけ、救われる。
救われるって、 何から? それはこの、同じことが繰り返される世界からだ。家庭。ねえさんとぼくと、母さんと父さん。学校。授業と試験と友だちと女の子たち。放課後。喫茶店とタバコと酒とエロ本。パチンコと万引きとケンカ。説教と陰口と脅しと非難と叫びと泣き声。暴力と後悔の間、攻撃と自分への閉じこもりの間を、永遠に行ったり来たりするだけの世界。反復、反復。すべてが反復で出来ていて、逃れようがない。これが昭和50年代日本の、平均的高校生の「日常」ってもんなんだろうけど。
書くことで、そういう世界から、思いがけないやり方で、少しだけ、出ることができる。不思議なことだ。でもそれは、2時間目の国語の教師が言ってたような、詩人が「豊かな想像世界」を作り出して、人々に慰めや感動を与えるなんてこととは、ぜったいに違う。書くことってそんな、ノーテンキな話じゃない。それだけはわかる。書くことは、もっと乾いた、絶望みたいなことだ。自分を直接ぶちまけるのじゃなく、かといって、想像力による呑気なでっち上げでもない。書くことは、どっか、その中間にある。もどかしいし、それでどうなるんだという気も強くする。
なのにそれが、少しだけ、救いになる。この世界からの「脱出」を、ちょっとだけ可能にしてくれる。ほんの、ちょっとだけ。
マリ子のノート 1977年5月24日(火)
わたしはタカシに、ずいぶんひどいことをしてきたような気がする。わたしが十代の頃はとくに。6つも年が離れているので、わたしの言葉ひとつでどうにでもなる、まだ弱い子供だったのに、わたしはそれをいいことにして、自分の心の歪みを、タカシに押しつけてきたのじゃないだろうか。もちろん、自覚してそうしていたわけではないとしても。
数ヶ月前から日記にこのことを書くようになって、いろんなことがはっきりしてきた。わたしには、自分と母との関係がたえられなかったのだ。わたしは、自分と母との関係がもたらす歪みを、奇妙なかたちでタカシに浴びせてきた。母が自分の子供らしい幸福を奪ったように、わたしもタカシの幸福を奪う。この反復が、少なくともそういう心の暴力をふるう瞬間だけ、わたしを救ってくれるような気がした。これは狂った考えだ。だけれども、そうなのだ。
小学校三年のとき、楽しみにしていたわたしのお誕生会が、母の気まぐれから中止になったことがあった。いや、それはたんなる気まぐれなんてものではない。それは気まぐれでも悪意でもなくて、もっとずっと深いところから出てくる、何か別な存在の怒りのようなものだった。その時も母は、ある瞬間までは、楽しそうに入念にわたしの誕生会の準備をしてくれたのだった。ある瞬間まで、わたしは幸福そのものだった。いったい何が起こったのだろう。たぶんわたしははしゃぎすぎて、何かいけないことを言ったか、やったかしたんだろう。何かの小さな言葉、わたしの小さな失敗が、母の気に障ったのだ。何であったのか、思い出せない。
けれどもそうした言葉や失敗そのものは、きっかけにすぎないのだった。そのことは子供のわたしにももう、うすうすわかっていた。母の中には、起こしてはいけない、別な母がいたのだ。その人を起こすスイッチに、触れてはいけない。けれども、それが、どこにあるのかがわからないのである。そのスイッチは母の心のいろんな場所に、敏感な地雷のように隠されている。踏んだが最後、もう助かる見込みはないのだ。
母はわたしが準備を何も手伝わないで遊んでいたこと、洗濯した服をすぐ汚すこと、勉強しないでテレビばかりみていること、テストの結果を隠して見せなかったこと、いつまでたっても朝一人で起きないことなど、ありとあるかぎりの子供らしい不行跡を並べて、わたしを責めはじめた。そしてその非難はやがて、子供のわたしが理解できる範囲をこえて、いつも自分一人が家族のために働いていること、みんながそのことを当たり前と思っていること、家族の中で自分の人生だけが、何の価値もおかれていないことに対する呪詛へと、移っていった。
母が怒りだすと、まわりの世界が突然、鉛のような重くなる。きれいに掃除された座敷、カラフルなテーブルクロス、積み重ねられたお皿、ミッキーマウスの絵のついたグラスやスプーン、といった、お誕生会の幸福アイテムのすべてが、魔法が解かれたように急にその魅力を失って、ただの「モノ」へと還元されていった。
