前林先生(以下敬称略す)は最終的にa.Laboキックオフでの最初の課題であった「3.11への応答」に立ち戻り、①テクノロジーと人間の関係性の問い直し ②暗黙知・贈与性 ③夢の可能性 を指摘されました。あるいは冒頭において自作を読み解くキーワードとして、①stow away ②代償的内側性 ③dreaming を挙げられています。相互にねじれた関係軸において共通している語彙は「夢(dreaming)」の一語です。今回のプレゼンテーションでは、この「夢」はさまざまな様相をもって私たちに提示されています。たとえば、Container For Dreaming においては、すでに作品名に「夢」が含まれています。また今回の話のなかでもとりわけ魅力的であったコンテナ/密航論(?)においては、コンテナを「夢の容器」として解釈する方向性を示されています。あるいは、作品名にも関わっているDreamingをアボリジニーにおける神話的な位置づけへと接近させ(より正確にはアボリジニーにとってDreamingは、彼らの先祖=トーテムを意味するのですが)、最終的には「夢を見る/語る」の可能性が(可能性のみですが)提案されました。前林作品における「夢」とは、一般に理解されている「無意識によって構成された断片的な知覚イメージの塊」といったもの以上に、あるいはそれにピタリと寄り添うような形で「複数の知覚の差異」を表象しているように思われます。たとえば作品Container For Dreamingにおいては、コンテナに横たわり、本来はその空間では聞えない(もしかしたら聞えたかもしれない)さまざまな音の集積体を聞くことによって、夢を見ているような状態を意図的に作成(捏造?)しているとも考えられますし、あるいは歌舞伎町のど真ん中のコンテナ内部のベッドの上という特殊な環境において、そこには無い音を聞くというさらなる特殊な条件が付与されることによって、日常的な経験の異化作用が生じることにもなるでしょう。いずれにせよ、そうした体験は悉く、文字通り「夢のような」経験であり、15分の時間が経過しコンテナから外に出ることによって、(同じような聴覚で外部の音を聴取することにはなるのですが)先ほどまでの状況に対して非現実的な思いを抱かざるを得ないことになるでしょう。その意味では夢は現実の対立項目ではなく、あたかも「地と図」のようにわたしたちの日常を色分けているに過ぎないということになります。

ところで、ここで問題になるのは、今回のテーマである「夢は見えるか?」ということについてであります。わたしたちは経験上、あるいはほとんど制度的に「夢を見る」という表現を使ってしまいます。しかし、言うまでもなく「夢」は脳内の特定部位に定着された知覚イメージ(視覚イメージですらない)であって、まちがっても「見る」という動詞にふさわしい目的語などではないのです。英語ではdreamという単語は名詞形であり同時に動詞形でもあります。動詞としてのdreamは「夢す」あるいは「夢る」としか訳しようのないものであって、そこに「夢」のもつ複雑さと可能性が存していることになるわけです。白日夢、幻覚などもまた、むしろ視覚を超出した感覚によって特別に捉えられてしまうからこそ、非日常ないし異常というレッテルが貼られてしまうのでしょう。つまり、前林作品に潜む「夢」の内容である「複数の知覚の差異」というテーゼは、そのまま「夢」の捉えにくさを語っていることになるのです。いわば曖昧な「夢」という現象を疑似的にでも追体験的にでも味わうことによって成立しているであろうContainer For Dreamingは、それ自身曖昧な代物となってしまう。前林がプレゼンテーションにおいて、多くの「他者のテキスト」ないし「他者の作品」が引用されているのは、作品のもつ曖昧さ(それは作品としての脆弱さという意味ではなく、作品が扱うテーマである「夢」のもつ曖昧さという意味合いにおいて)に補助線を引く試みであったと理解することができます。


この続きはD-dayの本番で明らかにされることになるでしょうが、前回同様、ここでもキーワードをあげておきます。それは「都市・通路・臨場感」です。前林が冒頭で提示した三つの主題、そして最後に列挙した三つの問題ともこのキーワードは確実につながっています。また、先日はからずも口走ってしまったバタイユについては、議論全体を煙に巻くための手段では断じてなく、むしろある意味での「決定打」として登場させるべき大看板であると思いますので、時間があれば言及させていただきたいと存じます。

(小林昌廣)


小林昌廣(IAMAS教授、医療人類学、身体表現研究、芸術批評)

1959年東京生まれ。植物生化学の研究ののち、大阪大学大学院医学研究科博士課程満期退学。大学院では医療人類学、医学史、医学哲学などを勉強し、中国 を中心にした東南アジア諸国での非西洋近代医学のフィールド調査を行なうと同時に、日本独特の医療文化である「肩こり」「持病」「血の道」などについての 広域的研究を行なう。著書に『病い論の現在形』(青弓社)、『臨床する芸術学』(昭和堂)、『「医の知」の対話』(人文書院)など。京都造形芸術大学芸術 学部芸術表現・アートプロデュース学科教授、同大学舞台芸術研究センター主任研究員を経て、現在、情報科学芸術大学院大学教授 。

(1)時間:

平成24年6月6日 18:30 ~ 20:00(第一週目の水)

(2)場所:

ソフトピアジャパン ドリーム・コア2階(岐阜県大垣市今宿 6 - 52 - 16)

(3)定員:

 各回 10名程度 (申込不要)

(4)参加費:

 無料

(5)問合せ:

 IAMAS 産業文化研究センター[RCIC]

 tel. 0584-75-6606

 fax.0584-75-6637

 http://www.iamas.ac.jp/

  主催: IAMAS 情報科学芸術大学院大学

5/31 P-dayのイベントレポート

(下記イベントは無事終了しました。)