IAMAS OB/OG Interview

INTERVIEW 018

INTERVIEWER 平林真実 IAMAS教授
#2020#ART#HIRABAYASHI MASAMI#PROJECT#UNIT

GUEST

美チャンネル

丸尾隆一 山城大督 萩原健一

楽しみながら、普段やらないことに挑戦できるクラブ活動

今回は、「IAMAS 2020第18期生修了研究発表会・プロジェクト研究発表会 」の関連イベントとして2月21日に行われた「IAMAS OB/OGインタビューライブ」の模様をお届けします。

▲左から、山城さん、萩原さん、丸尾さん、平林教授

エネルギッシュだった6、7期生

平林

今回は、IAMASがアカデミーだった頃のDSPコースの卒業生で、IAMAS学内に「美チャンネル」という非公認公式インターネットラジオ放送局を作ってネット配信をしていた萩原健一さん、丸尾隆一さん、山城大督さんの3人をお招きしました。まずは自己紹介からお願いいたします。

山城

まずは「IAMAS2020修了展」のオープンおめでとうございます。我々「美チャンネル」はお祝い事のときには「必ず」花輪をお贈りするようにしていまして、平林先生の後ろにある花輪をご用意させていただきました。

平林

アルス・エレクトロニカにも持っていきましたからね。

▲「IAMAS :Progressive Media Art Education from Japan」美チャンネルブースと花輪

山城

そうなんですよ。卒業後に「アルス・エレクトロニカ2004」 のキャンパス展示に参加したのですが、そのときは3つ持っていきました。航空便だったんで、すごく輸送料がかかると言われたんですけど、リンツで日本の最先端の文化を伝えられたらいいなと思い送りました。

山城

自己紹介が遅くなりましたけど、私、美チャンネルのメンバーの山城大督です。よろしくお願いします。美チャンネルはメンバーが6人おりまして、今日来ている3人は、その中の「アーカイ美味んぐ」というグループです。
美チャンネルの他メンバーは、2019年の「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」に出品した安野太郎君、京都府京都文化博物館の学芸員をしている植田憲司君、音楽や物理をやっている研究者 飛谷謙介君がメンバーです。後は、スーパーサブとして8期の林洋介君もいますね。林君の結婚式お祝い映像「滋賀ー・ロス」はアーカイ美味んぐで制作しました。
僕は美チャンネルの中では「現場監督」と呼ばれていて、“場を荒らす”のが専門分野です。今日の公開インタビューの最後は相撲で終わろうと思っています。

平林

全然自己紹介になってないよ。(笑)

山城

僕はアカデミーの7期生で、同期には「Rhizomatiks」の真鍋大度君もいて、かなり活発に活動していた代でしたね。今は名古屋を拠点に作家活動していて、主に映像を使ったインスタレーションを発表しています。個人としての活動に加えて、美術家の中崎透くんとアートマネージャーの野田智子さんと「NadegataInstant Party」というグループでの活動もしています。

萩原

萩原健一と申します。僕は山城君と同期で、最初はIAMASのDSPコースに入って、その後大学院の方に進んだので、アカデミーと大学院の両方を体験しています。

山城

ショーケン(萩原)はIAMASに10年以上いたんですよね。

萩原

休学して研修にでたり、何もしない時期を作ったりしながら、大垣を堪能しました。アカデミーから大学院に進む人は何人かいましたが、その中でもアカデミー研究生と大学院研究生まで所属した人は「イアマスコンプリート」と呼ばれています。僕が知る限り林洋介君しかいません。※1大学院を修了後は、IAMASでシステム管理専門職を担当しながらフリーカメラマンを生業にしていたのですが、ご縁があって2007年からCGIコースで教員を始めました。いくつかの大学で講師をした後、今は秋田公立美術大学で働いています。
秋田県は日本で最初に人口が江戸時代に戻ると言われていて、逆に言えば人口減少に対する世界の最先端ともいえる地域です。そうした中で美術大学に求められていることも多く、学生に指導しながら自分でも制作や研究活動を続けています。

※1 記憶違いです。

丸尾

丸尾隆一です。僕は2人より1年先に入学したので、アカデミー6期生です。ちょうどスタジオ科・ラボ科がなくなり大学院ができた年で、大学院1期生と同期になります。研究生として1年残ったので、2人とは2年間重なっていて、美チャンネルの活動にも参加できました。
卒業後は山口情報芸術センター[YCAM]で2006年から2015年まで働きました。今はフリーになって、東京を拠点に映像や写真など、IAMASの繋がりも含め仕事をしながら、
ここ数年は、IAMAS OBの会田大也さんが監修を務める教育プログラムの広報・ブランディングディレックションに携わってきました。会田大也さんの教育理念を伝えることを念頭に、会報誌や公式Webサイトの制作プロデュース、Facebook、Instagramなど、オウンドメディアを使ってイベント・ワークショップの集客から、ブランディングまで総合的に取り組んでいます。

写真を撮るためにおいしいものを食べる「アーカイ美味んぐ」

平林

3人はDSPコースの中でも、映像寄りという印象がありますね。

山城

僕らがIAMASに入学したのは2001-2002年で、僕はまだディジタル・カメラを持っていなくて、フィルムで撮っていたんですよ。ショーケンも丸ちゃん(丸尾)もそうだったんじゃないのかな。
IAMASはデジカメを湯水のように借りられたので、何枚でも撮ることができるのだけど、特に撮るものがないから、大垣をウロウロしながら自分たちを撮るみたいなことをしていたんです。

