Space in CyberSpace

オコガマシイ話

『髙嶺格[大きな休息] 明日のためのガーデニング1,095m² 』 せんだいメディアテーク 2009年3月1日


 美術家の高嶺格とは、かれこれ十年近いつきあいになる。最初に出会ったのは、わたしが企画にかかわった京都の美術展『スキンダイブ ― 感覚の回路を開く』(1999年)の出展アーティストとしてだった。また彼は、2000年から2006年までわたしが勤務していた岐阜県大垣市の IAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)の卒業生であり、その後もしばらく大垣に住んでいたので、IAMAS関係の催しその他で、たびたび会う機会があった。そして彼の近著『在日の恋人』(河出書房新社、2008年)に紹介されているように、2003年10月に開催された「京都ビエンナーレ」では、出展作家とディレクターという関係でもあった。そして2008年のせんだいメディアテークにおける「高嶺格[大きな休息] ― 明日のためのガーデニング1,095㎡」では、「監修」(といっても何度か話しあったり、広報のための文章を書いただけなのだが)をすることになり、オープニングで対談することになった。

 こんなふうに、公私ともにいろんな場所で話をしてきたわけだが、高嶺格というアーティストについて、あらためて何か書くというのは、実は今回がはじめてである。ここには、そうした機会がたまたまなかった、という以上の何かがあるようだ。わたしが美術家について文章を書くとき、その人物や作品が何らかの仕方で、わたし自身の個人的経験に強く触れてくることがきっかけになる場合が多い。高嶺格について今まで書かなかったのは、そうしたことがなかったわけではない。むしろ、ありすぎたのだ。高嶺格という作家と、その作品について考えはじめると、自分の中にひとつの記憶が呼び起こされ、それがどうも、わたしを落ち着かなくさせるのである。何となくその記憶に直面したくない、と思ってきたのかもしれない。だが彼について何か語るには、それを書かないわけにいかないだろう。

 わたしは1956年に京都で生まれ、その後も京都で育った。住んでいたのは主に伏見区と東山区で、学区内の市立小学校、中学、高校に通った。家のすぐ近くに、在日コリアンの住む地域があった。中学・高校には、在日コリアンの問題や同和教育に関わって活動している左翼系の教師がいた。あるとき、中学校の担任だった理科の教師が「差別」についてどう思うか、というテーマで、ホームルームの時間に作文を書かせた(1970年頃の学校ではそういうことがあった)。わたしは今なら確実に「不登校」になっていたであろう、学校に不適応な生徒だったが、この教師のことは嫌いではなかった。彼はときどき、私の書く文章を誉めてくれた。だがわたしは同時に、彼が熱っぽく語る議論の「正しさ」に対して、漠然とした生理的違和感を抱いていた。それでその作文に「人間は本来みんな平等だから差別はいけない」というようなことは、どうしても書けなかった。

 与えられた時間が終わる直前まで、何を書いていいかわからないで迷っていた。半ばヤケクソになって「差別は他人よりも先に、自分自身を傷つける」といった意味のことを書いた。あるいは、書いたつもりだった。「差別的な言動を見聞きすると自分は、それに対する怒りや、それが差し向けられている人々への共感よりもまず、自分自身の中に〈痛み〉を感じる。外国人でも被差別部落出身者でもない自分が、なぜそう感じるのか分からない。だがその〈痛み〉は確かなものであり、この〈痛み〉を通してしか自分は差別について考えることができないと思う。」もちろんもっと幼稚な、たどたどしい書き方であったにちがいない。だがその時わたしがその〈痛み〉の背後に見いだしたと思ったのは、〈自分〉が本当は何者であるかということは、確かには分からない、という感情だった。自分はなぜこの〈自分〉であって〈あの人〉ではないのか? なぜ自分は今、差別し排除する集団の〈側〉にいて、そうされる〈側〉にはいないのか? そうしたことはみな、たまたまそうであるにすぎないのではないか?

 「自分とはこういう存在である」という確信は、これらの疑いから無理やり眼を逸らすことによって得られる。この無理やりの隠蔽が心に〈傷〉を残すのではないか。そして自分が、他者に向けられている差別的言動に対して感じる〈痛み〉は、こうした自己同一性の〈傷〉に触れることから生じるのではないのか。 これはわたしにとって、ひとつの発見だった。わたしは、拙いながらそのことを文章に書けたことを誇らしく思い、教師はきっと誉めてくれるだろうと期待していた。だが、彼の口から出たのは、わたしにとって、驚くべき言葉だった。教師は回収した作文を読み上げ、書いた者の名前は伏せて、簡単なコメントを述べていった。何も書けないで提出した生徒も多かったので、わたしの番はすぐに回ってきた。彼はわたしの作文を読むと、こう言ったのだ。差別された経験のない者に、差別された者の〈痛み〉などけっしてわからない。自分が普通の日本人としてヌクヌクと生きていながら、自分にも同じ〈痛み〉があるなどと考えるのはまったく「オコガマシイ」ことだ、と。

