INTERVIEW 044
GRADUATE
棚原みずき
デザイナー ・アーティスト / 2019年卒業
試行錯誤をしながら逃げ切りたい
インターネットの構造への違和感や「テクノロジーが都市や社会に与える影響」をテーマに、データビジュアライゼーションやメディアアートの作品制作を続ける棚原みずきさん。IAMAS卒業後、欧州を拠点に仕事をしながら、現地で作品制作・展示を続ける棚原さんのキャリアや思考法について、小林茂教授が聞きました。
デザインとアートの領域を行き来しながら、データの可視化に挑む
小林茂:最近はどのような活動をされていますか。
棚原:IAMASを卒業した後ベルリンに行き、その後ロンドン芸術大学(University of the Arts London)のMA Design, Data Visualisationコースで学びました。2023年にUALを修了した後も、ロンドンを拠点に仕事をしながら、作品制作を続けています。今年2月にはロンドンから電車で2時間くらいの港町にあるギャラリーで3日間、個展を行いました。10月中旬にはロンドンで開催するグループ展への参加を予定しています。
小林:UALではどんなことを学びましたか。
棚原:データビジュアライゼーションコースは2018年に開設された比較的新しいコースです。
私はIAMASではインターネットのプライバシーに関する研究と作品制作を行っていました。研究する中で、特に様々なテクノロジーの仕組みを可視化することに興味を持つようになり、UALへの進学を決めました。
1年3ヶ月の修士課程では、データの歴史、収集、分析方法、インフォグラフィックス、プログラミングなど幅広く学びました。まずは、データを扱うデザイナーが持つべきリテラシー、データをビジュアライズするためのデザインの基礎知識を身につけ、その後は外部のパートナーとの共同研究などを通じて、実践的なデザイン制作に取り組みました。

小林:修士課程ではどのような作品を制作したのですか。
棚原:UALで私はフランスの哲学者、ブルーノ・ラトゥールの「アクターネットワーク理論」をデータビジュアライゼーションに応用する研究を行っていました。
小林:どのように応用するのですか。
棚原:データビジュアライゼーションは、まずデータを分析し、カテゴリー分けを行います。ただその過程にはどうしても分析する人のバイアスが入りこんでしまいます。そこで私は既存のカテゴリー分けの手法に当てはめずに情報を収集する方法を考え、それをどのように可視化するのかを探りました。
具体的には、サイコロを使って偶然性に委ねて街を歩き、そこで見つけたものを写真に撮って記録。なぜ自分がその写真を撮ったのか文章にして、その文章の中から4、5つのキーワードを抽出し、そのキーワードをたよりに、撮影した写真のつながりを見出していきました。最終的には、収集した情報を冊子と建築模型のような形でビジュアライゼーションしました。
小林:どんなビジュアライゼーションだったのか、もう少し説明していただけますか。
棚原:Google マップのアルゴリズムにより表示される受動的な情報と、自分が偶然性の中で能動的に収集した情報を比較するために、アクリルでロンドンの立体的な地図を作りました。
上部にはGoogle マップに表示される情報を6つのカテゴリーに分けて表示し、下部に配置した自分が集めた情報と紐で結びました。建築の手法を用いた理由は、IAMAS在学中からネットのハイパーリンクが建築構造に似ていると考える時期があり、それを表現したいとずっと考えていたからです。
小林:一口に「可視化」と言っても、何を可視化するのか、興味の対象は人によって様々ですよね。棚原さんは、社会の見えない構造をビジュアライズしたいということなんですね。
棚原:そうですね。ダイアグラムに近いかもしれません。



