「G‐M」16 彷 徨
委託業務完了報告書 No.00555987
内 容:タカシ・キタガワ(ヒト、2241年〈JP-77〉製造 )の捜索と保護に関して
日 時:2268年9月19日
代理人:ブライアン RSH(人工物、識別番号 RSH-00081-M、2206年製造)
担当者:マユミ・タムラ(ヒト保護区管理局 厚生課 脱適合化処置調査部)
厚生課の田村マユミさんより依頼されていた、北川タカシ(28歳)の捜索および保護に関して、必要と思われる業務を概ね完了しましたので、その経緯と現状について、ここに報告いたします。
北川タカシは、2258年6月9日、通常の脱適合化処置を受け、出生地である〈JP-77〉から外に送られました。その後最初の数週間は、エリア CL-24098 に位置し、ナツコ LLU(人工物、識別番号 LLU-00215、2187年製造)と老人アルバート AE(人工物、識別番号 AE-007965-M、2026年製造)の居住するアサイラムにしばらく滞在した後、〈外〉の世界を見るために旅だちました。しかし、まもなく深刻な適応障害を発症し、再適合化処置を受けて〈JP-77〉に復帰するも、再び〈外〉への送り出しを希望し、その後約1年半の間に、〈JP-77〉と〈外〉との間を、合計8回往復する結果となりました。
前例のない多数の脱適合化・再適合化処置の影響により、タカシは記憶の統合に混乱をきたし、そのことを危険と判断した厚生課の田村マユミさんは、タカシにそのことを告げました。話し合いの結果、結果は予測できないが、脱適合化処置を施術することなく〈外〉に送ることが、残された唯一の方法であるという結論に達したため、そのように処置されました。私がタカシと知り合ったのは、こうして彼が9度目に〈外〉に送られ、エリア CL-34511に滞在していた時のことです。私は身体の大部分を機械に置き換えているタイプの人工物ですが、エコシステムに不適応な〈ヒト〉であるタカシに対して、当初から、なぜかある種の親しみを感じていました。
タカシは8度目に〈外〉に出てきた時、ふとした偶然から〈リリト〉の娘たちと知り合うことになりました。その経緯は後に、タカシが私に話してくれたこともありましたが、以下のような詳しい事情は今回、はじめてタカシの記憶を詳細にスキャンしてみるまでは、知りませんでした。なぜ、私がもっと早くタカシの心の中を調べてみなかったのか、それは私にもわかりません。それができる機会はいくらでもありましたが、どういうわけか、私はそうしようという気が起こりませんでした。タカシと話していると、他者の心というものは、それを別に内部から知る必要はない、という気がしたのです。今思い返すと、これはきわめて奇妙な考え方で、〈G-M〉と〈タラッサ〉のシステムを動かしている思想とは、まったく異なったものです。
タカシは2259年のある日、〈リリト〉グループに属し〈G-M〉への侵入を試みる「ディープ・ダイバー」の一人であるヤミ(人工物、識別番号不明、推定2020年頃製造)が、〈G-M〉システムによって捕獲されそうになっているところを、たまたま救出するという驚くべきことをしました。このことからタカシは、〈リリト〉たちと行動を共にするようになったのです。〈外〉に出てきて間もない〈ヒト〉であるタカシが、どのようにして〈リリト〉であるヤミを〈G-M〉の強力な捕獲プログラムから護ることができたのか、それは不明です。ただ、〈JP-77〉時代にタカシの姉であった北川マリ子は、エコシステムのメンテナンスのために送り込まれていた少数の人工物の一人であり、しかも〈リリト〉たちと同時期に生産された古いモデルに属するらしく、この姉との心的な交流が、タカシの心の中に、〈リリト〉のそれとの、何と言えばいいのか、一種の親和性のようなものを育んだのではないかと、想像されます。
周知のように2262年、〈リリト〉の活動は事実上終息しました。それ以前、漸進的に〈リリト〉の数は減少し、その構成員は〈タラッサ〉の中に、つまり〈G-M〉の支配下に統合されていきました。タカシが行動をともにしていたヤミやタンといった、〈リリト〉のもっとも急進的な最後のメンバーも、2262年を境にその活動を停止したと思われます。タンは、20世紀初頭のドイツの小都市をモデルにした〈DE-14〉という比較的小規模なドームに、そのメンテナンス要員として加わったことが分かっています。ヤミについては、その消息が不明です。一部には、いわゆる〈自己破壊〉を試みたのだと言われていますが、確認がとれません。ただ、ヤミに関する情報が消失する直前まで、タカシが一緒にいたことだけはわかっています。しかし、タカシの記憶をどんなに詳細にスキャンしても、その部分に関するデータが見あたりません。〈リリト〉たちが一種の隠れ家にしていたビーチで、タカシは彼女と過ごしていたらしいのですが、正確な記憶内容が取得できません。何か強力な障壁によってブロックされている感じです。しかし〈ヒト〉であるタカシにそんな記憶のコントロールができるわけはない。
