複製芸術論
この文章は、『情報の宇宙と変容する表現』(京都造形芸術大学編『情報デザインシリーズ』Vol.6、 角川書店、2000年5月刊)のために書いたものです。
「ミーム」登場
瓜生タカコは京都造形芸術大学で情報デザインを学ぶ二年生。
勉強する気はあるんだけど、このところ、課題の制作に、もうひとつ身が入らない。それは昨日、自分がいっしょうけんめい徹夜で考えて、けっこういいかなと思って提出した作品が、やり直しを命じられてしまったからだ。課題は、〈マンガを材料にしてそのイメージを変容させる〉というものだった。
そこで、前に古本屋でみつけたアメリカの古いコミックスを使うことにした。その何でもない小さな一コマを拡大コピーして、輪郭線をきれいにひきなおし、スクリーントーンのつぶつぶまで強烈な色を塗ってみた。なかなかいい感じ。ところが、それを見た先生はあっさりこう言ったのだ。
「あーこりゃ、リキテンスタインだね。」
「リキ…なんですか?」
「きみは、芸大生のくせにリキテンスタインも知らんのか?」(あーまた先生のあきれた顔。ひえー)「ほら、これだよ、どっかで見たことあるだろう?」
先生が差し出した画集をみて、ああたしかにこの絵、どっかで見たことあるなと思った。アメリカの画家だったのか…。なっとく。
その晩、タカコは自分の部屋に帰って、なんだか落ち込んでしまった。有名な画家を知らなかったからではない。自分はべつに真似するつもりはなかったのに、いつか見たことのある作品とそっくりイメージを描いて、それを自分で考えたものだと信じていたからだ。たとえ今は下手でも、自分にはどこかに自分にしかない個性、独自性があると信じていたのに、すっかり自信がなくなってしまったのである。
ということは、これからも同じことがありうるってことだわ、とタカコは思った。どっかで見ていいなと思った作品のイメージが頭のなかに残っていて、しかも見たことも作者の名前も忘れていて、それが今度自分が制作するときに現れてくる。もちろんまったく同じってわけじゃないけど、着想とか、アイデアとか、何となく頭に浮かんだものって、もしかしたら全部、どっかで見たもんなんじゃないの?!
じゃあ、わたしだけの、オリジナルなもんって何なのだろう…。
タカコの考えはさらに飛躍した。そうだ、作品ばかりじゃないのかもしれない。たとえばわたしの持ちものだって、来てる服だって、何かのコピーだし、そんなこと言ったらわたし自身だって、親のコピーなのかもしれない(家に帰るたびに、お母さんの若いときによく似てきたって言われるもん、最近)。
そのとき、部屋の隅っこに積み上げてあった紙くずの山が、ガサガサ音を立てた。タカコはびっくりして飛び上がった。あんまり汚くしてたから、ついにネズミが発生? けれどもそれはネズミではなかった。バレーボールくらいの、白いニワトリが出てきたのである。
「な、なんでアパートの部屋に突然ニワトリが…?」と、タカコは思わず声に出してしまった。
トリは、少しもおびえた様子もなく、タカコのほうを振り向いた。
「あーもう、あんたがブツブツひとりごといってうるさいから、落ち着いて寝てられやしないわ。よいしょっと。でも少し寝たら、疲れがとれてスッキリしたわ。目が覚めたら、お腹空いたわね。ねぇなんか、食べるもんないの?」
「…」タカコは絶句した。ニワトリがしゃべるなんて、そんなマンガみたいなこと…。しかし、ここは落ち着かねば。これが現実だとしても、夢や幻覚だとしても、とにかくいま目の前に見えてることはたしかなんだから。
「あのー、お姿からするとニワトリですよね。」
「あたりまえじゃないの! 失礼しちゃうわね。わたしがキリンに見える?」
「いえ、あの、そういう意味じゃなくて、でもニワトリってふつうは、ことばはしゃべれませんよね。」
「まあね。あたしはだから、普通じゃないニワトリなの。それで文句ある?」
「文句だなんて、そんな…。ただいつ私の部屋に入って来たのか、知らなかったもんだから。」
「あら、そういえばご挨拶もしなかったわね。ごめんなさい、勝手にあがりこんで。すごく疲れてたもんだから。まあでも見渡したところ、気兼ねするほどの部屋じゃないし、それにお互いおんな同士ですもんね、失礼、許してくれるわよね。」
「え、ええ…そりゃまあ、いいんですけど。」
「あんたタカコちゃんね。かわいい名前ね。そこにあった書きかけのレポート読んだわ。学生さんね。美術やってんの? 美術ったっていまは、パソコンもおぼえなきゃいけないし、お勉強、たいへんよねぇ。あ、あたしミームっていうの。よろしくね。」
こうして、なぜかオバサンっぽいしゃべりをする変なメンドリが、タカコの部屋にいついてしまったのだった 。
自己複製子—生命と文化を見るひとつの視点
「ミームって、素敵な名前ですよね。」
「ちょっと待って。これ食べてからゆっくり相手したげるわ。」
メンドリはタカコが近所で買ってきてあげたサービス弁当をおそろしい早さで平らげると、タカコの入れたウーロン茶を飲み、ふーっと息をついて言った。
「あー喰った喰った。長旅でね、実は腹ぺこだったのよ。ははは。ちょっとガツガツして、はしたなかったわね。ごめんあそばせ。えーっと、何の話でしたっけ? あ、そうそうあたしの名前ね。ミーム。英語では”meme”って書くのよ。ふつうの辞書にはないわよ。この名前の由来、ごぞんじ?」
「知りません。」
「イギリスの有名な動物学者で、リチャード・ドーキンス博士ってのがいてね、頭のいい男なんだこれが。いっぱい本書いてるけど、『利己的な遺伝子』 というのがいちばん有名よ。これはいわば、〈情報〉という観点から、生物界を見直そうという試みの本といっていいわね。ふつう生き物っていうと、あんたやあたしのような、〈個体〉を中心に考えて、そんなかに遺伝子のような〈情報〉が入ってると思うでしょ。個体としての生き物が、自己増殖のために〈情報〉を使うわけね。これが、いわゆる常識。かれのアイデアはこの常識を逆転させて、生き物の身体なんてものは、遺伝子という〈情報〉が自分自身を複製するための乗り物にすぎないというわけ。面白いでしょ。やっぱり一発当てようと思うなら、こういう発想の転換しなくちゃだめよね。…あのー、もしもし。ちょっとあんた、聞いてる?」
「は、はい聞いてますけど、『生物』、あんまし得意じゃなかったんで…」タカコはメンドリが立て板に水のように話すのに圧倒されて、目を丸くしていたのだった。
「いいのよ、細かいことは。遺伝子って何かくらいは、わかるわよね。」
「生き物の設計図みたいなもの? DNAとかに関係あるんだっけ。」
「まあね。設計図っていっても、今のあんたがぜんぶ、あんたの遺伝子で決定されてるわけじゃ、もちろんないわ。DNAは遺伝子の物質的な実体ね 。ま、それはともかくとして、遺伝子ってのはひたすら自分自身を複製する情報そのものとして考えることもできる。情報の複製なら、かならずしもDNAという特定の有機物しかできないわけじゃないからね。ドーキンス博士はだから、〈自己複製子self-replicater〉という言葉を使ってるわ。で、もしこの考えを拡張するなら、生き物の世界だけではなくして、人間の社会や文化、行動にも応用できるわけね。」
「と言うと…」
「たとえばあんたのしてる鼻ピアスとか、髪の脱色とか、そういうファッションが全部そうよ。しかし、よくやるわねぇ、人間て。そんなに自分の身体をいじくって、何が面白いのかしら、信じらんないわ。ま、いいけどさ、ともかくそういう身体加工はもちろん、あんたが発明したもんじゃないわよね。あんたは雑誌を見たり、友だちがしてるのを見て真似したわけでしょ?」
「真似って言われるとちょっと…。ただカッコイイから自分もしたいなと思って。やってみたら気持ちいいし。」
「そう、そこよそこ! あんたはカッコイイと思った。あんたは自分の意志でそれを選んだと思ってるわけよね。で、それに満足してる。ところがどっこい、視点を180度、転換してごらんよ、え? ほらほら。」
「うーわかんない。つまりニワトリさんから見ると、カッコわるいってことですか、こういうファッションって?」
「ちがうわよ! ピアスとか脱色とかいうのを、人間の身体を特定の仕方で加工させるという内容を持つ〈情報体〉の発現として考えてみるわけよ。この情報体もまた、遺伝子みたいに自分自身をひたすら複製していくの。それを〈ミーム〉とかれは名づけたのよ。つまり、社会的・文化的な〈遺伝子〉に相当するものがミームで、それが学習をつうじて人間の心に、つまり人間の脳にとりつくわけ。ミームが、脳から脳をわたり歩くのよ。でもって、おんなじような身体加工をする人間をたくさん作り出すわけね。面白いでしょ。」
「面白いかなぁ…。でも体の設計図である〈遺伝子〉って、細胞のなかにあるんでしょ? その情報がセックスを通じて子孫に伝わるんだよね。それじゃその、文化的な〈遺伝子〉ってのは、どっから来て、どうやって脳にとりつくの?」
「たとえば、テレビを観る、雑誌を読む、誰かとしゃべる、他の人のファッションを見ていいなあと思う、そういうことすべてを通じて伝わるの。おそよコミュニケーションって言われるものはぜんぶ、〈ミーム〉の伝達経路になるわけよ。こうしたいと思う気持ち、つまり〈欲望〉ってのは、一見、自分自身の内部から〈自然に〉起こってくるようにみんな思ってるでしょ。でも少なくとも〈欲望〉のとる形は、実は外から来たもの、誰か他の人の〈欲望〉の形の、複製物にすぎないのよ。 」
「じゃ、わたしたちはその、自分がやりたくてやってるように思ってるけど、けっきょくその、ミームに踊らされてるだけなの?」
