INTERVIEW 043
GRADUATE
田部井勝彦
株式会社MeAM代表取締役 / 2007年卒業
メディアアート作品の価値を、未来へ受け継ぐ挑戦
テクノロジーの急速な変化によって姿を消していくメディアアート作品をいかに未来へ残していくか——。この課題に挑むため、田部井勝彦さんはメディアアート作品の修復・メンテナンスを専門に行う会社を創業しました。メディアアートを「作る」から「残す」へ。修復という「第2の人生」を選んだ背景や市場をゼロから作る挑戦について、鈴木宣也学長が聞きました。
メディアアート作品を修復する会社を創業
鈴木:田部井さんは、2025年に会社を設立されたんですよね。
田部井:はい。会社名はMeAM(ミーム)と言います。MeAMはMedia Art Maintenance(メディア・アート・メンテナンス)の略で、その名の通り、メディアアート作品の修復・メンテナンスを行う会社です。
鈴木:岩井俊雄さんの作品の修復にも携わっていますね。
田部井:10年ほど前からメディアアート作品の修復に取り組んでいましたが、岩井さんの作品に関しては、厳密には僕がCCBT(シビック・クリエイティブ・ベース東京)のスタッフだった時の仕事がはじまりです。CCBTにて岩井さんがディレクションする展示企画があり、そこにIAMASの卒業生の明貫紘子さんが進めていた「岩井俊雄アーカイブ&リサーチプロジェクト」も加わって、岩井さんの《時間層Ⅰ》、《時間層Ⅲ》、《時間層Ⅳ》を修復(再生)するプロジェクトを実施できました。この経験を通じて、メディアアート作品の修復を事業として成立させられるかもしれないと考えるようになったんです。
鈴木:非常に面白いところに着目したなと感じました。
三上晴子さんの没後10年の節目となった昨年(2025年)、ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)で大規模な展覧会『知覚の大霊廟をめざして──三上晴子のインタラクティヴ・インスタレーション』(三上展)が開催されました。三上さんに限らず、ここ数年で日本のメディアアートを牽引してきた方々がお亡くなりになったり、引退されたりしています。あるいは、自分自身の過去の作品の保存や継承に頭を悩ませている作家さんが多いと聞いています。間違いなく需要はあるはずです。
ただ、難易度は高いだろうなとも思います。作品に使用している機材やテクノロジーの変化は目まぐるしいですし、修復のスキルだけでなく、メディアアートやその作品を知っていることが求められるので。


三上晴子《存在、皮膜、分断された身体》1997年
サウンド・インスタレーション版の再現展示(2025年)
撮影:冨田了平
図版提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
田部井:まさにそうですね。修復と改変は紙一重なところがありますが、その判断基準のひとつが、「作品の本質から外れていないかどうか」です。そして、その本質を見極めるには、メディアアートの知識が欠かせません。作業中も常に作品の本質に立ち戻りながら、修復方針が適切かどうかを確認しています。
一方で、嬉しいこともあります。三上展に出品された《存在,皮膜,分断された身体》の作品調査と再現展示にも関わったのですが、実は僕は2000年頃にオリジナル作品の展示を観ていたんですよ。実際に体験していたので作品修復のイメージが掴みやすかったですし、「あの時の作品だ!」とモチベーションにもなりました。
名作に時間を超えて携われることや、作品に使用されている技術から当時の作家、エンジニアの考えを窺い知れることも醍醐味の一つです。

鈴木:メディアアートを含む現代美術の修復は、技術的な面と作品のコンセプトの整合性が難しいですね。例えば、ナムジュン・パイクの作品でブラウン管テレビを液晶モニターに置き換えてよいのかという判断にはすごく悩むと思います。
田部井:コンセプトとの整合性ももちろんですが、岩井さんの《時間層》シリーズのように、ブラウン管でなければ発現できない現象もあります。《時間層Ⅳ》も、本来は三管式プロジェクターでないと発現しません。ただ、岩井さんご本人が現行のプロジェクターでも近い現象を発現できる仕組みを考えていて、一緒に開発することができました。