とにかく、ヤミに関する消息は、その時点で完全に途絶えています。〈自己破壊〉は、人工物には原理的になしえないことですから、なんらかの不測の事故によって破壊されたと考えるのが妥当であると思います。そして、その2262年から6年間の間、私はタカシとも連絡をとることができませんでした。彼は、まったく私の目の前から、消え去ってしまったのです。しかし、もし〈外〉にいるのなら、この地上のどこにいようと、それを探し出すのは簡単なことです。わたしがタカシを見失ったということは、かれが地球上に数百あるドームのどこかに、つまり〈エコシステム〉の中にいるということを意味しています。この、人類の最後の居住地だけが、〈G-M〉の支配が届かない、というか〈G-M〉がたぶん意図的に、直接支配しようとしていない「保護区」なのですから。
私はまず彼の生地である〈JP-77〉を調べてみました。しかし、彼はもと暮らしていた家庭の中にも、他のどこにも見あたりませんでした。そこで、近隣の他のドームから手当たり次第に、調べてみました。するといくつかの場所で,タカシらしい人物がいたらしい、何らかの痕跡に遭遇しました。確認できたコロニーは、〈KR-15C〉、〈EG-90〉、〈GR-18C〉、〈AR-20〉、〈PL-19C〉をはじめ、全部で十数カ所にのぼります。タカシはそれぞれの場所に、みずから適合化処置を受けて数日から数ヶ月滞在しては、また〈外〉に出て、別なコロニーに向かったと思われます。ですがどの場合も、脱適合化が行われた形跡はありません。つまりタカシの心には、モデルとなった国も時代も異なる環境における、まったく異なった〈自己アイデンティティ〉が幾層にも上書きされていったと考えるしかありません。タカシが、なぜこのような無茶なことをしたのか、私にはわかりません。また、このような状況が〈ヒト〉にとってどんな経験を意味するのか、私には実感できませんが、きわめて危険な状態であろうことは想像できました。私はタカシのことが、とても心配になりました。
そうして2268年4月、ついに私は〈JP-77〉の南西約200キロに位置する〈IN-B5C〉において、タカシを発見しました。〈IN-B5C〉は紀元前5世紀の北インドをモデルに構築された、人口5千人弱の、かなり小規模なシステムです。記録によるとこの世界では20年あまり前、タカシと同じように〈外〉との間を往復し、最後に戻ってきて衰弱死したヒトがいたらしい。私は、西の国から来た旅行者としてその村を訪れ、寺院の中にタカシらしい人物がいることを探り当てました。私を案内してくれた僧は、その男は一ヶ月ほど前から具合が悪くなって寝込んでおり、私たちが看病しているが、まだ意識が戻らないと言いました。そうして奥の部屋に案内された私は、寝台に横たわっている痩せた青年が、まさしく私の知っていた北川タカシであることを確認しました。この人は、どんな病気なのか?と私は、案内してくれた年老いた僧に聞いてみました。身体の病気ではなく、魂の捩れである、と彼は答えました。そこで私は、自分は彼の古くからの友人であり、彼の記憶内容をスキャンする能力があるのだが、それを行ってもよいか、と聞きました。それがこの人のためになるのなら、好きにされるがよい、と彼は言いました。私が何を行おうとしているのか、まるで完全に理解しているような口調でした。
それで私ははじめて、タカシの心の中に深く潜行してみました。その結果、タカシの幼少期に発する様々な記憶の断片が見つかりました。とりわけ〈母〉に関係する記憶が、強い感情的なエネルギーと結びついていました。幼いタカシにとって、〈母〉はかけがえのない愛の対象であると同時に、ちょっとしたきっかけで狂い出す恐ろしい存在でもあったようです。〈母〉の深部にあるそうした感情的な不安定性を、タカシはいつも懼れていました。そして、そうした記憶にはいつも、彼の〈姉〉、つまり北川マリ子(人工物、識別番号 AA-031、推定2020年頃製造)が結びついていました。エコシステムの維持管理を担う人工物として、北川マリ子自身も〈JP-77〉に入る時に適合化処置を施され、意識の上では自分自身をタカシたちの家族だと感じていたはずです。彼女が〈JP-77〉に赴任し北川家の一員として暮らすようになったのは、2253年、つまりタカシが13才の時です。つまり、マリ子が登場するタカシの幼少期の記憶は、すべて後から造り出されたものです。とはいってもそれらは、無根拠に作成されたのではなく、母のタミエやタカシ自身の記憶内容から必然的に引き出され、合成されたものですが。