「ものの見方よ。発想を変えればそうも考えられるってことよ。」
「でも、どっちがホントなの? たとえばこのファッションって、わたしが選んでるの、それともミームに選ばされてるだけなの? えー、ショックだなあ、もしそうだったら。わたしの行動はすべて外から来た情報に支配されてるってこと? ただ、たしかにそう言われてみると、そうなのかなあとも思えてくるんだけど。」
「だからぁ、ものの見方なんだってば。どっちがホントってことじゃないのよ 。いいこと? あんたという個人の〈意識〉から見れば、もちろん選んでるのはあんたで、その選択の過程で、まあ外からの影響も受けるってことになるわ。これはいいでしょ? でも、もしこの〈意識〉をカッコに入れて世界を見たらどうなる? いろんな〈考え〉や〈好み〉や〈欲望〉を引き起こす情報体が、メディアとコミュニケーションを通じて広がって、そいつらが互いに闘いあって、環境に適応したのが生き残っていく様子が見えない? まるで自然界のなかで多様な生き物が進化してゆくみたいに。ミームという視点をとることで、〈文化〉と〈自然〉とが連続したものに見えてこない?」
「うう。見、みえてこない…」
「あったま硬いわねぇあんた、若いわりには。まあ、この話はもうちょっと後でしましょ。まあそれはそうとして、あたしゃそういう情報体の実体化したものよ。名前なんかほんとはどうでもいいんだけど、ないと不便だから、ミームって呼んでいいわ。ニワトリはまあ、世をわたるための仮の姿ね。」
「げっ、あなたがそのミーム…ということはあなたがわたしの脳にとりついてわたしの考えを変えてしまうの! それって、洗脳…」
「大丈夫よ、とって喰やしないわよ。ニワトリをとって喰ってるのはあんた方のほうでしょ(まあ、あたしもさっき、弁当に入ってる唐揚げ喰ったけどさ)。それにしても〈洗脳〉だなんて、失礼しちゃうえわねぇ。あたしはね、あんたが〈複製〉とか〈情報〉ってことについて、あんまり無知で見ちゃいられないから、ちょっと寄ってあげただけなのよ。いわば、ボランティアの家庭教師ってとこね。ファッションみたいに、見て直感的にいいなと思って真似するのもミームのはたらきだけど、人の話を聞いたり本を読んだりしてゆっくりと頭の中にしみこんでいく情報も、ミームとして考えることができるわ。まあこっちのほうが手間がかかる分だけ、上等なもんだと思ってくれるとうれしいわね。自分でいうのも何ですけど。」
「あ、それはどうも。そうなんですか、わたしのために個人教授にきてくれたなんて、すごいうれしいです。でもわたしあんまし頭よくないんで、ゆっくり、やさしく教えていただくとありがたいんですけど…」
「甘えんじゃないわよ! あんたのふやけた脳味噌はね、生半可なことじゃだめなの。ビシビシいくから覚悟しなさい。」
「ひえ〜(大丈夫かなぁ。こわくなったら逃げちゃお。)」
わたしたちはプログラムされたロボットなのか?
「それにしても、気になるなあ。わたしたちの体が、遺伝子の伝える情報が複製されて出来てるってのはまだいいんだけど、わたしたちの行動とか、ものの考え方までが、複製されたものだなんて。どう考えても、そんなのぜったい納得できないよ。だって、わたしはちゃんとここに生きてて、これから何するか、何考えるかを自分で決められるんだもん。」
「それはそうよ。自分のやることなすこと、何かに操られてるなんて感じてたら、生きてる気がしないわよね。」
「じゃあミームなんて、ほんとはないのね。」
「あのね、ちょっとむずかしいかもしれないけど、それはこういうことなのよ。タカコちゃんが生きている、個別的な経験の世界のなかでは、自分の意志で行動したり考えたりしているように感じる。そのことは、べつにウソとか見せかけではないのよ。でもタカコちゃんの経験の〈外〉から、その行動や考え方を観察したり、それを説明しようとしたとき、それはまるで外から入ってきたプログラムによって行動や思考が複製されているようにみえるわけよ。タカコちゃん自身にしても、自分がしたことや考えたことを〈後〉から反省してみると、それは誰か別な人がやったり考えたりしたことにすごく似ていることがわかる。まるで、自分自身も知らない間に人の真似をしているように思えるのよ。そういう経験ない?」
「う、それは…あります。」タカコは思わず昼間の「リキテンシュタイン」の件を思い出してしまった。
「でもあの、たしかに作品のイメージで似たようなものを作ってしまったり、意見とか前に聞いた誰か別な人の考えを反復してしまったりとかはあるでしょうけど、絶対に自分のなかから自発的に出て来たとしか、思えないものもあるんじゃない? どんなに〈外〉からみたって、コピーとは思えないようなものって。」
「たとえば、どんなものかしら?」
「たとえば、美味しいもの食べたいとか、お金ほしいっていう気持ちとか。流行とかはたしかに人真似かもしれないけれど、食欲とか金銭欲って、自然な欲望でしょ。別にどっかから学ばなくても、生きてれば誰でもそれを感じるんじゃない?」
「それは違うわね。たしかに、空腹感からくる食欲は生理的なものよ。でもそれをどんなふうに表現されるか、何を食べたいと感じるかは、やっぱり文化的なパターンによって決定されることよ。もうひとつの、お金に対する欲望には、生理的な要素は何もないわ。だってお金のない時代には、そんな欲望はなかったもの。」
「うーん、そうか。それじゃ、たとえば人を好きになる感情とかは?」
「あら、それはステキな話題だわ。いいわねぇ、若いって。」
「恋をするときの気持ちって、ものすごく強烈なんだから、これは〈ミーム〉なんかじゃないよね。」
「その通りよ!って言いたいとこなんだけど、実はそういうのがいちばん、〈ミーム〉の得意とする分野なのよ。」
「ど、どうして??」
「タカコちゃんは、人はだれでも自然に恋をするって思ってるかもしれないね。でも、よーく考えてみて。たとえば女の子は、少女マンガや小説や雑誌を読み、テレビや映画を観、学校で何年間も同世代の人たちと話をしながら育ってくるんじゃない? その過程で、〈恋愛〉とは何かということ、つまり特定の異性の相手に対して強力な感情を引き起し、それによって自分の欲望を方向づけ、自分の存在の意味を確認するような考え方や行動のパターンを、知らずしらずのうちに習得しているのよ。」
「わたしはたまたま現代の日本で育ったからそうだけど、でも無人島とか野生で育っても、人間なら人を好きになるんじゃないかなぁ、という気がするんだけど。」
「フフ、ロマンチックねえ。たしかに、物語のなかに出てくる野生人はそうかもね。でも現実にオオカミに育てられた人はどうなるか。人間社会で基本的な思考や行動のプログラミングを受けなかった本物の野生児たちはね、その後人間社会になんとか〈復帰〉しても、お金にも、異性にも興味を示さないのよ。あんたたちが〈自然〉だと信じている欲求のプログラムが、完全に欠落しているわけね。」
「プログラム…ちょうどコンピュータがプログラムによって動いているように、わたしたちの脳が〈ミーム〉によるプログラミングで動いてるのだとしたら…。もしそうだったら、わたしたちなんてロボットと同じじゃない。なんか、夢も希望もなくなってきちゃった。」
「あら、そんなふうに悲観することないわ。前から言ってるように、〈ミーム〉というのは、あくまで〈意識〉をカッコに入れたときに可能になる、ものの見方なのよ。それに、〈恋愛〉が学ばれるものだからといって、その値打ちが落ちるかしら。」
「落ちはしないけど、〈恋愛〉だけはもうちょっと根本的なものであってほしかったな。〈神が死んでから、レンアイこそが最高の宗教です〉【?】って岡崎京子も言ってるし…。」
「まあ、そうがっかりしないで。逆にこうも考えられるわよ。〈愛〉とは反対の〈憎しみ〉も、やっぱりものすごく強烈な感情だけど、これも人間性のどっか根源的なところから湧き上がってくるんじゃなくて、たんに外からプログラミングされたと考えたら、少しは希望がもてない? 世界にはまるで永遠の宿命のように憎み合い、闘いあっている人たちがいるでしょ。それに、いまは一応平和にみえる国でも、何十年か前には多くの人が特定の外国や民族に対して、恐ろしい憎しみの感情を爆発させた時代があったのよ。そして、今でもほんとうのところは、自分たちとは異なる人々に対する差別や排除の気持ちは、ほんとうはなくなってはいない。こういうことが、もし人間の本性の中にある根本的な〈悪〉から来るのだったら、人類には未来はないでしょ。」
「なるほど。そんなふうには考えてみたこと、なかったな。じゃ、ロボットのほうがいいわけだ。ロボットだったら、今はまだダメだけど、プログラムを変えれば、もっと仲良く暮らせるかもしれないもんね。そうだー、ロボットで何が悪い?!」
「なんか、今度はヤケクソになっちゃったわ。困ったやつね。」
「うん、ロボットでいいんだ…とは思うんだけど、この〈私〉ってロボットは、やはり考えてしまうんだなあ。やっぱり、自分はどこから来たんだろうって。身体も心も、いろんなレベルでの複製によって作られた存在であるってことだけでは、どうしても納得できないの。」
「その気持ちはわかるわ。つまり〈途中〉の過程は複製でもいいけど、それじゃそのおおもとのオリジナルなもの、そこからすべてが発してくる〈根源〉って何だろうと思うわけね。」
「ロボットだって、誰かが作ったものよ。〈ミーム〉だって、最初はどっかで生まれたはずでしょ。そうよミーム、あなた自身だって、自分は複製される情報体そのものだっていうけど、やっぱりそもそも最初はそうじゃなかったはず…。いまはニワトリの格好なんかしてるけど…。」
「起源(オリジン)」とは何か?
