SCARS―〈時間〉を視ること
SCARS(傷)――それは、痛ましい過去の出来事が身体に残した記録にずきないのだろうか? 老い――それはできれば無いほうがいいもの、医療や福祉によって対処すべき「問題」にすぎないのだろうか?
「傷」や「老い」とは、身体に刻まれた時間の痕跡、いわば皮膚の「記憶」である。そうしたものから、現代人の多くは眼を背けたいと思っているかもしれない。
けれどもここに、そうした「時間」と「記憶」に魅了されたアーティストがいる。彼女の策人の中では「傷」も「老い」も、現在に語りかけ、未来を内包する何かのように見える。
2000年1月23日、開館間近の京都芸術センターを来訪した写真家石内都氏に、長時間におよぶインタヴューを試みた。(『ダイアテキスト』創刊号に掲載)
「傷」が石内都を発見する
吉岡:今日は写真家の石内都さんに、京都芸術センターに来ていただきました。一般に日本では昔のものを全部壊して新しい建物をつくる傾向が強いですが、ご覧のとおりここでは元の小学校(明倫小学校)をできるだけ残して改装しています。いわば長い時間が積み重なっているわけです。ご覧になっていかがでしたか?
石内:まずこの会議室に入ったら、ウィリアム・モリスのきれいな新品の壁紙が貼ってあって、「あ、これってなんか、すごく半端じゃないな。」て感じを受けたんです。モリスの壁紙をはろうっていう意識を持つ建物っていうのがあった。しかもそれが小学校だったということに、私はすごく感動しましたね。東京では、メンテナンスをして、それを再利用する形で建物を残そうという発想がほとんどないんですよね。たぶんお金の問題もあるのでしょうけど。ここは、やはり京都だなと思いました。去年、元龍池小学校で芸術祭典「京」の造形部門の展示「SKIN-DIVE」に参加させていださせていただいた時に、はじめて廃校になった小学校そのまんまの形を利用して、アートの空間にうまく利用するということを初めて知りました。小学校ってたしかに町の持っている歴史、さっきおっしゃった時間の積み重ねが、建物に非常に明快に見えるかたちのものだと思うんですよね。
吉岡:石内さんの写真も、建物であれ身体であれ、時間の集積が現れているものだと思います。それも単に古びた過去としてではなく、現在も生きている複数の時間が積み重なって存在しているというか。たとえば身体の「傷跡」というのは、本来とても個人的なものだけれども、写真になると何か個人を越えたものがそこに現れてきますよね。
石内:最初はもちろん、わたしのほうから傷のある人にお願いして撮らせてもらっていたわけです。でもある時点から、状況が変化した。わたしが傷を撮っているということ、傷の写真なるものが存在するということが知られるようになって。傷を持った人たちが向こうから「よかったら撮ってくれませんか」って言ってくるの。ちょっとそれは、思いもかけない展開でしたよね。もともと傷は人に見せるためのものではない、いってみれば自分自身の個的な歴史、個的な過去であるにもかかわらず、何かそれを表現したいっていうのかなぁ。私自身、傷があるんですよ、大きな。だからその傷を、「傷―SCARS」のシリーズが終わった時に自分で撮ろうと思っています。まだ撮っていないんですけれども。自分の傷っていうのは、自分ではあまり見えないんですよね。鏡で見るくらいしか。
吉岡:そう言えば「SKINDIVE」でお会いした時も、写真を勉強している若い学生が傷を撮ってほしいと来てましたね。それで、最後に打ち上げでビール飲んでる時に、石内さんにはその子に、「もう、撮られてしまったら、あなたの傷はあなただけのものではない。それはもう、社会の傷、宇宙の傷なんだ。」とおっしゃってました。
石内:そうそう、そんなこと言ったなあ(笑)。
吉岡:ようするに昔は、傷を石内さんの方から探していたわけですよね。でも今は、傷の方から石内さんを求めてくる。
石内:発見されているんですよ、私が。
吉岡:傷が石内都を発見しはじめた、という…。
石内:そういう感じ。