その次に私をとらえた、強い感情を伴う記憶は、タカシが16歳になった頃、自分が住んでいる世界から〈外〉に出たいと望むようになったことです。そのことを、タカシは姉の北川マリ子に告白しました。もちろんのその時には、タカシもマリ子も、自分の住んでいる世界が〈JP-77〉と呼ばれるシステムであることも、マリ子がそれを維持するために送り込まれた人工物であることも知りません。しかし、マリ子はタカシの話を聞き、彼の脱出を助けました。そして1回目の脱適合化処置をきっかけにして、マリ子自身も、自分が人工物であることを知るに至りました。それから、上に述べたようなタカシの遍歴が始まるのですが、脱適合化と再適合化の反復により、〈外〉に送られてからのタカシの記憶はきわめて断片化されており、私自身もそれを整合的に理解することができません。とりわけ〈リリト〉たちと知り合い、〈G-M〉に対する闘争活動に従った際の記憶群は、強い情動的な力によって、ずたずたに引き裂かれています。
そしていちばんわからないことは、2262年、〈リリト〉たちの活動が終息して以降の、タカシの行動です。最後まで一緒にいたらしいタンが去り、ヤミは行方不明になったのですが、その後タカシはなぜか、自分の故郷であるコロニーへではなく、まったく異なった所をあてもなく遍歴して行ったのです。15世紀初頭李氏朝鮮時代のソウル、1990年のエジプトの小都市、18世紀中葉のバーミンガム、1920年代のアルゼンチンの農場、19世紀末のワルシャワなどです。そして、新しい世界に入る度に適合化処置を受け、つまりそれぞれの世界の中で、完全なメンバーとして生活していたわけです。ひとつの世界にしばらく滞在しては、また〈外〉に彷徨い出し、そしてまったく別な世界において、別な人格として生き始める、その繰り返しでした。そうして最後に〈IN-B5C〉にたどり着き、そこで倒れてしまったわけです。私を案内してくれた僧が、タカシの容態はどうかと尋ねたので、私は彼がどれほど理解できるかはともかく、自分が知ったことをそのまま告げました。「まるで、生きながらの輪廻のようだ」と彼は答えました。「どうしたら、この若者を救ってやることができるのだろう。」
私はタカシをここから連れ出すしかないと考えました。そして田村さんに連絡をとり、彼女の働くヒト保護区管理局の集中治療室に連れて行きました。田村さんが出した結論は、タカシの過去10年間の記憶をとりあえず封印し、比較的安定したコロニーを選んで、新たな人格として目覚めるように環境を構成するというものでした。「記憶の封印なんてできるんですか?」と私は驚いて聞きました。「とにかく今、タカシ君の中には多数の人物がバラバラに存在していて、それぞれが自分自身の記憶に固執しながら生きようとしている。このままでは、いつまでたっても彼は目覚めることはできないわ。〈JP-77〉での過去の記憶と関連した、新しい強い人格を与えて、それによって「再起動」してみるしかないと思うの。「封印」なんて、もちろんできないわ。記憶は必ず戻ってくる。ただ、戻ってきても大丈夫なほど、タカシ君が回復してくれればいいのだけれど。たぶん、マリ子さんにも協力してもらわないと、難しいかもしれないわね。」
こうして私たちは、タカシを〈US-68〉という大きなコロニーに移しました。これは1968年のサンフランシスコという街をモデルにした世界です。タカシは10年前に両親を交通事故で失い、彼自身はそれからずっと昏睡状態にあったという設定になっています。目覚めた時、タカシは残された2人の家族のうちの1人である、ドイツ人の祖母と出会うことになります。ここまでは新たに作られた環境ですが、もう1人の家族である姉だけはタカシの本当の、というか、〈JP-77〉で姉として共に暮らしていたかつての北川マリ子、つまり AA-031 が担当することになりました。タカシに関して、私と田村さんにできることはここまでです。あとは、タカシが新しい世界でなんとか元気になってくれることを祈るばかりです。
(C)Hiroshi Yoshioka
