美術館との対話
以下の小論は、『現代美術館学』(並木誠士・吉中充代・米屋優編、昭和堂、1998年4月)の「美術館との対話」という章のために、美学の視点から美術館について考察してほしいと依頼されて書いたものです。
美術館とニヒリズム
美術館とは何か? それは美術作品を収蔵し、研究する場所である。また、美術作品を展示し、教育に役立てるための場所である。このことは一見、疑う余地のない、自明のことのようにみえる。こんなことをいまさら問いかける意味など、ないようにすらみえる。だが、本当にそうだろうか? 否。少し注意深く考えてみると、美術館の存在とは、けっして自明な事実ではないのである。
もしも美術作品を展示するのが美術館であり、美術館に展示されるのが美術作品であるというなら、それは同語反復【トートロジー】である。このトートロジーは、多くの人を安心させる。それは、美術館があることによって、美術とは何かを考える必要がなくなるからである。こうしたトートロジーによって、美術館のなかにおける美術作品は、まるで自然のなかでの草木や石のように、当たり前のものとしてあらわれる。いわば美術館のなかでは、美術についての根源的な問いが、免除されているである。だが、免除されているということは、同時にそうした問いの次元が隠蔽されているということである。
あるモノが美術作品であるかどうかを決定するのは、美術をめぐる人間の言語活動である。こうした言語活動には本来、共通の基盤といったものはない。美術をめぐる言説は、それぞれ固有な、歴史的・文化的文脈のなかで生み出されてきた。そうした言説は多くの場合、一回的で、互いに異質な、通約不能なものである。このことは、そうした言説活動において美術作品として語られたり、あるいはそこから排除されたりする、多数多様な文化的制作物に、あらかじめ共通の文脈が存在しないということと対応している。
〈美術〉という類概念が成立しうるためには、それに属する絵画、彫刻、建築などの種概念、さらにはそれに属する個々の制作物が、共通の本質によって括られなければならない。これは、美術館が公共性を獲得するための必要条件である。そのためには、美術をめぐる言説がある共通の場をもたなければならない。〈美術館〉とはいわば、美術をめぐるさまざま言説群によって共有される、仮想の〈関係性の場〉のようなものである*(1)。
だがこの関係性の場がひとたび成立すると、そこには奇妙な反転が起こる。すなわち、その仮想的性格が見えなくなるのである。そして、あたかもこの関係性の場が美術を成り立たせる根拠であるかのような、転倒した見かけが生じることになる。冒頭に述べた、美術館と美術作品との自明な関係という見かけは、こうした認識論的転倒の結果である。
このことを、経済とのアナロジーで考えてみる。かつて儀礼や物々交換の対象であったさまざまなモノは、〈市場〉という関係性の場に置かれることによって〈商品〉と「なった」。市場とは、モノのもつ異質性や他者性を消去し、それを交換価値によって互いに関係づける原理である。こうした交換価値を、実体的に表現したものが、〈貨幣〉である。これと同じように、多種多様な文化的制作物は、〈美術館〉に置かれることによって、〈美術作品〉に「なった」のである。美術館は市場、作品は商品、そして芸術性は貨幣価値に相当する。
このようなアナロジーが成立する世界を、〈近代〉と呼ぶことにしよう。だが誤解してはならないが、このことはいわゆる、近代における美術の商業化といった現象とはまったく別問題である。美術が実際に商品化されようが、あるいは「芸術のための芸術(l'art pour l'art)」の理念にみられるように、日常的価値を拒絶してひたすら固有な自律性を追及しようが、実は同じことなのである。
芸術性という共通の質が成立し、それによって美術にかんする言説が組織されたこと、すなわち〈美術館〉が成立したことが決定的なのだ。逆説的なことだが、美術は日常性から切り離されることで、より日常性のなかに組み込まれやすくなる。美術館とは、美術のこうした近代的な存在様態が具体化されている場所なのである。
〈美術館〉とは関係性の場にほかならず、それは美術をめぐる互いに異質な言説の間の微妙な均衡の上に成り立っているのである。美術館について考えるとき、こうしたダイナミズムを考察することは、決定的に重要である。そうしないと、美術館にあるものが美術作品であるというトートロジーは、たんに当たり前のこととして受けいれられてしまう。そしてこのような自明性から出発するかぎり、美術作品は結局、交換や管理の対象でしかなくなる。これは、一種のニヒリズムを意味する。
