STUDENTS' FORUM
Interdependent System : AKABANE/OGURA/TAMAI
 偶然予測しないことに遭遇する。自分とはまったく無関係な他者の経験の一部を垣間見る、面識のない他者と接触する、さまざまな出来事の気配を感じる。これは普段、街のなかでは当たり前に行われていることです。そしてこれは、急速に発展しつづける電子メディアが削ぎ落としつつある部分でもあります。確かにそれらは、時にわずらわしく、必要ないと思われるかもしれません。雑然と入り交じった様々な人、もの、出来事。それらはそれぞれ独立したもで、コミュニケーションを持たない限り、まったく無関係に動いているように見えます。それは「他人事」なのだから。けれども、その「他人事」たちは、無数の他者の存在をもつ実際空間で繰り広げられることによって、本人たちの無自覚のうちに、何かしら影響を与え合い、何かしらのきっかけになっているかもしれません。わたしたちの行動は、気づかないうちに何かのきっかけとなり、また同時に何かをきっかけとして、その行動をとっているかも知れないのです。
 普段実感することが難しい物事と物事の関わり。その日、その時間、その場所でそうすること。それにはきっかけの何かがあって、またそれが他者の、あるいは自分の行動に結びついていく。何がきっかけになるか誰にもわからないけれど、わたしたちは何かは分からないきっかけを無意識のうちに求め、それに依存しているのです。同時に体験する他者、無数のばらばらな音が存在するこの空間は、その一瞬が生みだすゆらぎを実感させてくれるでしょう。
 この空間に足を踏み入れること、それは予定調和を享受するのではなく、他者と「私」の無限の関係性の組み合わせの中に身を置くということになるのです。

Touch and Scratch IHIBASHI/KATAOKA
操作説明

 半透明のアクリルボックスの裏側にプロジェクターによって女性のシルエットの映像 が投影され、ボックス自体が柔らかな光を放っている。鑑賞者は全面に開けられた穴 をのぞきこみながら、ボックスの下に設置されたタッチパネルをさわると映像のなか に仮想の手が現われて映像のなかの女性に触ることができる。

制作意図

 コンピューターのなかの仮想上の人物との対話を目的としたインスタレーション。 コミュニケーションについて考えてみると言語を使ったコミュニケーション以外にも さまざまな方法が存在する事に気がつく。例えば『触る』ことは人間が生まれて言葉 を覚えるまでの間、最も重要なコミュニケーションの手段の一つである。そして他者 との親密さを生むための重要な表現でもある。そしてそれは単に触覚的な情報だけで はなく『触る』事に対して相手が『動き』で持って反応を返すという形で捉えること ができる。
 モニターに現われた仮想の人物は『見る』ことはできるが『触る』ことはできない。 しかしタッチパネルに触れ、画面上に現われた仮想の手で人物に『触れ』て対話する ことができる。人物はこちらの問いかけに対して生き生きとした仕草で答えてくれる だろう。
 しかしながら映像の処理速度という点で現状ではフルスクリーンの映像をリアルタイ ムにパソコンで処理させることは非常に困難なので、人物の姿をシルエットで見せて そのイメージを鑑賞者の想像力に負担させることにより、なめらかな反応を作りだし ている。
 そして『触る』という行為に含まれる親密な関係性をより増幅するために『覗き見る 』というインスタレーション方法を採った。これによりオフィシャルな展示空間のな かに鑑賞者と映像のなかの人物との閉ざされた空間が現われ、鑑賞者は仮想上の人物 との一対一の関係を得ることができる。

Magic : Ishibashi/Arai/Ninoyu
 「魔法~未来の絵画」

 私たちのこれまでのメディアに対する接し方は、現実とブラックボックスを冷たいガ ラスで隔てた間接的態度にとどまってきた様におもいます。これはマウスあるいはキ ーボードといったデバイスによって意思を伝達(入力)するもので、身体性の中の視 覚、触角、認識(脳)という器官を単位化、断片化させていることだといえます。本 来、身体器官はそれのみで機能することはなく、互いに関係、連続しあって一個の人 間を作り上げるものです。しかし現存のメディアは身体との連続性を断ち切りました 。なぜ描くという疑似的な行動が必要なのかという事は、身体と機械の統合(イコー ルの関係)が今のメディアにとって、それがデバイス以上の重要性を持っていると考 えるからです。
 私たちはいまだ映像による構成という手段を知りません。「動く二次元平面構成」、 「動く色彩学」これはいままで培われてきた一般的な理論ではその多くを網羅できま せん。しかし最初に取り上げた絵のように「動く絵画」に対する関心は、当時も今も 変わりません。そして現代においてそれは可能になりました。その可能性の実験とし て、この装置はオブジェクトを配置、構成し、エネルギーをあたえる事によって連鎖 する「動く絵画」を体験し学ぶことができるのです。 来るべき未来をイメージするとき、その内的衝動をより具現化するためには音楽が必 要です。その音楽は絵画、動きと一体になってこそより力強く明快なイメージとなっ て伝わってきます。それはまったく新しい感覚と同時に、実は過去より自然に馴染ん できているイメージとなにも変わらないでしょう。ピアノを弾くとき、太鼓をたたく とき、歌を歌うとき、それらのアクションは音、音楽と当然のごとくかみ合っている でしょうし、激しいムーブメントとのシンクロもサーカスや祭などで見てきているの です。本来統一されているはずのこれらの事も、多くはメディアの単位的多様化によ る分離した意思によって湾曲、断片的してしまいました。それらを再構成するために 絵、動き、音という三者の共同作業そして総合的な身体の侵入、統合が必要なのです。 そういった動きは科学に対し無知で幼稚ながらも、未来においてそれが必要だと直観 的に感じていた20世紀初頭の絵画、実験に学ぶべきところは大きいと思います。

DVD Fuji
インタラクション‘97
DVD共同研究 プレープレゼンテーション

国際情報科学芸術アカデミー 関口、平林ゼミ
サンヨー株式会社ハイパーメディア研究所データベース研究開発科

96年度研究

技術研究
MPEG2デコーダボードおよびエンコーダーの評価
MPEG2データ品質評価
DVDを利用したデバイスコントロール研究、利用研究
MPEG2データ利用を想定したコンテンツ制作およびそのDVD化
作品研究

96年度後半期、97年度前半期制作予定作品

「葛飾北斎・富嶽三十六景」

 江戸中期の浮世絵絵師として日本を代表する作家である葛飾北斎の 60歳代の作品で富士山をモチーフに当時の富士鑑賞名所等を描いた 46枚の作品からなる。当時流行り出した富士信仰によって、江戸にはいくつかの 小富士と呼ばれる富士に形を似せた小山が各所に作られた。 この日本の原風景とも呼べる、これらの絵と富士を、北斎が描いたとされる場所の 実写映像とCGのシュミレーションによって、現実と絵との差から北斎の形象表現と そのデフォルメ能力によってこれまで定かでなかった「葛飾北斎・富嶽三十六景」 が描かれた場所とその表現を検証する。
IAMAS スタッフ
関口講師ー総合ディレクション
平林講師ーテクニカルアドバイス
鈴木助手ーデータコンバータープログラム
木村隆志-オープニングCG,映像、撮影ディレクション
牧田亘-Morph,CG
神谷明憲-インターフェースプログラム

坪井ー取材
馬野ー取材
折山ー取材
竹中ーインターフェース
村澤ー設営アシスタント
Moppet