100歳のロリータ

これも IAMAS フリーぺーバー「クロッカス」でぼくが書いていた連載記事「<反>ファッション・チェック」の特別企画で、ベルリンに生まれ育った2005年度IAMAS大学院研究生梶村昌世さんと行った対談。
以下は、「クロッカス」に掲載されたリード文:
クロッカスの大人気コーナー“<反>ファッション・チェック”!今回は、新年度特別バージョンとして、「100歳のロリータ」というタイトルでおふたりに対談していただきました。拡大版、永久保存版として、学生も先生も、男も女も、そして、ロリータ志向もそうでない人も、恋に悩んでいる人もそうでない人も、そして何より20代男性のみなさま、必読です! もし、少女ロリータが実在したら?原作なんておかまいなしに変化を遂げた日本のロリータカルチャーとは?そこには確かに、かつて名作『ロリータ』で描かれた男と女が時代や文化の特徴を取り入れ、現代社会の新しい物語となっていました。

吉岡(以下Y):キューブリックの映画で、あのハート形のサングラスをかけてるのが『ロリータ』だよね。
梶村(以下K):映画『ロリータ』の一般的なイメージはあれですよね。
Y:「100歳のロリータ」は秀逸なタイトルやと思うけど、原作のナボコフの『ロリータ』は1955年の作品なんだよね。だからそのとき少女が12歳としたら、まだ100歳にはなってないわけね。
K:じゃあ、未来の100歳のロリータだ。
Y:でも作者は1899年生まれだから、今年生きてたら107歳くらいか。
K:じゃあ、まあ100歳ということにしときましょう。
Y:ナボコフはベルリンにしばらく住んでたみたいね。
K:そうなんですよ。ロシア人コミュニティの中で、最初に小説家としての自分をつくり上げたみたい。
Y:ベルリンに住んでた間に、つきあいのあったリヒベルクとかいう作家が、後にナチのシンパになった人らしいけど、ナボコフよりも前にロリータという少女の出てくる小説を書いていたらしい。
K:私、それどこかで読んだことある。
Y:それで「原ロリータ」をめぐる論争がドイツで起こったらしい。
K:おととしくらいだったかな、その記事を私も読みました。私の記憶では、プロトタイプは結構かぶってて、でも、『ロリータ』がナボコフの名作であるということは確か。リヒベルクのは短編エッセイみたいなかんじだったと思う。
Y:今日の対談はかなりアカデミックやな(笑)。
Y:キューブリックの『ロリータ』も相当気色悪い映画やけど、原作の異常さには及ばんね。
K:そうですよね。ナボコフの原作は過激で、殺人とかも全部描写してて、彼女は17歳で妊娠してるとか…。
Y:ロリータが妊娠して、主人公のハンバートはその相手の男を殺すんやったかな。それで最後は獄中死するんだよね。
K:そして、その話は全部、弁護士さんに話したことだったみたいな、そういうオチ。
Y:スタイルとしてはそんなよね。
K:読んでるうちは全然わかんないんだけど、読み終わると、「あー実は、自分は作者にすごいおどらされていたんだ」ってことがわかるみたいな。
Y:ナボコフの文体って言うのは、英語でも日本語でも、決して読みやすい文章ではない。
K:そーかもしれない。私はドイツ語で読んだかな。
Y:要するに、『ロリータ』はロシア文学よね。
K:そうですよね。その後、作者本人がロシア語に訳しているし。
Y:ナボコフはロシア語が母語だから、アメリカに来た経験から『ロリータ』を書いたわけでしょ。まあ、単純に考えたらハンバートっていう主人公がナボコフで、ロリータはアメリカ娘やねん。
K:おもしろいですね。そう考えるだけでも。だからやっぱり英語なのに、読みにくいのかな。
Y:ナボコフにとってロリータというのはどんなに求めても到達できない「アメリカ」なるもんか。主人公ハンバートにとっては、性的対象なんだけど所有できない。『欲望の曖昧な対象(Cet obscur objet du désir)』みたいな。実際、途中でロリータと寝るんだよ。それでも所有はできない。
K:最後には片思いになっちゃうし、結局。
Y:ロリータの方は最初は何も知らないあどけない子なんだけど、まあ、わがままよね。ハンバートはロリータといたいために、お母さんと結婚すんねん。
K:そうそう、それで、結局ばれちゃう。
Y:日記を読まれてしまうわけ。そこには、自分は本当はロリータといたいために結婚したとか書いてある。そら怒るわな、おカンのほうは。ほんまにハンバートに惚れてたんやもん。で、狂乱状態になって車にひかれんねん。それでハンバートはロリータとふたりだけになってしまう。
