Space in CyberSpace

それ自体は重要でない何か

2004年10月23日

先日、三輪眞弘さんたちのグループ「方法マシン」が公演する「演算するからだ展」(2004年10月16/17日 神奈川県民ホール小ホール 主催:神奈川芸術文化財団)のために横浜に滞在していた時、今は東京に住んでいる昔の同僚と12年ぶりに再会し、昼食をともにする機会があった。

かれはディヴィッド・イーウィックというアメリカ人の大学教師で、ぼくが1991年に甲南大学に就職した後2年間、「西校舎」と呼ばれていた文学・語学関係の教員の多い古い研究室棟で、部屋が近かったこともあり、ときおり話をするようになった教員仲間である。かれは英文科の「ネイティヴ」(ぼくはこの言葉が嫌いだ。自分が他国で日本語を教えるときに「ネイティヴ」と呼ばれる気持ちを想像してほしい)として、英会話や作文の授業ばかりやらされていたし、ぼくも最初ドイツ文学教室所属の採用だったので、正直何の関心もない初級ドイツ語の授業をもたされていた。そうした境遇に、少し似たところがあったともいえる。だが本当に親しくなったのは、ぼくがオランダの人類学者ヤン・N・ピーターシュらの編集した『想像力の脱植民地化』という本に論文を寄稿することになり、はじめて書いた英語の論文をかれにチェックしてもらったからである。(この本はZed Publishersというイギリスの出版社から出たが、すでに絶版になっており、ぼくのテキスト(Samurai and self-colonization in Japan)はこのサイト内で公開している。

かれはその後中央大学に転任し、現在は総合政策学部でカルチュラル・スタディーズの講座をもっている。クラスには帰国子女もたくさんいて、周囲がほとんど英語を話すので、自分の怠慢だけれど、いまだになかなか日本語が自由に話せないという。ぼくが昔書いた論文を、毎年ゼミで使ってくれているらしい。今回会うことになったきっかけは、かれから11月6日にそこの「オープン・セミナー」で話をしてくれないか、というメールをもらったからである。このセミナーについては、何か面白いことがあればまた終わってから書くとして、今回はかれと久しぶりに会って話したことをきっかけに書きたいのである。

ぼくが泊まっていた東横インというホテルのロビーで待ち合わせ、近いので中華街でご飯を食べようということになった。こじんまりした店をみつけて一人2500円の昼のコースを頼み、ビールを飲みながら話していると、「タバコを吸ってもいいか?」とかれはたずねた。「もちろん。ぼくも時々吸うから」「よかった。」「でも大学ではもう、タバコを吸えるところなんてないだろう?」「うん。建物の中は全面禁煙になった。ぼくたちがいっしょだった頃の甲南大学では、文学部教授会のテーブルにずらーっと灰皿が並んでいたものだけど、ずいぶん変わったね。」「ところで君は、アメリカに帰ったときなんて、吸える場所がなくて不自由しないかい?」「もう、犯罪者扱いさ。」

それでひとしきりタバコの話になった。JRの電車吊り広告で見るJTの喫煙マナーのバイリンガル広告は、そのデザインといいメッセージといい、なぜかとても不愉快だ。ほとんどファシズムに近いものを感じる。それは表面では「マナー」を訴えているのだけれど、本当のメッセージは「絶滅」にあるから。絶滅——近頃日本のテレビドラマでは、煙草を吸うシーンそのものがない。ポップスや演歌の歌詞からも「煙草」という言葉は消えたように思う。昔の刑事ドラマでは、刑事も犯人もみんな煙草を吸っていたものだ。批評家のリチャード・クラインが書いた『煙草は崇高である』という本を読んだかい? 国際学会などで建物の外の灰皿に喫煙者が集まると、別に煙草を吸うという共通点をもつだけの見知らぬどうしなのに、妙に親しくなったり話が盛り上がるのはなぜだろう?

