-Satellites、または「東の唄・B面」 -

スピリトゥス・ドミニ

クラーレンツ・バルロー氏に捧げる


このCDに収録された作品は大学の作曲科を卒業し、デュッセルドルフに住みながら主にケルンで活動していたころに作られたもので、既に「赤ずきちゃん伴奏器」、「東の唄」などに収録されている作品と時間的にも重なり合う、いわば「本命」の周りに浮かぶ「衛星」のような作品群です。(「Satellites」というサブタイトルはそこから付けました)このアルバムに収録されている作品は良い録音さえあれば「東の唄」に取り上げられていたかもしれなかったものもあり、「東の唄」に収録した作品とスタイルや素材において深い関係があります。
成功の度合いは違っていても、とにかくひとりの作曲家として自分の考えたことを自分の語法で話し始めているところが前のふたつのアルバムとは決定的に異なるところです。つまり、今から思えば、精神的に無事作曲家に「なった」頃の作品ですが、一人の作曲家として西洋の現代音楽というジャンルの中で作品を作っていくということ、そのことに対する相対的且つ歴史的視点は欠けています。確かに、まだヨーロッパではあたりまえのように生きていた西洋の音楽や芸術の歴史上にある表現手段のリファレンスを手がかりにして、その巨大な資産を自分流にアレンジするなりそれに反逆するなりすることによってこれらの音楽は成立しています・・・つまりこれらは、狭い意味でのゲンダイオンガクです。


1:ピアノとチェロ(コントラバス)のための極東の架空の島の唄 I (1991)
コントラバス:溝入敬三
電子ピアノ:藤島啓子
Live Recording at Club Metro, Kyoto on Nov. 4, 1992

(11' 08")


2:二十絃箏のための
スピリトゥス・ドミニ (1993)
二十絃箏:吉村七重
Live Recording at 東京FMホール on Nov. 28. 1993

(17' 17")


3:フルートとピアノのための
極東の架空の島の唄 II (1992)
フルート:増永弘昭
ピアノ:松山元
Live Recording at 浜離宮朝日ホール, Tokyo on Nov. 29. 1992

(13' 04")


4:カトリック教会合唱とコンピューターのための
スピリトゥス・ドミニ (1992)
合唱:サンクト・ローフス教会青年合唱団
指揮:ウィルフリード・ケーツ
Live Recording at St.Rochus Kirche, Cologne on Apr. 10. 1992

(9' 18")

(total: 50' 47")


Thanks to all musicians on this CD and Wilfried Kaetz


 極東の架空の島の唄 I
CD−2の「満潮と3つの月」を作曲していた頃から常にぼくは、作曲科学生の間でよく話される、「調性か無調か?」という作曲における音組織の問題をコンピュータアルゴリズムの音階構造として置き換え、様々な実験をしていました。そして古代から知られている音階や様々な民族音楽における音階、メシアンの音階などを実験しているうちに柴田南雄氏の著書「音楽の骸骨の話」に出会ったのです。(これに関しては「東の唄」のスピーキングブックレットをご参照ください)この本での発見は何より(日本の5音音階などの)音階組織が非時間的なものではなく、音階音の出現の順序に明確な規則性を持っているという点でした。つまりそれまでプログラムの中では静的なデータ構造でしかなかった音階がアルゴリズム(手順)として書かれなければならないものになったのです。これは音階というものを考える上でぼくにとってはかなりの大事件でした。そしてとにかくプログラムを作ってみよう、と考えて試したのがこの作品です。つまりこの作品は本来「自分が聴いてみる」ために作られたもので、もっぱらシミュレーションとして自宅のスタジオで毎日毎日聴き続けていたものを実際の楽器で演奏してもらうために書き換えたものです。このアルゴリズム('Minyou'と名付けました)は次の「極東の架空の島の唄 II」、そして「東の唄」まで拡張を続けます。
「極東の架空の島の唄 」というタイトルは言うまでもなく柴田氏の日本音階の分析からヒントを得たわけですが、アルゴリズムによって実際に地球の民族音楽にはあり得ない音階のバリエーションなども作り出すことができるので、日本の東に幻の大陸があったらどんな音楽になるだろう?などと夢想してつけたものです。それから「極東」という言葉はもちろん西洋中心の視点を意識しています。
演奏はぼくにとっての初めての個展だった京都国際現代音楽フォーラムの際にメインのコンサートの後で、会場近くのクラブで行われたライブのものです。ドリンク付き、立ち見のクラブにはピアノが持ち込めなかったので電子ピアノが使われており、「インディアンのおじいさんが星空の下で子供たちに昔話を語っている」という個人的なイメージに従ってメインのコンサートでも演奏してくれた溝入さんにわざと「しわがれた声」でコントラバスを演奏していただきました。作曲の際に自宅で聴いていたように何時間でも演奏を続けてもらいたい・・タイトルにもあるようにこれはソロ楽器にピアノの伴奏がついたのではなく、「ピアノにオブリガートの楽器が加わった」作品なのです!