K:そう、それで寝ちゃう。アメリカを旅するんですよね。モーテルとかまわって。
Y:アメリカを点々とするねん。すごいいいでしょ、この設定。
K: うん、すごいいい。
Y:でね、ロリータの方は最初から何もかもわかってんねん、小娘のくせに。それで、自分の魅力で、インテリの中年男を翻弄していくのがだんだんおもしろくなってくんねん。
K:恋愛ゲームみたい。
Y:まあ、悪女やね。
K:そう考えると、若い女の子がアメリカで、絶望的な中年男性がヨーロッパかロシアっていうのもおもしろい。しかも、50年代って言うアメリカの一番いい時期ですからね。
Y:そういう作品はアメリカの作家には書けへんやろうな。『ロリータ』が日本に入ってきたのはわりとはやくて、大久保康夫っていう有名な翻訳家が60年代にもう訳してたんやないかな。
K: 50年代のアメリカだったら、かなりセンセーショナルだったでしょうね。日本ではどうなんでしょう。
Y:日本では、それほどでもなかったんじゃないかな。『チャタレー夫人の恋人』みたいな大騒ぎにはならなかったと思う。
K:なんでしたっけ、それ。
Y:イギリスの作家D.H.ロレンスが書いた不倫の話なんだけど、金持ちの奥さんが、夫が戦争で負傷してセックスできなくなって、たしか庭番やったかな、若い男とつきあう話。その庭師との性的描写がぜんぜんエロティックではないけど、直接的やねん。それで伊藤整の翻訳が発禁処分になって、「芸術か猥褻か」っていう議論が起こった。
K:結果としてどうなったんですか。
Y:1957年に最高裁で有罪判決が出た。その後、「問題箇所」を伏字にして出版された。ところがそれから30年経って伏字なしの完全版が出版されたけど、誰も摘発しない。野坂昭如が出した伝永井荷風作『四畳半襖の下張り』と同じやね。こっちの方はさすが荷風だけあって、名文であると同時にものすごいエッチ。けど、あんなに騒がれたのに、今は平気で本屋に並んでる。「芸術と猥褻」というのは、それ自体は普遍的な問題を含んでいるけど、時代が変わったとかでいつのまにか全部うやむや。要するに、みんな本気で考えてなかったし、ちゃんと読んでもいなかったということか。
K:ところで『ロリータ』って、結局あれは男のロマンですよね。若いきれいな子を連れて旅するなんて。
Y:んー。まあ逃げまわるような旅やけどね。日本やったら淫行条例に触れるよね。
K:そうなんですか。
Y:たとえ相手が合意してても、性的誘惑や性行為自体が罪という考え。性行為に年齢制限を設けている国は多いけど、それはセックスが何かをまだ理解できない子供を護るためという理由だと思う。日本ではたとえ相手が理解していてもだめ。なぜならそれは行為自体が「淫ら」だからで、ここにはたんなる人権を越えた共同体による美的=道徳的規制が関与してると思う。「淫ら」という概念が有効に働いていることが、ロリコン文化を含む日本のポルノグラフィーの可能性の条件になっている。
K:この前、ドイツでも12歳の女の子が妊娠したとかいうのが話題になってた。「子供が子供を産む」みたいな記事がでて、ニュースになってた。その子も周りにはずっと隠してて、でも結局生んだらしい。それで、その社会的な原因とか、教育とか家庭の問題が話題になった。若いのに妊娠しちゃって、生まれてから気づいて、びっくりしてその場で自分で自分が生んだ赤ちゃんを殺してしまうケースもあるらしい。
Y:さそうあきらの『子どもの子供』知ってる? 小学生が出産する話。3巻で終わるんやけど、これは、生むまでがおもしろいね。でも生んでからはただのハッピーエンドであんまりおもしろくない。それはともかく、若い女との恋愛という話でいくと、ロリータは12歳やけれども、それは20世紀アメリカのピューリタン的な道徳の中やからスキャンダラスなものになるのであって、人類史全体のなかで言うと12歳の女と恋愛するなんてどこにでもある話やん。
K:昔は、そのくらいで嫁にもいったわけですしね。
Y: 20世紀以降の人間は歳を気にし過ぎやから(笑)。若い方にも歳いったほうにも、ぜんぜんフレキシビリティがない。そもそも「子供」ってカテゴリーは近代の発明で、中世にはなかったとフィリップ・アリエスは言うてる。
K:長い間子供という概念はなかったんですよね。
Y:子供はいわば小さい大人。子供だから恋愛しちゃだめとか、働いちゃだめとかもないし、「子供は本来純粋無垢なもの」っていう観念も薄いわけ。そんなんは文化的な構築物。中世ヨーロッパでは子供は天使みたいなものじゃなくて半分「自然」で「動物」だから、すごい厳しくしつけるでしょう。
