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双曲かぎ針編み珊瑚礁

『視覚の現場 — 四季の綻び』vol.1 2009年5月12日

展覧会名:HYPERBOLIC CROCHET CORAL REEF
企画:THE INSTITUTE FOR FIGURING( http://www.theiff.org/ )と協力者たち
キュレータ:Margaret and Christine Wertheim
場所:ギャラリー Track 16(アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ
期間:2009年1月10日〜2月28日


 2009年1月27日。UCLAのデザイン・メディアアート大学院で講義をした翌日、招待してくれたピーター・リュネフェルト教授に勧められて、サンタモニカギャラリー Track16 を訪れた。「Hyperbolic Crochet Coral Reefs」という展示を観るためである。外観は殺風景な倉庫だが、ギャラリーの中に一歩入ると、原色の珊瑚礁が展示空間に拡がっている。かぎ針編みで作られたサンゴ、ヒトデ、イソギンチャク、クラゲ、アメフラシ、等々。誰もが図鑑やテレビ番組で眼にしたことのある生き物たちが、色鮮やかな毛糸で編みあげられているのである。その量は膨大だ。これは Institute for Figuring というネット上の組織が主導したプロジェクトで、それに応じて世界中の多くの女性たちが編んだ作品が集められているのである。

 地球温暖化の影響によって地球上から消滅しつつあると言われる珊瑚礁のインスタレーション。そこにはもちろん、環境危機を警告するエコロジー的なメッセージがある。またそれを絵画や写真、映像という形ではなく、編み物という女性の手仕事によって再現するという点には、ジェンダー的な意識も認められる。さらに、それが特定のアーティストの「作品」ではなく、無名の人々の世界的なネットワークを通じて実現されたという点も重要だろう。だがこの展示におけるそうした諸側面は、そのタイトルが示す新しい宇宙観へと収束してゆくように思われる。

 「hyperbolic」という語には「誇張された、大袈裟な」という意味の他に「双曲線の」という数学的意味がある。周知のように、ニュートンに代表される古典的な宇宙空間は、ユークリッド幾何学に基づいたものだ。そこでは、ある直線外の任意の一点を通る平行線はただひとつしかなく、三角形の内角和は180°と決まっている。ガリレイにとってもカントにとっても、空間とはそうしたものだった。だが1830年代、ロシアの数学者ロバチェフスキーはハンガリー人の同僚ボーヤイと共に、それとは異なった幾何学の可能性を示す論文を発表する。現在では非ユークリッド幾何学の先駆的な例とされている「双曲線幾何学(hyperbolic geometry)」である。この幾何学が扱うのは、均質で〈まっすぐ〉な空間ではなく、負の曲率を持つ〈へこんだ〉空間だ。この空間では、直線外の一点を通る平行線は無限に存在し、三角形の内角和は180°よりも小さくなる。

 20世紀における物理学の発展は、非ユークリッド幾何学がたんなる数学的な可能性ではなく、実在の宇宙を表現するために相応しいモデルであることを明らかにした。にもかかわらず、ロバチェフスキーの発見から170年を経過した今でも、わたしたちの常識的な空間概念は依然としてユークリッド=ニュートン的な均質空間に基づいており、双曲空間をイメージすることは容易ではない。数学や物理の教師たちはこれまで、紙で双曲空間の模型を作って、苦労しながら教えてきた。

 1997年、ニューヨークのコーネル大学で教えるラトヴィア出身の数学者 Daina Taimina は、双曲空間をもっと身近に感じられる方法として「hyperbolic crochet」(双曲かぎ針編み)を考案する。外側に向けて編み目の数を増やしてゆくと、美しいフリルの曲面が出来上がる。この形態の魅力が、本展示の発想源となったのだろう、と私は思う。双曲空間は宇宙のモデルであるだけではなく、自然界の生き物の形、とりわけ人類より何億年も以前からの先住者である海の生物たちの形態をも、表現しているのである。現代文明を支えている人間中心の合理的世界観は、いまだにユークリッド=ニュートン的な、〈まっすぐ〉な古典的空間モデルと結びついていた。だが宇宙も生命もどうやら、〈まっすぐ〉な空間よりもむしろ〈へこんだ〉空間の方を好んでいるようなのである。

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(C)Hiroshi Yoshioka