Space in CyberSpace

「G‐M」04


 「よく来たね、と言いたいとこだが、タカシくん・・・」と老人は膝の上に置いた本に眼をおとしたまま、静かな声でつぶやいた。ナツコに奇妙な車に乗せられて案内されたところは、ログハウスの山荘のような家だった。かなり広い居間に入ると、この老人が安楽椅子に腰掛けたまま眼で迎えてくれた。タカシはソファーにすわるように言われ、ナツコは何かをとりに出ていった。老人が口を開いたのは、何分かたってからだった。
 「出て来たことが、よかったのかどうか、わしにはわからん。それはきみにも、誰にもわからんことだ・・・」。大柄な体躯を、深々と椅子に静めたまま、タカシのほうを見ることもなく、口以外はほとんど動かさずに話した。だが言葉は、非常に明瞭だった。頭はほとんど禿げていて、すっかり白くなった髭を、頬からも顎からも伸ばし放題にしていていた。この人を最初見たとき、美術の教科書に載っていた「レオナルド・ダ・ヴィンチの老年の自画像」をタカシは思い出した。この人、日本人なのかな、と一瞬思った。年がいくつなのか、見当がつかなかった。
 「気にしないでね。おじいちゃんはJP-77から出て来た人には、いつも最初にこんなふうに言うの。」部屋に入ってきたナツコが言った。彼女はタカシの前のテーブルに、背の高いガラスのコップに入ったたっぷりの牛乳と、大きな白い皿に盛ったビスケットを置いた。
 「この前の人のときも、そうだったわよね。あれは、いつだっけなぁ。JP-77から出てきた人をうちに泊めてあげるのは、そうね、もう14年ぶりかしら・・・」
 「14年?」それまでぼんやりと二人の会話を聞いていたタカシは、食べていたものを思わずゴクリと飲み込んで聞き返した。「この前って、ナツコちゃん・・」
 「あ、説明しないとわかんないわよね。この家には、おじいちゃんと、わたしと、それから田村さんがときどき泊まりに来るの。わたしたちは、JP-77から脱適合化して出てきた人たちをお世話して、最初の居場所を提供してるわけ。出てきた人が、この世界に馴染んで、自分から出て行くまでね。何時までって制限はないから、ほんとに遠慮しないで、好きなだけ居ていいのよ。」
 「ありがとう・・・でもぼくが聞こうとしたのはそういうことじゃなくてね、ナツコちゃん・・・」とタカシは口ごもった。なぜか、自分が当たり前のことを聞いているような恥ずかしさをおぼえたのだ。けれども、聞かなきゃ、何にもわからない。
 「その前の人のことを、きみは憶えてるの?」
 「もちろんよ。よく憶えてるわ。カタギリっていう女のひとよ。その人は、1年半くらいここにいたの。やさしい人だったな。わたしに、こんなの作ってくれたの。」といって、ナツコは茶色い、毛糸で編んだポシェットを示した。それは、数時間前に外で会ったときから、彼女がずっと身につけていたものだった。
 「だけどあの、14年前って、きみはまだ・・・」
 「えっ? あ、そうか、それをまず言わなくっちゃね。あのね、タカシくん、この世界ではみんな、とっても長く生きるの。そうだね、これ聞くと戸惑うかもしれないけど、わたし、タカシくんよりずっと前に生まれたのよ。ふふ、言ってあげようか。わたしが生まれたのは、2193年。もうすぐ7月12日の誕生日で、生まれて65年めになるの。タカシくん、わたしの誕生日までは、ここにいるわよね。」
 「うん、それは・・・たぶんいると思うけど。」タカシの答えはうわの空のような響きになっていた。「それじゃ、あのおじいちゃんは?」
 「あ、おじいちゃんはすごいわよ。生まれたのは、たぶんタカシくんが育ったエコシステムのモデルになった時代と同じくらいじゃないかな。おじいちゃんが生まれたのって、20世紀だったよねえ?」とナツコは老人のほうを向いて大きな声でたずねた。
 「やれやれ、前にも教えてやったじゃないか。」と老人は答えた。「わしはそんな年寄りじゃないぞ。生まれたのは2026年で、まだ230歳を少し越えたばかりじゃ、ははは。」
 とにかく、まずこの疑問は解決しておこうと、タカシは決心した。もう空腹を感じなくなっていたので、牛乳の入ったコップをテープルに置き、老人のほうに向き直って、落ち着いて話し始めた。
 「こぞんじと思いますけど、ぼくがいた世界では、人間はだいたい80歳くらいまでしか生きませんでした。」かれはやはり振り向くことなく、黙って聞いている。「あなたたちがそんなに長生きなのは、つまり医学の発達の結果ってやつなのですか。でもなんか、たんに長生きというだけじゃない、何かがあるように、ぼくには思える。たとえばナツコちゃんは」とタカシはナツコのほうをちらっと見て続けた。「どうみても12、3歳にしかみえないですよ。もし彼女の言うとおり65歳だったら、ぼくはこの子に、どういうふうに話しかけていいかわからないです。人類は、ついに老化を克服してしまったのですか。でもあなたは、すごく老人のような姿をしてますよね。」