「そういえば、ニワトリは『仮の姿』っておっしゃいましたけど、じゃあほんとは、どんな姿してんですか? 気になっちゃうんですけど…」
「見せてあげてもいいけど、わたしのほんとの姿、みる勇気ある?」
「えっ! あわわ、てーことはその、ニワトリの姿をパッと脱ぎ捨てたら、プヨブヨした緑色の皮膚で粘液ダラダラ流れてて、歯がいっぱい並んだでかい口の中からまた口が飛び出してきて、とか…。」
「…。あきれてものが言えんわ。あんたら人間って、どうしてこうなのかしら? 自分とちょっと違う存在のことを考えるとき、そういう貧しい想像しかしないわけ? ほんと、失礼ったらないわよね。」
「だって映画とか観ると、異星人ってそういうんだもの。あと、動物みたいなのとか。それか、ひょろっと痩せてて白っぽい皮膚で、頭と目が大きくて、すごく科学が進んでるの。」
「もう、かんべんしてよ。なんか帰りたくなっちゃったな、わたし。そういうのはね、みんなあんたら人間が、自分の心の中の恐怖とか願望とかを投影しているだけなの。わかる? やれやれ、噂には聞いてたけど、地球文明ってまだ程度、低いわねー。だいたい、映画に出てくる宇宙人っていうとどうしてみんな、よく似たようなイメージになってると思う? 誰もまだ見たことないくせに、いまあんたが言ったようなパターンが、どうして繰り返し、ハリウッド映画や人気マンガのなかに登場すると思う?」
「ミームさんの言うように、わたしたちの心の中の恐怖や願望が形になったのだとしたら…でも、恐怖とか願望そのものには、べつに形がないですよね。」
「そう。それにひとたび形が与えられるとね、それが〈複製〉されていくわけよ。で、そういう一連のパターンに慣れていくうちに、だんだん一定のイメージがエイリアンそのもののイメージのように定着してしまうわけね。だからあんたもさっき、自動的に思いうかべてしまったのよね。」
「なるほど。頭のなかのイメージが〈複製〉されるってことが、ちょっとわかってきたような気がするな。でも、ええと何の話してたんでしたっけ。そうそう、ミームさんのほんとのお姿は…?」
「わたしは〈情報〉だから、目に見える一定の形はないのよ。さっきはちょっとおどかしてみただけ。わたしにとっては、自分がどんな形をとっても同じことなの。」
「それじゃどうして、わざわざニワトリのかっこなんかしてるんですか?」
「ほー、それはちょっといい質問だわね。この姿はね、まあサービスっていうか、教材の一部なのよ。あんた、ニワトリっていうと何思い浮かべる?」
「そうだなあ。ニワトリが先かタマゴが先か、っていう謎がありますよね。」
「どっちだと思う?」
「えっ、そんなの答えられないよ。」
「どうして?」
「だってキリがないでしょ。」
「でも、最初の最初は、どっちかだったはずでしょ?」
「そう…なのかなぁ。どっちにしてもすごく昔のことだし、どっちだっていいんじゃないですか。」
「あんたってほんと、いいかげんねぇ。こういうふうには考えられないの? 『ニワトリが先かタマゴが先か』という問題が〈永遠の謎〉にみえるためには、どういう条件が必要か?」
「うーんなんか哲学っぽい言い方で、難しい…。」
「あんたは、ニワトリはずーっとはじめからニワトリで、タマゴはずーっとはじめからタマゴだったと思ってるの?」
「それは、ですね。ちがいますよ。生き物は進化してきたわけですから、ニワトリはある日とつぜんポコッと出来たんじゃなくて、最初はアメーバみたいなのから、だんだんとニワトリになってきたのよね。途中経過はよくしらないけど。」
「そうね…許せないほど不正確な言い方だけど、まあいいわ。で、だとしたら『ニワトリが先かタマゴが先か』って問うことには意味があるかしら?」
「意味…そう言われると、あんまりないような。」
「すべてが変化している世界では、いま眼のまえにある姿だけをみて〈これはいつから始まったのか〉と問いかけても、あんまり意味はないわね。」
「でもそれじゃ、どうしてこういう謎がなくならないのかしら。」
「それも、わりといい質問ね。万物の〈起源〉は何か? こういう発想は、人間の知性がもってる、ある傾向によるのよ。ところで進化という考え方が受け入れられる前には、生き物の起源はどういうふうに説明されてたか知ってる?」
「それは、たとえば神様が一度にみんな創ったっていうような。」
「そうよ。あんたたち人間の知性は、言っちゃわるいけどまだガキだからね。ダイナミックに変化する世界を、ありのままに表象することができないの。だから何であれ、ある時、すごいパワーをもった存在とか出来事によって、突然生み出された、と考えたがる傾向があるのよ。別な言い方をすると、〈起源を語る神話〉ってのが好きなのね。神の世界創造とか芸術家の作品創造とか。神秘な〈力〉とか勇ましい〈創造行為〉が大好きなの。フフフ、まるでちっちゃい男の子みたい。かわいいもんだわね。」
「なんかムカッとくるなあ、そういう言い方。〈起源〉を語っちゃ、いけないの? 〈神様が世界を創造した〉とか〈レオナルド・ダ・ビンチが「モナリザ」を創造した〉とか言っちゃあ、じゃあ正しくないわけ?」
「正しくないんじゃない。ただね、ちょっと単純すぎるのよ。言っとくけど、知性がいろんなものの〈起源〉を求めようとすること自体は、すごく大切よ。自分自身や、その周囲の世界の物事について、〈これはどっから来たんだろう?〉と問いかけることは、知性の原型ともいえるわ。ただね、「神秘的な創造行為」のような単純な〈起源〉からすべてが説明されてしまうと、せっかくの知性の働きも鈍ってしまうのよ。そうなると知的探求というよりもたんに反復される〈お話〉、つまり〈神話〉になってしまうの。〈複製〉っていう考え方は、こうした神話的な説明を越えて、世界の成り立ちをもっと精密に考えようとしたとき、必要になってくるものなのよ。」
進化と〈複製〉の起源
「〈起源を語る神話〉かぁ。むずかしいなあ。ちょっと整理してみると、ようするに世界のものごとは、ほんとうは神秘的な創造行為で始まるんじゃなくて、ずーっと、〈複製〉によって続いてきたということ?」
「生き物でも文化でも、まったく同じものがたんに複製されるだけなら、何もはじまらないし変化も生じないはずよね。でも実際には、子供が親に似ながら少しずつ変わっているように、〈複製〉のプロセスは同時に〈変異〉を伴っている。」
「それがつまり、〈進化〉ってこと?」
「そうよ。ダーウィンの考え方は〈進化論〉とよく言われるけど、ダーウィンは『種の起源』のなかで、〈進化〉って言葉はほとんど使っていないの 。そのかわりにかれは、〈変異をともなう由来〉という言葉を使ったわ。」
「〈進化〉っていうと、単純な生き物がだんだん賢くなって、人間に近づいてくるようなことなのかと思ってたわ。」
「やれやれ。そこには大きな間違いが二つあるわね。ひとつは、〈進化〉がなにか、「神の意図」みたいな目的にひっぱられたプロセスだっていう誤解。もうひとつは、その目的がよりによって傲慢にも、自分たち〈人間〉だと思ってる勘違いね。こういう考え方は、ダーウィンの進化論とは何の関係もないわ。ダーウィンの〈進化〉というアイデアをまともに考えるためには、〈複製〉はあくまで機械的に行われること、変異はひたすら偶然的であること、このことをきっちりおさえておかないといけないわ。」
「あくまで機械的で偶然的…。なんかさびしいなぁ。」
「とんでもない! ここから生命のいちばん豊かな可能性が展開してくるんじゃない! タカコちゃんは〈生命〉や〈進化〉ってことを、なんか神秘的な、特別なことだって考えすぎなんじゃないかな。まあでも…無理もない側面もあるわね。〈科学〉ってのは、合理的で客観的という理念に導かれているんだけど、その〈科学〉が社会のなかでおよぼす効果は、かならずしも合理的・客観的なものではないからね。むしろ、むかし〈教会〉がそうだったような、権威的で魔術的な役割を果たしている面もあるのよ。」
「科学が権威的で魔術的? どういうこと?」
「たとえばCGアニメーションをふんだんに使った〈生命の神秘〉みたいな科学番組、あるじゃない。」
「うん、そういうの見るの、わりと好き。キレイなんだもん。」
「〈センス・オブ・ワンダー〉、つまり自然の精妙なメカニズムを見て心を打たれるのは、たしかに大切な経験よ。科学的な好奇心の源も、そこにあるのだからね。でも同時に、まるでゲームみたいなヴァーチャル・リアリティのイメージによって、何か〈科学〉そのものが神秘的にみえてしまっうってことは、ないかしら。最新の情報テクノロジーを利用することによって、生命科学の教育という番組の意図とはうらはらに、自然がとても魔術的なもののようにみえてしまう。」
「そういえば、そういう番組みた後って、なんかワケわかんないのにすごいなーって印象が強いね。考えてみるとふしぎだなー、科学の話なのに。」
「それが、現代科学が少なくとも人間の想像力のなかでは、権威的で魔術的に作用してるってことよ。あからさまな宗教や呪術じゃなく〈科学〉だから、その権威的性格や魔術的効果はよけいに見えにくくなってるともいえるわ。現代人は高度な科学とテクノロジーに囲まれて合理的に生きているようにみえるけど、案外魔術や神秘的なものが好きで、それに対して無防備なの。このことを自覚しておかないと、科学と神秘主義との区別があいまいになってしまう。有名大学の大学院で自然科学を勉強したのに、世界の終末についてのいかがわしい教義を信じちゃったりした人たちもいたでしょ。科学と魔術とは、あんたたち人間の無意識のなかでは、意外と近くにあるのよ。」