吉岡:そういう人たちのなかには石内さんの写真に関心があって来る人も多いでしょうけれど、そうじゃない人もいるでしょ? つまり自分を撮って欲しいという動機から。でもそれは、例えば普通のポートレートを撮る写真家に「私も撮って欲しい」というのとは、大分意味が違うと思うんですよね。
石内:違いますね。
吉岡:傷の写真では顔が見えないですしね。顔はペルソナ(人格・個性)を表わすものだけど、傷を撮ってもらうというのは、個人としての自分をパブリックにしたいというのとは、かなり違う欲求だと思う。
石内:全く逆ですね。
吉岡:逆ですよね。
石内:私は撮る側ですから、撮られる人の心理はちょっと分からないところもあるけれど、たぶん私の写真の大きさとか、展示のしかたとか、私が全部一人でプリントするといったことに関わっていると思うんですよ。自然光で撮るということにも。美しいんですよ、ようするに。プリント見ていただければわかりますれど、印刷物じゃちょっと伝わらない。大きさも含めて。もちろん、そんな形で自分の傷なんて見たくない人もたくさんいるわけですよね。そうじゃなくても、みんな半信半疑で見にきてると思うんです。それが、たまたま会場に私がいたときに声をかけようかな、と思う人がいるのは、たぶん大きな美しいオリジナルプリントを見て、その中にペルソナが一切ない、固有名詞詞が一切ない、誰のだかよくわからない、ということにひかれるのかな。それと、自分が傷を持っているということを…何だろうな、何か写真化したいというような、ある種のコミュニケーションをその人たちが持った。私とじゃなくて、写真との間に持ったと思うんですよね。写真というのは生の、非常に生っぽいものです。傷の持っている意味も含めてね。何かわからない、ぐじゅぐじゅした気持、よくわからないけど何か撮って欲しい、みたいな。
「個性」なんてたいしたことない?
吉岡:自分がプライベートなものとして苦しんできたものを公開することで癒されるという経験は、一般にありますよね。だけど傷の場合、そういう単純なものでもないような気がする。つまり、テレビや新聞のような、名前と顔を持つ個人が登場する公的世界が片方にあるとすると、石内さんの写真が属しているのはそれとは全く違う世界なんです。といってもそれは写真だから、もちろん自分一人のプライベートなものでもないけど、普通の意味でのパブリックでもないような、そういう領域があるような気がする。この前、東京のフィルムセンターでの展示「モノクローム・時の器」の会場を、石内さんと一緒に歩いたとき、そのことを強く感じました。
石内:一番はじめに「身体」を撮りはじめたのは、「1947」というのが最初で、手と足とあの時は顔も撮ったんですけれども、その時に思ったのは「無名性」っていうのかな。あんまり固有名詞詞で◯◯さんを撮るというのは、私あんまりないんですよ、もともと。だから、「私だけど、私じゃない」「あなただけど、あなたじゃない」みたいな、どっかの誰かだけど「1947」であるみたいな…、そういうものを写真は非常に明快にあらわすことができるんじゃないかと思ってたんですよね。だからその流れとして、「傷」や「皮膚」を撮ってる。人が生きていく上でどうしようもないものですよね、傷を受けるなんていうのは。それを、誰のものでもない何かとして。…例えば傷を持ってない人も多いわけですけど、持ってない人にとっても「あなたのものよ」みたいな。そういう、固有名詞詞を越えたみたいなね。「無名性」って言葉ではあまり言いたくないけれども。人間ってそれほど大した個性なんてないんじゃないかとも思うし。身体だって顔だってそうですよ。個性なんてそれほどないんじゃないかなって最近思いはじめてるの。
吉岡:みんな似たりよったり?(笑)。