残念ながらこうしたニヒリズムは、現代日本の教育と文化のなかに、深く根を張っている。そこには、理論的な反省活動という広い意味での〈美学〉が、信じがたいほど欠如している。そこから、美術とは何かという根源的な問いの存在にすら気づかないまま、文化行政や美術館業務に携わる人々が大量に作り出される。美術館が退屈だとすれば、それはこうした人々が無意識に分泌するニヒリズムの、集団的な結果であるともいえる。
だがもちろん、すべての美術館がいつも退屈なわけではない。美術館はときに驚くべき知的興奮をもたらすこともある。それは、美術館という関係性の場の背後を見通す人がいるからにほかならない。すぐれた展示にはかならず、美術作品を成立させている言説のダイナミズムに対する深い洞察がある。すぐれた展示は、作品がおかれている言説の文脈に働きかけ、美術についての原理的な問いを喚起しているのである。
美術館と啓蒙
〈美術館〉とは、啓蒙の産物である。
啓蒙とは何か? 一八世紀の哲学者カントによればそれは、「自分自身に責めのある未成年状態から抜けでること」である*(2)。ここで言われている「未成年状態」とは、「他人の指導がなければ、自分自身の悟性を使用しえない状態」である。つまりそれは、自分がたまたま属している共同体の因習に従属しているような状態のことであり、目の前にある現実の自明性をそのまま受けいれる態度のことである。たとえば先述したような「ニヒリズム」は、こうした「未成年状態」の現代版といえるだろう。
ではそうした状態が「自分自身に責めのある」のはなぜだろうか? それはカントによれば、人間が他人の判断に依存するのは悟性が欠けているからではなくて、悟性を使用する勇気をもたないことによるからである。そうした依存的な態度が、単純に良いとか悪いとかいう問題ではない。ある意味では、そうした保守性は、生物としての人間の自然な本性である。習慣に抗して自分の頭で考え、自分で判断することは、努力を要求し、リスクを伴う。たんに生きていくためには、自分の頭で考えるという行為は、多くの場合において不利なのである。
だが啓蒙とは、生き物としての自然性を、あえて脱することにほかならないのだ。「理性的存在者」になるということは、あるがままの自然的生を断ち切ることである。また、それは共同体の自然な絆の外に出ること、カントの意味での「世界市民」になることを意味している。啓蒙の理想は、みずからの悟性を使用する人間が、合理的な原理に基づく共同体を作りあげることである。
では、美術館がそうした啓蒙の産物だというのは、何を意味するのだろうか? 美術館とは、啓蒙が社会において実現されるための、ひとつの条件なのである。すべての人が自分で考え、判断するためには、その材料となる情報が公開されている必要がある。今日美術作品といわれているものは、かつては王侯貴族などの特権的な人々に独占されたり、礼拝の対象として教会のなかに安置されていた。作品をそうした独占状態から解放し、すべての人々が鑑賞しそれについて考えることができるようにすること――これは啓蒙の必要条件である。そして、そのために確保された場所が、美術館なのである。
だが、美術の啓蒙が必要だとして、そこではいったい、誰が誰を教えることができるのか? 美術作品の解釈や評価は、数理的合理性のように明示的な方法で伝達することができない。美術の教養というものは、特定の文化的伝統のなかで、長い時間をかけて育成されるものである。そこにはすべての人々、すべての文化的伝統にとって平等で客観的な基準といったものは、ありえないように思える。美術の教育は「趣味」の育成であるが、趣味は直感的(aesthetisch)な判断に基づくものであって、一般的原理に基づいて教えるということができないのである。
だが美術館が公共的空間であるかぎり、それは偏った文化的価値基準に依存するものであってはならない。美術館における言説とは、美術館という関係性の場にふさわしい、中立的で共有可能なものでなければならないのである。そしてそれによって、美術館のなかに集積してゆく多様な作品群を、できるかぎり客観的に組織できなければならないのである。
美術史はこれまで、〈美術館〉のこうした状況に、適切な秩序を与えてきた。美術史の存在理由は、美術が存在するのだからその歴史もまた存在するといったことでは理解できない。美術は、美術史という学科が成立するはるか以前から、存在し続けてきたのである。人類はきわめて長い間、多様な地域的・文化的文脈のなかで生み出されてきた美的制作物を、統一的な視点から相互に関係づけること、つまり美術史の必要など感じたことがなかったのである。
美術史が成立するためには、多くの制作物を一つの場所に集めてみるという経験がなければならない。美術史は、並べ、分類するという行為と不可分である。そのためには、かならずしも建造物としての美術館が必要というわけではない。たとえば多くの場所に分散して存在していた作品を系統的に調査し、銅版画や写真によって記録し、リストや目録を作るといった行為によって、すでに関係性の場としての〈美術館〉は、すでに成立しているのである。
