Space in CyberSpace

「G‐M」05


 頭のなかが、たまらないほど熱い。ちょうど目玉の奥のあたり、あたまのいちばん中心に近いところに、なにか異常な、充血した熱のかたまりのようなものが、あるみたいだ。眠っている間に、誰かにわけのわからない脳手術をされて、その傷口が内部で膿んでいくような感じ。その傷が、どんどん熱をもっていくのに、熱の逃げ場がない。頭蓋というカプセルの中だけ、どんどん温度が上がっていく。そんな感じなんだ
 生きるって、ようするにカプセルの中で過ごすことじゃないか? そんな考えが突然頭に浮かんだ。家族でも、どんな親しい友だちどうしでも、ある人が自分自身を「こんなふうに感じている、まさにこの感じ」ってのは、本当は理解することも、伝えることもできない。どんなに深く話しあっても、ケンカをして傷つけあっても、セックスしても、泣いたり怒ったりしてはげしい感情を見せあっても、伝えているのは結局、言葉、皮膚、表情、身振りだけだ。カプセルの中までは、誰も入ってくることはできない。
 自分というカプセル。そう、たまらないのはほんとは熱さじゃなくて、このカプセルそのものだ。何か堅いものでこの頭をバシンと割って、上半身ごと冷たい水に放ったら? ・・・あ、これたしか、どこかで見た光景だ。夢かな? いや夢じゃない、そうだ、あれはたしか中学に入ったばかりの頃だ。ずっと忘れていたひとつの情景が、すぐそこに迫ってきたような気がする。すぐそこにあるのに、それが何だかわからない・・・。

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 ここで、時間がプツンと切れたような感じがあった。ぼくは縁側に立っている。ねえさんも横にいて、二人で小さな紙箱みたいなものを、恐る恐るのぞきこんでいる。台所に仕掛けてあったゴキブリ捕りのマットに、小さなネズミの子どもがかかったんだ。一晩中そこでもがいてたらしくて、身体中の毛がネバネバした粘着剤にくっ付いている。どうにかして助けてやりたいけど、もうどうにもならなかった。日曜の朝。最初にそれを見つけた母さんが、気が狂ったように大騒ぎしてぼくたちを呼んだんだ。
 そいつはまだ、弱々しく目をパチパチさせていた。父さんが来て、しばらく見守ったあと、かわいそうなことをしたな、といってゴミ袋に入れようとした。ぼくとねえさんは、そんなのいやだ、まだ生きてるのに、と言って騒いだ。じゃぁ、どうしたらいいの、とかあさんが泣き声で言う。ぼくは、どうしていいかわからなかったんだけど、それを持って庭に出た。4月の終り。雨が降っているけど、もう寒くはない。
 庭の隅に園芸用のレンガが積んであった。ゴキブリマットの赤い屋根の家の形をした紙箱の上から、ぼくはネズミのちっちゃな頭を、そっと手で押さえる。そしたらなぜか、ネズミは動くのをもうやめてしまった。その上に、レンガの端っこを、自然に落とすくらいの勢いで押しつける。クシャッと、ネズミの頭が頼りないほど柔らかく、潰れる。怖くも、気持ち悪くもない。でも、あまりにもあっけなくて、ぼくはそれをそっとほうり出してしまった。それは、庭の水たまりのなかに落ちる。
 透明な水のなかに、そいつの鮮やかな血が滲み出して来る。それは、なぜか不思議に美しい。その色彩が鮮やかで美しいというのとは、少し違う。そう、なんて言ったらいいんだろう・・・たしかに自分は残酷なことをしたなとは思った、それはわかっているけど、そんなふうに、いまさっきまで頭の中を流れていた生きた血液が、きれいな冷たい雨水と混ざっていくことが、とてもいいことのように思えるんだ。ぼくは、いま殺したネズミの子と自分とを重ね合わせていた。ぼくの頭、ぼくというカプセルも、卵みたいに割って、中身を冷たい水に溶かしていったら、きっと気持ちがいいだろうなと思う・・・。