石内:歳をとったこと、自分の中で時間が経過したことを、素直に自分が認められるようになった、ということがすごくあると思う。だから私は、身体を撮りはじめてからの出会いっていうのは、私の作品だけど別に私のじゃなくてもいいよ、みたいな気持で撮っているんですよ、実は。私は非常に作家性の強い写真家だって言われてますけれども、本当は石内都じゃなくても、誰か傷を撮っている人がいる、それでもいいんじゃないかという風に思ってる。そのことがかえって、もっと大きく石内都になっちゃってるのかもしれないという、ちょっと複雑なところもあります。
老人斑の「美しさ」
吉岡:歳をとるっていうことは、傷とは違うけれど、やはり身体に時間の痕跡が刻まれていくプロセスですよね。しかも、やはり傷と同じように普通はネガティヴに考えられている。
石内:そうですよね。歳をとることはネガティヴですよ。
吉岡:もちろんネガティヴな側面もあるけど、歳をとるってそんな単純なことではないですよね。なのにそれを単に否定的にだけ考える傾向が、日本では特に強いような気がするんですよ。
石内:強いですね。全くその通りです。
吉岡:皮膚もなるべくツルツルの方がいい、皺とかシミとかそういうものもない方がいいと。「新品」というものがすごく珍重される文化ですよね。冠婚葬祭にお金をやりとりするような時でも、新札でなければならないとかね。
石内:そう、お金も、新品が好きね。
吉岡:ようするに「無傷であること」が重要視される。古い建物を壊してすぐ建てかえちゃう傾向も、これは関係ありますね。何か、時間の痕跡というものを、消去しようとしている。無傷なものの美しさは確かにあるし、若さ特有の美しさももちろんあるけれども、それへの執着があまりに強すぎて、抑圧的というかしんどくなっている気がするんです。
石内:ひどいんですよ。かなり有名な写真家の長老にですね、「石内都は人の嫌がるものばっか撮ってる」って書かれちゃったんですよ。「人の嫌がるもの」って、まるで当たり前みたいに…。
吉岡:「老い」と、「傷」と…
石内:そうそう、中年女の手と足のタコとか…、だからインパクトが強いんだって、すごく批判されたんですよ。そういう程度にしか、そういう「負」のイメージでしか、そうした対象を見れない。どうしようもない、まさに日本的な土壌だと思うんですよ。
ただね、外国で私の写真を何度か展示した経験があるんですけど、そうすると、とっても「東洋的」なの。手と足とかが、非常に静かに、佇んでいるわけですよ。だから日本でみるとちょっと重い感じがあるかもしれないんですけれども、逆に外国の空気のなかで、私の撮った皮膚とか手と足をみるとね、「ああ、私ってアジア人なんだな」ってことを、何度か経験したことがあるんですよ。
吉岡:静かな感じ?
石内:静かなの。何かね、すぅーっと手と足が。「これは西洋じゃないよな」みたいな感じ。それは、たぶん私の持っている個性なんだと思いますね。日本人ですけれども、ただ私はもともと、ほら、壁の剥落したべろべろしたのに、すごくこう、ドキドキしたりとか…。建物の壁がペンキが剥がれたり、染みた跡とか、そういうものに異常に反応してた。それはもう、「何で?」と言われてもわからないんだけど、それが何かドキドキするなぁ、みたいな感じ。で、それが建物から人間の皮膚、傷という風につながってるのは…まあいってみれば、私の美意識かな、と勝手に思っているんですけどね。
吉岡:石内さんの写真を見ていて、昔祖母の看病をした経験を思い出しました。自分の肉親だけれども、最初は老人の皮膚に触ったりするのに非常に抵抗感がありましたね。でも何日か経つうちに何だろうな…、愛着じゃないけど、そういう皮膚とつきあう仕方というのを意識しはじめた。もちろん普通の意味で美しいなんて思えないんですよ。だけども、最初に感じた嫌悪感はだんだん薄れていって、それが自分に近づいてくるような気がしたんです。
石内:それは、受け入れる「何か」を持ってたんですよ。
吉岡:何だったんでしょうね、あの経験は。若い時はとりわけ、身体の若さに対して強い執着があるでしょ。異性の肌に対する執着も男の子の場合すごく強いし、そこからすると老いた女性の肌は、普通はあまり見たくない何かなんです。でも何週間かそれとつきあってるとね、若さに対する性的なこだわりが、なんか緩和されていくの。けっして無くなりはしないんですけど…。今思うとそれが、老人の肌の持っているある種の「力」みたいに感じてたんですね。