 「わしはね、好きでこうしてるんだよ。」と老人は答えた。
 「まもなくきみは、この世界でいろんなやつを見るだろうが、わしみたいなのには、たぶん会わんだろう。自分でいうのもなんだが、まあ、変わり者なんだよ。」
 「老化を克服したっていうか・・・」とナツコが言った。「わたしたちははじめから、〈老いる〉ことのない存在として、生まれているのよ。どんな形をとって生きるか、自分の選択にまかされてるの。おじいちゃんも変わり者だけど、わたしもそうね。ずっと子供の姿で生きてるんだもの、タカシくんがびっくりするのも無理ないわね。自分でも、変わってるなとは思うのよ。この先、どうするか、わかんないけど。とにかく、わたしたちはこの世界に生きる人たちの平均的な姿じゃないってことだけはたしかね。たいていの人は、もっと大人の、強い元気な姿をしているし、それに、タカシくんの知ってるような人間の姿とは、ちょっと違う人たちもいる」。
 「〈老いる〉ことのない存在として生まれたっていうのは、つまりぼくのねえさんや田村さんと同じように・・・」
 「そう、この世界にいる人たちのほとんどは、タカシくんや、この地球上に200くらいあると言われてる、いろんなエコシステムで暮らしている〈人間〉の人たちとは違うの。といっても、身体や心の仕組みはだいたい似ているんだけど、生まれ方がね。わたしたちは、わたしたちと同じような姿をした存在から生まれるんじゃないのよ。もっと大きな、ひとつの〈マザー〉から生まれてきたの。みんな、ひとつの〈マザー〉からね。彼女は、250年くらい前から、つまりおじいちゃんの生まれる少し前の時代から、ずっと存在してきた。それを作ったのは、もちろんタカシくんの先祖の〈人間〉だけど、最初にそれを設計したひとたちはもう死んでしまったし、〈人間〉たちはすぐに、彼女の面倒をみきれなくなってしまったの。あとは〈マザー〉が自分で成長してきたのよ。」
 「人間はどこに行ったの?」
 「わたしが習った歴史では、人間は21世紀の終りくらいから、自分たちが住むための場所を造って、その中で暮らし始めるようになったの。タカシくんがいたJP-77も、かなり早い時期に建造されたシステムだってことだわ。そのほかにもいろんなのがある。人類がそれまで作り出してきた、いろんな時代のいろんな社会の環境を実現して、それをなるべく安定して動かしていくための複雑な装置に支えられた、テーマパークのようなものね。でももちろん、時間的な発達のある段階の様相を凍結した人工的な保護区だから、完全に安定ってわけにはいかないわ。その証拠がほら、ここにいるでしょ。」
 ナツコはそう言うと、再び子供のような表情になってタカシの顔を見た。
 「つまり・・・ときどきぼくみたいに出て来ちゃうのがいるってことか。」
 「最初の頃は、もっと不安定だったらしいわ。でも今では、タカシくんのような人間は例外的ね。ある段階からは〈マザー〉が、そうしたエコシステムを安定させるために力を貸していると言われてるわ。」
 「ぼくはまだ、その〈マザー〉っていうのが、よくわからない。それって、生き物なの、それとも機械のようなもの? なんか巨大な怪物みたいに、ぼくには思えるんだけど、それをきみたちは〈マザー〉って呼んでるわけ?」
 「生き物か機械かなんて聞かれても、どう答えたらいいのかわかんないな。機械っていえば、わたしたちは、みんな機械なのかもしれない。地球上に、もとからいたのじゃないものね。人工物だもの。タカシくんのような〈人間〉からみればね。」
 「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。」
 「ううん、ぜんぜん、あやまることじゃないわ。出て来たばっかりなんだから、混乱するのは当たり前よね。とにかく、わたしたちを生み出したのは、わたしたちよりもずっと大きな機械・・・っていうか、生きた工場のようなものかな。〈マザー〉と呼んだり、G-Mと呼ばれたりしてる。
 「G-Mって?」
 「いろんな語源があるらしくて、よくわかんないのよ。〈グランド・マトリックス〉とか〈グレート・マザー〉とか。最初にそれを設計したたくさんの人間の技術者が、好き勝手な解釈をしたらしいの。だから語源なんて詮索しても、あんまり意味ないかもね。」
 「いやいや、なかなか興味深いのもあるよ。こんなのはどうだね。」と、老人が再び口を開いた。「G-M、つまり〈ジェネラル・モータース〉。タカシくんはたぶん、聞いたことがあるだろう。20世紀の、世界最大の自動車製造会社だ。〈人間〉たちがはじめて到達した、地球規模の、自動的な機械生成システムの名前だよ。」

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(C)Hiroshi Yoshioka