「んーじゃあ、そういうふうにならない方法ってあるのかな?」
「そんな、これをしてれば大丈夫、みたいな方法はないわ。言えるのは、自分の頭で考えようとすること、これしかないでしょう。たとえば、〈複製〉についてきちんと考えることが必要なのよ。生命はとても複雑なので、遠くからみるとたしかに〈神秘〉にみえる。でも本当は、そこに魔法のよう非合理な事柄は何もないのよ。途方もなく複雑なそのメカニズムをひとつひとつ取り出してみれば、それは単純で機械的なプロセスなの。だから、ものすごく複雑にみえることも、もともとは比較的単純なことから、ゆっくりと発達してきたと考えることができるのよ。」
「でもどっかにその、説明できないような神秘的な始まりがやっぱりあるような気がするんだなぁ。たしかに〈複製〉そのものは機械的なプロセスだとしてもですよ、〈複製〉なんてプロセスそのものが生命にあること自体、すごく不思議なことじゃない? そもそも〈自己複製〉っていうことが起こるためには、生物の場合だと遺伝子がそれをしているわけですよね。ということは…あっ!!」
「ど、どうしたのよ急に。びっくりするじゃない。」
「いま、すごいこと思いついた。これは…うーん、すごい。わたしって天才?」
「はいはい、わかったから言ってごらんなさい。」
「あのね、遺伝子ってようするに、自分自身をひたすら複製するっていう〈働き〉でしょ。生命の〈神秘〉って言われてきたものの正体なのよね。たしかに、それ機械的なプロセスであって、魔法のようなことではないかもしれない。でも、この世には、自分で自分を複製するものと、そうじゃないものがあるよね。だって、石とか水とか、生きてないモノは、自分を複製したりしないもの。自分自身を複製するものと、そうじゃないものって、決定的にちがうわよね。だとしたら、遺伝子そのものの始まりの瞬間っていうか、その〈起源〉っていうのが、どっかにあるはずじゃない? 〈複製〉っていう考え方は、たしかに神様があるときバーンと宇宙を創りました、っていうような、単純な〈起源〉の神話をハカイするかもしれないけど、遺伝子のような〈複製〉する力をもつメカニズムそのものは、やっぱりある時、バーンと出来たんだよ。そうじゃないと、おかしいでしょ? だからそれは、神様が創ったんだね、やっぱり。」
「〈自己複製〉そのものの〈起源〉か、なるほどねぇ。」
「ははは、どうじゃ、まいったか?」
「ぜんぜん。ま、あんたにしてはなかなかいい思いつきだわね。」
「なんだ驚かないのか、ぷぅ〜。じゃ、ミーム先生は〈自己複製〉の起源をどう説明するの?」
「〈自己複製〉の起源はそのまま生命の起源ということよね。生命の〈起源〉については、原始の海のなかで、何らかの要因で偶然、自己複製する有機化合物が合成されたと考えられてきた。この〈何らかの〉ってのが曲者で、落雷などの電気とか、海底から噴出す熱水とか、いろいろ言われるけど、そういう考え方だと、何億年かかっても生命が偶然合成される確率はとても低いという反論もあるわ。だからぜんぜん発想を変えて、生命はこの地球上で発生したんじゃない。何かに乗って宇宙から飛来したんだという説もある。」
「ほやー、そんなSFみたいなこと考えてるの、学者って。」
「まあこれはかなり変わった仮説だけどね。宇宙船に乗ってきたエイリアンが地球でひと休みしたとき、誰も住んでない星だから、まいいか、とか思って要らない有機廃棄物、つまり生ゴミを捨ててった、そのなかから生命が誕生したんだっていう説もあるのよ。」
「な、なんてマナーの悪い宇宙人なの! 迷惑な…と言うものの、もしそれをしてくれなかったら、地球に生命は生まれてなかったわけか。ゲッ、じゃその説によると、生き物はみんな、ゴミからわいて来たことになるの? うーむ、なんか不潔なような深遠なような…」
と言いながらタカコは、買い物袋のなかからさっき買ってきたワッフルを取り出して食べようとした。
「ちょっと、あんたねぇ、あたしの授業、自分だけ食べながら聞くつもり?」
「いえ、あの…すみません、朝ご飯食べてなくてお腹すいてたもんだから…。」
「食べていけないとは言ってないわよ。なんであたしにはくれないの、って言ってんの!」
「あ、そうでしたか、しつれい。ハイ、よろしければどうぞ、センセイ(よかった、二つ買っといて)。」
「ベルギー・ワッフルね。なかなかいけるじゃないの。日本でベルギー・ワッフルを食べる、こういう流行だって、よく考えたら複製される行動のひとつよね。でも、もっと単純なレベルで〈複製〉をとらえると、たとえばこのワッフルの形をよく見てごらん。」
「うんうん、この独特の形が、ウマイんだよね。」
「あたしのとあんたの、おんなじ形してるでしょ。」
「当たり前じゃないですか。おんなじ型で作るんだもの。」
「そうよ、おんなじ型。硬い鋳型に、何か柔らかいものを入れること。それが〈複製〉のいちばん原始的なあり方よね。」
「そうか! じゃ、遺伝子の起源も…」
「たとえば、遺伝子のおおもとは有機物じゃなくて無機的な鉱物だって説もあるわ。柔らかい粘土質の鉱物の上に硬い物質の結晶が付着して、〈鋳型〉が残ったの。この〈鋳型〉のおかげで、同じ構造をもつ結晶が、とても高い確率で生まれるようになった。これはケアンズ・スミスという人が唱えている説よ。これで面白いのは、複製の〈起源〉が、人間が文化の中で行っている複製——ハンコとか、印刷とか、このワッフルとか——と同じメカニズムであることね。〈複製〉という働きが、自然と文化を貫通しているのがわかるでしょ。」
「うん。そうなのかー。それじゃ〈起源〉っていっても、たしかに魔法みたいな神秘じゃないわけね。たしかに神秘的じゃないけど、なんか面白いと思う、そういうふうに考えるのって。」
言語は宇宙からきたウィルス?
「何億年もの生命の歴史の底には、〈自己複製〉のメカニズムがずーっと続いている…うーん、感動的というかなんというか。で、わたしたち人間ってのは、生命全体の歴史からみれば、ほんの最近登場した新米なのよね。」
「そうそう、新米らしく謙虚にしなさい。」
「わかりましたよー。でもやっぱり、人間ってスゴイと思わない?」
「どこが謙虚なのよ! ま、とにかく何がスゴイのか言ってごらんなさい。」
「いやースゴイっていうのはべつにエライって意味じゃないんだけど。ただ、やっぱり良くも悪くも人間は、他の生き物とはぜんぜん違うなって思ったの。だって家を建てたり町を作ったり、国を作って法律とか決めたり、服を着たり、いろんな機械を使ったりして、世界をものすごくややこしくしながら生きてるんだもの。」
「それはそうねえ。たんに幸せに生きていくだけなら、そういう〈文明〉なんて、そもそも必要なかったかもしれないわね。」
「そうそう、それはときどき思うんだ。たしかに〈文明〉が進めばたくさんの人が豊かに生きられるようになるけど、でも同時に欲望も強くなるし争いも起こるでしょ。けっきょく〈文明〉をもったほうが良かったのか、いっそのこと動物と同じだったほうが幸福だったんじゃないのか?って。だって国がなければ戦争もないし、財産がなければそれをめぐる争いも起こらないわけでしょ。」
「あー、そうやってすぐ〈原始時代〉を理想化しちゃうのも、人間の癖よね。」
「ぶ。またなんかバカにされてるような…。いいわ、べつに望んだって戻れるわけじゃないんだから、このままでいくしかない、と。それにしても、人間の〈文明〉の進歩って、はじめの方は石器時代が何万年もタラーッと続いてるのに、この何千年かくらいが、なんかめまぐるしく変化してない? 何かあったのかな。」
「まー自分たちの種の歴史なのに、のんきなこと言ってるわねぇ。あったも何も、約5千年前に、ものすごい革命が起こってるじゃない!」
「と、言いますと…?」
「もう一回はじめからおさらいするわ。生物の体自体の自己複製は〈遺伝子〉によって行われる——これはもういいわよね。生物の行動も、〈本能〉と呼ばれるものは、少なくともおおもとのところでは〈遺伝子〉がかかわっているらしいの。それに対して、環境の変化に敏感に適応するような複雑な行動は、かならずしも遺伝子から来るものじゃなく、観察と学習によって後天的に獲得されるのよ。つまりこっからが、ミームの領域に入ってくるわけね。たとえば、芋を海水で洗って食べるサルの行動とか、クルミを道路に置いて自動車に轢かせて実を食べるカラスの行動とか、聞いたことない? 人間もやっぱり同じように、他の仲間がしていることを観察して自分も真似するけれど、これをもっと画期的に効率よく行うのが、たとえば〈言葉〉というミームなのよ。」
「〈言葉〉そのものがミーム…そうか、人間の脳が言葉を生み出した、と考えるんじゃなくて、〈言葉〉が人間の脳に寄生している、と考えてみるわけね。でも、〈言葉〉人間の役にたってるんだから、寄生というより…」
「…〈共生〉って感じかしらね 。〈言葉〉は、たんに直接的な観察だけでは伝達できない情報を伝達することができる。たとえば、〈過去〉や〈未来〉、〈仮定〉や〈必然性〉を含む内容を、身振りだけで正確に伝えるのは、とてもむずかしいでしょ? 〈言葉〉は出来事を語ったり、感情をかき立てたり、架空の物語や神話を作り出したり、それによって一族を結束させたり、いろんなことができる。ものすごく複雑で多様な情報を伝達・複製することができるわけ。人間の〈文明〉は、そもそもこの〈言葉〉というミームによってスタートしたわけよ。」