石内:舞踏家の大野一雄さんの手の甲の老人斑。彼は老人斑がかなり多い方だったんです。いつもは白塗りしてらっしゃるから気がつかなかったんですけれども。私はね、びっくりするほど美しいと思ったんです。老人斑ていうのは、歳とらないとできないの。老人斑ができるっていうのは、皮膚が時間をきちんと受けてるんだってことが、とてもよく分かったんです。もう本当に感動しちゃって私、涙が出てきそうになっちゃったの。それで撮った写真なんです。年とって皮膚がたるんで、黒い斑がいっぱいできて、もう本当に見たくない人もいると思いますけれども、私はその、時間がきれいに皮膚に定着しているのを、なんて美しいんだろうって思っちゃったんですよ。その前にうちのばあさんを撮ったんですけど、それははじめちょっと残酷な思いがあって撮りました。肉親だからね。大野さんは身体のプロですから、一般の人とはちょっと違うけれども、でも歳をとることは一緒なんですね。それはね、ダンサーだろうが普通の人だろうが、90歳なら90年間という時間は一緒ですよね。でも時間って数字じゃないなっていうところもありますよね。「1947」で40年の時間を撮ったんですけれども、その時間もやっぱり個々人でみんな違ってくるわけですよ。それが、皮膚のディテールにひとつひとつ還元されてくるわけ。それが個性なんですよ。顔つきとか固有名詞詞じゃないところに私は個性っていうのを見つけたかったのかなと、思います。
時間を見たい!
吉岡:老人斑のようなものを美しいと場合、それはようするに人間の肌としてじゃなく、ひとつのオブジェとして距離をおいて見たらたしかに美しい、という言い方をする人もいるかもしれない。それなら受け入れられると。だけど石内さんの写真はけっしてオブジェとして人体を扱っているわけじゃない。そんな安全な距離感なんてないです。だとするとそこで「美しい」と言う時の、「美しい」ってどういう意味なんだろう。
石内:あのね、目に見えないものに対するあこがれなんですよ。時間を目で見たいの。手でとりたいの。私はすごくそういうことがあって…
吉岡:時間を見る?
石内:時間って何かほら、見えないじゃない。ずーっと日々、今も流れているでしょう?それを手にとってみたいの。目で見たいの。「時間」というものを。…でも、見えないでしょう?
皮膚にはその時間の痕跡がちゃんとあるわけでしょう。それが年齢の意味なの。それがすごく美しいと私は勝手に思ってるんだけど。写真っていうのは、物理的には目の前の物しか写らないんだけど、本当は目に見えない空気とか音とか匂いとか、そういうものが写るもんだと私は思ってるんですよね。私の本当の一番の欲望って「無いものが欲しい」みたいなね、そういう欲望で私、写真撮ってるってことがあるんで、それの一つの現れなんですよ。「時間を見たい、手にとりたい」っていう。それが大野さんの老人斑だったり、皮膚の「荒れ」だったり、「傷」だったり、ということなんだと思う。
吉岡:ふつう写真が固定する「時間」とは、その「瞬間」だと思いがちですよね。
石内:写真は非常に観念的な組み立ての中であるものだと思ってるの。「瞬間」じゃなく、時間はもっともっと、観念と非常に近いところに「写真」という形として現れるものだと思ってる。撮った瞬間に過去になり、その「過去」が写り、またそれが未来に繋がっていく…、そういう形の中での自分。それが例えば傷だったり、皮膚だったり。
「時間」というのは当たり前にみえて、一番当たり前じゃないもの。わたしはずっとそれをちよっと意識してきた気がしますけどね。今日この、元明倫小学校の建物に呼ばれて、こういう風に時間が堆積して、メンテナンスがされて、トイレなんか綺麗になってしまったけれども、何かホッとしますよね。こういう空間にいるということは。薄っぺらピカピカのビルに入った時の違和感とは違った、何か身を委ねられるみたいな、そういう空間をここは持っているんだなと思って。「古さ」ってことではないんですよね。でもこれは、人工的に作れないの。時間の堆積っていうのは、人が作れないの。