作品のオリジナル機材を修理するのが第一選択ですが、どんな機材もいずれは寿命を迎えます。修理が不可能な場合、作品の意図を汲み、機材やその構成を換えながらも作品の本質だけは継承していくという視点も必要だと、岩井さんとの協働を通して考えるようになりました。
ナムジュン・パイクの作品にしても、絶対にブラウン管テレビでなければダメなものもあれば、当時は選択肢がブラウン管テレビしかなかっただけで、置き換える余地のある作品もあるはずです。
鈴木:オリジナル機材で現象を忠実に再現するか、鑑賞者の見え方や体験を優先して現代の方法で再現するのか、選択を迫られるわけですね。

岩井俊雄さんとの《時間層Ⅳ》組み立て作業
撮影:中川陽介
田部井:そうですね。ただ、必ずしも二者択一にならないような工夫もしています。
岩井さんの《時間層Ⅳ》の場合、幸いにも動作する三管式プロジェクターを入手できたため、2023年のCCBTでの展示と、2024年の東京都写真美術館での展覧会では当時の仕様通り、三管式プロジェクターで展示することができました。一方で、大阪府が所有するもう一つの《時間層Ⅳ》(セビリア万博バージョン)では、オリジナル機材の修理に加えて、先に話したような現行プロジェクターによるシステムを開発し、これを「エキシビションバージョン」としました。その後の大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]での『Re:boot ひかりの再起動・セビリア万博の記憶 ~大阪府20世紀美術コレクションによるサイエンス・アート展~』とMoN Takanawaでの『ぐるぐる展 進化しつづける人類の物語』では、このバージョンで展示しています。
どちらも動作する三管式プロジェクターはあるのですが、展示で使えば確実に摩耗していきます。だからオリジナル機材は修理しても大事に保存し、展示では現行の機材で作品体験を再現するという二段構えのアプローチを取っています。
鈴木:なるほど、理にかなった方法ですね。
田部井:修復や継承の視点で大事なのは、オリジナル機材を修理できなかったとしても絶対に捨てないことです。保存しておけば、将来に修理のチャンスが再到来する可能性があります。一例として、『時間層Ⅲ、Ⅳ』で使用しているMSXは一時期は修理不能と言われていました。しかし、当時MSXで遊んでいた子供が高度な技術を身につけた大人になり、修理サービスを始めてくれたおかげで、現在は直せるようになりました。
また、研究の側面からも、オリジナル機材のアーカイブは重要です。作品の現象やコンセプトでは機材の置き換えに問題がなかったとしても、作家がなぜこの機材を選んだか、当時の技術的制約をどう乗り越えたか、という作家自身の制作環境や思考プロセスを理解する上でオリジナル機材は欠かせません。同様に、作品の映像やマニュアルなどの資料を残すことも、修復と研究の両面で大きな助けになります。
修復を事業として成立させるための試行錯誤
鈴木:メディアアートの修復は非常にやりがいのあることだと思いますが、それをビジネスとしてマネタイズするには工夫が必要かもしれませんね。
田部井:おっしゃる通りです。MeAMもメディアアート作品の修復会社と看板を掲げてはいますが、並行して展覧会や新作制作のテクニカル業務もしています。修復案件の割合をもっと上げるためには、市場から開拓していかねばなりません。正直に言えば、このインタビューも3年後くらい待っていただくのがベストでしたね(笑)。もっと具体的な実績をたくさんお話ししたかったです。
鈴木:具体的には、どのように市場を開拓しようとしているのですか。
田部井:当初は美術館を回りました。でも、ほとんどの美術館が年間予算で動いているため、突然営業に行っても受注は難しい。しかも、美術館担当者の目線で考えると、有識者などを含めた大掛かりな修復体制と予算を組んで発注するというのは、内部稟議的にも非常にハードルが高いことだと気がつきました。