美術史は、そうした意味での〈美術館〉に、公的な秩序を与える。美術史は、さらに多くの作品がリストに加えられ、さらに多くの分類可能性が検討され、そしてさらに多くの異なった解釈方法が提示されることによって進歩する。いいかえれば美術史の進歩とは、より多くの作品を〈美術館〉のなかに加えることを意味するのである。
さて、こうした進歩は、どこに向かってきたのだろうか? あらゆる文化的制作物は、ひとたび〈美術館〉のなかに入ると、もはや独自の存在のなかに閉じこもることは許されない。それは、緒作品の織りなす関係性の宇宙のなかで、特定の位置を割り当てられることになる。もちろん事実上は、分類や解釈には複数の可能性があり、美術作品をめぐる謎は、尽きることはないだろう。
けれども理念的には、美術史が向かっているのは、存在する全作品の完全な目録の制作である。いわばそれは、あらゆる作品を分類することができ、またその分類法の完全なリストをも備えた、巨大なデータベースの構築といえるだろう。そしてそうしたデータベースは、急速に発達してきたデジタル情報技術によって、しだいに現実のものとなりつつるある。コンピュータ・テクノロジーと情報ネットワークによって、いわば〈啓蒙〉としての〈美術館〉は完成されつつあるといえる。
ヒューマニズムと他者
美術史はいうまでもなく、西洋近代の生み出したものである。美術史はたしかに、多様な文化的制作物を収容しうる、共通の関係性の場を提供してきた。だがそれができたのは、美術史が、西洋近代的な基準を文化の普遍的なモデルとして利用してきたからである。
だが今日、伝統的な美術史を支えていた西洋近代的基準は「他者」の視点から批判・解体されつつあると言われる。この事態は、実はそれほど単純なことではない。
美術史という学科の根底にあるのは、近代化された人文主義的伝統、つまりリベラルなヒューマニズムである。そこでは作者個人の意図が、作品の意味を確定する決定的な要因である、といった前提がある。現代では素朴なリベラル・ヒューマニズムは、精神分析や構造主義を通過することによって影が薄くなっているが、それでも倫理的基盤としては存在している。リベラル・ヒューマニズムが強力なのは、そのなかでは歴史的・文化的な相対性の意識と、近代市民文化において支配的であった価値基準とが、ほどよくミックスされているからである。こうした倫理的基盤があってはじめて、ラスコーの洞窟絵画から二十世紀の抽象表現主義にいたる、人類の美的活動の壮大な物語を語ることができたのである。
だがいまや、こうした美術史の言説はどうみても破綻している。伝統的なヒューマニズムによる均衡状態が崩れ、相対主義的傾向が近代の市民的価値基準を凌駕してしまったのである。美術の評価における「趣味」は解体し、いまや美術館においては、すべてが等価になった。そこでは、唯一の原理は「何でもあり("Anything goes.")」であるかのようにみえる。このことをどう考えるべきだろうか?
第一に知る必要があるのは、こうした基準の喪失は啓蒙そのものの必然的帰結だということである。つまりこうした状況は、啓蒙、美術史、そして関係性の場としての〈美術館〉という制度そのものが招来した結果にほかならない。関係性の場としての〈美術館〉の拡大は、必然的にあらゆる価値の相対化へと発展するが、ある段階までは、西洋的な基準、つまりリベラル・ヒューマニズムによって「ブレーキ」がかかっていたのである。だが〈美術館〉の肥大はいまやある閾値を越え、このリベラル・ヒューマニズム自身が相対化されてしまったわけである。これは、現代における美術館の状況を理解するための、システム論的な原因である。
第二に、美術そのものの変貌を考える必要がある。〈美術館〉の拡大によって、美術はもはやたんなる収集や研究の対象ではなく、むしろ美術自身が、ある時点から〈美術館〉という環境に積極的に反応しはじめたのである。
批評家のダグラス・クリンプによれば、こうした傾向は、美術館と美術との関係が転倒しはじめた、一九世紀のモダニズムにはじまっている。かれはフーコーを引用しつつ、次のように指摘する。たとえばマネの絵画は、美術館という関係性の装置(先ほどの言葉でいうなら関係性の場)に応答する最初の絵画であった*(3)。つまりモダニズム以降、美術と美術館の関係が転倒し、美術の方が〈美術館〉を意識して制作されはじめたというのである。作品はもはや自律的な存在ではなく、美術館という「表象の宇宙」に依拠するようになった。制作とはいわば、そうした宇宙の内部組織への働きかけにほかならなくなったのである。ここから、いわゆるポストモダン的引用としての現代芸術までは、ほんの一歩だろう。