吉岡:こうした空間の特徴は、これがはじめから芸術センターとして建てられた建物ではないところだと思うんですよね。ある用途がはじめから決まっていて、そのために理想的な空間を設計して建てたというのではでない。これを建てた建築家も近隣の人たちも、二〇世紀の終わりに小学校が閉校になって芸術センターに変わるなんてことは考えもしなかった。当初の意図とは違う発展をしてしまう、思いがけない転用というか再生というか…でも良く考えたら、人生ってその連続でしょう? はじめの目的どおりに物事が実現されていくなんて滅多にないことで、実際そんな思い通りに事が運んだらかえって面白くない。
記憶を呼び覚ます装置
吉岡:傷といえば、身体が受けた傷だけではなくて心的な外傷、「トラウマ」という言葉が最近よく問題にされていますね。臨床心理学とかカウンセリングとか、たいへんな関心を集めている。戦争はもちろん、阪神淡路大震災のような大きな災害であるとか、肉親や友達や恋人を失ったり、幼児期に受けたいろいろな虐待であるとか、虐待とまでいかなくても、家族関係の中での反復される悲惨な状況が、そうした心の傷をもたらすわけです。多くの人が心に傷を受けており、それを「癒さなければならない」と感じているわけだけれども、この「癒す」ということも、実はそれほど単純なことではないですよね。けれどもちょうど身体の傷と同じように、心の傷である「トラウマ」も何か単にネガティヴなものと考えられていて、あとはそれを治していくしかないんだというふうに考えられている。もちろんそれは必要なことなんだけど、根本的なところでは、それは身体の傷と同じように、心が時間を受けたということ、生きることそのものと切り離せない事態ですよね。そもそも、生まれてきたこと自体がトラウマでしょ? 人生ってもしかしたら、「生まれてきた」というものすごく大きな傷を何十年もかかって治していくプロセスなのかもしれない。でもその治していくっていうのが、実はその治るってことが生命そのものであって…。
石内:たぶん、お母さんの胎内にいるときが一番の世界で、産道を通った時にはもう傷ついてるんだって、胎児は。で、生まれて出てきちゃったら無垢っていうことはありえなくて、もう本当に俗世界に入るってことでは色んな傷を受けて外に出てくる。だから、確かに今おっしゃったように、その傷をどうやって治していくかっていうのが、もしかしたら成長するっていうことの意味なのかもしれない。だから私自身が傷にすごく興味を持ったっていうのは、実は自分に大きな傷、肉体的傷があるのと同時に、なんていうのかな、形のない傷もいっぱい負っているわけですよね。それは形にできてないんだけれども、ただ私は、それをエネルギーに変えたんですよ。その「写真を撮る」という行為をもった時に、何かその自分の受けた、どうしようもない…何ていうかな…嫌悪感?みたいなものをどうやって表に出していこうかって。それをエネルギーに変えないと生きていけないと思って、写真を始めたところがあって。私は何も知らないで写真を始めたんだけど、一番初めのテーマが「記憶」で…。それは、「記憶を呼び覚ます装置」みたいなものが写真なんだっていうのが、すごく初期に分かったんですね。
例えば初めてカメラ持って、初めてフィルム現像して、初めてプリント現像した時のあの感動って言うのかなあ。「これって懐かしいな」っていう感じと、何かどんどんこう、記憶がよみがえってきちゃう。写真を撮ることによって私はそういう経験をしてきてる。だから自分がこう、どうしようもない、負わされちゃってる傷をどうやって癒していくかってときに、ことばで説明しにくいものっていっぱいあるでしょう?で、それが私にとっての横須賀であったり、基地の町であったり…。たぶんオーバーに考えてるんだけれども、偶然写真に出会って、負わされちゃってるものをエネルギーにかえた。写真そのものが、傷とか、記憶とかを通じて、過去と今と未来を繋ぐ一つの道具みたいな感じを、すごく受けたんですよ。