「それで今に至る、と。」
「まだ早いわよ。この〈言葉〉、つまり〈話し言葉〉だけど、これには根本的な欠点があった。」
「それは何?」
「第1に、話し言葉で伝えるためには、相手と面と向かっていなきゃならないでしょ。だから、同時に伝えることのできる相手の数に制限があるわね。十万人に同時に話しかけることは、ラジオやテレビなどの放送メディアが発明されるまでは、とても無理な話よね。第2に、話し言葉による伝達では、情報の正確な保存が難しい。〈伝言ゲーム〉みたいに、情報の内容は伝達のたびにどんどん変わっていくわ。第3に、話し言葉による情報の保存や複製には、つねにその言葉を話す生きた人間が存在していなければならない。なんてっても話し言葉を記録する装置は、人間の脳だからね。」
「そうかー。じゃ、もし話し言葉じゃなくて書き言葉だとしたら、そういう問題は解決されるのかなあ。ええとまず、書き言葉なら相手と面と向かわなくてもいい。それはそうね、手紙みたいに、書いたものさえ持っていけば、うんと遠くの人どうしだってコミュニケーションできるわけか。つぎは、そう、書いてしまったら情報は文字として固定されるんだから、たしかにもとのままの形でいつまでも保存される。なるほどね。最後は、書き言葉なら、たしかに生きた人間がそれを憶えている必要はない。書いた人が死んじゃっても言葉は残るし、極端に言ったら、書き写して情報を複製するためには、写し手はその内容を理解している必要すらないわけだ。つまり書き言葉の場合、複製は機械的にできちゃうってことか。ふーん、そう考えると、文字ってすごい発明だったんだね。なんか、ふだんは文字なんてあるのが当たり前と思ってたけど。」
「文字を書くための紙という〈メディア〉は、人間の生きた神経活動が生み出す意識や思考や感情といった生きた情報パターンを、身体の外部に蓄積して、正確な複製や広範囲の伝達を可能にする〈メモリ〉にほかならないのよ。」
「〈メモリ〉っていうとなんか、ハイテクな感じがするけど。」
「それは書き言葉、つまり文字言語がすでにハイテクだということよ。見かけにとらわれちゃダメ。わたしから見たら、数千年前に発明された木簡や粘土板から、現代のコンピュータに接続されたMOやCDRまで、〈記憶の外部化〉という点では、ずーっと連続しているようにみえるわ。もちろん文字による記録は、活版印刷術によって機械化され、さらには電子的なテクノロジーによって飛躍的に効率化されたけど。でもそもそも活版印刷術や電子工学を可能にしたのが、文字言語による情報の記録・保存・伝達という、ほんの五千年ばかり前に始まった〈新しい〉活動の結果だということを、忘れてはいけないわ。」
文化における突然変異と進化
ちょっと、面白くなってきたなぁ、とタカコは思った。いままでは〈複製〉ってたんなる「コピー」のことで、当たり前で何の面白みもないテーマだと思ってた。
だけどミームの話を聞いてみると、〈複製〉ってのは最初無機物からはじまり、それから何億年にもおよぶ生命の流れの中で〈遺伝子〉という形をとって進化を引き起こしてきた、という。さらに〈文化〉という段階に至ると、今度は〈遺伝子〉に直接コントロールされるんじゃなくて、観察とか学習を通じていろんなパターンが伝達されたり広がったりすることで、新しい生活様式や流行がつくり出されてゆく。そしてついに〈文字言語〉という形をとった、情報の新しい複製メカニズムが生まれ、それが科学や芸術を生み出してきたわけだ。
〈複製〉っていう問題を、こんなふうにものすごくでかいスケールで考えるのは、なかなかワクワクする。だってそういうふうに考えると、いままではぜんぜん違うもんだと思ってた、自然の生き物の世界と、アートやテクノロジーといった人間の文化・文明の世界とが、つながってるように感じられるから。〈複製〉ってのはつまり、生命のダイナミックな運動そのものなんだ。
ただわかんないのは、〈複製〉ってそれ自体はやっぱり同じことの「機械的」な反復なんだから、そこからどうして今までとは違った新しい生物とか、新しい文化とかが出てくるのかっていうこと。同じことの繰り返しだったら、何にも新しいものなんてないはずなのに…。
タカコが考えているところに、近所の銭湯で一番風呂浴びてくるわと言って出かけたミームが帰ってきた。
「あー気持ちよかった。やっぱり広いお風呂は最高ね。よいしょっと。あのー、ちょっと失礼して、これ、いいかしら? あんたとのつきあいも先は長いことだし、なるべくリラックスして、話続けたいのよ。」と言って、缶ビールを取り出して栓を空けた。タカコは、台所からコップをとってきて、だまってミームの前に置いた。
「あら、気がきくわね。ありがとう。あんたも一杯どう? え、お酒は飲まないの? ほんとに? なんか、むずかしそうな顔してどうしたの? 悩んでるみたいじゃない。カレとけんかでもしたの?」とミームは、タカコのシステム手帳に貼ってあるプリクラの写真を見ながら言った。「わりといい男じゃないの、頼りなさそうだけど。」
「か、勝手に見ないでくださいよう。ケンカなんかしてないです。ううん、いま考えてたのはそんなことじゃなくて、〈複製〉についてなんですけどね。」
「ほお、自分からそういうこと考えるようになったか、感心感心。」
「生き物の世界でも、文化の世界でも、〈複製〉がとても大切な働きをしているってことは、わかってきたの。でも、〈複製〉って、やっぱりたんなる〈複製〉、機械的なコピーにすぎないじゃない? それだけじゃ、生き物が進化したり、新しいアートが生まれたり、しないでしょ?」
「どうやって新しいものが生まれるか。これは、〈複製〉ってことを考えるうえで、いちばん大事な問いだわね。」
「新しいものが生まれる根拠というか、その〈起源〉として、神秘的な〈創造〉を思い描いたりするは、わたしたち人間の考え方がまだガキだから、と前にミームは言ったわよね。」
「よく憶えてるわねえ。でも別に悪口じゃないのよ。」
「じゃ、そういう〈創造〉を考えないとしたら、どうして新しいものって生まれるの?」
「誤解しないで。〈創造〉がいけなってんじゃないの。一言でいったら、なんでも〈創造〉ですましちゃうこともできるわ。でもね、あんたたち人間もいまは、生命のメカニズムが少しわかってきたんだから、この〈創造〉って一言でいわれているメカニズムの中身を、もうちょっと詳しく考えてみてもいいと思うのよ。」
「〈創造〉の中身…」
「たとえばほら、ここにあんたが広げてる画集があるわね。」
「ああそれ、『西洋美術史』のレポート書かなきゃならないんで、図書館から借りてきたの。」
「『イタリア・ルネサンスの巨匠たち』ね。いいわねえ、この聖母子像。神々しくて、心が洗われるようだわね。」
「たしかにキレイだけど、正直いってわたしにはそれほどじゃ…。」
「いいと思わない? 悪いけどあたし、あんたたちが描いてるポップなデザイン画なんかより、こういうのが好きだわ。ふんふん、あーこっちのも、すばらいわ。」
「はいはい。たしかに、レオナルドとかラファエロとかミケランジェロとかって、わたしたちが考える『天才』の原型よね。20世紀のアートとちがって、たしかに〈創造〉って言葉がふさわしいとわたしも思うわ。でもそれだってミームによると、〈複製〉の積み重ねってことになるのよね。『天才』とみえる人でも、その前にあった何かのイメージを反復し、組みあわせてるだけだと…。ってことは、なーんだ、結局ミームはいま、そういう『ただの組み合わせ』に感心してるわけだ。」
「ちょっと待ってよ。そんな単純な話じゃないの。そもそもあんたは、どうしてこんなすばらしい聖母子像に感動しないの?」
「っていうか、わたしクリスチャンじゃないから、ピンとこないんだけなのかも。キレイだなあとは思うわよ。きっとクリスチャンだったら、たんにキレイ以上の、すごい気持ちを感じるんだろうな。去年友達とイタリア旅行したんだけど、別に観光地でもない村の小さな教会で、近所のおばあさんたちが、もう顔なんかわからなくなったマリア様の木像に、一生懸命お祈りしてたの。その情景には、ちょっと感動したな。でもわたしには信仰がないから、おんなじようには感じられない。」
「それそれ、大事なポイントだわね。芸術作品って、それ自体として単純にそこに〈有る〉んじゃなくて、それを見るためのいろんな約束事、〈解釈〉の枠組みってものといっしょに存在してるのよね。だから、あんたはイタリア・ルネサンスの芸術よりも20世紀のアートを尊重してるけど、それもあんたがある解釈の枠組みをもっているからであって、それを持たない人にとっては、20世紀のアートなんかゴミみたいにみえるかもしれない。」
「そうか。それはそうかもね。〈解釈〉の枠組み 。よく世界観が違えば解釈も違う、どっちが正しいなんて言えないっていわれるけど、そういうこと?」
「ちょっとちがうかもしれないわ。たとえばあんたが聴いてるロックミュージックを、クラシック音楽しか聴かない人が〈こんなのただの騒音だ〉って言ったらどうする? 解釈の枠組みが違うんだから平気?」
「うん。まあ、それぞれ本人が好きで聴いてんだからいいんじゃない。」
「ほんと? じゃその人が独裁者になって、明日からロックを禁止するって言ったら?」
「そりゃー、許せん! 何にもわかってないくせにそんな弾圧するのは。」
