活きた世界の科学

『京都新聞』文化欄の連載「知の新潮流」のために書いた記事。2002年8月24日に掲載されました。

 科学的な探究を根底から駆動しているものは、いまも昔も、自然に対する「驚きの念【センス・オブ・ワンダー】」である。これなしには、なにも始まらない。一方、現代社会に生きる人々の多くにとって、「科学」とは何を意味しているだろうか? それはまず第一に、産業やビジネスと一体化した巨大科学【ビッグ・サイエンス】だろう。だが、新しいコンピュータの開発やヒトゲノムの解析といったことが人々を驚かしたとしても、それは科学的な知の動機となるような「驚きの念」ではない。現代では科学的な発見や発明は、すぐさま特許や新製品の開発といったことと結びつけられてしまう。科学は資本主義と不可分なのだ。現代人が科学を尊重するのは、それが「金になる」からなのである。
 中学生、高校生たちの間では、理科に対する興味が一般に減退しているという。高度な科学技術の成果が日常生活の中にこれほど浸透していることを考えると、皮肉なことだ。だが、子供は正直なだけなのである。たとえばテレビの科学番組で、宇宙や生命の仕組みが三次元CGのアニメーションを使って巧みに解説されたとしても、そこに自然に対する無根拠な驚きの念、生【なま】の関心といったものがなかったら、子供たちは科学に興味をもつわけがない。言葉でいくら「驚異」や「神秘」をうたっても、子供たちはそうした番組の背後に、科学とはようするにビジネスなのだというメッセージ、だから子供に興味をもたせて優秀な科学者を育てたいという大人の下心を見抜いてしまうのである。
 本特集「知の新潮流」 においてこれまで紹介されてきた話題は、多くの読者がふつう「科学」としてイメージしているものとは、かなり違ったものだったかもしれない。それらを通底していたテーマは、複雑なシステムの生成、発展、挙動をめぐるものである。このテーマはいま、宇宙の起源や生命のメカニズムを解明すると称するいわゆる「最先端」の科学におとらず、自然に対する「驚きの念」を強烈に喚起するものなのである。いやそれどころか、複雑なシステムについての研究こそ、それを認識する人間という視座をいやおうなく含みこんでしまうために、これまでの規範的な自然科学の境界を越えてゆかざるをえないという意味で、とりわけスリリングなものであるといえるのだ。
 さて「複雑なシステム」とは何だろうか? 一個の細胞からわたしたちの脳、そして経済、社会といったものまで、複雑なシステムとして考えることができる。ここで「複雑」というのは、言葉のごくふつうの意味、つまり「込み入っていて分かりにくい」ということとは少し違う。一見どんなに込み入っていて分かりにくい現象でも、それを支配する単純な法則を発見することで、その未来の状態を予測したりコントロールしたりすることができるものもあるからである。実際、多くの人にとって「科学」とは、そうした法則を発見することによって自然を予測・制御する営みを意味するのではないだろうか? けれどもここでいう「複雑なシステム」とは、それを支配する法則を発見してもその発展が原理的に予測できず、したがって単純にコントロールすることもできないような現象に関わるものである。
 細胞や脳のような生物学的システムにしても、また経済や社会のような人間を要素に含むシステムにしても、そのシステム全体には「設計者」がおらず、「設計図」も存在しない。にもかかわらずそれらは、あたかも巧みな設計に基づいているかのように、活動し発展してゆく。システムを構成しているそれぞれの要素は、ひたすら自分の必要や利益だけによって「勝手に」動いているにもかかわらず、全体としてはあたかも共通の目標に向かって精妙に協働しているかのようにみえるのである。こうした特性が、細胞とそれを構成する有機分子との関係から、社会とそれを構成する人間の関係にまで共通してみられることは、何度考えてみても不思議なことであり、近代的な自然観を一変させる「驚きの念」を引き起こすものなのだ。
 こうした複雑なシステムをめぐる話題のなかでもっともワクワクするのが、「創発(emergence)」というテーマである。「創発」とはシステムが自分自身の運動を通じて新しい行動と機能を獲得してゆくという性質の呼び名である。生物個体の成長から種の進化、そして経済や社会がダイナミックに変化してゆくプロセスのなかに、この「創発」をみることができる。そこには、文字どおりの意味で「神秘」なことは何もないのだが、現象を要素に分解し、その間に働く規則を知るというこれまでの研究方法では原理的に近づくことのできない、自然の姿が現れているのである。と同時にそこでは、自然現象と人間的知性との境界が消失してゆき、自然と文化とを連続したものとしてみる新しい宇宙観が形成されつつあると思えるのである。