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 ここでまた、何かが急に途切れるような、妙な感覚がある。子供のときのある情景を、たった今、鮮明に思い出していたような気がするんだけど、何だったのだろう。ぼくは、自分の部屋のベッドに横になっている。頭の芯が重く、熱っぽい感覚がある。顔がやけに火照っている。眩しい。まぶたを通して、太陽の光を感じる。この火照りは、カーテンのすきまから顔の上に差し込んでくる朝日のせいだ。ぼくは薄目をあけて窓を見た。昨日の夜、部屋で隠れて飲んでいだ酒が残っていて、まだ気持ちが悪い。いま何時だろう・・・と思って時計をみたら11時前だった。もう遅い。今日も、学校には行けない。今日からは行こうと夕べあんなに決心したのに。これで、何日休んだことになるんだろう・・・。
 そう考えると、もう一度布団にもぐりこんで眠りたくなった。喉がかわいた。台所に行って、水が飲みたい。でも、母さんと顔合わせるのがつらい。それで、まだベットに横になったまま、まだカーテンがかかったままの窓を、ぼんやり眺めていた。小学校6年のとき、母さんが作って持ってきたオレンジ色のカーテン。これをぼくの部屋につけるとき、こんなのイヤだと言って、駄々をこねた。別にそのカーテンが気に入らなかったんじゃなくて、自分の部屋は自分の好きなようにしたかった。何もかも〈家庭〉で包まれてしまうのが嫌だった。でも、母さんが悲しい顔するので、つけることにした。
 起き上がってベッドから出た。まだ頭がフラフラする。床にいろんなものが散らばっている。足の踏み場もないほどなので、ひとつずつ拾い上げてベッドの上に置いた。昨日の夜読んでいたノートがある。どうしてこんなもの読む気になったのか、わからない。〈外〉に出たときのことが書いてある。〈外〉ってなんのことだか、自分でもなんでそんなことを書いたのか、よく憶えていない。〈外〉ってことを考えると、なんとなく頭がぼんやりしてくる。
 ぼくの書きつけたことに対して、ねえさんの答えがある。それは、間違えようもない、ねえさんの字だ。まるで、二人して物語を書いてるみたいだ。ぼくはこのノートを、ねえさんに見せたことはない。だから、とても不思議なことだと思うんだけど、なぜかこれも、深く追求して考える気が起きない。考えようとすると、頭のある部分が、雲がかかったようにぼんやりしてしまう。そこに、ぼくにとって何か大事なことがあったような気がするんだけど・・・。
 喉がかわいてたまらないので、台所におりて水を飲んだ。家のなかはひっそりしていた。父さんとねえさんは、もちろんとっくに仕事に出ているはずだ。母さんも買い物に行ったらしい。ダイニングテーブルにしばらく一人ですわって、テレビの料理番組をぼんやり眺めていた。それから、また2階の自分の部屋に戻った。もう一度ベッドに横になって、ヘッドホンで音楽を聴いていた。もう眠くはないけど、何にもする気がしない。外に出るのも、人に会うのも嫌だ。ぼくには、行き場所がない。本当に行き場がないと思う。だから何もしないで、このままこうしていたい。
 しばらくして、母さんが帰ってきた。静かに2階に上がってきて、ぼくの部屋のドアのところに来たのがわかった。けど、すぐには声をかけない。いつもそうなんだ。少し間をおいてから「タカシ、起きたの? 何か食べる?」って聞く。
 「要らない」とぼくは答えた。母さんは、まだ何か言いたそうだったけど、あきらめて下に降りていった。また静かになる。ヘッドホンから微かな音が漏れている。まだカーテンを引いたままの部屋。隙間から差し込んでくる昼の光が、枕もとのシーツだけを異様に白く光らせている。外は、とても明るいことがわかる。でもぼくはまだ、カーテンも窓も開けようとはしない。空のかなり高いところに、ヘリコプターの飛んでいく音が聞こえる。