「ほらごらんなさい。何でも〈好きずき〉だからいいなんて言ったけど、本当は〈理解〉が決定的であることを知ってるのよ。〈解釈〉っていうのは、自分のものじゃない世界観のなかで生まれた作品を実感することよ。」
「できんのかなあ、そんなこと。たとえばクリスチャンじゃなくてもキリスト教美術は理解できるの? 宗教は不合理なこと信じなきゃいけないんだよ。マリア様は処女なのに子供生んだっていうんでしょ。そんなこと、あるわけないじゃん。」
「あるわけないからこそ奇跡なんじゃない。」
「じゃ、奇跡なんかない。見たことないもん。」
「見たことないものは信じないの? じゃ、宇宙がビッグ・バンから始まったというのも信じない?」
「それは…奇跡よりは根拠があるような。」
「どうして?」
「だって、ちゃんと科学を研究してるエライ人たちが言ってるから。」
「〈宗教〉と呼ばれているものは長い間、いまの〈科学〉がもってるのと同じような、権威とか信頼性をもってきたのよ。やっぱりエライ人たちが、『聖書』のような書物に立脚して、世界の起源とか、その基本的な成り立ちを説明してきたの。」
「それはそうかもしれないけど…」
「まあ、いいわ。マリア様の話に戻りましょ。まえにちょっと話題にした『利己的な遺伝子』という本のなかに、面白い話が載ってるわ。〈奇跡〉だといわれてるいわゆる〈処女懐胎〉だけど、もともと聖書のなかにはそういう記述はなかったのね。」
「えっ、『聖書』に書いてないのに? じゃ、誰かが勝手に作った話なの?」
「誰かが意図的に作ったわけじゃない。聖書を翻訳するときにね、もともと『若い女』という意味をもつ単語を、それに似てるけど『処女』ってニュアンスの強い単語で訳したわけね。そのために、原典を知らない人にとっては、その個所が、精霊の力による〈処女懐胎〉という奇跡を語っているように、みえたわけ。 」
「そ、それって、ようするに〈誤訳〉ってことじゃないの?」
「そうね。それだけ取り出してみれば、誤訳よね。もっと忠実な訳ができたかもしれない。けれども、それはたんに〈誤訳〉であるにはとどまらなかった。つまりこの奇跡が人間のものすごい想像力を喚起して、いろんな学問的議論や、芸術的イメージを生み出したわけでしょ。それは、何百年も積み重なって、それまでになかった文化を生み出してゆき、ひとつの壮大な世界観、つまり〈解釈〉の枠組みを作り出したわけ。」
「じゃ、たんにそれは『間違いでした』ってことじゃすまないわけだ。」
「そうよ、そして面白いのはね、このことは生き物の〈進化〉ということとパラレルなんだと、ドーキンスは言ってるの。遺伝子が複製されているプロセスはちょうど、印刷術のない時代に本が手書きで写されたり、翻訳されたりしていくのと同じようなこととして考えられる。当然、そこには偶然的な間違いが起こる可能性があるわね。この間違いは生物の世界では、〈突然変異〉としてあらわれる。〈突然変異〉は、たんにそれだけを取り出してみれば、たんなる書き間違い、訳し間違いにすぎないかもしれない。そこからどんな未来が発展してゆくかなんて、誰にも言えないの。でもね、ある変異をもつ個体が、それが置かれている環境に思いがけずうまく適応して、どんどん自分自身のコピーを増やしてゆくことがある。そして、その過程でまたある方向の小さな変異が積み重なって、長い時間のうちには、最初とは似ても似つかない生き物の形や能力ができあがってしまう。これが、〈進化〉というものの、ひとつの見方なのよ。」
「と、いうことはつまり、〈間違い〉のなかに、新しいものが生まれてくる可能性が潜んでるってことだ。じゃ、どんどん間違っちゃえばいいわけね。うーん、なんかすごく気が楽になってきたなあ。」
「なんか、自分に都合いいように〈解釈〉してない? まあ、どんなことでも間違いをおそれないというのは大事なことだろうけどね。」
データベースの憂鬱
明日提出する課題がやっと出来たところで、ミームが「ちょっと夜の散歩に行かない?」とタカコを誘った。ちょうど借りていたビデオの返却日だったので、二人は近くのレンタルビデオ・ショップまでブラブラ歩いていくことにした。行く途中にあるゲームセンターとマンガ図書館とを横目でみながら、タカコが言った。
「ねえ、こういうのも〈ミーム〉の強力な繁殖場ということにならない? みんな、あんなに夢中になってる…。〈ミーム〉という観点からみると、あれはゲームやマンガを通して、〈情報〉が新らしい住み処を見つけようとしているのよね。」
「そう、たしかに図書館での読書や学校での学習に比べると、ゲームやマンガを通じてのほうが、〈ミーム〉はずっと容易に若い人たちの脳に入っていくと言えるかもしれないわ。闘争などの直接的な衝動や、過剰な想像力に訴えるからね。」
「じゃあ、本を読んで勉強しなきゃならない〈情報〉内容を、ぜんぶゲームとかマンガにしちゃえばいいんじゃない。そしたら、夢中になっているうちに勉強できちゃうの。どうしてそうしないのかなぁ。」
「ゲーム仕立ての学習ソフトとか、『マンガ○○入門』みたいな本は、もうあるじゃない。タカコちゃんはそういうので勉強したことあるの?」
「ない。だってあんまり面白くないんだもん。」
「そう、ここは大切なポイントね。本、ゲーム、マンガとかいった〈メディア〉は、一見何らかの〈情報〉を盛り込む〈容れ物〉みたいにみえるんだけど、実は何でもはいるわけじゃないの。というか、〈情報〉ってのは、それを伝える〈メディア〉と切り離すことができない。たとえばある小説に書いてあることを、〈そのまま〉マンガにすることはできないのよ。さらに、〈日本文学全集〉は本でも、CD−ROMでも存在しうるし、その内容は文字というレベルでは同一の情報なんだけど、漱石の『我輩は猫である』をパソコンのディスプレイで通読しようとする人、いないでしょ。それは、ディスプレイでは眼が疲れるとかいった表面的な理由からではないと思うな。そうじゃなくて〈読書〉という行為が、〈書物〉というメディアの形式に結びついた世界観のなかで、はじめて可能なものだからよ。そして、こうした世界観も含めないと、小説のもつ〈情報〉について語ることはできないわ。 」
「それじゃ、パソコンが発達していままでの情報がなんでもコンピュータのメモリの中に入ってしまうっていうのは、たんにそれで生活が便利になるってことだけじゃなくて、〈情報〉の形を根本から変えてしまうってことにならない? それってもしかして大変なことじゃ…。」
「その大変なことが、いま起こっているのよ。でも、この大変さをちゃんと理解してる人間は少ないわね。ほとんどの人は、パソコンはたんに便利な道具、くらいにしか考えていない。この〈便利さ〉というのも一筋縄ではいかない、けっして無害なことではないわ。ふつう、テクノロジーがどんどん発達して、いままで人間が苦労して考えてきたことは何でも、機械がサッとやってくれる、みたいな幻想があるでしょ。タカコちゃんのようなアート志望の人たちの仕事だって、それこそ複製テクノロジーのおかげで、ずいぶん楽になったじゃない。自分の手を使って描いたり、走り回って情報収集したりするかわりに、スキャナーで読みこんだり、インターネットで検索したりすれば、ものすごい労力の節約になるわね。でも、そういうふうに簡単にイメージを作成できたり情報を獲得できるようになると、文章を書く、絵を描くという行為自体の意味が変質しはじめるのよ。それに気づかないで、いままでのようにひたすら情報の収集と保管にばかりエネルギーを費やしていたらどうなるかしら。」
「ミームが言ってるのは、コンピュータを使って作品作っても、どうせ誰かの真似みたいな、つまらない作品しかできないってこと?」
「違うのよ。芸術は機械を使ったらしょせんダメだとか、いやこれからは機械を使わなきゃ本当に新しい芸術は生み出せないんだとか、そんなのはどうでもいい議論だわ。問題はね、情報とわたしたちとの根本的な関係を変化させることにあるのよ。」
「でも情報って、たくさん持ってればそれに越したこと、ないんじゃない?」
「みんなつい、そう考えるちゃうのよねえ。それで、最新情報をなるべく早く収集し、なるべく多く保有するって態度でこの文化環境に適応しようとする。でもあらゆる分野でそんなことするのは無理だから、限定された分野でだけそうして、世界をそこで閉ざしてしまう。専門家っていうやつね。サブカルチャーで閉じてる専門家は、オタクって呼ばれるわね。」
「うん、わたしの友だちにもいる。マンガとか映画とかマイナーな音楽のこととか、何でも知ってんの。わたしなんかどんなこと言っても、〈ああ、あれ〉みたいに言われちゃうんだけど、たしかにあの知識はスゴイわ。スゴイんだけど、かれがしゃべってると、どんなものでも同じに聞こえてしまうのはなんでだろう。わたしがよく知らないからかなぁ。」
「人類はこれまで長い間、情報欠乏の時代に生きてきたわ。たくさんの情報を得ることが〈力〉で、情報へのアクセスのよい人たちが支配者となってきたといえる。兵隊や馬をたくさん持つこと、船や道路を建造すること、軍事力であると同時に情報力を獲得することでもあったわけよ。こういう情報力の競争は、20世紀の世界大戦まで続いてるわ。だから、とにかくより多くの情報を求めようとする人間の欲求はとても強い。ただそれは、情報が欠乏しているときには有効なんだけど、現代のように情報が過剰になっている環境では、適応障害を起こしてしまうのよ。」