《A map of Algorithmic / Random walks in London》
数値化によって失われる「人間性」をデータに取り込みたい
小林:ポートフォリオサイトを拝見すると、棚原さんの肩書きは「デザイナー/アーティスト」となっていました。また、2023年に「Data Visualization Japan」のイベントに登壇された際も、「データデザイン」と「データアート」の違いについて明確に分けて話されていました。どのような使い分けをされているのですか。
棚原:私は美術大学を卒業したわけではないので、自分のことをアーティストと呼んでいいのだろうかという葛藤をずっと持っていました。
作品に関しても、アートともデザインとも言える、またはどちらとも言えないような、境界を曖昧にするようなものを作っていることもあって、アートとデザインを併記する形にしています。
基本的にデータビジュアライゼーションデザイナーに求められているのは、いかに端的にユーザーに情報を伝えられるかということで、UALの卒業生もテレビ局や新聞社などジャーナリズム分野に進むことが多いんですね。
でも私が面白さを感じているのは、時間をかけてデータを読み解き、自分で考えを深めていくプロセスです。アウトプットに関しても展示する場や見せ方を限定しないようにしたいと考えています。
小林:なるほど。一般的なデータビジュアライゼーションは、エグゼクティブサマリーのように結論を簡潔にまとめ、一瞬で納得させるものが中心です。一方、棚原さんの作品は見る人が時間をかけて読み解くことを求め、その過程で徐々にメッセージが浮かび上がってくる表現になっている。デザインとアートを行ったり来たりしながら、新しいバランスを探っているんですね。

棚原:おっしゃる通りです。私はIAMASに入学する前に働いていた広告代理店で、どのような属性の人がどんなサイトにクリックしたか、人の行動をできる限り数値化して分析、ターゲティング、広告配信する職に一時期従事していました。その経験を通して、データによって人が数値に置き換わっていくことにある種の寂しさを感じていました。一人ひとりにそれぞれの生活があるのに、データの上では「何を何回クリックしたか」「コンビニで何を買ったか」という数字に置き換えられてしまう。コロナ禍でも同じようなことを感じました。「感染者数」「死亡者数」として、人間が無機質な数値に変わっていく。そうしたデータのあり方に強い疑問を持つようになりました。
だからこそ、データビジュアライゼーションに、人の生活など数字に置き換えられない曖昧なものを取り入れたいと試行錯誤しています。
小林:2月の個展はどんな展示だったんですか。
棚原:新作3点やUALの修士作品を含む19作品を3日間展示しました。4名のゲストアーティストによる展示やパフォーマー3名によるライブパフォーマンスも行われ、100人以上の方にご来場いただきました。
来場者は幅広い年齢層の方がいました。イギリスの皆さんは、アートやテクノロジーに関する知識を持っている方も多く、興味深かったです。
例えば、データセンターの設計図を見て、「パノプティコンみたいだね」と、まさに私が伝えたかったメッセージを理解してくださったことには驚きました。




