IAMAS Graduate Interviews

INTERVIEW 001 【前編】

INTERVIEWER 前林明次 IAMAS教授
#2017#AKITSUGU MAEBAYASHI#DATA#DIGITAL FABRICATION#MATERIAL#MEDIUM

GRADUATE

廣瀬周士

sketch on主宰

今までの自分に何かを加えるのではなく、
「自分は何者か」を問い直した2年間

2017年3月岐阜市内に、もの作りの新たな拠点となるシェア工房「sketch on(スケッチオン)」をオープンした廣瀬周士さん。
東京藝術大学工芸科で鋳金を学び、主に金属を使った作品を制作してきた廣瀬さんが、「自分とは別世界だと感じていた」IAMASの門戸を叩いたのは45歳の時。「これまでの自分に何かを加えるのではなく、一度ゼロ地点に戻るという感覚だった」というIAMASでの2年間は、廣瀬さんのもの作りにどのような変化をもたらし、「sketch on」開設へと導いたのでしょうか。
様々な造作ツールに囲まれた「sketch on」の工作室で、IAMAS在学時の担当教員である前林明次教授がたっぷりとお話を伺いました。

自分にショックを与えるために。
45歳でIAMAS入学!

前林:色々と聞きたいことがあるんだけど、まずはIAMASに来た経緯から聞かせてください。

廣瀬:最初にIAMASを知ったのは、30歳になるかならないかくらいの年でしたね。
仕事でもAdobe Illustratorを使ってデザインすることが一般的になってきた頃で、僕もMacを買ったんです。
でも全くの独学だったので、何か分からないことが出てくると、当時IAMASの学生だった(現IAMAS准教授の)瀬川(晃)さんに教えてもらっていました。

前林:(笑)。いつ頃のMac?

廣瀬:Performaの時代。OSも漢字TalkからMac OSに移行した頃ですね。

前林:なつかしい。

廣瀬:昔はフリーズすることもよくあったので、「どうしよう、どうしよう!」ってなって瀬川さんに電話すると、夜中であろうと大体いつも学校にいたんですよね(笑)。
だから、領家町にあったIAMASにはよく行っていました。「こんな学校があるのか」とIAMASの情報に触れながらも、その頃はまだ自分とは別の世界だと感じていました。

前林:東京藝術大学を出て、岐阜に戻ってきた頃の話ですか?

廣瀬:卒業してから、少し経ってますね。東京藝大では鋳金を専攻していて、金属を素材として取り入れたオブジェやインスタレーションなどを制作していました。
卒業後はそういう世界と少し距離を置きたくて、1年くらいぼーっと過ごしていたんですが、高校の恩師から「おもしろい人がいるから、岐阜に帰ってこい」と連絡があって。先生の紹介で、彫刻の工房に就職しました。
そこは、デザインや設計から、実際にものを作って、設置、施工まで行なう、0から10まで全てやるスタイルの工房だったので、色々と学ぶことができましたね。

数年後、そこが解散することになって、フリーで仕事を始めました。運が悪いことに、バブルが弾けた後で、パブリックアートなどの公共の仕事がどんどん少なくなってきた時代で、僕も先のことを考えないといけなくなり、それでコンピュータを始めたんです。

前林:廣瀬さんが入学したのは2012年。ということは、フリーになってから実際にIAMASに入学するまでには何年か経過しているよね?

廣瀬:そうですね。高校や画塾などで講師をしながら、金属加工などの仕事があれば仕事をして、なんとか生活はできていました。だからあまり自分のやっていることに疑問を持っていなかったんですよ。
でも、「待てよ。大学を出たばかりの頃は自分の作品を作っていたのに、最近は作らなくなってきたな」と。「それじゃダメでしょ。このままなんとなく生きていっても、ちょっとつまらないな」と考え始めました。

前林:そういう思いに至る決定的なきっかけはあったの?

廣瀬:じわじわですね。心の片隅にいつも疑問があって。現状を打開するには、自分にショックを与えなきゃいけないと感じていました。

今までの自分に何かを加えるのではなく、
一度全部崩して、ゼロ地点に戻った

前林:実際にIAMASに入ってどうでしたか?

廣瀬:入学前の目論見としては、とにかく新しいことを知りたいと考えていました。自分にショックを与えるためには、今まで知らなかった世界に飛び込むことがまずは大事だろうと。
社会人なので、仕事に繋げるということも視野に入れながら、新しい技術に触れたり、新しいことにチャレンジしたいと思っていました。

前林:その目論見は、IAMASの2年間で達成できましたか?

廣瀬:達成できていないですね。というのも、これまでの自分に何か新しいことを加えていくという目論見を持って入学したんですが、それがかなり早い段階で、一度全部崩すという発想に変わっていったんです。
それこそ、入学して最初のモチーフワーク(入学して最初に1年生全員が受ける導入科目)の段階で、少し考え直さなきゃいけないと感じました。自分に何かを加算するのではなく、「自分は何者であるか」をもう一度問い直すような段階まで崩す必要があると。

前林:修士作品や論文は、自分なりに手応えがあったと思うんだけど、土台から立て直すという意味において、IAMASの2年間の成果としての修士作品は、どれくらい噛み合ったという実感がありますか?