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 「タカシ、何考えてるの?」と、膝を抱えてじっとこっちを見つめたまま、弘美が言った。
 「なんだかぼく、自分の部屋にいるような気がしてたんだ。」
 ほんとうに今、そういう錯覚があった。もちろん、ここは弘美の部屋だ。ぼくはしばらく前から、この子とつきあっている。弘美の両親はたいてい帰りが遅い。この2ヶ月ほどは、1週間に一度くらい、昼から彼女の部屋でいっしょにいるようになった。ぼくはもうほとんど学校には行っていない。彼女はわりと出席はするほうだ。でも、ぼくが来る日は午後サボるようになった。
 「へんなの。このごろタカシ、ちょっとおかしいよ。ぼーっとして、何考えてるのかわかんないときがある。べつに、いいいんだけどさ。」
 弘美の部屋に行くと、まず彼女は1週間学校であったことを、断片的に話してくれる。それからふたりで缶のビールとかカクテルを飲んで、セックスして、それからぼくが帰る時間まで、あまり話もせずに、マンガ読んだり音楽を聴いたりして、なんとなくいっしょに過ごす。
 「4組の中川くんが、タカシはどうしてるって聞いてたよ。最近会ってないの?」
 「うん。あんまり電話もしてない。」
 「タカシと中川くんって、中学のときからの親友でしょ。高校に入ったときなんて、いつもいっしょにいたじゃん。一心同体って感じだったなあ。」
 「中学3年のとき、二人でいろいろ悪いことしてたから。隣り町の中学のヤツら相手にケンカもした。そのとき、中川はぼくをかばって左脚大腿部、骨折しちまったの。」
 「男の子どうしって、そういうことがあるとすごい結びつきができるんでしょ。」
 「うん。そのときは二人とも、なんか盛り上がってた。でも高校に入ったら、別にお互い、嫌いになったわけでもないけど、だんだん合わなくなってきた。そんな、あいつと〈一心同体〉なんてことないよ。」
 「じゃ、わたしとは?」
 「・・・・・」
 「比べられないよね。でもタカシ、わたしといっしょにいるの、うれしい?」
 「うれしいよ、もちろん。」
 「わたしのこと、すき?」
 「すきだよ、すごく。」
 「わたしとセックスするの、楽しい?」
 「楽しいよ。もう、狂っちゃいそうだよ。」
 「ごめん。すごくウルサイ女みたいね、わたし。何でこんなふうにしつこく、言わせたがるのかなあ・・・。うん、タカシはぜんぜん、ウソはついてないんだと思う。それはわかってるの。だけど、なんだか、タカシって、何しててもうわの空みたいに思えるときがあって。いつも何かほかのこと考えてるような。ううん、別な女の子のこと考えてるとか、そういうんじゃないの。タカシの心のいちばん中心みたいなものがね、どっか、ほかのところにあるような気がするのよ。」
 「そんなことないって。ただ・・・弘美のこと信じてるから正直にいうけどさ、たしかにこの頃、とヘンなことを考えてボーッとしてるときってあるんだ。さっき〈一心同体〉なんてないって言ったろ? 人間って、けっきょく〈自分〉っていうカプセルの中からは出られないんだなあ、って思うんだ。これ、人間はけっきょくエゴだっていう意味じゃないんだよ。他人のこと愛したり、他人のためにいろんなことができるのもたしかだよ。でも、そういうことをしている人の気持ちそのものには、誰も入りこめないだろ? 考えたら当たり前のことで、別に悲しい事実なんかじゃないけど、それでもなんか不思議で、ああ生きるってそういうことなんだって、思うんだ。」
 「からだで愛し合ってるときも、そんな感じ、する?」