そこで、メディアアート作品を所有しているコレクターにターゲットを広げることにしました。コレクターであれば、自身の判断で修復するかを決められますから。また、全国的に美術館の収蔵庫が手狭になっているという側面もあります。コレクターがメディアアート作品を自身の倉庫にコレクションしてくれれば、作品の維持・継承の一端を担ってくれることになります。これに関連して、メディアアート作品の購入者向けアフターサービスなどのアイデアがいくつかあります。それらをコレクターの方々に安心して利用してもらえるような社会的信用を得たり、各分野の専門家で修復に取り組めるような体制を構築するために法人化した経緯があります。

人生をかけて、メディアアート制作に取り組んできた
鈴木:先ほど修復にはメディアアートを知っていることが欠かせないという話をしました。田部井さん自身はいつ頃からメディアアートに興味を持っていたのですか。
田部井:元々はゲームクリエーターを目指していて、成安造形大学(成安)CGコースで学んでいました。大学3年の頃にインタラクティブ形式の作品を見て、「ゲームみたいに自分で操作して鑑賞できるのか」と興味を持ったんです。ゲームセンターでよく遊んでいたこともあり、初めはその経験が作品へ活かせることに面白さを感じました。それから、ダムタイプなどの影響もあって、音や光をインタラクションにしたインスタレーション作品を制作するようになりました。大学卒業後もメディアアート作品の制作を続けられる環境を得たくて、IAMAS進学を考えるようになったんです。
鈴木:IAMASはどのように知ったのですか。
田部井:ちょうど成安の卒業生がIAMASにどんどん進学している時代だったんですよ。
鈴木:確かに、成安の出身者は多いですね。
田部井:成安に大学院がなかったこともあって、恩師の森公一先生が「もっと制作を続けたいんだったら、岐阜にあるIAMASという学校に行ってみたらどうか」と勧めてくださったんです。
だけど、在学中に受けた時は、書類審査で落ちてるんですよ。
鈴木:えっ、そうだったの?
田部井:それで、地元・群馬に帰って、製造業の会社で働きながら、「それでも作家活動を続けるんだ」と頑張っていました。この会社のおかげでCNCやフライス盤、旋盤などの機械工作スキルや図面作成の知識も得たんですけど、作家活動的には難しくて……。モヤモヤしていた時期に、成安で同級生だった松本典子さんが卒業後に働いてお金を貯めて、IAMASに合格したと風の噂で聞いて、「IAMASって、就職してからでも受けられるんだ!」と気づいたんです。
鈴木:そこで、気が付いたんだ!
田部井:僕には融通の効かないところがあって、受験に失敗したのなら働くしかないと思い込んでいたんです。ちょうど同じ頃、職場の先輩に「今の状況をなんとか変えたい」と愚痴をこぼしたところ、「学校に行き直してみたら」と言われていたんです。その言葉と松本さんの噂がリンクして、大学卒業から2年後にIAMASを再受験しました。だから、僕はIAMASへ人生を変えに行ったんです。そういう気持ちもありましたし、働きながら制作時間を捻出することの大変さが身に染みたので、IAMASでの時間はとても貴重でした。

鈴木:IAMASで、特に印象に残っていることはありますか。
田部井:たくさんありますが……入学して3日後のモチーフワークの授業で、学生と教員が喧嘩を始めたことですかね(笑)。「なんちゅうところに来てしまったんだ」と思いました。
教員であるはずの先生が、学生全体に出された課題そのものに対して疑問を持ち、それを隠さずに意見する。立場にとらわれない教員の姿を見て、すごくいいなと感じたんです。
鈴木:ポジティブに受け止めたんだ。
一般的な大学は教員がわかっていることを学生に教えるという形で授業が行われるけど、IAMASは、教員自身も答えの出ていない問いを学生に考えさせることがあるからね。
田部井:そうですね。教員も学生も一人ひとりが独立的に考えて、しかも行動する。先生も真剣に考えたからこそ、「おかしい」とみんなの前で主張したんだと思うんですよ。さらにその先生に対して、他の教員が自分の考えを主張する。全員が目の前のことに真剣に向き合っている。「ここはすごい場所だぞ」と感じました。
鈴木:自身の制作についてはどうでしたか。
田部井:同期は小鷹研理くんや金井学くんなど強烈なバックグラウンドを持った人たちが多かったので、最初は「作品を作ったら、自分の底が知られてしまう」という変なプライドが邪魔をして、なかなか作品を作れませんでした。見かねた松本さんから「早めに一回作っちゃったほうがいいよ」とアドバイスをもらって、Maxを使った作品を名刺代わりに作って、図書館のギャラリーで学内向けに展示をしました。そこからは吹っ切れて、集中して制作に取り組めるようになりましたね。