第三には、文化的世界のなかに、近代西洋が依拠していた人間とは異質な〈他者〉たちが侵入してきたことがある。それは、女性、文化的・民族的・人種的「マイノリティ」、その他これまでさまざまな意味で「従属的(subaltern)」であった存在者たちである。かれらはこれまでの支配的な文化のなかでは、〈視る者〉すなわち主体ではなくて、視られるもの、表象れさる対象として位置づけられてきた。エドワード・サイードのいう「オリエンタリズム」とは、西洋文化という表象装置がもつ、こうした政治性を名指すための言葉である。「ポストモダン(post modern)」「ポスト植民地主義(post-colonialism)」「多文化主義(multi-culturalism)」といった名で呼ばれる文化変容の根底にあるのは、これまで対象であった存在が、主体しての声を獲得するという状況である。
このようにして、〈美術館〉はいまや、異質な文化基準の闘争の場所となった。ただ日本のような隔離された文化のなかにいると、ポストモダンとは一見、堅苦しい伝統が力を失った気楽な状況のようにみえるかもしれない。だがポストモダンをそのように、たんに文化的基準の多様化、相対化という視点からのみ見るのは、歪んだ見方である。かといって逆に、それを解体や廃墟といったネガティヴなメタファーだけによって語るのも、やはり偏狭な見方と言わなければならないだろう。
ポストモダン状況における美術館は、どうあるべきか? 一方では、近代美術の深刻さに愛想がつきて、美術館をより社会の「ニーズ」に合ったアミューズメント・パークのようにしてしまえばいいと考える人がいるかもしれない。たしかに、それによって美術館はより市民に「開かれた」ものとなるように思える。また他方では、女性や文化的マイノリティの美術を積極的に展示し、美術の社会的文脈をもっと強調すべきだと考える人もいるだろう。そのことによって、社会的啓蒙という美術館の使命はたしかに続行できるわけである。
これらの意見は間違ってはいないのだが、いずれもそれだけでは一面的であり、〈美術館〉という言説の場の本当の仕組みを理解していない。もしも美術館を娯楽施設化してしまえば、「視ること」をめぐるさまざまな文脈に敏感に反応する、美術のもつダイナミックな情報形式は崩壊してしまう。また、マイノリティの芸術家の作品をたんにマイノリティであるという理由だけで導入することは、美術館を結局は政治的外交の場に変えてしまうことになるかもしれない。いわゆる「政治的な適切性(political correctness)」――これはリベラル・ヒューマニズムの残存物にほかならない――を通して作品を評価することは、良心的ではあろうが、退屈である。
では、どうすればいいのか? もう一度〈美術〉とは何か、と素朴に問いかけてみることが必要かもしれない。すぐれた美術作品は、どんなに完成された関係性の場に置かれていようとも、そのどこかに野蛮な直接性が潜んでいるものである。美についての判断が「直感的」であるということは、たしかにこのことと関係があるのだ。そしてこの直接性は、作品がわたしたちがいま知覚している世界の〈外部〉につながっていることの指標である。
作品のそうした〈外部〉性を解放するためには、〈美術館〉を破壊すればいい、というのが、かつてのアヴァンギャルドの考え方であった。アヴァンギャルドは束縛する制度としての〈美術館〉や市民的〈芸術〉を攻撃し、その裂け目をとおして〈外部〉を、すなわち触知できない存在の影をみようとしたのである。
わたしたちが立っている現在とはいわば、そうしたアヴァンギャルド的実験のリストが完成し、それらが古典的な美術ともに巨大な情報データベースのなかに登録されているという状況である。これを、ネガティヴに受けとるべきではないだろう。この状況はあきらかに、美術ばかりではなく、文化一般において、ある新しい情報環境が生まれつつあることを意味している。そこでは〈美術館〉は、もはや一枚岩的な制度ではなく、複数の異質な言説に貫かれた複雑な階層をもち、また作品はその内部に〈外部〉へのさまざまなリンクをもつ、高次元の多様体として、その姿をあらわしつつあるのである。これが美学からみた、ポストモダン状況における美術館の様相である。文化的価値の多様化と相対化、文化の地球化(globalization)という発展に並行して、美術とは何か? という原理的な問いは、ますますその重要性を増してゆくことだろう。
【注】(本文に戻るには参照した注番号をクリックしてください)
*(1) ここで述べているような「関係性の場」としての意味をとくに強調したい場合、本論では〈美術館〉と表記することにする。
*(2) カント『啓蒙とは何か』(篠田英雄訳、岩波文庫、七頁)。
*(3) ハル・フォスター編『反美学』(室井尚・吉岡洋、勁草書房)第四章参照。