 「そのときは、そんなこと、思うわけないじゃん。」と、ぼくは言ったけど、ほんとうは別なことを考えていた。そう、ぼくは弘美のことが好きで、彼女のことばかり考えてる。彼女に関係ないことは、ほとんど無意味なことに思えるくらい。でも、そんなにまでとりつかれてる弘美に、ぼくは本当は、触れることはできないんだ、と感じてしまう。この感じを、どうしてもごまかすことができないんだ。今日のように彼女の家に行き、親しく話したり、からだで愛し合ったり、長い時間いっしょにいたりしても、どうしても満たされないものが残る。
 これは、ぼくのなかの弘美が、理想化された虚像だからというのとは、ぜんぜん違う。ぼくが触れたいのは、ちょうどぼく自身が自分を感じているように、たしかにそこにあるはずの、実在の弘美だ。弘美はぼくに心を開き、服も脱ぐけれど、そこには弘美はいない。どんなに近づいても、弘美が弘美であること、弘美の「意味」は、永遠にカプセルに入ったままだ。もちろんそれはお互いさまで、ぼくだって、ぼくがぼくであることを彼女に「示す」ことも「あげる」こともできない。そういうのはぜんぶ、言葉の上だけのことだ。
 口に出したら、こうしたことはぜんぶ当たり前すぎて、ぼくは自分でも何を言いたいのか、わからなくなるだろう。こんな考えにとらわれるぼくは、たしかにちょっとヘンなのかもしれない・・・。

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 顔を上げて向かいの壁にかかった時計をみると、もう午前1時をまわっていた。廊下に置かれた長椅子にすわって、ぼくはねえさんが出てくるのを待っていた。こめかみのところに、ジーンと重い痛みがある。手を当てると、ちょっと大げさなほどの厚みで、包帯が巻いてある。血止めの軟膏の匂いがする。ねえさんが出てきたら、こんどこそはちゃんとあやまって、話をしよう。廊下の向こうから、聞きなれた靴音が近づいてくる。ぼくはわざともう一度うつむいて、気づかないふりをした。
 「もう大丈夫よ、タカシ。帰りましょ。なんにも心配することないわ。学校のほうには一応連絡するらしいけど、相手はたいしたケガじゃないし、それにどっちかというと、向こうが悪いんだものね。停学とか、そんなことにはならないでしょ。傷、痛い?」
 「・・・・・」何かしゃべろうとしたけど、ねえさんの顔を見たとたん、何も言えなくなった。
 立ちあがって、ねえさんといっしょに警察の玄関を出た。まだ10月だけど、深夜の空気は冷たかった。
 「父さんと母さんには、もう電話しといたからね。何か食べて帰ろうよ。おなか空いたでしょ。あ、でもこんな時間、どっか開いてるかなあ。」
 「駅前のラーメン屋なら開いてるよ、24時間。」こういうことだったら、すんなりと口にできる。
 「よし、じゃそこ、行こ。」
 ラーメン屋の、触ると少し粘つくようなテーブルに向かい合って、ぼくたちは腰をおろした。こんな時間なのに、けっこう人が入っていて、店の中は活気があった。みそラーメンを二つと、餃子を一皿注文する。二人ともガラスのコップに入った水を飲んで、テーブルの上におくタイミングが同じだったので、ねえさんはぼくの顔をみてクスッと笑った。そのとき、いままで押さえつけてきたものが、もうどうしてもそれ以上がまんできなくなった。
 「ねえさん。ぼく・・・もう、どうにもならないのかな。ぼくには行く場所が、ないのかな。」
 「そんなこと、絶対にないわ。しっかりしなさい、タカシ。わたしもたぶん、今日は話さなきゃいけない日だなと思ってたのよ。でも、お腹が空いたままじゃ、よけい深刻になっちゃうからね、先に食べよ。」
 ぼくたちは、運ばれてきたラーメンと餃子を食べた。長い時間警察で拘束されていた緊張が、やっととけたような気がした。
 「タカシ、これ何だか、わかる?」
 ねえさんがカバンのなかから出したのは、一冊の紫色のノートだった。なかを開くと、ぼくの字とねえさんの字で、手紙のような文章が交互に書いてある。
 「うん。これとおんなじノート、ぼくの部屋にもあるよ。」