環境、人、共に充実していましたね。木工室、金工室、仮眠室はよく使わせてもらいました。同期では、宮内康乃さんと異ジャンルでコラボレーション制作できましたし、早川貴泰くんとパスタ茹でながら互いに作品プランの壁打ちしたり、電子工作で困ったら原田克彦くんに泣きついたり、廣田ふみさんは研究やアートマネジメントの仕事で確実にオーバーワークなのに、かくだなおみさんや清水彩栄子さんと学内フリーペーパーを毎月発行していて唖然としました。一学年上の斉田一樹さんのところへカップラーメンを分けてもらいに行ったら、三原聡一郎さんとむぎばやしひろこさんとでmoidsの初期バージョンをつくってました。修士制作では一学年下の高尾俊介くんや金箱淳一くん、蛭田直くんなど、みんなに手伝ってもらいましたし、AVRのプログラムは助教の遠藤孝則さんにお願いできて、完成度の高い作品にできました。

田部井勝《邂逅 わくらば》(2007年)
メディアアートの修復を、未来へつなぐ
鈴木:IAMAS卒業後も、IAMASや京都芸術大学ウルトラファクトリー、東京藝術大学芸術情報センター(AMC)、スーパー・ファクトリーでテクニカルスタッフとして働きながら作品を作り続けていましたよね。そこから修復に舵を切った背景には何があったのですか。
田部井:IAMASで前田(真二郎)先生が「YouTubeなどで気軽に映像が見られる時代に、わざわざお金と時間を使って観に来てくれた人に何を見せるのか。」とおっしゃっていました。つまり、「やってみた、できた」ではなく、その先まで突き詰められる人だけが、作品として人に見せることができる。そう今でも思います。
しかし、その「厳しさ」を自身に課し続けているうちに、作品が作れなくなっていきました。アイデアを思いついても、すぐに完成形がイメージできてしまい、自分でも面白く感じられないんです。今思えば、自分のアイデアをすぐに作品として具現化できるだけの技術や知識、経験が、制作を続ける中でようやく身についたんだと思います。だからこそ、作る前から結果が見えてしまう。ある種の「やり切った感」もありましたが、作家としての乗り越えどころだったとも思います。
しかし、そういった「厳しさ」だけの問題だったら、いずれ乗り越えられたのかもしれません。
ウルトラファクトリー時代は、工房を利用する学生だけでなく、作家の制作サポートもしていました。第一線で活躍する作家が日常的に出入りしていたのですが、みなさん、いい作品を作ることや、「厳しさ」に向き合うことは大前提で、それに加えて、アートシーンにおける作家としてのブランディングや制作体制の構築、ギャラリーや美術館との駆け引き、今後の作品の方向性などを、かなり戦略的に考えていました。作家として社会の中で活動していく以上、そういった側面は理解していましたが、その比重が想像以上に大きかったんです。そうした世界線で活動していくために求められるセンスや気質を目の当たりにして、「僕はこの人たちのようには戦えないな」と悟りました。
一方で幸いなことに、ウルトラファクトリーでの仕事を通じて、テクニカルの仕事にも面白さを感じていました。そして、僕が一人で不器用に作家活動を続けるくらいなら、今も戦っている作家たちのために、この経験や技術を活かした方が世の中のためだな、とポジティブに「筆を折る」気持ちになったんです。
鈴木:前向きな撤退だったわけですね。
田部井:ただ、それまでは作品制作が生活の中心だったので、ぽっかりと時間が空いてしまったんです。その時間で何をしようかと考えた時に、「そういえば、修復をやりたいと思っていたな」と思い出したんです。
鈴木:修復をやりたいと考えるようになったきっかけがあったのですか。
田部井:最初に興味を持ったのは、IAMASでの四方(幸子)さんの講義だったと思います。
鈴木:ほう。
田部井:四方さんが色々なメディアアート作品を紹介してくれたんですけど、「これは○○美術館にあって、今はもう見れないんですけど」「これはこういう作品で、今はもう見れないんですけど」って、「全部見れないじゃん!」ってなったんです。しかも、それほど昔の作品でもないんですよ。
鈴木:1990年代くらい?
