Grand Pianissimo  

Grand Pianissimo

1st Edition:

2002.07.25 ライブ「Grand Pianissimo」, メディア・アート・フェスティバル2002, 浜松

     
2nd Edition:

2003.11.01 ライブ「Klavierexperience」, アートポート, 名古屋


概要

「Grand Pianissimo」は、グランド・ピアノとコンピュータを用いた独奏曲であり、約20分間の演奏時間である。この作品では、すべてがグランド・ピアノから生じる音によって構成されるが、小型の磁気振動装置による無限持続音や、コンピュータを介したフィードバック・ループ音など、特殊奏法による特異な音が多く使われる。しかし、いかなる音も、物理的な振動によって引き起こされているという単純だが根源的な事実を、鑑賞者に強く意識させるために用いられている。そして、このような仕組みを通して、我々の知覚と体験を検証するように、楽曲は展開する。


コンセプト

「Grand Pianissimo」の目的は、高度なテクノロジーに取り巻かれた現代社会におけるリアルな存在とバーチャルな体験とを、グランド・ピアノとコンピュータを通じて表現することにある。録音技術や通信技術の発達により、人々の音響体験は一変し、今日の我々はこのような技術によって支配されている。CDやテレビ、電話や街頭スピーカー、そしてコンピュータなど、我々が意識的に聴く音の大半はバーチャルな体験を与える装置によってもたらされている。生の音を聴く機会は、隣り合わせた人と会話する時くらいのものだ。もちろん、さまざまな環境音を耳にしているが、それらを意識的に聴くことはまれであろう。それゆえに、街角で演奏する楽団に出会ったりすると、その音の大きさや力強さに驚いたりする。

ここで重要なのは、物質が振動しなければ、我々は何も聴くことができないことだ。音が聞こえるという現象は、発音体(楽器など)が振動を発生し、媒体(空気など)が振動を伝達し、その振動を受容体(耳)が受け取る、という過程を辿る。この後は、受容体から知覚神経を経て大脳皮質へ至る生体電気としての処理だ。この過程の中で、スピーカは現実世界の発音体を模倣する装置となり、バーチャルな体験をもたらす振動を作り出す。スピーカによって現実世界と同一の振動を作り出すことは困難であり、現実により近い振動を得るために多くの労力が費やされる。しかし、それでもバーチャルな振動を保存し、複製し、再現することが可能であるため、バーチャルな振動は経済性が極めて高い。今日では、計算によって振動を作り出すことも一般的だ。そして、現代社会ではバーチャルな振動がリアルな振動を凌駕している。

さて、バーチャルな音響装置の大半は、その動作原理を隠蔽し、物質性から懸け離れた地点から自らの特性を誇示しようとする。それはバーチャルな音響装置にとって最大の利点であり、当然の帰結と言える。しかし、その結果として、我々は音が振動であるという物理現象を忘れてしまう。つまり、耳元で炸裂するドラムは、獣皮の震えとは無関係に成立しているからだ。そこで、この作品は、すべての音が物理的な振動によって引き起こされることを、明確に認知できるように構築している。さらに、リアルな振動とバーチャルな振動を混在させ、リアルともバーチャルとも判別し難い音響を作り出す。これにより、リアルな存在から遊離し、バーチャルな体験に終始する現代社会の様相を浮き彫りにすることを試みている。


システム

「Grand Pianissimo」ではグランド・ピアノに、E-Bowを4台とアクチュエータ・ユニットを2台取り付け、マイクを向ける。マイクからの音声はコンピュータに入力され、デジタル信号処理を施されて、アクチュエータ・ユニットから再生される。原則的にはPAは使用しないが、会場によってはPAを併用することもある。また、コンピュータによる音響処理に対応した映像を投影するが、これは必須ではない。

E-Bowは電磁石により金属弦を振動させる小型の装置であり、ピアノの弦に接触しないが、極めて近接させて設置する。演奏してない時は、ダンパーが弦に接触しているので、E-Bowが弦に影響を与えることはない。しかし、E-Bowを取り付けた弦に対応するキーを打鍵するか、ペダルを踏むことによってダンパーが上がると、解放された弦はE-Bowが発生する磁力によって振動し始める。このようにして、通常は自然に減衰するピアノの音を、E-Bowを用いて無限に長く持続させることができる。