K:子供ってけっこう野性的で、残酷なんですよね。それはきっと今もそうなんですよね。
Y:今の僕らが見れば、虐待って思うようなのをしつけとしてやってたでしょ。あれは動物飼い慣らすのと同じだからね。ある種禁断のものとしての「子供」っていう観念がないと「ロリータ」も成立しないけど、でも、もともと禁断なんてないもん。光源氏の恋人なんてほとんど10代。若紫なんて10歳やで。ダンテの恋人のベアトリーチェなんて9歳。
K:あ、そうだ。すごいかわいかったんでしょうね。その当時ダンテは何歳ですか。
Y:ダンテも9歳。こましゃくれたガキどもや(笑)。
K:私たちの年代だと想像しにくいですね。
Y:日本でも『夕焼け小焼けの赤とんぼ』やったら「十五でねえやは嫁に行き」ってあるけど、数え年やから、今やったらたぶん十三歳でしょ。
K:昔は早かったんですね。やっぱりロリータ文化みたいなのは、どこか近代的な抑圧があるからでしょうか。
Y:近代が宿命的に背負ってる性的抑圧はあるやろね。小学生ぐらいのちょっと早熟の女の子やったら、それほど女性経験のない20代から30代の男を挑発したり翻弄したりするくらい、わけないもん。もうロリータやね。日本の男ってそれくらいの年代が一番もろいからね。自分のアイデンティティも、自信も固まってないしね。
K:もろい時期ですよね、男の20代前半とか。
Y:日本の男は思春期くらいまでは比較的強くて自信満々。まあ、まだ子供やからね。高校か大学に入る頃から、ものすごくだめになる。20代前半から30くらいまで。現代日本の20代男性くらい悲惨なものはないね。それにくらべたら、12歳のちょっと頭のいい娘の方がはるかに人生知ってるし、余裕がある。20代の男は同世代の女の子からまともに相手にしてもらえへんわけ。女からみると子供っぽいから。だから想像の中で下の世代に行くんやけど、これがちょっとでも現実化するとたちまちだめやねん。
K:それはショックでしょう。けっこう中学生の女子とか、するどいですよね。おもいっきり挑発したい年頃だし、男の下心なんてすぐ見抜いてしまう。容赦ないし。
Y:まあだいたいにおいて、女子の方が大人だから。男と女、同じ歳で学校入れるのが間違ってるかもね。女の子8歳、男の子12歳くらいでちょうど釣り合う。仕方ないよ。社会的経験が違うから。女の子はやっぱり幼児ぐらいから、見られる存在であるということを意識するけど、男の子はそんなんしなくていいから、ノホホンと育つしね。社会的にも男の子の場合はわりとレールが敷かれていて、大学入って就職して結婚して家建てて…みたいな。女子の場合は、特に現代みたいな社会だと、自分の行く末はわかんないわけね。分岐がものすごくたくさんあるから、不安定な状態におかれてる。そんな状況を10代前から経験して育つから、嫌でも大人になりやすい。でも男の子は大事にされてるから、社会的経験をしなくても、ちょっと勉強とかできればボーッと25歳くらいになってまう。心の中はまだ5、6歳くらいやのに。
K:5、6歳?!
Y:それは言い過ぎかもしれんけど、自分自身のエモーションとか欲望と向き合うテクニックが何にもわからないまま育ってしまう男の子たち。
K:女は見られるから、発達するんですかね。
Y:まあ、見られることだけじゃないけど、自分を取り巻く社会の経験が複雑なんだ。男でも家が極端に貧乏だったり、周りの大人が壊れた人ばっかりだとか、世間の画一的レールにのってない環境やと、刺激受けて大人になるんやけども、わりと今みたいに、そこそこの中産階級で、お父さん会社員で、年収800万から1000万で、郊外の住宅地に住んで、子供がひとりかふたりで、子供の頃から塾行かされて、学校の同級生も似たような境遇の子ばかりで、みたいに育つと、刺激が極度に少ない。
K:なるほど…。
Y:ロリータ文化は、まあそういう人たちがいないと成り立たないわけよね。ナボコフの『ロリータ』じゃなくて、現代日本のロリータ的な欲望の形のことやけど。ロリータっていうのは、それほど複雑な欲望の対象ではなくて、単純なオブジェクトみたいなもの。生きた他者に到達しなくてもすむ口実みたいなもんとしてできてるわけでしょ。
K:本当にそうですよね。それじゃあ、敢えてロリータ・ファッションの格好をする女の子はどうなんでしょうかね。モノとしての対象にみずからなっているわけですよね。
