Space in CyberSpace

記憶という闇

以下のテキストは、インスタレーション作品の一部として書いたものです。黒地に白文字で以下のテキストを印刷した全紙版のポスターを、同時に作品の一部として使用しました。作品「BEACON」は、この中京大学ギャラリーでの発表を最初に、その後東京ICC、大阪成蹊大学でも展示しました。


BEACON

制作:伊藤高志 稲垣隆士 [Kosugi+Ando](小杉美穂子 安藤泰彦) 吉岡洋
協力:エプソン販売株式会社
会期:1999年4月5日(月)〜 5月8日(土) 入場無料
休館:日曜・4月29日−5月5日 開館時間:午前9時−午後5時
場所:中京大学アートギャラリー C・スクエア
地下鉄鶴舞線「八事」下車、1番出口から本山方面へ徒歩3分 TEL: 052-835-5669




 わたしたちの記憶には、コンピュータのメモリ空間のような、明確で一義的なアドレスはない。それは記憶が、意のままにならないことを意味する。憶えたいものをすべて憶えておくことも、忘れたいものをすぐに消去することもできない。わたしたちの記憶は機械のそれに比べて、とても不自由なものなのである。

 記憶は、そこに向けられる一瞬の光に浮かびあがる、断片として現れる。そして、どんな断片が、別のどんな断片とリンクしているのかも、明らかではない。機械のメモリが、隅々まで明るく照明された部屋だとするなら、わたしたちの記憶の世界はまるで、夜の闇だ。生きるとは、この〈記憶という闇〉のなかを、手探りで進むことなのである。

 すべてのメモリ空間がアクセス可能な世界は、いわば明るい〈死〉の世界だ。その意味で、サイバースペースの魅力とは、実は〈死〉の魅力だといえる。それに対して、生きることとはまさに、世界のほとんどが見えないこと、闇のなかにいることにほかならない。

 その中に、突然ひとつの光景が出現する。遠い光源によって、明るみへともたらされる。BEACON——それは山の上に、また岬の端に、かすかに見える光のことである。だがそれが記憶をよびさますことができるのは、他のすぺてを、闇が覆い隠しているからだ。

 広大な記憶の闇のなかの小さな場所が、ほんの一瞬、照らし出される。だがそれはすぐにまた、闇のなかへと沈みこんでしまう。光は、反復的にやってくる。この反復そのものは、機械的である。けれども次の光が来るまでの間に、記憶の断片は、少しずつ姿を変え、かすかに動きはじめる。

 そうした反復的な想起のなかで、わたしたちは自分自身の姿とも出会っている。わたしたちが出会う〈自分〉とは、つねに一瞬前の自分である。記憶のなかで出会う自分自身の後ろ姿を見ながら、わたしたち自身は、ほんの少しずつズレてゆく。離散的な時間のなかで、小さなジャンプを繰り返している。

 記憶は、たんに回復されるのではない。それは断片と飛躍のなかから、はからずも生みだされる。過去の破片を復元しようとして、まったく新しい何かを作り出してしまうのである。記憶というこの〈生成物〉こそが、わたしたちを未来へと運んでゆく。

 BEACON——それは、遠い場所にある標識である。わたしたちはそれによって自分の航路を決めるけれども、けっして光源にたどり着くことはない。すべてを明らかに照らし出す光そのものに到達できないこと。記憶の、この独特の不自由さと暗さ。だが、まさにこの不自由さと暗さによって、記憶は動き、わたしたちは生きているのではないか・・・。

 今回の展覧会は、各分野で現在独自の活動を繰り広げている、映像作家の伊藤高志、稲垣貴士、現代美術作家の「Kosugi+Ando」、そしてわたし、吉岡洋の共同作業(コラボレーション)によって形作られる。

 インスタレーション、映像、音響、テクストの共振をつうじた、〈記憶〉をめぐる旅が、今始まろうとしている。

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(C)Hiroshi Yoshioka