KOSUGI+ANDOの作品群のうちで、原発をテーマにしたふたつの作品『二番目の埋葬』と『遷移状態』が紹介された。

『遷移状態』に関しては、すでにぼくなりの見解を述べていますのでそちらを参照していただくことにして、今回は二つの作品を別の視点から捉えることにします。プレゼンテーションのときにも言いましたが、両方の作品において「椅子」や「ベッド」が共通して使用されているということに、まず着目したいと思います。そこでは「椅子」や「ベッド」同様に、日常の等身大の生活を表象するものとして設置されており、それが二重らせん構造(『二番目の埋葬』)を構成していたり、「原発を象徴する一つの特製ベッド」(安藤のテキストより)が「赤ん坊(=原発)」に安眠(?)を与えていたりします。とくに「椅子」を使用するアート作品は少なくないのですが、KOSUGI+ANDOの作品では、その椅子はわずかに骨組みだけであり、椅子としての意匠性はきわめて希薄であり、真っ白な骨格が椅子であること(あるいはあったこと)をかろうじて示しているに過ぎない存在なのです。赤ん坊が横たわるベッドの傍に置かれた椅子、であれば、そこに座るべき資格をもった第一の人物は「母親」であります。KOSUGI+ANDOのこれらの作品には、赤ん坊(原発)ばかりがいて、何よりも母親が不在であることは重要です。原発はむろん、当時の最先端の科学技術と国家の威信とが不本意に合体したさいにできあがった、いわば「鬼っ子」のような呪うべき存在なのですから、その意味では母親とは「科学技術」であり「国家」であります。しかし、KOSUGI+ANDOの作品では母親はすでに赤ん坊を放棄してしまっていると見ることもできます。最初の愛の対象(ここでは最初の管理の対象、と読み替えてもかまいません)である母親の拒否ないし黙殺によって「成長」することを余儀なくされている不可視の赤ん坊(原発)は、「栄光の科学の夢」を微睡みつつ、恐ろしい現実という「夢よりも深い夢」をつくりだしてしまった。しかし、母親(科学技術あるいは国家)の意志(?)を表象する「椅子による二重らせん」は、母親的な遺伝子の連続がすでに赤ん坊の内部では機能していることを予感させると同時に、「不在の母親たち」の眼に見えない連繋ないし連鎖のような構図を見ることもできます。つまり、この椅子は座れないのです。歴史的に、椅子はただ座るためのものでなく、出産や排泄のために特別に誂えられたものもあれば、拷問や処刑のために使用される場合もありました。禅宗の絵画には「頂相(ちんぞう)」と呼ばれる僧侶の肖像画が知られていますが、これは遺影としても本尊としても用いられるべきアイコンです。高僧たちは曲録(椅子)にゆったりと座った姿勢が描かれています。理由は明確ではありませんが、この場合の椅子とは、宗教的な一つの立場へと至るための移動装置ないしトランスミッターのような意味合いをもたらせれているのでしょう。KOSUGI+ANDOによって造形された椅子は、そうした椅子のもつ豊かなイメージをはぎ取るだけの強度をもったものであると考えることもできますし、「座り手=母親=科学技術+国家」のいない椅子の形状は、わたしたちの日常の身体からすでにこの赤ん坊が超出する存在となってしまったことを物語ってもいます。