アクチュエータ・ユニットは一般的なスピーカーの駆動部であり、ピアノの内部に置くことで、その筐体を共鳴体として利用する。従って、アクチュエータ・ユニットによって再生する音は、ピアノ自体が発しているように感じられる。アクチュエータ・ユニットの再生音量は、人がピアノを弾いた場合と同じ程度か、より大きくなるよう設定する。

映像を用いる場合は、コンピュータの画面をプロジェクタによって投影する。プロジェクタは演奏開始前に電源を入れておくが、コンピュータには電源が入っていないので、この時点では何も映像は投影されない。演奏途中で、演奏者がコンピュータに電源を入れれば、自動的にコンピュータの画面が投影されることになる。


システム・ダイアグラム


E-Bows (& Microphone)


Acuator Unit


楽曲構成

「Grand Pianissimo」は大きく分けて2つのパートから構成されている。第1パートでは、グランド・ピアノとE-Bowのみを使用し、コンピュータやマイク、アクチュエータ・ユニットは使用しないため、準アコースティックな演奏となる。このパートは、まず、演奏者は一定の時間間隔で高音を打鍵し、ゆっくりとした連続的なパルスを奏で始める。高音域にはE-Bowを取り付けていないために、高音は自然に減衰する。やがて、このパルスに導かれるように、演奏者は中音域での演奏を始める。中音域に取り付けたE-Bowによってピアノの弦が振動し、減衰しない音がゆっくりと交互に立ち現れ、次第に重なっていく。ここでは、減衰しない音の不思議さだけでなく、キーを離した時に生じる摩擦音も未知の印象を与える。さらに、ピアノの弦の上に紙片を投げ入れ、弦が紙片を震わせる音も聴くことができる。このようにして、第1パートはゆるやかに進行し、静謐な雰囲気を保ちながら、やがては完全な静寂を迎える。第1パートの演奏時間は約8分間である。

第1パートが終わると、E-Bowの取り付け位置を変更し、減衰しない音の組み合わせを変える。ここでは、ピアノの鍵盤ではなく、ダンパー・ペダルのみが演奏される。すなわち、演奏者は、柔らかくダンパー・ペダルを踏み込み、しばらく踏み続けた後に、ゆっくりとペダルを離すことを繰り返す。演奏者がペダルを踏んでダンパーを上げると、E-Bowを取り付けた弦が振動し始め、E-Bowの取り付け位置によって構成される持続和音が徐々に立ち上がる。また、そのE-Bowを取り付けた弦と共振関係にある弦も次第に振動を始めるので、奏でられる音は次第に豊かになっていく。さらには、ペダルを離した際には、振動する弦をダンパーが押さえつける摩擦音も発生する。

第2パートでは、演奏者はダンパー・ペダルによる演奏を続けながら、コンピュータを起動する。コンピュータが起動すれば、演奏者は音響処理プログラムを用いて、グランド・ピアノに向けたマイクが捉える音を処理し、アクチュエータ・ユニットを通じて再生し、グランド・ピアノを「鳴らす」ことになる。ここで用いられる音響処理は、入力音の周波数分析と周波数再合成であり、入力音の特定の音域を強調したり、時間的な差異を拡大しながら、一種のフィードバック・ループを形成する。これにより、ペダル演奏によって奏でられる比較的単純な持続和音が複雑さを増し、次第に轟音に近づいていく。やがて、演奏者はコンピュータを強制的に終了させ、音響処理による轟音が突如として消え去れば、E-Bowがピアノの弦を振動させる準アコースティックな持続和音だけが残る(1st Edition)。あるいは、次第に穏やかな音響処理に移行し、ゆっくりとしたテンポで和音を奏で続けながら、静寂へと向かう(2nd Edition)。第2パートの演奏時間は約10分間である。

なお、映像を用いる場合は、第2パートでコンピュータを起動した時点から投影が行われる。投影される映像は、コンピュータの画面そのものであり、OSやプログラムを起動する過程がそのまま映し出される。音響処理プログラムが起動すると、画面には周波数分析と周波数再合成の処理過程がグラフィカルに表示される。