Space in CyberSpace

Art on the Fly at IAMAS

IAMAS で開催された自主企画展「FLY」のために書いた文章 2007年11月15日

IAMASでぼくの講義に出ていた石黒英彦くんから、「FLY」という自主企画をするので、その関連企画として座談会に出てほしい、というメールが届いた。かれの出身校である京都市立芸術大学の学生・院生たちよる作品の展示をIAMASで行ないたいのだという。学校の授業とは関係なく、費用もすべて自前だそうだ。企画の内容はともかく、こういうのは決まってモチベーションが高いので、よろこんで引き受けた。

展示を観てみると、意外に(といっては失礼だが)面白かった。見慣れたIAMASのマルチメディア工房の空間が、物質感の強い作品群によって見事に〈異化〉されていたのである。でもその印象は、「FLY」というタイトルやそこに込められたコンセプトとは、必ずしも一致していなかった。どうして「FLY」なの?と聞くと、この言葉が「虫」とか「ズボンの前チャック」とかいろんな意味があるからだという。やっぱり?だが、たぶん芸術制作における身体性とか個人性のようなことも示唆したかったのではないかと思う。

ところで"On the fly"という表現が英語にある。情報処理関係の用語としては、CD-Rなどにデータを書き込む時に、ディスクイメージを使用しないで直接書き込む方式のことを言う。このやり方は速いしディスク領域も節約できるけど、途中でエラーが起ると厄介なことになる。そもそも"on the fly"は英語の口語的表現としては「その場ですばやく、ササッと」というような意味である。そこには「手軽だけど間違うかも」というニュアンスも潜んでいる。"fly"のこの意味のほうが、ぼくにはしっくりきた。

現代人は「間違い」恐怖症だ。プログラムのたった一行のバグでラッシュアワー時に自動改札の電源が入らなくなった、といったことで大騒ぎになる。こうした情報系の「事故」が起きる度に「やっぱりハイテク依存社会は危ない、人間が確認しないと」みたいなとんちんかんなことを言う人がいる。こういう意見は、一見人間を尊重しているようだけど、実は人間に対して、機械以上に「絶対に間違わないこと」を要求しているのである。オソロシイ。

ところで人間の行なう様々な活動の中で「間違い」が必要不可欠というか、「間違ってナンボ」というような世界がある。それは芸術である。芸術活動は直感によって成り立つ。そして直感はことごとく"on the fly"である。なんらかの現場で、身体が考えなしにサッと動かなければ芸術は成り立たない。考えなしにサッと動くと、エラーが起る。そのエラーがときどき、意識と身体、身体と世界との間に予想もしなかった関係性を生み出すことがある。するとエラーはエラーじゃなくなり、作品の実質的な「意味」を形成するようになる。

「FLY」展も、練りに練ったコンセプトというよりも、IAMASにこういう造形的な作品を置いてみたら?という、軽い思いつきから発想されたもののようだ。そこがよかった。座談会は、「作品」を展示、発表することの可能性とか、プロトタイプを作品として展示することの是非とか、「制作」と「遊び」の区別とか、けっこうクソ真面目なテーマが設定されていたために、最初はちょっと堅苦しかったけれど、予定時間を超過する頃からがぜん面白くなってきた。予定を越えた状況ではいつでも、身体が"on the fly"に活動しはじめる。「どうでもいいや」みたいな状態になって油断する。それが創発的な対話状況を作り出すのである。今の時代に必要なのは、この「どうでもいいや」的態度なのかもしれない。

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(C)Hiroshi Yoshioka