そうした椅子への思考=志向は、作品のタイトルである『二番目の埋葬』という表現へのアプローチを惹起します。つまり、ここでは「埋葬」が二回あります。安藤のことばを使えば「廃棄される原発の墓碑銘として」の埋葬であり、「あり得べき未来への哀悼」としての埋葬ということであります。原発は二度埋葬されなければならない。それは、廃棄された原発に関わるさまざまな物資や材料は単に土中に埋めるという「埋葬」では決して「死」を迎えることはない、ということを意味してもおります。その意味では、そうした土中廃棄物ないし鉛の棺に納められた遺体といったものは宇宙空間へと再廃棄され、未来永劫漆黒の宇宙を彷徨うことを余儀なくされるという「二番目の埋葬」が待っていることにもなります。この作品を制作する前に、安藤から「殯(もがり)」についての質問をされたことがあります。「殯」についての詳述は避けますが、要は人の遺体を特定の空間に安置しつづけることで、その物理的な変化や宗教的な意味合い(魂が離脱するプロセスなど)を時間的な経過によって示し、生者と死者の双方に「死を認めさせる」儀式として理解されているものであります。KOSUGI+ANDOの両方の作品に登場する「鉄製のベッド」は、生れたばかりの赤ん坊を眠らせる場所であると同時に「あり得べき未来を追悼させる」ような「殯の場所=棺」として機能していることになります。しかも、そこでの「殯」のなかには、たとえばチェルノブイリで被爆した消防士たちの遺体が鉛の棺に納められたまま永遠に土中に還ることのない存在としてありつづけることの悲劇(ぼくはこの「鉛の棺」への納棺という場面に、わが国の歴代の天皇が鉛の棺に納められたまま、いわば未だに「殯」の状態を継続しているという現象との不思議な合致点を見てしまういたくはなりますが…)が通奏低音のように流れており、その悲劇自身も「成仏」することなく「殯」の時間を永遠に生きてしまうことになります。つまり、KOSUGI+ANDOの作品のもつ強度(これは現実の世の中に与える衝撃度、と読み替えても構わないでしょう)は、「二度目の埋葬」という作品タイトルをはるかに凌駕して、複数の埋葬(とその不可能)ないし多層的な「殯」のイメージ/脱イメージによって確かなものになっていると言うことができるでしょう。

少しだけ前述しましたが、「赤ん坊(原発)の見る夢」がわれわれには「現実の悪夢」として出現してしまうという逆転現象を作品によって明確にしているという点も、「夢とアート」という巨大なテーマを考えるうえでは大きな助言を与えられたような気がします。

さらには「アーティストはつねに社会的な問題を自作のなかにとりこむべきか」といった素朴な「芸術表現=社会活動論」といった地平に関しても、多くの課題を提出しているのがKOSUGI+ANDOの作品であったと思われます。とくに「原発」がテーマである場合、根本的に困難な問題は、それが決して「社会的(あるいは政治的)」問題ではなく、日常の地平において捉えるべき問題であることを忘れてしまいがちであるという前提が、事をより複雑なものにしてしまっています。たとえば、今では日本人の誰もが口にすることもないAIDSという感染症は、別に病いが克服されたので人口に膾炙しなくなったわけではなく、ただ「忘れられた(話題にされない)」だけなのです。実際のところ、新規患者数も感染者数も増加しているこの日本では、AIDSは単なる(と言えば語弊がありますが)性行為感染症のみならず、輸入血液製剤による感染症という、すぐれて政治的・社会的問題が潜んでいるということを、文字通り「潜んだ」状態のままにしてしまっていることこそが問題なのであります。原発という未曾有の科学技術的・国家的・社会的・日常的現象を、アートというそれ自身は非力な表現行為によって移し替えるという行為は、ある種の「日常性(日常的な意識)の覚醒と拡張」といった文脈で、これからも継続されるでしょう。安藤が最後に述べた「3.11とは現在進行形である」との言説について答えるかたちで、「3.11への応答もまた現在進行形である」と言わざるを得ないのです。



小林昌廣(IAMAS教授、医療人類学、身体表現研究、芸術批評)

1959年東京生まれ。植物生化学の研究ののち、大阪大学大学院医学研究科博士課程満期退学。大学院では医療人類学、医学史、医学哲学などを勉強し、中国 を中心にした東南アジア諸国での非西洋近代医学のフィールド調査を行なうと同時に、日本独特の医療文化である「肩こり」「持病」「血の道」などについての 広域的研究を行なう。著書に『病い論の現在形』(青弓社)、『臨床する芸術学』(昭和堂)、『「医の知」の対話』(人文書院)など。京都造形芸術大学芸術 学部芸術表現・アートプロデュース学科教授、同大学舞台芸術研究センター主任研究員を経て、現在、情報科学芸術大学院大学教授 。

(1)時間:

平成24年7月4日 18:30 ~ 20:00

(2)場所:

ソフトピアジャパン ドリーム・コア2階(岐阜県大垣市今宿 6 - 52 - 16)

(3)定員:

 各回 10名程度 (申込不要)

(4)参加費:

 無料

(5)問合せ:

 IAMAS 産業文化研究センター[RCIC]

 tel. 0584-75-6606

 fax.0584-75-6637

 http://www.iamas.ac.jp/

  主催: IAMAS 情報科学芸術大学院大学

6/28 P-dayのイベントレポート

(下記イベントは無事終了しました。)