 

 スピリトゥス・ドミニ(二十絃箏)
『二十弦箏のための「スピリトゥス・ドミニ」は1993年秋に吉村七重さんのために作曲された。ケルン市内の教会のオルガニストである友人が電話越しに語り、歌ってくれたカトリックの聖歌の録音テープがこの作品の生まれた発端となった。
箏のパートの作曲に使われたコンピューター・プログラムは低音のドローン、通常の奏法、トレモロ奏法を順次繰り返しながら、テトラコードを積み重ねるように調弦された20の弦の上をランダム・ウォークするように作られている。本来この作品には始めも終わりもないのだが、コンピューターが生成した、どこまでも続くメロディーのシークエンスのある部分を切り取った後に短い始まりと終わりを付け加えた。テープ・パートは先の聖歌の録音テープをこのコンピューター.プログラムと呼応するアルゴリズムによって編集、変形したものである。オルガニストの友人にその場に立ち合ってもらう代わりに、このテープは舞台上で簡単な「ラジカセ」によって再生される。
その昔から伝わる神を賛えるラテン語の言葉と共に、箏もまた無言で何かを語り、歌っているように聞こえるといいのだが。だが箏も同じことを話すとはかぎらない。』
と初演のプログラムノートには書きました。
邦楽器のための作品はかなり自信がなく躊躇していたのですが二十絃箏という「7音音階用にチューニングされた箏」という新楽器を前にしてまず、「極東の架空の島の唄 」で実験済みだったテトラコードの積み重ねで糸をチューニングすることを考えつきました。テトラコードはその名の通り4度の音程枠なのでそれをそのまま積み重ねていくとオクターブの繰り返しがなく、各音域においては日本的響きを残しながらも、音域が上がれば下属調方向へ、下がれば属調方向に移調するような音階ができあがります。解説通りその音階上で自由に(確率的に)遊んでいるのですが、繰り返されるドローンによって相対的な調性の距離が測られ、それらが箏特有の音色やカトリック聖歌の言葉の断片などと重なり合ってまったくもってヘンな音響空間を作り上げている、こんな音響聴いたことないぞ、と自分では満足しています。
ラジカセを使うことへのこだわりは「赤ずきんちゃん伴奏器」の「歌えよ、そしてパチャママに祈れ!」以来一貫したものですが、何よりも「そこ」から音が出ている、というリアリティーが音量や音質の良さよりも優先するからです。それは生の音を出す演奏家と同じ時空の中で対等に再生音を扱いたいという考えが基本的にぼくにあるからだと思います。
カトリック聖歌については「カトリック教会合唱とコンピューターのためのスピリトゥス・ドミニ」のところでお話しします。

 

 極東の架空の島の唄 II
「極東の架空の島の唄 I」と同様、'Minyou'アルゴリズムを使ったそれの発展形です。ぼくの作品には「始まりがなく、終わりもない」ような、いつまでも続く音響の緩やかな推移を切り取ったようなものが多いことは当時から自分でもかなり意識していました。それはぼくの音楽的な性向から来たものか、アルゴリズムによって作曲するという方法から暗黙理に要請されているものなのか、(多分その両方だと思います)、どちらにせよフルートの増永さんから作品の依頼をいただいた時に、Minyou'アルゴリズムを使うのは当然として、今度は劇場用の作品を書いてみようと考えました。劇場用という言葉はぼくにとってその空間だけでなく音楽の表現形式についても意味を持つものです。そのような意味でぼくの「始まりがなく、終わりもない」ような作品の多くはコンサートホールで演奏されることはわかっているものの、必ずしもそのような場で演奏される必然性はなく、むしろ違う環境の中で演奏された方が良いかもしれないとさえ考えています。しかしこの作品では逆にコンサートホールで「始まりがあり、きっちりと終わる」ような作品として計画されています。結果としてソロ楽器と伴奏という形態の古典的な意味での楽章構成があるような作品になりました。また、'Minyou'エンジンはそのままですが、ぼくのいう劇場的表現に対応させるためプログラムも以前のような「実験的」なものではなくこの作品に特化したものを新たに作り直しています。また、ピアノとフルートの音階や調性の関係などはぼくの持っていたガムラン音楽の録音を参考に再構成したもので、中間部(第3部)で聴かれます。
'Minyou'アルゴリズムの探求とこの作品で行った楽曲の構成の経験を踏まえて、さらに「始まりがなく、終わりもない」ような個人的な趣味が加わってこの後、「東の唄」が生まれました。