お誕生会は、中止せざるをえなかった。わたしは来てくれる約束の友だちに電話して、お母さんの風邪が治らないの、わたしもちょっと気分が悪いからと、涙をこらえながらウソの言い訳をした。電話の前にかかっていた小さな鏡のなかに、泣きそうな顔のわたし自身が映っていた。わたしは、新しいワンピースを着せてもらったわたし自身の身体も、重い不活発な金属の塊になっていくように感じた。
母はけっして、非情な人間でも悪い人でもない。悪い人間など、わたしの家にはひとりもいないのだ。ただみんな、弱い人たちばかりだったのだ。そして、母がいちばん。
家庭というものは、「母」となる女の犠牲の上に成り立っている。このことをうけ入れることができない場合、「母」は家庭を狂わすことによって、自分を犠牲として要求した世界に復讐する。「母」は「母」であることをやめる。すると何が起こるか? 「子供」が、「子供」であることをやめるのである。それしかないのだ。小学生の頃から、わたしは自分の心の中に、母に対するどす黒い恐怖と憎しみとが、不吉なかたまりとなって沈殿しているのを感じていた。けれどもそのことを、母の非として認めることは不可能だった。そんなことは、できるわけがない。自分に生を与えてくれ、世界のなかで唯一自分に無償の保護を与えてくれる存在を否定するなんて。それはとりもなおさず、自分自身の存在を否認することだ。
わたしの心は因果を逆転させて、こう考えはじめた。母がしばしば発作のように怒り出すのは、わたしが悪い子供だからだ。勉強しなかったりだらしなかったりするようなふつうの悪さだけではなく、心のなかで母を憎んでしまうほどの、そんなにも悪い子だからだ。わたしはもっともっと、母と一体にならなければならない。そのためには自分よりも弱いもの、自分が保護すべき存在を、母と同じようなやり方で、愛さなければならない、と。
タカシは、わたしの心のそういうメカニズムの犠牲になった。十代の頃、わたしは少し年の離れた姉として、タカシを可愛がっていたつもりだった。けれどもいつのまにか、わたしの中には、母の中のもうひとりの母、「家庭」を成立させるために殺されたもうひとりの女の怨念が宿っていたのである。
わたしは、幼いタカシをほんとうにかわいいと思っていた。けれども同時に、そうした子供の無邪気さが、自分から奪われたもの、自分の犠牲の上に成り立ってるのだという不可解な憎悪にとらわれていた。わたしはタカシの、子供らしい無垢な幸福を、何度も何度も残酷な言葉で潰してしまったような気がする。ちょうど母が、わたしの誕生会の幸福を潰したように。お前はそんなに無邪気であってはならない、そんなことを許してはやらない、とでもいうように。
タカシのノート 1977年5月31日(月)
いったい何が不満なんだ?って、この前補導されたとき、父さんに問いつめられた。ぼくは黙っていたけど、いくら考えても不満なんて、思いつかないんだ。どうして自分がまともに親と口もきかないのか、毎日のように遊び歩いて夜遅く帰ったり、家の生活費をくすねたり、親の帰宅が遅い友だちの家で、酒飲んだり、「不純異性交遊」したりするのか。そういうことがしたいのかっていうと、ぜんぜんしたくない。そんなことするのは、ほんとはイヤなんだ。
まわりには、そういうのを楽しんでるようなヤツもいる。いわゆる不良の連中だ。あいつら、見ているだけで吐き気がする。ただあいつらには、そうする理由がある。少なくとも、あるかのようにふるまっている。あいつらは、まわりの世界を恨んでいる。だからそういう世界に復讐することが、うれしいんだ。もちろんぼくも、やってることはあいつらと変わらない。でもぼくには別に、この世界に対する不満も、恨みもない。自分がやっていることには意味がない。それを知ってるし、それがイヤでしかたがない。
ほんとはおとなしく、普通にしていたい。「普通」ってどういうことかよくわからないけど、気持ちが逆立つようなこと、後で不安で死にたくなるようなことは、もうしたくない。したくないとおもっているのに、ぼくの心のなかに、何か膿んだ塊のようなものがあって、それがうっとおしくて仕方がないんだ。そいつが瘡蓋みたいに痒くなって、掻いてはいけないことはわかってるんだけど、そうしてしまう。血と膿が流れて、また瘡蓋ができる。それと同じなんだ。その繰り返し。何の進歩もない。進歩なんて、ありようがない。