 わたしは、全身の皮膚が泡立つような恥ずかしさをおぼえた。この出来事は、「オコガマシイ」という語の記憶と強く結びついている。わたしはその教師がこの言葉を言った時の、ゆっくりとした発語の印象を、今でもはっきり憶えている。とはいえ、自分が何か倫理的な意味で批判されたらしいことは感じたものの、実はわたしは「オコガマシイ」という言葉の意味がよくわからなかった。それで、家に帰ってから辞書で調べてみた。そしてこの語が「愚か者」を意味する「オコ(烏滸、痴)」という古語に由来し、身の程知らずなことを出しゃばってする「愚かさ」を言う表現であることを学んだ。この「オコ」という奇妙な語感は、身体的なイメージを伴っていた。わたしはなぜか「オコ」を、何か自分の身体の変成した一部分、ちょうど瘤取り爺さんの顔にくっついている瘤のようなものとして想像した。しばらくは「おこがましい」という言葉を聞いたり読んだりする度に、これら一連の経験を思い出した。

 それから三十年以上、この経験は記憶の底に沈んでいた。それが高嶺格と親しく話すようになったある日、急によみがえってきたのである。それはわたしが彼に「京都ビエンナーレ」への出展を頼み、話し合いのあと大垣のわたしの家で酒を飲んでいるときだった。彼は自分のこれまでのことをいろいろと話す中で、ある時、どうしても自分の指を切断したいという考えに取り憑かれたことがあったといった。そのとき突然、わたしの中にある説明しがたい感情が湧き起こって、涙が出てきた。そして、彼が今「指」と言ったのは、わたしがかつて自分で「オコ」と呼んでいたもののことではないかという、なんとも不条理な連想が生まれたのである。しかしあまりに夢のような連想だと思ったので、このことも、その背景である中学生の時の経験についても、彼には言わなかった。

 それから数ヶ月経ち、高嶺が「京都ビエンナーレ」のために制作しつつある作品の主題が、在日韓国人である彼の恋人と、制作場所として彼が選んだ「丹波マンガン記念館」を通して、朝鮮半島と日本との関係に関わるものであることを知って、わたしは不思議な気持ちになった。だが日韓関係に関わる作品を作るために、どうしても山の洞窟(坑道)の中に住まなければならない、という彼のこだわりは、わたしなりに理解できたように思った。自分とは異なる帰属をもつ人々について考えるためには、自分自身の帰属意識を危うくし、その自明性を堀り崩すような経験を経由するほかはないのだ。自分がついには誰であるか分からなくなり、自分自身がいわば〈他者〉と感じられるような、そうした懐疑の感覚を通してしか、〈他者〉と関わることはできない。〈他者〉との共存を語る「政治的に適切な」言説の多くがそらぞらしく欺瞞的に響くのは、そうした経験を通過していないからである。

 そう考えてはじめて、わたしはかつて自分が「オコガマシイ」と言われた意味がわかったような気がした。あの教師はわたしの作文を誤解したというより、ある意味で正しいことを言っていたのだ。〈他者〉への言及は、自分自身の限界性と愚かさをあえて人目に晒すこと、つまり「オコガマシイ」ものでしかありえない。それはいわば服を脱いで裸体を人前に晒すことであり、いたたまれないような恥ずかしい行為だ。わたしにとって高嶺格の作品が気になってきたのは、彼がその制作活動を通して、そうした行為を繰り返してきたからである。それに比べると、高嶺の作品が表面的に持ちうるかもしれない政治的メッセージは、あまり重要には思えないのである。

 今回せんだいメディアテークにおいて高嶺が発表した新作「大きな停止」の、視覚障害者による作品の誘導というアイデアにも、そうした側面をわたしは感じた。重要なのは、この作品が暗闇ではなく、普通にライトアップされた空間であるという点である。もしも暗闇であったならば、それはいわゆる「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と同じであり、それが意味するところは明快である。そこでは盲人と健常者の立場が逆転し、観客は視覚障害者の世界を共感的に経験したり、暗闇の中で視覚以外の感覚が鋭敏化することを、新鮮なこととして経験することになるだろう。だが「大きな停止」では、こうした意味付け自体がはじめから破壊されている。誘導する人も、誘導される観客も、自分たちが今何をしているのかがわからない。そこでは「視覚障害者が観客を誘導する」ということの意味が、まったく自明ではないのである。

 高嶺作品のポイントは、ここにあるとわたしは思う。廃材を用いたり、視覚障害者によるツアーを行いながら、そこでは「エコ」とか「バリアフリー」とかいった「適切」で「お利口」な解釈がまったく機能しない。わたしたちはこの作品の中で、ある種居心地の悪い状況に投げ込まれ、ふだんは経験しない身体の〈愚鈍さ〉のようなものに直面させられる。だがここにこそ、この作品においてわたしたちを希望に導くもの、アートが「明日のため」と感じさせる側面があるのではないか。わたしたちすべての身体には、思春期のわたしが「オコ」と呼んだ〈他者〉としての自分、ひとりの「愚か者」が住んでいる。誰もがカシコくなければいけない現代の情報社会では、隠しておかねばならない存在だ。しかし、それをあえて人目に晒し、「オコガマシイ」ことをしなければ、アートであれ社会生活であれ、他人と深く関わることなどけっしてできないのである。

(C)Hiroshi Yoshioka