「どういうこと?」
「情報=知識へのやみくもな欲求は、たとえてみれば、できるだけたくさん食べて、ためこんでおきたいという根源的な欲求とパラレルに考えることもできるわね。」
「ギクッ。な、なんかわたしのことを言われてるような…。一人暮しはじめてから、ときどき過食するとき、あるのよね。」
「まあ、誰だって多少はあるわ。でも、どうしてそうなるのか、考えたことある?」
「どうして食べ過ぎちゃうのかって? そりゃあ…意志が弱くて、欲望に負けちゃうからでしょ。」
「どうしてそんな、身体に都合の悪い欲望があると思う?」
「それは…どうしてかなぁ。人間のシュクメイってやつ?」
「そうとも言えるけど、考えてごらんよ。文明がこんなに発達して、欲しいときにいつでもコンビニに行ってお菓子とか買えるような状況って、人類の歴史のなかではごく最近、はじめて実現された状況でしょ。何万年もの間、あんたたちの祖先は不安定な食糧状況を生き抜いてきたのよね。そのなかでは、食べ物がある時にできるだけたくさん食べておく必要があった。とりわけ、欠乏の時期を生き延びるのに必要な、糖分や炭水化物や脂肪を大量に摂取することは、とても大切だったのよ。だから、そういう食物の味に敏感に反応する個体が自然選択され、適応してきたわけね。」
「なるほど、だから甘いもんや脂っこいもんは美味しいと感じるんだ。何万年もの適応の結果なのか…それじゃ、ちょっとやそっとでは直らないね。」
「情報に対する態度もそれと同じよ。長い間、文化的な情報、たとえば言語テクストという形で生産され、流通する情報の量は、たいしたものではなかった。慢性的に情報量の欠乏した状況では、比較的少ない知識のソースが決定的な意味をもって存在しているはずね。たとえば中世末期に本を書いた人たちは、自分が書くテーマについて、世界中にいる他の人たちがどんなふうに書いているかを体系的に把握していたわけではないわ。手に入る何冊かの書物を繰り返し読み、同じ考えを何度も反芻することによって、著作活動をしてきたはずよ 。ゲーテの『ファウスト』 は、そういう時代の知識人のモデルといえるわね。かれは、ありとあらゆる書物を読み尽くしたんだよ。これはすごいけど、逆に考えると、その時代の言語的知識の環境では、努力すれば一人の人間が読みつくせるくらいの書物の量しかなかったとも言える。あら、ビデオ・ショップに着いたわね。ふーんけっこう大きな店ね。」
「せっかく来たんだから、次なんか借りていこうかなあ…。あれ? 向こうにいるの、ヨシオカ先生じゃないかなあ? せんせい、何してんですか?」
「あ、瓜生さん、意外なとこで会っちゃったね。じつは返却日すぎてるのを急に思い出して、慌てて返しにきたんだけど、2日分も延滞金払わされてしまった。悔しい…。あ、失礼、そちらの方は、お友だち?」
「はい。わたしの家庭教師のミームさんです。」
「前にどっかでお会いしたような…。」
「(ミーム)ほんと、わたしもそんな気が…。」
「二人ともヘンなの。ところで先生はよく来るんですか、ここ。」
「ときどきね。実は、レンタルビデオ・ショップに来るのは、そんなに好きじゃないんだ。」
「どうしてですか?」
「あまりにもたくさんありすぎるから。で、そのそれぞれが、一応、見ればそれなりに面白いことがわかってるから。でも何かとくに気になるもの以外は、積極的に観たいとは思わないんだよね。観る時間もないし。それで、こうギッシリならんだビデオの棚に囲まれてると、なぜだか、どれ観てもけっきょく全部同じっていうふうに思えてきて、ジワーッと倦怠感がこみあげてくるんだ。」
「ケンタイカン…そんなもんなんですかねぇ。」
「それはたぶんぼくが、このビデオ・ショップに代表されるような文化環境よりも以前の時代を経験してきているからだろうね。ぼくが学生の頃は、ちょうど家庭用のビデオ再生機が普及し始めたときだった。ビデオの規格が、VHSかベータかで争っていた頃。それまでは、映画やテレビ番組のような動く映像は、ある作品が観たければ、とにかく映画館に足を運ぶか、番組表をチェックしてテレビの前で待ち構えていないと観ることはできなかった。それが、自分でそれを記録して、ついでも観たいときに観られるようになったんだから、当時はものすごい変化だったよ。」
「じゃあいっぱい、自分で録画したんですか?」
「そう。深夜放送の名画とか、やり出したらキリがないんだ。テープはどんどんたまっていく。そのうちにある時ふと、なんか変だなと思い出した。タイマー録画した何十本ものビデオを、自分はまだ半分も観ていないんだね。しかも、新しい番組はどんどん放映される。このペースでためこんでいくと、自分は一生観る時間のないビデオ・ライブラリーを作っているだけなんじゃないかと思った。このままいくと、ようするに複製された情報をただ所有するだけの〈マニア〉になるしかない。それでもう、確実に観る予定のものしか取らなくなった。その頃からだよ、映像情報のもっている意味というか、情報とのかかわリが根本的に変化し始めたな、と気づいたんだ。」
「それは、どういうことですか。」
「情報が比較的希少だった時には、それを〈所有〉し、網羅的に把握することもできた。そこでは情報は、たとえばジャンルや五十音順などによって、比較的単純に配列されていれば十分だった。けれどもアクセスできる情報の量がいる閾値を越えると、もうそれを〈所有〉したり、網羅的に知ることは、そもそも不可能になってしまうんだ。個人の把握できる量的限界を超えた情報空間には、べつなアクセスの手法が必要になってくるはずなんだ。なのに今のところは、たとえば図書館のような、古い蓄積と閲覧のシステムが、やはりまだ使われている。ちょうどこのビデオ・ショップもそうだね。」
レンタルビデオ・ショップを後にしたミームとタカコは、帰り道でタコ焼を買って部屋に戻った。
「さっきの先生の話は、わたしに言わせれば、こういうことね。いままで人間は、情報を収集、分類、配列、検索することに、多大の労力を払ってきた。学問や芸術という名のもとに人間が注いできたエネルギーの大部分は、知識の手作業による整理整頓に当てられてきたわ。けれども、今やそうしたことは、ますます情報機械のネットワークによって代行されつつある。文化のなかの、機械的に処理しうる領域はますます広がっていく。18世紀末の啓蒙主義者たちは完全な知識のシステムを「百科全書」という形で追求したけど、それは今、完全な〈データペース〉の構築という形で、実現されつつある。」
「うん。昔は走り回って資料調べまくらなきゃならなかったことが、今はインターネットの検索でイッパツだもんね。でもこの便利さってのが、どこかでさっき先生の言ってた、ケンタイカン、退屈さにつながっているような気もするんだ。だって走り回ってると、思いがけないものにぶつかったり、意外な人と出会ったりするでしょ。でも端末の前に座っているだけじゃ…」
「そうね、情報へのアクセスがよくなればなるほど、探し物はたしかに早く見つかるようになるけど、それはけっきょく〈探しているものしか見つからない〉ことでもあるのよね。知識の電子的な殿堂のなかで、人間は途方にくれているのかもしれない。何を知ればいいのかわからないし、何を知っても同じことのような気がするのよ。レンタルビデオ・ショップのなかで先生が感じた倦怠感とは、そういうことね。ただ、いままで人間の文化がめざしてきたことは、データベースの構築だけではなかったはずよ。むしろ、異質な情報の間に思いがけないリンクを張ったり、情報の組み合わせから、思いがけない新しい発展が生まれたりすること——それがむしろ、文化の生命ではなかったかしら。データベースの憂鬱を克服する〈べつなアクセスの手法〉か。エラそうなこと言ってたけど、あの先生は、どんなことを考えているのかしら。お手並み、拝見したいもんだわね。」
複製への不安——〈アウラ〉とフランケンシュタイン・コンプレックス
日曜の正午前。こないだから部屋があんまり散らかっているので、とにかく今日は夕方まで、掃除と整理に費そうと決心する。ずいぶん前に買い物に行くといって出て行ったミームが、やっと帰ってきた。
「ただいま。ちょっと遅くなったわね。いやー駅前のパチンコ屋が新装開店でさあ、せっかく20世紀末の日本に来てんだから、これも経験しとこうかな、なんて思って。そしたら出るんだよねーこれが。〈ビギナーズ・ラック〉ってやつかしら。ほら、こんなに景品もらっちゃった。昼ご飯も買ってきたわよ。そろそろ一休みしたら? あら、どうしたの黙りこくっちゃって。あーわかったわよ、一大決心してあんたがいちばんキライな部屋の片付けしてるのに、あたしがお気楽に遊んできたんで怒ってんでしょ。同居人なんだから少しは手伝えって? 手伝ったげるわよ、これから。でもその前にお昼、食べましょ。」
「べつに怒ってなんかいないわ。家から持ってきたダンボール箱を整理してたら、昔のアルバムが出てきて。それボーッと眺めてたらなんか、へんな気持ちになっちゃった。」
「ああ、よくあるのよね、それ。片付けしてたら、探してたときにはどうしても見つからなかった本とか出てきて、パラパラやってるうちについ読んでしまって時間たっちゃうとか。そういうときに、意外な発見とかあったりする。読書って不思議よねえ。この情報が必要だから今から読もう、と思って勢い込んで読んでも集中できなかったり、逆に忙しいときに何の気もなしにパラパラ見たページにひきこまれたりするのよ。写真もそうね。昔の思い出にひたろうと思って見るときよりも、今みたいに、偶然見てしまうとき、ってのがすごく魅力的な経験だったりする…。」