『煙草は崇高である』というのは面白い本だが、「崇高」という言葉は煙草について考えるには少しハイブラウすぎるな、とぼくは思った。喫煙はたしかに権利かもしれないけれど、「喫煙者の権利」などと真っ向から議論しはじめると、何か本質的なものが抜け落ちてしまうような気がする。ぼくなら、煙草とは何かと聞かれたらたぶん、「それ自体は重要でない何か」と答えるだろう。煙草を吸うという理由だけで、見知らぬ人どうしが親しくなるとすれば、それはかれらが面と向かって何か有意義な話題を語るからではなく、煙草という「それ自体は重要でない何か」を仲立ちにするからではないか。そうしたものは、煙草以外にもいろいろある。今の時代の息苦しさは、煙草ばかりではなく、「それ自体は重要でない何か」を、絶滅しようとしていることにあるのではないのだろうか。

思い出すとディヴィッドがいた甲南大学文学の英文科には、英文学、英語学、アメリカ文学などにそれぞれ「専門家」である日本人教授がおり、かれともう一人の「ネイティヴ」であるイギリス人教師は、ヒアリングや英会話などの、いわゆる英語コミュニケーションの訓練要員とみなされていた。ディヴィッドはエズラ・パウンドの研究者であり、批評理論にも知識や関心があったにもかかわらず、そうしたことを教える授業を持つことは許されなかった。それが、かれが甲南を去って中央大学に移った主な動機である。「専門家」というスタンスをとる大学教師は尊重され、広く自分の関心に従って読書をしている人は「ディレッタント」とみなされて軽視される。なぜなら、「専門的知識」は重要だけれど、ディレッタント的なおしゃべりは、ときおり気が利いていたり面白かったりするものの、オフィシャルには「それ自体は重要でない何か」とみなされるからである。

かく言うぼく自身も、そのような分類をするなら専門家というよりディレッタントだろう。肩書き上大学教授なので、世間では何かの専門家であろうと前提してくれているけれど。だがぼくはディレッタントという言葉が嫌いではない。そもそもディレッタントが「素人の文芸愛好家」というような意味をもつようになったのは、文芸のような分野においてすら「プロ」でなければならないという歪んだ考えが一般化したからだろう。調べてみないと確かには言えないけれど、たぶん19世紀産業革命前後に、「科学者」や「芸術家」といった「プロ」を示す尊称が生まれた一方で、そもそもネガティヴな意味はなかったはずのこの言葉に、「たんなる素人」というニュアンスが付加されたのではないか。だとすればディレッタント的なるものが行き場を失いはじめたのは、はるか150年も前のことになる。明治の初めに日本で教えていた外人教師たちは、たいてい文学から自然科学までなんでもこなすディレッタントだった。たしか夏目漱石の『三四郎』にそんなエピソードが出てきたように思うが、かれらはまもなく日本人の「専門家」たちによって置き換えられてしまった。

それ自体は重要でない何か——それは「重要」で「有意義」なものばかりで埋め尽くされている世界の隙間、裂け目のようなものだ。だが、生の秘密とは、本当はそうした裂け目をとおしてしかかいま見ることができないのである。最後に、この間聞いた面白い話をひとつ紹介しよう。それはぼくが『Diatxt.』や「京都ビエンナーレ2003」でずっと一緒に仕事をしてきた、編集者の飯澤ちあきさんが話してくれたものだ。帰省の折、彼女はまだ三つか四つくらいの姪がいる妹の家に遊びに行った。その家の人は誰もタバコを吸わず、姪が通う保育所はもちろん、近所にも人が公然とタバコを吸えるような場所はない。前述したように、テレビでも見ることはない。そう、信じがたいことだが、その子は彼女が目の前でタバコを吸うまで、およそ人がタバコを吸うという行為を見たことがなかったのである。「それ、何? 何してるの?」「タバコ吸ってるのよ」「何それ? おいしい?」「うん、すっごくおいしい」。生まれて初めてタバコを吸う光景を眼にした幼児は、咽ることも嫌がることもなく、眼を丸くしてこの「世界の不思議」に見入っていた、というのである。

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(C)Hiroshi Yoshioka