対談 三輪眞弘×水野勝仁「コンピュータがもたらした世界」

06. 「技芸」としてのインターフェースの歴史

水野 インターフェースの歴史の中にも分岐点があって、それはマウスを開発した人でダグラス・エンゲルバートっていう人の試みです。エンゲルバートはマウスを開発した人でとても有名なんですが、彼が開発したシステムの入力システムは右手にマウスを持って、左手に五本指キーボードというピアノのようなキーボードを使うんですね。マウスを使ったあとに、私たちが普段使っているキーボードを打つと、一回手から離れるからコンピュータとのインタラクションが遅れる。だからキーボードを片手で操作出来るようにして、キーボードとマウスを両手で持ってやれば、右手で位置を決めて左手ですぐ入力できて、人間とコンピュータとのインタラクションがより高速になるとエンゲルバートは考えたわけです。そして将来的にはマウスは無くなるだろうと言っていたんです。それは誰でも簡単に使えるからです。コンピュータを使いこなすのには、操作方法が難しいけれども、もっと効率的に入力できるデバイスができてくるはずだと、彼は考えていた。エンゲルバード自身は、五本指キーボードのように使いこなすのに2、3ヶ月特訓しないといけないデバイスを求めていたんですが、世の中の流れとしては五本指キーボードは廃れて、誰でも簡単に使うことができるけれど単純な入力しかできないマウスが生き残ったわけです。それを先ほどの「技芸」の話に当てはめると、五本指キーボードという技芸を極めていくような選択肢がインターフェースの歴史にもあったことになります。でも、世界はマウスを選んだ。この選択が少しズレれば、僕たちがコンピュータを使うためにすごく自分のスキルを発達させないと使えない世界もあったんじゃないかなと思います。つまり、五本指キーボードというインターフェースからはじまる今とは異なる「技芸」を求めるインターフェースの世界もあり得たのではないかと思います。けれど、僕たちが今いる世界というのは、三輪さんがそういう世界もあるよねと言った、誰でもできるコンピュータを使える世界の方に進んで行ったという事実があるのかなという感じがします。だから、僕が研究しているメディアアートというのは、メディアアートのなかでも、そのインタラクション部分はもう問題になっていないインターネットのアートなのですが、そこでは本当に「アーティスト」とか言うあらゆる境をなくして、誰もが発表していこうという世界になっています。なので三輪さんとは対極のところにいるなあと思います。
三輪 それは、使いにくいっていうことを、補う他の理由というのがなくなったわけですよね。ピアノだったなら両手の10本の指を別々に動くなんていうのは弾けない人から見るととんでもなく難しいことをやっているわけですけども、いや、それを何日もの練習を積み重ねる時間と労力や、あるいはお金に対して価値があるんだと認めるからそれを人はやるわけですよね。でもその価値みたいなものがインフレーションを起こして、基本的に本当に崩れていってるんだろうな、っていうところがあって。それが文化、確かに文化なんですけれども。それと同じようなことが、その文化とは別に、例えば生命の価値や意味にまで広がっていることには、本当に危機感を感じているのかもしれません。

© IAMAS ARTIST FILE #01 MASAHIRO MIWA