田部井:それくらいです。当時だと20年くらい前の作品ですね。講義を聞きながら、よく一緒にグループ展をしていた画家の友達が「100年保つ画材を使ってる」と話していたのを思い出しました。絵画や彫刻のように自分の作品も販売できたら、作品制作だけで生活できるのにな、と思っていたのですが、100年保つ絵画に対して、たった数十年で見られなくなるメディアアート作品を販売するのは難しいと感じました。
僕も自分の過去作を別のソフトで動くようにプログラムを書き換えたことがありますが、結構労力がかかりますし、作家は過去作よりも新作に力を注ぐべきだと思います。だからこそ、絵画の修復士みたいに、メディアアートにも修復や保存を担う専門的なポジションが必要だと直感しました。四方さんに話したら「いいですねー。是非やってください。」と言ってもらえましたが、当時は僕も作家としてやっていくつもりだったので、「2度目の人生があるなら、修復をやってもいいかな」くらいに考えていました。
鈴木:2度目の人生(笑)。
田部井:作家を諦めて、まさにセカンドライフが始まった感覚です。
鈴木:作品を未来へ残す仕組みづくりは、メディアアート界にとって非常に重要な課題だと思います。今後の展望を聞かせてください。
田部井:まだ気が早いかもしれませんが、年齢的に僕自身がフルパワーで働ける残り時間が見えてきました。それまでに僕の中に蓄積された知見も含めて、作品を未来につなぐ仕組みを作りたいです。
あと、アートマーケットにメディアアート作品がもっと流通するようになってほしいですね。ギャラリーやコレクターの間でも、メディアアート作品を取り扱う機会は少しずつ増えている印象です。MeAMのような修復・メンテナンスサービスによって作品の価値を維持できるようになれば、その流れはさらに加速していくと思います。
でも、それは事業が成功するかどうかとは別に、メディアアーティストの生き方の選択肢が増えてほしいという思いがあります。商業的なクライアントワークで技術を磨いたり実験を重ねたりするのもいいですが、そこで得た収入を自分の作品の制作・発表につぎ込んで終わるのではなく、作品そのものをコレクターが購入してくれるようになれば、メディアアート作品を制作すること自体が生業となり、経済的にも自立していけるのではないかと思います。
アートマーケットにもさまざまな側面がありますし、作品を売って生計を立てるというのは古いやり方だとも思います。それでも、少なくともメディアアート作品は、コレクション対象としてもっと受け入れられる余地があると思います。
鈴木:油絵や日本画のように、将来的には大学に「メディアアート・現代美術の保存修復科」ができる可能性もありますよね。
田部井:修復の知識と実践が蓄積されれば、必然的にアカデミックな研究へと発展するので、大学などの教育機関で教えることも一つの方法だと思います。一方で、会社で若いスタッフを雇い、常に数点の修復を行いながら、僕が老いた職人のように「そこはもっと右じゃ!」「電圧は計ったんか!」と杖をつきながら指導して回る未来も悪くないなと想像したりしますね(笑)。
まだ模索中ではありますが、メディアアート作品の修復を職業として確立させ、若いプレーヤーが続いてくれるような市場を築いていきたいと考えています。

取材: 2026/07/10 情報科学芸術大学院大学[IAMAS]
編集・写真: 山田智子