外に出たい。
女の子とはじめてつき合いはじめたときは、そういうレンアイとかセックスとかが、いままでとは違うどこかにつながっているような気がした。でもダメだった。はじめてセックスしたとき、ついにやっちゃったと思ったけど、そのあとに得体のしれない不安が残った。それを知った仲間たちが「よかっただろ?」と話しかけてきたけれど、誰もこの不安な感じに触れないのはなぜか、ぼくにはわからなかった。
「女をモノにする」ということを、なぜあいつらは無邪気に口にできるんだろう。 「モノにする」とは同時に「女がモノになってしまう」ことだ。これはきみの悪い経験なのに。それは、たとえばこういうことだ。彼女が服を着て隣りにすわっているときは、それはまるでラッピングされリボンをかけられた贈り物みたいに、魅力的である。でもそのリボンを解き紙を破って中身を取り出そうとすると、そこには何もないんだ。
いや、何もないのじゃなくて、そこにはたしかに女の子の身体というモノがある。 で、そのモノに対してぼくの身体も心もモノとして反応する。それは激しい経験ではあるんだけど、でもそれは、最初ぼくが求めていたものとは、ぜんぜん違う何かなんだ。それじゃぼくは、ほんとは何が欲しかったのか? ぼくはただ、外に出たかっただけなんだ。
昨日、夜中に帰ってきて、料理用の焼酎飲んで死ぬほど酔っぱらってたとき、ねえさんは心配そうにぼくの部屋に入ってきて、台所からこっそり水を汲んできてくれた。そのとき、はじめてぼく、少しだけ素直に話すことができた。酒の力でだけどね。「苦しい?」って聞くから、「外に出たい」ってぼくは言った。「外に出られないなら、死にたい」って。
ねえさんは、ぼくがただ自棄になってそんなこと口走ってるのでないことを、すぐにわかってくれた。
「ほんとに、外に出たいの? もう、みんなと会えなくなっても、それでも出たい?」
「ねえさんと会えなくなるのは、つらいよ。でもやっぱり、ここにいるのはもう限界なんだ。」
「家出って意味じゃないわよね。家出はもう何回か、したものね。」
「うん、そうじゃない。ほんとに出たい。」
ねえさんは、ぼくの顔を真剣に見て、言った。
「タカシがそれほど苦しいのなら、仕方がないのかもしれない。外に送ってもらうしか。」
「できるの? ほんとに出られる?」
「申請してみなくちゃ、わからないわ。でももう少しだけ、よく考えたあとでね。いいでしょ?」
本当だろうか? とぼくは思った。ねえさんは、市役所に勤めている。市役所の厚生課では、どうしてもこの世界に適合できない人間が出た場合、それを「外に送る」処置をとることがあると、学校では習った。でもこの「外に送る」ってのは、子供を叱るときの脅し文句のようなものだとしか、考えていなかった。「外に」送られた人もいままで何人かいたという噂は聞いていたけど、直接には誰も知らない。
「そうなんだ、外に送ってもらうってことがあった。でもどうして、いま急にこんなこと考えはじめたんだろう。ぼく、ずっと外に出たいと思ってたのに。」
「タカシはいますごく酔っぱらってるからよ。明日になって、酔いが醒めてもやっぱり同じ気持ちだったら、2人で真剣に考えてみましょう。」
「どうして?」
「〈外〉のことはね、知識としては知っていても、それについてはあまり考えないようになってるの。わたしたちの心に、ちょっとした調整がされているのよ。だから誰も、ふつう〈外〉のことは真剣に話題にしないわ。」
今日、学校に来て二日酔いの頭で、必死になって、夕べのねえさんとの会話を思い出してみた。酔ってたので正確じゃないかもしれないけど、だいたいこんなやりとりだった。ちゃんと覚えてるし、そして酔いが醒めたいまでも、やっぱり外に送ってほしいと思う。ただ〈外〉という言葉は夕べと違って、頭のなかで何か霞みがかかったようにぼんやりとしか考えられない。それに、もしほんとにこの世界の〈外〉に出られるとしたら、やっぱり何だか、恐ろしいような気もするんだ。
(C)Hiroshi Yoshioka