 

 スピリトゥス・ドミニ(教会合唱)
ドイツの音大の教会音楽科は伝統的に宗教の素養はもちろん、教会のオルガニスト兼音楽監督兼指揮者になるべく教育を受ける場所ですが、その教会音楽科で勉強し、ぼくが担当していたコンピュータ音楽の授業に参加していた学生が卒業後、「”新しい教会音楽”という教会コンサートをやるのだが作品を出さないか?」と訪ねてきたのが、この曲が生まれた最初のきっかけです。彼は当時もうケルンの教会のオルガニスト、つまりその教会の音楽監督をしており、作品に関しては「合唱団はアマチュアなので難しい音程やリズムは全くダメ!」という条件をつけてきました。その時点でぼくはいわゆる演奏も聴取もハードなゲンダイオンガク的な表現はやめて何か他の方法はないかと考え始めました。結局、古典的なカトリックの聖歌をアレンジする、というか伴奏部分を作曲する方針とし、以前より気に入っていた、まさに教会音楽をイメージした曲(CD「Lucky Choi?」に収録されている「グローリア」(*))のシークエンスを引っぱり出して来ました。かなりいい加減に「うまく合うといいな・・」という程度の気持ちで合わせてみたところ、音がぶつかることもなく、このアレンジのために作曲されたかのように完璧に合って驚いたのをよく覚えています。というわけでこの曲の基本的な部分は「グローリア」をそっくりいただいてきたものです。(その後「エニグマ」というグループがクラブミュージックで聖歌のサンプルを使うスタイルでヒット曲をだして、ぼくは「もしぼくが売り出していたら・・」と悔やみました!?)
ところでカトリックの聖歌ですが、イースターの時期に歌われる聖歌を選ぶということは決まっていたものの、どのようなものがあるのか調べてみたらなんと、それらはどれも4線のネウマ符で書かれているではありませんか!ラテン語もお手上げな上に、ネウマ符などは歴史上の化石だと思っていたぼくは驚いてそのオルガニストの友人に電話したところ、「じゃ、歌ってあげるよ」とわけもなく答え(恐るべし教会音楽科!)、まずは実験だからとカセットテープに電話を通じて録音したものが、その後何度も「使い回される」ことになる、ぼくにとって重要な音素材となりました。この、意味はわからないけれど神を賛美するラテン語の響きと電話によって変形されたローファイなサウンドにぼくは何か魅了されてしまいます。録音はまず、ラテン語の歌詞を朗読し、続けて同じものを歌ってもらったもので、このアルバムの「二十絃箏のための スピリトゥス・ドミニ」はもちろん、CD「東の唄」の「東のクリステ」では日本民謡のサンプルと共に逆回転の再生も含めていたるところで使用されており、さらにこのスピリトゥス・ドミニの旋律自体がラベルのピアノ曲と対をなす形でまるまる使用されています。
コンサートは予定通りその友人の教会で行われ、録音はマイク一本だったので教会特有の反響でもわもわとしたものになってしまいましたが、後半からは時々挿入されるこの電話越しの友人の声と共に、ユニゾンで歌われる合唱団の「スピリトゥス・ドミニ」が良く聴き取れるはずです。曲中や最後に聴こえる人の声や、自動車の騒音などの日常音は、CD「赤ずきんちゃん伴奏器」の「夢のガラクタ市」で使われたデュッセルドルフの街の録音を再利用しています。