「これって、システマティックな検索とは違う〈べつなアクセス手法〉なのかも。」
「たしかにそうかもね。〈偶然〉って、どんなサーチ・エンジンにもまさる発見をさせてくれる。どれどれ、あたしにも見せて。あ、これ中学のときのタカコちゃんね。カワイ〜〜。もっと前のもあるの? あっ幼稚園のときの、これ? けっこう太ってたのね。これは・・・あっ、赤ちゃんだー。生後2時間だって。でもあんましカワイクなーい。あら、これは? ずいぶん古い写真ねえ。誰なのこの人たち?」
「わたしの家って、もともと家族の写真がいっぱいあったのよ。で、こっちに来るとき、将来なんかの作品に使えないかなあと思ったんで、いくつかもらってきたの。これはお父さんとお母さんの結婚前。二人の小学校や中学時代。それから、これはね、お母さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんの結婚式。これはおじいちゃんの子供のときの写真。いちばんすごいのは、これ。ひいおじいちゃんの子供のときの写真。大正時代よ。」
「これって本当のセピア色よね。面白いわぁ。」
「こういうの見てると、時々不思議な気持ちがするんだよね。」
「懐かしい感じ? 過去に対するノスタルジーとか、センチメンタルな気持ちとか?」
「それもあるんだけど、それだけじゃなくて…なんて言ったらいのかな。ここに写っているものははっきり見えていて、こうやって手にとることもできるんだけど、それでもこの写真の世界そのものには絶対に行きつけないんだ、っていうような、そんな感じ。なんだかこの写真のまわりに、眼にみえない光がボワーッと広がっているように思えるのよ。」
「〈アウラ〉っていうのよね、そういうの。」
「〈アウラ〉? なにそれ?」
「英語で発音したら〈オーラ〉。人間の身体から発している放射光のこと。美術のなかでは、天使の光輪や仏像の光背のように、聖なる存在のもつ霊的なパワーを表わすために、それを本当に見える光として表現したきたでしょ。現在でも、オカルティズムのなかでは、〈オーラ〉を測定したり、そのエネルギーを取り出したりできると考えている人たちがいるわ。」
「へー、なんか面白そう。そういうの、わりと好き。でもそれと、古い写真とかに対するこの独特の感じと、どういう関係があるの?」
「〈オーラ〉、というより、そのもとのラテン語でいえば〈アウラ〉だけど、それを芸術との関係で使ったのは、ヴァルター・ベンヤミンというドイツの批評家なの。『複製技術時代の芸術作品について』という、有名な論文を書いてるわ。かれによると〈アウラ〉とは、作品であれ風景であれ、どんなに近づいても決して到達することのできない、独特の質のこと。〈近い〉のに〈遠い〉というか、日常がどこかで日常を越えた世界、〈死〉につながっているというか…難しい?」
「難しいけど、なんか分るような…。そういうのがないと、作品ってけっきょくヴィジュアル的な効果だけになってしまうような気がするし。」
「ベンヤミンによると、現在芸術作品と呼ばれているものは、もともとは〈礼拝〉の対象だった。礼拝という行為は、必ずしも対象をよく見ることではないし、聖なる像に物理的に近づいても、その〈聖性〉に接近したことにはならないわよね。ところが近代になると礼拝物は〈芸術作品〉になり、美術館に収蔵されて〈展示〉の対象になった。〈展示〉は、もちろんよく見えなきゃならないし、基本的にはどこにでも移動できる。さらに写真や映画などの複製技術の登場によって、作品はいつでも、どこででも〈見える〉もの、可視的な存在になったわけ。」
「そう、便利になったわけだ。」
「ところがそのことによって、わたしたちと作品との関係は根本的に変化してしまうのよ。複製技術以前においては、人間と作品との出会いには、ある場所で、この一瞬に経験するという〈一回性〉があった。けれども複製技術は、この一回性を破壊してしまう。つまりわたしたちは、いたるところで、いつでも作品のイメージと出会うようになる。別な言い方をすると、〈複製〉によって美術作品は〈視覚情報〉になったともいえる。複製技術の初期においてはまだ、〈本物〉と〈複製物〉との違いは、それが含む〈視覚情報〉の正確さの違いとして説明することもできたわ。解像度の悪いモノクロの複製写真は、たんなるカタログにすぎなかった。けれども複製テクノロジーはどんどん進歩して、〈視覚情報〉としては〈本物〉にひけをとらなくなり、さらにまた写真や映画、そしてデジタル技術のように、はじめから〈本物〉の存在しない視覚芸術が登場した。そして、このような時代になったから逆説的に、作品のなかの非〈視覚情報〉的な質が意識されはじめるともいえる。つまり複製技術が〈アウラ〉を破壊するという単純な話ではなくて、複製技術をとおしてわたしたちは〈アウラ〉を自覚させられると言えるかもしれないわ。」
「かけがえのない〈一回性〉か。うーん…それは、なんだか芸術作品の話というより、わたしたち生きてる存在そのものの問題みたいにも聞こえるなぁ。」
「ほー、なんだか今日は、〈哲学者瓜生タカコ〉と話してるようだわ。ステキよ。どういうことなのか、言ってみて。」
「だってわたしたち自身、よく考えたら、かけがえのない一回きりの存在じゃない。ミームはどうか、知らないけどさ。人間は、表面上どんなにノーテンキなやつでも、どっかではそう感じてるよ。だから、〈クローン人間〉みたいに、人間そのものが複製されることを恐ろしいと思うわけでしょ。」
「複製人間への恐怖——〈フランケンシュタイン・コンプレックス〉というやつね。」
「フランケンシュタイン…何?」
「フランケンシュタイン・コンプレックス。人間が〈自然〉の複製物、つまりロボットや人工生物に対して抱く不安をあらわす言葉なの。タカコちゃんは、フランケンシュタインの話、知ってる?」
「えーと、よく考えてみると知らない。」
「フランケンシュタインというのは本当は人工人間を作った科学者の名前だけど、かれが作り出した〈怪物〉は、最初は頭がよくて心の優しい存在だった。でも、身体が大きくて醜かったので人間たちに迫害され、自分の造り主を恨むようになったのね。」
「えーそれじゃ、悪いのは人間のほうじゃん。」
「そうよ。そうなんだけど、人間は自分が作り出した人工的な複製物が、いつかは自分に復讐するんじゃないか、と怖れを抱くわけ。その背後には、神様あるいは自然だけが許される創造の神秘を模倣したことによる罰を受けるのではないか、という不安もあるようね。」
「ということは、べつにフランケンシュタインの怪物だけが問題なんじゃなくて、複製テクノロジーそのものを、人間は心の底では怖がってるってこと?」
「そうかもしれないわね。〈クローン人間〉はもちろん、人工知能から、遺伝子操作による農作物にいたるまで、〈複製〉のイメージには、根源的な恐怖を呼び起こす何かがあるみたい。たぶん、〈わたし〉や〈人間〉のかけがえのなさ、つまり〈アウラ〉を破壊するからかな。」
「でもいったい、どうして〈複製〉が怖いのかな。これまで話してきたことからすれば、〈複製〉っていうのは、生命の原理みたいなものでしょ。人間の身体も文化も、〈遺伝子〉や〈ミーム〉という複製メカニズムによってコピーされ、突然変異を通じて進化するわけじゃない。生きるってことの底のところに〈複製〉があるのに、どうして人間は、フランケンシュタイン・コンプレックスをもたなきゃいけないのかしら。」
「むずかしい問題だけど、フロイトの精神分析を参考にすると、少なくともひとつのヒントがえられるわ。それは、〈複製〉への不安は、セックスへの不安に結びついてるってことよ。『フランケンシュタイン』の結末も、やはりこのことを語っている。怪物は自分を造った科学者と交渉して、自分に女のパートナーを造ってくれ、そうしたら南米の荒野に行って、二度と人間の眼に触れることなく生きるから、と約束するの。科学者はそれを受けて女の人工生物を造るんだけど、最後の瞬間、こんな不安がよぎる。つまり、もし女を造ったら、怪物たちは子孫を増やし、いつか人間に復讐してくるかもしれないって。恐怖にかられてかれは造りかけの女の怪物を破壊し、それで悲劇の結末となるわけ。」
「ふーん、そういう話だったのか。」
「セックスというのは、ようするに個体としての人間を〈種〉に結びつける契機よね。フロイトの考えでは、そこには、〈個〉としての人間存在をおびやかす、何か不気味なものが潜んでる。〈種〉の保存に結びつくセックスは、個体にとっては〈死〉と背中合わせなの。だからこそフロイトは、神経症を引き起こす原因としてばかりでなく、人類の文化形成そのものを駆動する要因として、セックスに注目したわけよ。セックスの話題は昔はタブーで、いまは軽い話題になっちゃってるけど、それが〈複製〉と結びついている無意識の不安は、少しも変化していないと思うわ。映画にせよ現実にせよ、コンピュータ、ロボット、クローニングなどに対する多くの人々の感情には、まだ根強いフランケンシュタイン・コンプレックスが感じられるもの。でもタカコちゃんは、わたしみたいな不定形の情報体とこれだけ仲良くつきあってくれたんだから、これからの人間には、少しは望みあるのかな?」
「はぁ。どうなんでしょう。あんまり期待しないでほしいけど…。」