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歴史はまだはじまっていない

「IAMAS 2007卒業制作展を回顧して」IAMAS 2007 Graduate Exhibition Catalogue 2007年7月01日


時の流れと空の色に
何も望みはしない様に(椎名林檎「幸福論」)

僕が人生で最初に読んだ(児童書以外の)本は、祖父の家の本棚にあった芥川龍之介の『沙羅の花』(改造社、大正11年)という短編集だった。ここには「杜子春」という有名なお話が載っている。子供にも分かりやすいと思って祖父が勧めたのかもしれない。この小説から、僕は生まれて初めて仙人なるものの言動や(浄土教的な)地獄のありさまについて学んだ。

だが何よりも強く印象に残ったのは結末に言及される「桃の花」である。金持ちの暮らしにも仙人鉄冠子の弟子になることにも絶望した主人公は、では何になりたい?と最後に聞かれると、「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」と答える。すると鉄冠子は突然思い出したように、では田舎の一軒家をお前にやる、と言い出す。そしてさも愉快そうに「今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう」と付け加えるのである。この最後の一言によって、この小説の要点が教訓ではなく、〈幸福とは何か?〉という普遍的問題であることが分かるのである。

日米中韓の高校生に「将来偉くなりたいか」を聞くアンケートが行なわれた。偉くなりたいと考える日本の高校生はわずか8%、他三国の約三分の一である。ではどうなりたいかというと、「のんびりと暮らしていきたい」「退屈でも平穏な生涯を送りたい」。彼らが求める幸福とは富や名声や成功ではなく、桃の花なのだ。覇気がない、と嘆く大人もいるかもしれない。けれど子供達はただ、〈すべての物語は終わった〉ことを身体的に実感しているだけなのだ。若さに拘泥する大人達とは裏腹に、子供達は年をとった。「桃の花」としての「幸福」——それは〈物語〉が終局した時、いかに生きるべきか?という問題なのである。

2007年のIAMAS卒展には、統一的なテーマは設定されていなかった。けれども会場を観て回りながら僕は「桃の花」を感じ、「幸福とは何か」というテーマを心の中で反芻している自分に気づいた。と同時に、これは決して退嬰的なことではない、と思ったのである。壮大な夢、開拓精神、起業家魂といったものの衰退は、何かの「終わり」ではなく、むしろ「始まり」を示しているのかもしれないからだ。とかく現代人は「終末的」「黙示録的」なものに魅了されすぎる。「イデオロギーの終焉」(ダニエル・ベル)から必然的に帰結すると自称するグローバリズムが、「歴史の終焉」という(ヘーゲルからフランシス・フクヤマに至る)イデオロギー(日本の現代美術を一世風靡した「スーパーフラット」もこれの産物である)に基づいていることは明らかだ。

「歴史の終焉」に対して僕は、テオドール・アドルノの「歴史はまだはじまっていない」という言葉を対置したい。桃は究極のユートピアを示すと同時に、新たな生の産出を象徴する。そう、現実がどんなに意地悪く錯綜していようとも、僕たちは常に、あたかも今生まれたばかりであるかのように、生き始めるべきなのだ。この世界において真に「倫理[エチカ]」と呼べるのは、ただこれだけかもしれない。そしてこのことを、今年IAMASを卒業してゆく諸君への、はなむけの言葉にしたいのである。

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(C)Hiroshi Yoshioka