 「どうして、こんなものがあると思う?」
 「・・・。わからない。不思議だとは思うんだけど、あんまり深く考えられないんだ。どうでもいいものじゃない、ぼくにとってすごく大事なことに関係があるような気がするんだけど、考えようとすると、頭がボーッとしてしまって。」
 「タカシが〈外〉に出たときのことが書いてあるのよ。この世界にいるわたしと、やりとりした便りなのよ。」
 「知ってる。読むとそんなことが書いてあった。」
 「〈ぼくには行く場所がない〉ってさっき言ったわよね。1年半ばかり前、タカシはやっぱり同じことを言ったの。そして、どうしても〈外〉に出たいって言った。だからわたしは、タカシを〈外〉に出す決心をしたの。〈脱適合化処置〉の手続きをして、市役所の地下から、あなたを見送った。最初は地下道を、一人で歩いて出たのよ。担当者は田村さんという女性、おぼえてる? 〈外〉に出たあなたは、ナツコとおじいさんの管理する家で、2週間をすごした。その間、何度か街にも出かけて、〈外〉の人々にも接触した。ところがどうしてだか、あなたはだんだん鬱にとりつかれるようになったの。別にホームシックというわけじゃないわね。ノートを読むと、あんなに〈外〉に出たい、と望んで出たのに、何週間か経ってみると、〈外〉も、この JP-77 の世界も、ほんとうは何ひとつ、違わないような気がしてきた、と言うの。で、あなたは〈再適合化〉を受けて、ここに戻ってきた。当然向こうでの記憶は、アクセスできないように処置されるから、ずっとこの世界にいたものとあなたは感じてるでしょ。」
 「それで、・・・ぼくは今また、〈外〉に出たいって思いはじめたわけ?」
 「タカシは、また何週間か後に、〈外〉に出たのよ。もう一度〈脱適合化〉の処置を受けて。2回目は田村さんの車でいっしょに行ったわね。そして前とは別な家に〈ホームステイ〉して、やっぱり2週間後に、また帰ってきた。タカシ、 この1年半の間、あなたは〈外〉とこことを8回も行き来ているのよ。脱適合化、再適合化、そしてまた脱適合化を繰り返して。いくらなんでも、こんなことを繰り返していては、あなたの心はおかしくなっていくわ。8回目に帰ってきたとき、たぶん記憶に障害が出るだろうって、田村さんに注意された。タカシ、あなたがもっと元気に生きられるように、助けてあげたいと思ってきたのに、もうわたし、わからなくなってきたの。これから、どうしたらいいと思う?」
 ねえさんの言うことは、もちろん完全に理解できたわけではなかった。けれどもぼく自身を救い、ねえさんをこれ以上苦しめないようにするには、いままでとは違うことをする決心をしなければいけない、そのことははっきりしていた。といって、この世界にとどまることも、いままでと同じようにただ〈外〉に出ていくことも、けっきょく同じことの繰り返しになるとしたら、いったいどうすればいいのだろう。
 午前2時をすぎたところだ。学生らしい4人連れが、店に入ってきた。厨房がまたにわかに活気づいて、大きな鍋から上がる湯気の向こうで、皿を並べたり、茹で上げた麺の湯を切る音が聞こえる。それを眺めていると、なぜかフッと気が楽になってきた。暴力沙汰に巻き込まれたぼくを警察まで引き取りにきてくれたねえさん。彼女と深夜のラーメン屋で向かい合って話していること、こういう瞬間のひとつひとつが、とても貴重な、切ないほど大切なものに思えてきた。こうした時間を、ただ素直に生きていけば、何も心配することはないような気がしてきた。
 「ぼく、やっぱりもう一度、〈外〉に行くよ。でも今度は、もう〈脱適合化処置〉を受けずに行く。いまのぼくのままで、〈外〉に出たいんだ。」

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(C)Hiroshi Yoshioka