吉岡:「写真」が記憶を呼び覚ます装置だというのはよく分かります。しかもその場合の記憶は自分が直接経験したこととは限らないよね。たとえば『絶唱・横須賀ストーリー』。僕自身は関西で育ったから横須賀は知らないし、昔の横須賀なんかもちろん知らない。けれど石内さんの作品を見てると、既視感というかね、どっかで見たという気がするんです。古い街の風景とか見れば「ノスタルジー」っていうのは起こると思うんですけど、それとはちょっと違う。さっき話したことで言えば、「傷」に関して特定の固有名詞とかペルソナに結びついていないような「傷の領域」ってのがもしあるとしたら、写真が呼び覚ますような「記憶の領域」みたいなものがある。「横須賀」って名前も確かに固有名詞だし、石内さんにとってはもちろん現実の記憶と結びついてるけど、他の多くの人にとっては横須賀は現実に自分が経験した場所とは結びついていない。けれど、それを見て「これはいつかあった事だ」という気持ちが呼び覚まされるとすると、その時の「横須賀」っていうのは何だろうか。身体の傷と同じように、それは固有名詞や顔を持った時空間じゃない。個的な思い出でもないし、かといって一般化された歴史でもない。その中間にある「記憶の領域」みたいなものを感じるんです。うまく言えないけど。
石内:「横須賀」っていう固有名詞は、やっぱり「戦後」っていうことにかかってくる。
吉岡:それはそうですね。
「横須賀」という記憶域
石内:だから、どうしてもイメージっていうのがあって、それは横浜でも東京でもなくて、「横須賀」。非常にフォトジェニックな街だったんですよ。私はたまたま偶然両親が引っ越したから行っただけなんだけど。つまり私が選んだ街ではなかったんですが、やっぱりそこで思春期に受けたカルチャーショックとかね。「アメリカ」というとんでもない光り輝くものが急に目の前にある、あの感じがどうしても私は受け止めることができなかった。自分の、傷つきやすい「何か」みたいなものはやっぱりすごく大切にしてましたからね。で、それをどういう形で表現するか分かんなかったけど、何かこう悔しい…「悔しさ」みたいなものを小ちゃな時から持ってて、それを「どうしよう」ってジレンマみたいのがいっぱいあった。そこに「写真」っていうのがすっと隣にあった、カメラと引伸機があったという…。
吉岡:その時に石内さんが感じた「横須賀」という場所…。
石内:だから、横須賀を感じたんじゃないと思うんです。私。たまたま固有名詞としては「横須賀」なんだけど、それは象徴なんだよ。
吉岡:その気持ちの形というか、そういうものはかなり普遍的だと思う。僕は石内さんよりは年下だけど戦後の感じって分かりますよね。だけど今の20代の人だったらそんな経験は子供時代にないでしょう? でもなくても、たぶん石内さんの作品をみてどっかに共振するものを感じるかもしれない。それは、やっぱり僕たちの周囲の都市とか生活空間の中のどこかに、メモリーとして何かが続いてるんだと思う。いかにも「戦後」とか「基地」とか、そういうものは経験してなくても、何か蓄積されてるものがあって、それが写真を通じて呼び覚まされてくるような感じがする。
石内:そうですね。私が生きた時間ってたかだか五十何年ですけれども、そんなもの何てことないわけですよ。人が綿々と生きてきた時間の中では、本当に点にもならないような短い時間ですよ。自分が生きている短い時間じゃなくって、もっとこう、例えば私の記憶は自分の固有名詞の記憶じゃないんだな、みたいな。