Solo Exhibition Algorithmic Randomness:
“王道”ではない、海外でのアーティストキャリア
小林:時系列が逆になってしまいましたが、棚原さんはIAMASにどのようなきっかけで入学したのですか。
棚原:私は立命館大学の映像学科でメディアアートに出会って、作品制作をしていました。大学卒業後は、「テクノロジーを使って企画立案できるプランナーになりたい」と思い、インターネット広告代理店に入社しました。そこで興味を持つようになったのが、インターネットにおける個人情報の扱いについてです。
人間が数字に置き換わっていくことに違和感を覚え、それをテーマに作品制作をし、そのような状況を考えてもらうきっかけを提供したいと考えるようになったのは、この時の経験が背景にあります。
また、クワクボリョウタさんの作品が好きで、身近なアナログなものとデジタルを組み合わせた境界を探り、作品を体験するうちにそこに込められたメッセージを受け取れる。私もそういう作品を作りたいと考えました。
小林:IAMASに興味を持ったきっかけはクワクボさんだったんですね。
棚原:スペキュラティブデザインの本も読み、長谷川愛さんの作品にもすごく感銘を受けました。お二人がIAMASの出身だと知って、入学を考えるようになりました。
小林:IAMAS卒業後、なぜ海外に行こうと考えたのですか。
棚原:卒業後にまた日本で仕事に就く選択肢もあったのですが、会社を辞めてIAMASに行く選択をした時点で、ある種の社会のレールを外れてしまったという気持ちがあったんです。だから、自分でレールを外れると決めたのであれば、もう少しそこを突っ走るしかないと思ってしまったんですね。
また、IAMAS在学中のリンツ留学やドバイデザインウィークに参加させて頂いた経験を通じて、より海外の人と交流し、研究や作品制作を続けていきたいと思ったことも理由です。
小林:なぜベルリンだったのですか。
棚原:ベルリンには、プライバシーに関する態度がかっこいい街だなと憧れを持っていました。市民の力が強いので、Google マップのストリートビューが表示されない場所がたくさんあるんです。市民の活動で、社会の仕組みを変えられるというところに魅力を感じました。でも実際に暮らしてみると、市民の力が強いゆえにデジタルインフラが整っていない不自由さもあり、結局どちらが良いのだろうと考えさせられました。
小林:その後に拠点を移したロンドンはどうですか。
棚原:ロンドンはあまりに早くインフラが整いすぎた反動で、古いものが残っています。新しいテクノロジーが次々と出てきて便利になる一方で、生身の自分は不便な生活にフィットさせなければいけない。けれど、そうした矛盾が私がロンドンを気に入っている理由でもあります。修士制作でGoogle マップをテーマにしたことにもつながりますが、テクノロジーが社会や都市にどのような影響を与えるかには非常に興味を持っています。

ロンドン近郊にはハイキングスポットがたくさんあるため、夏はロンドンから電車で1,2時間ほどの場所によくハイキングに行きます。
小林:これからもロンドンでの生活を続ける予定ですか。
棚原:先日ビザを切り替えたばかりなので、あと5年は滞在することができます。最近アート系の会社に転職したこともあり、ちょうど今は自分がこれからどうしていきたいのか考えるタイミングだなと思っています。
小林:この表現が相応しいかわからないですが、その“成り行き任せなバイタリティー”をもっているところが棚原さんの面白さですよね。日本が嫌いとか、何かしらの強い意志があって海外に行ったわけではないけれど、ずっと海外で活動を続けていける強さを持っている。
棚原:バイタリティーがあるかはわかりませんが、ベルリンでの生活は、初めての海外で、英語もドイツ語も話せなかったこともあり、思った以上に生きることがハードだったので、「まずは作品云々より、海外で生きることを頑張ろう」と思考を切り替えました。
あまり大きな目標を持って、それに向かって生きていこうとするマッチョな考え方では辛くなるなと思ったので。小さいことに挑戦して、トライ&エラーを積み重ねていく方が自分のモチベーションを保てる気がして、それを実践して今に至るという感じです。
小林:IAMAS卒業後に、海外を選択する人は多くありません。大きな賞を獲ったり、助成金や支援制度を利用したりするといった”王道”だけではなく、海外に行って、現地で働きながらアート活動を続けているというのは、他にはない好例だと思います。勇気づけられる人も多いんじゃないかなと感じました。
棚原:IAMASの卒業式の日に、ベルリンに住んでいたことがある三輪(眞弘)さんに「ベルリンに行くことは、逃げですかね?」と聞いたら、「いや、もう逃げ切れ」と言われました。逃げるってマイナスなことだと思っていたけれど、何かから逃げることを自分で選ぶのはネガティブなことではないと気づいたので、だったら、とことん逃げ切りたいなと。
ベルリンに引っ越すときは怖かったですし、決して簡単な道ではないです。でも、別に海外に行ったから何かを達成しなければならないと、意気込む必要はないと思っています。海外で生活をし、作品を作り、現地で展示をして、反応を見るだけでも、得るものは多くあると私は信じています。

取材:2026/07/21 オンライン
編集:山田智子 / 写真:福島諭(産業文化研究センター[RCIC])