Y:女の子がなぜロリータ・ファッションに向うか、それは面白い問題。メイド喫茶とかもそうやけど、でもロリコンの男の子は、ロリータ・ファッションの女の子が好きかっていったら、それはちょっと違うねん。ロリータ・ファッションの女子が求めているのは、一種の自己実現です。一方ロリータ好きのオタクは純粋に2次元の幻想の世界だけで生きたい。だから両者は決して相補的な関係じゃなく、たいへんな齟齬がある。
K:そうですよね。絶対、漫画の世界の方がいいにきまっていますもんね。ロリータ・ファッションは見た目はきついけど、あんまりショッキングさはない。
Y:でも世界のペドフィリアの伝統からみたら、日本のロリータ文化なんてかわいいもんや。昔のインドの上流階級の、6歳とかで嫁をとる風習なんてほんとに異常。ペドフィリアを社会制度にしてるようなもんでしょ。
K:そうですよね。本当に6歳でもらうんですか。決めとくだけではなくて。
Y:ガンジーの自伝を読むと、彼はバラモンのすごい高い階級の人だから、自分自身も13歳くらいで結婚させられんの。でも後に、それはインドの悪い風習だって非難してる。
K:そんな歳で結婚してもねえ。
Y:インドの上流階級にとって性生活ってすごい大切だから、5人も子供作るんやけど、そういう欲望に従う生活、「カルマ」っていうのはすごく重んじられている。でもなんでガンジーがあんな禁欲生活に入ったかというと、自伝のなかに書いてるけど、たしか病気のお父さんを看病してて、ちょっとひとやすみして嫁さんとやってるときに、父さんが亡くなったん。それがガンジーのトラウマになって、もう一生欲望に従うことはやめようと思ったらしい。ガンジー、なかなかおもしろいなと思った(笑)。
K:ガンジーかわいそう…。奥さんと幸せにしてるから、「ガンジー家はこれで安泰だ」ってお父さん安心して逝ったんだと解釈すればいいのに。
Y:梶村は優しいね(笑)。ところで日本に話を戻すと、最近の学校の事件で、先生が女子生徒の着替えを盗撮をしたっていうのがあってん。その学校に子供を通わすお母さんのコメントで、もう憤慨して「教師にあるまじき行為だ」とか言って。まあ確かに写真撮るのは行き過ぎやと思うけど、なんか今の時代あまりにも、小学校の先生は「自分の教え子に性的ファンタジーを持つことすらいけない」みたいなタテマエがあるよね。これはおかしい。たしかに盗撮したり、痴漢行為をしたり、ましてや殺したりするのはもちろん悪いんやけど、教え子に対して性的ファンタジーを持つこと自体は、あたりまえのことやん。
K:私も、そう思う。それは、阻止できないしね。
Y:小中学生の先生っていう職業はある種、異性同性関係なく、自分よりずっと歳の若い子にロリータ的な性的関心を持つような人の方が、本来向いてると思う。
K:それだけ、絆が強くなるということですもんね。
Y:若年者たちに関心を持って、生活面からいろいろ注意して育てるというのは、教育者の資質でしょ。子供たちの知的な発達とか健康への関心だけは許されて、性的関心を許されないというのは不自然。本来、性的関心っていうのは知的な関わりとか人格的な関わりとかと、切り離せない。それが切り離せると思うのが、プロテスタント的な幻想なんだよ。人に聞いた話やけど、アメリカのハーバード大学なんて、プロフェッサーと学生の恋愛を規則で禁止してるでしょ。
K:ハーバードで…?わけわかんない。
Y:なぜかというと、アカハラの温床になるから。でも正気に戻って考えたら、「恋愛禁止」なんておかしいでしょ。
K:ばかばかしいですね。そんなの、ビル・クリントンだってそうじゃないですか。
Y:うむー、あれが恋愛かは疑問やが(笑)。
K:確かに、実際に性的関心から手を出しちゃうのは問題だとは思うけど、性的関心やファンタジーをもつこと自体は仕方ない。
Y:問題を起こす人というのは、実際はすごくマジメな人だと思うよ。マジメだから、欲望を持ってはいけないという規範を内面化してしまっている。だから身体的には欲望がありファンタジーを持つのにそれを意識化できなくて、自分の中でコントロールできなくて、なんかのきっかけで閾値を超えてしまうんだろうね。前に教えていた学校で、「女子学生が研究室に来た時にはいつもドアを開けたまま応対します」と言っている先生がいて、ほんとにびっくりした。そんなことしたら、なんか意識してるみたいでかえって恥ずかしいやん。ぼくなんか、気に入った教え子の女子に対する性的ファンタジーを意識化できることこそ教師の役得と思っているので、女子学生が研究室に来たらぜったいドア閉めます。誰にも邪魔させへん(笑)。