 

修士作品《HAND ON HAND》

廣瀬:最終的にゼロ地点に戻るという感覚だと思うんです。僕がIAMASに入ったのが45歳。その年齢だと、新しい情報が入ってきたとき、新鮮に受け止めるというよりも、それまでの経験に照らして、自分なりに翻訳して取り入れていく。そういう作業に終始した2年間だったと思っています。
自分のやってきたことや考えてきたことを、もう一度違う見方で振り返って、整理していく。そういう作業を経て、結構苦労しながらも、修士作品は出来上がったという気がしますね。

修士作品は、「手をつなぐ」という言葉から人々がどのような形態をイメージするかを150人以上にリサーチして、サンプルを採集。採集した多様なパターンを、鋳造における「型取り」する替わりに、手と手が触れた面のアウトラインをトレースし、金属で成形しました。

データを基に手をつなぐかたちを選定するためのドローイング

意識したことのないかたちがそこに出来上がるのですが、色々な角度から眺めてみると、一瞬つないだ2つの手が見えてくる瞬間がある。多様にある「手をつなぐ」という行為を想起させようという作品になりました。

 

 

「手をつなぐ」イメージの型を収集するためのリサーチ

それまで「素材」といえば「鉄」「木」「絵具」のようないわゆるマテリアルを指す認識でした。「メディア表現」を通して、「データ」を素材として捉える体験をしたことで、例えば「鉄」が「データ」を出力する「媒体(メディア)」になりえるという感覚を得ました。それは大きな経験でしたね。

IAMASはITの学校じゃない!?

前林:今年3月に「sketch on」をオープンした訳だけど、ものを作ることに対してのイメージや考え方が変わってきていると思うんですよね。
その変化は、IAMASを出てからより顕著になってきたのか、IAMASにいた時の何らかの活動がつながって今に至ったのか。もの作りに対する考え方の変化に気づいたのはいつ頃ですか?

廣瀬:気づいたかどうかは分からないんですけど…。
ただ、僕はIAMASに入って、たぶん誰からも「コンピュータを使って、ものを作れ」と言われたことがないんですよ。それは自分の中ではとても意外なことでした。
入学前の僕も含め、外から見たIAMASは「ITの学校」というイメージが強いんだけど、「いやいや違うよ」って(笑)。それが2年間IAMASに通って、何となく分かってきた。
前林先生にも「コンピュータを使え」と一度も言われた記憶がないんですね。

前林:一回くらいは言った気がするけど…(笑)。

廣瀬:(笑)。ないと思いますよ。僕が都合のいいように解釈しているだけかもしれないですけど…。
要は、どんな表現を目指すにしても、その表現に必要なプロセスとして、コンピュータもひとつの選択肢としてあるけれど、そこは問題ではない。何を目指すかが一番大事だと、そのことをずっと言われてきたような気がします。

ものづくりのプロセスやワクワク感を
共有できる場所がほしかった

前林:この「sketch on」の制作環境は、より明確にテクノロジーを「道具的」に捉えているというか。しかもそれがどう使われたらより良いのかを含めて、考えられているように感じます。

廣瀬:つまり、全部一緒というか。コンピュータを使うことも、手を使うのも。素材にも色々あって、先ほども話した通り「データ」も素材になり得たりする。どんなプロセス、どんな素材でつくっても、結局はそれを扱っていく人が大事というか。

前林:確かにそうだね。

廣瀬:それまでの僕は、0から10まで一人で全部やるというもの作りのプロセスが身体に染み付いていた。分業化した形でのもの作りをあまり経験していなかったんです。

IAMASにいると、例えば僕がプログラミングをできなくても、できる人にどうやるのか教えてもらうっていうことで、何となく仕組みが分かるようになる。それが結果的に、「じゃあ、こういうこともできる?」みたいな新たなアイデアへと発展していくこともある。
それと同じように、それぞれに専門分野を持った作り手が、ものが出来上がっていく過程を自然に共有できる場所があったらいいなと思ったんです。

前林:IAMASの、多分野から集まってくる人たちとの協力体制を経験したことで、作られる「もの」だけがゴールではなく、「もの」を作るプロセスや環境に意識が向いてきたということだよね?

廣瀬:そうですね。何かを繋げ合うことで、今までできなかったことがひょっとしたら可能になるのかもしれないみたいな。僕が感じているそういうワクワク感を、もう少し多くの人が同じように感じ取れるような形にしたい。
ものを作るための情報が自然に集まってくるというか、そういうプラットフォームとして機能するという場所が、自分自身が欲しかったということだけなんですけどね。

(もの作りの新たなプラットフォーム「sketch on」で目指すこととは?後編につづく)

取材:20170703 sketch on にて

編集:山田智子 / 写真:古澤龍

PROFILE

GRADUATE

廣瀬周士

sketch on主宰

美術作家。1967年岐阜県生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科、情報科学芸術大学院大学卒業。主な作品に、《HAND ON HAND》、《lifework / roots》、《lIfework / transmit or reflect》などがある。シェア工房「sketch on(スケッチオン)」主宰。

https://www.sketch-on.net/

INTERVIEWER

前林明次

IAMAS教授

身体と環境のインターフェイスとして「聴覚」や「音」をとらえ、そこに技術的に介入することで知覚のあり方を問いなおす作品を発表してきた。現在は身体と場所との関わりへの想像力を喚起する装置として作品制作をおこなっている。主な作品に《AUDIBLE DISTANCE》、《Sonic Interface》、《ものと音、空間と身体のための4つの作品》、《Container for dreaming》、《103.1dB》、《OKINAWA NOISE MAP》、《場所をつくる旅》などがある。

http://www.iamas.ac.jp/faculty/akitsugu_maebayashi/