たとえば私は女でしょう? 女ってことの記憶っていうのは、ただ私が生まれ落ちた記憶じゃないような気がしたわけ。例えば「赤線」を撮った時にすごく面白い経験をしたんですよ。売春禁止法が昭和33年に施行されて「売春」てのは表向き無くなったんですけど、ずいぶん後で、わたしは遊廓と赤線の町を日本中撮ったんです。その時ふっと思ったのが、私は戦後だから、戦後生まれだから当然、本当の現場を知らないわけだし、見たこともないわけですよ。それでも、ふっと何か思い出したんですよ。そんなの嘘って言えば嘘よ。現実的には私は現場にはいないわけですから。でも何かね、私が女であることの細胞…DNAみたいなものがふっと、こんなのじゃない…こんなことじゃなかったじゃないか…何かわからない記憶がね、蘇ってきたんですよ。でそれはすごい恐かったけれども。例えば戦後アメリカ軍に対して「性の防波堤」をつくった時に、果たして私はその「性の防波堤」のこっち側なのか向こう側なのかと。歴史的にそういうことが「あった」って事を知った時に、私はその「防波堤」になるのか、それとも護られる側なのか、どっちなのかってすごく悩んだことがあるんです。そういうのってやっぱり、現実的な固有名詞の記憶じゃないんですよね。「女性である」っていう風に生まれ落ちた記憶っていうのかなあ…。ちょっと面白い経験をしました。それが、古い建て物、まだ遊廓が残っている建物に佇んだ時に、何かこう、呼び覚まされちゃった。
吉岡:日本の敗戦後では、基地とかその進駐軍の時代がこの半世紀くらいのスケールである。だけども、占領されて、外国の軍隊が入ってきて「性の防波堤」みたいな状況っていうのは、歴史の中で何回も繰り返されてきたことですよね。人類の文明の中でもう死ぬほど反復されてきたことだと思うんです。
石内:そうですね。だから、ほら原点みたいなものでしょう? 戦争とか売春とか占領とか。
吉岡:もう廃れてしまった赤線地帯の廃墟が語っているのは、特定の歴史的状況だけではなくて、何重にも重なった文明の中の記憶そのものです。それが折り畳まれている。それが写真という手段によって掘りおこされるというか、解凍され、展開されてくるというか、その「記憶」がね。
アートが生き残る!?
石内:写真を撮る行為そのものがね、撮る具体的な対象がないと写真は撮れないけれど、その具体性の中でやっぱりそれを撮ってるんじゃないんだな、っていう感じ? 傷を撮ってるんだけど、傷じゃないんだみたいな感じがずっとある。例えば女性の手足を撮ってるけど、手足じゃなかったんじゃないか?みたいな。撮れるのは表面だけ…表面しか撮れない悲しさがある。でもそれは入り口にすぎなくて、写真ていうのは、そうじゃない何かを撮ってるなっていう感じがあって。それは例えば…何ていうのかな…「生き死に」みたいなもの。最近友だちがかなり身近で亡くなってる現実があって、死人を結構見てるんですよ、私。私が「そっち」になってもおかしくないのに、私は生きてる訳ね。私自身は長生きしようと思ってるんですけど。で、年下の女達がどんどん死んでいって骨を拾いながら、いつ私がこっち側になってもおかしくない…「私の骨は誰が拾うんだろう」って思いながら骨を拾ってたりする。それも現実なんですよね。
吉岡:自分と同世代の友だちが死ぬと、単に悲しいとかそういうことだけじゃなくて、どうしてこの人で、僕ではなかったのかって思うね。
石内:うーん。やっぱり身体を撮るとか人を撮るっていうのは、生き死にの問題ってすごくあるような気がして。それしか、ないかもしれないな。それは時間と非常に関わりあいがあって、例えば人生でもちょうどこの小学校みたいに、どっかで再生っていうのがあるのかなみたいな感じ…。だからここはすごく象徴的な空間だと思いますね。今日来て色んなことばがこういう風に出てくるのがすごく嬉しいなと思ったんです。私にとって古い時間が堆積したり、微妙なディティールがある中で、みえるものがいっぱいあるっていうか。表面じゃなくてね。その奥の、奥にある、例えばここに小学生がいっぱい集ってた、そういう感じがこう、わかるみたいな。
吉岡:人間の身体っていうのは傷を受けようが受けまいが、時間はたえず蓄積しているわけであって、蓄積しているからこそな、ある時にはそれまでの全て捨てて再生する必要があるかもしれない。捨てたってそれまでの堆積がゼロになるわけないから。堆積をある時点から違う方向に利用するというか、そういうことが起こると思うんですよね。
石内:それって一番「アート」と関係あることだと思うよ。アートとか、文化とか。この小学校が残った意味ってやっぱり「芸術」なんだと思う。その意味では芸術って一番残りやすいっていうか。これが「芸術」だってものがないわけだから、いってみればまあ、いいかげんとはいわないけれど、何か「これだ」と思えばできちゃうエネルギーを持てるわけですよ、アートっていうのは。だからこれから生き残るのは、やっぱり「アート」しかないんじゃないかなって。
吉岡:これから生き残るのがアートだけ!?(笑)
石内:うーん、何かねまあちょっとオーバーなんですけれども、…アーティストっていうのは何だって、どこだっていいわけだからね。何もないわけだから、もともと。だからもしかしたら一番生き残る可能性を持つのはアーティスト、アート、アート的な場所じゃないのかな。それが一番記憶に近い場所だったり、だと思って。
吉岡:その場合の「生き残る」っていうのはなんだろう。
石内:なんだろう。まあ生き残るっていうのは色んな意味があるんだけど(笑)、うーん…。
吉岡:制度的な「芸術」とか職業としての「アーティスト」が残るっていうことではなくて…。
石内:そうじゃなくて。お金とかじゃなくて、「健全に生きる」っていう…。
吉岡:作品を制作する人だけが「アーティスト」ってことではなくて、「アーティスト的」なライフスタイルの方がいい、ということ? 時間の堆積、記憶といったことに敏感で、だからこそ自分を再生できるような生き方の方が。
石内:そうですね。私はそう思いますね。その方が長生きできると思うの(笑)。アーティストっていうのはほら、好き勝手なことやってるから、国からの援助はないし、もう本当に貧乏なわけですよね、日本におけるアーティストっていうのは。でもそれは、初めからわかってることだから、もう仕方がないことですよね。非常に文化的土壌が日本っていうのは低いって、当然わかっているでしょう?で、その中でどうやるか。別に生き残るってわけじゃないんだけど、やっぱり気が楽だと思う。「アーティスティック」っていう事は。
この小学校はね、生き残って、芸術センターとして新しく蘇ったっていうのは、やっぱりそういうことだと思う。芸術っていうのはどういうことかよくわからないけど、とりあえずやってみようっていう意欲を持てるっていうのがやっぱりアートなんだ、芸術なんだと思うな。他のことじゃここは残らないと思う。だから、歴史っていうのは、時間っていうのは、非常に芸術に関わっているんだと思う。
記憶とは「今を生きること」
吉岡:赤線地帯を撮影した時、自分は経験していないのに、その記憶が蘇ってきた、とおっしゃいましたけど、それは歴史の中で繰り返し反復されてきたことが、何重にも共振してそこに出てくるようなことなのかな。本当に一回しか起こらなかったことだったら忘れていいんですよ。
石内:全くなくなっちゃったものはもう思い出すこともないと思う。今でも現実にあるから、思いだしたり、記憶が蘇ったりって、そういうリアリズムですよ。記憶っていうのは私、別に過去の事を思い出すんじゃなくて今、今との照らし合わせなんだと思うんです。今、どういう風にあるかって思うことが、記憶が蘇ることだから、けっして思い出とか、古いことじゃないと思うんです。
吉岡:その通りだと思う。
石内:今、どうやって生きるかってことが記憶につながることだと思うんです。昔を懐かしんだり、そんなことはどうでもいいんですよ。そうじゃなくてね、今のことと結びついたあり方でしか、本当の意味の「記憶」っていうのはないと思う。
吉岡:今を生きることが「記憶」。
石内:そうです。だって記憶ってやっぱり「今」のことだもん。決して昔に起きたことじゃないと思う。だからそれは、やっぱり何だろうな…私は乏しい経験の中で、写真と記憶の相対的な関係の中で、やはり今の私がどうするか、っていうことを通じてしか、記憶は蘇ってこないことが、すごくよく分かった。だから「現実」なんですよ、「記憶」っていうのは。だから未来があるんですよ。