萩原

そうそう。CanonのIXYとSONYのサイバーショットが学内に沢山あって、シルバーの質感も良くてずっと持ち歩いていました。機材貸し出しの延長申請をし続けて、なんなら機材にプリクラも貼っちゃうくらい私物化して。携帯電話のカメラのようなシャッター音もしないので、とにかく押す、何も考えず押す。あと前田(真二郎)先生の授業でカメラ内編集するようなビデオ作品を知って、miniDVテープのハンディカムで撮影し始めたのもこの頃です。HIROMIXや長島有里枝さんの写真に影響を受けていたので、コニカのBIGmini(フィルムのコンパクトカメラ)とIXYとハンディカムの3台持って遊びに行っていました。

平林

台風の時の写真もありましたよね?

▲アーカイ美味んぐのはじまり。揖斐川で拾った鮎を焼いて食べる

丸尾

そうそう。大垣に台風が来て、揖斐川が氾濫したことがあったんですけど、水が引いた後の道路に魚(鮎)が落ちていて。その魚を拾ってIAMASの領家町の校舎の芝生で焚き火をして食べたのが、美チャンネルの前身となる「アーカイ美味んぐ」の始まりですね。正確にはこの焚火のことを「チャンバワンバ」と言ってました。

山城

そうでしたね。懐かしい。
アーカイヴしながら美味を楽しもう。その進行形で、アーカイ美味んぐ。(アーカイヴ+美味+ing)

平林

その最初が台風の魚だったと。

山城

そうです。写真を撮りたいがために活動をしていて、活動をする目的として、せっかくならおいしいもの食べようということです。
当時(2003年)はSNSがなかったですよ。mixiもないし、Facebookもないし、twitterもないし。GREEの少し前ですからね。ANDコースにいた山田興生くん、僕らは「神」って呼んでいるんですけど、「神」がHotlineというファイル共有やネット上でのコミュニケーションのためのサービスを学内に用意してくれて、撮った写真や動画をHotlineにどんどん上げて、共有しては感想を掲示板に書き込み学内でチャットしていました。

丸尾

今となっては死語なんですけど、ちょうど「写メール」が出始めた頃で、携帯電話のメールで写真をお互いに送り始めた時代だったんですよ。そこで特定のメールアドレスに画像を送ったらウェブにどんどんアップされるような仕組みがあったらいいなあと、ANDコースの山田由希美さんの前でポロっと話したら、「作りましょうか」って。翌日にはできていたのがこのサイトです。確か山田さんの年次制作プレゼンを見て思いついた記憶があります。3人で1つのinstagramを更新するみたいな感覚でやっていました。

※8年前からシステムメンテナンス中

▲3人の携帯電話から送信された写真を表示する「ArchiBIMIng Fanta!Plastik!」(※8年前からシステムメンテナンス中)

山城

あのスピード感はえげつないよね。僕はプログラムを一行も書かずにIAMASを卒業した自負があるんですよ。(笑)卒業作品も(真鍋)大度くんが全部書いてくれて。そういう連携がIAMASの面白いところですね。内緒ですよ。

リアルタイムで配信することへの熱狂

平林

アーカイ美味んぐの活動から美チャンネルにつながっていくんですね。美チャンネルを始めたのはいつですか。

丸尾

在学最後の年なので、2003年の夏ぐらいですね。オープンキャンパスの準備の時に、ショーケンと僕で領家町の旧校舎と新校舎をネット回線使って音声だけでやり取りをする実験をしたんですよ。旧校舎に設置したスピーカーから、新校舎で喋った声が聞こえてきた瞬間に、すごく感動したんですよ。聞こえた〜!って。

平林

インターネット黎明期みたいな話ですね。(笑)

萩原

領家町の2つの校舎の間を走りながら、「つながった」「つながった」って。距離にすると50mもない場所でした。

丸尾

「コンピューター」を通じてリアルタイムにショーケンの声が聞こえてくることにすごく感動して。その声を聞きながら電話で「聞こえた?喋ってる?」って確認してましたけどね。「これを使って何かやりたい」「インターネットでラジオ的なことをやってみよう」ということになって、平林さんに相談に行きました。面倒くさそうに最低限の対応をしてくれましたね。(笑)

萩原

教室に転がってる機材やケーブルを拾い集めて、空いてるPCを一からセットアップしてスタジオを組んでいったんだけど。そのDIYの高揚感はよく覚えています。実際は人にお願いしまくっているのでDIYでもないんだけど。

山城

最初は学内だけに向けて、メルマガの発行と毎週1回の配信を目標にスタートしました。アーカイ美味んぐと同じですけれども、コンテンツありきではなくて、とにかく配信をすることを目的にコンテンツを無理やり持ってくるみたいな感じでしたね。あんかけパスタを食べに出たり岐阜市にあるストリップ劇場に行ったり。写真撮るためにおいしいものを食べなきゃいけないみたいなのと一緒で、配信するためには何か喋るネタを探さなきゃいけないみたいな感じで、ネタを探す毎週でした。

▲美チャンネルの配信ブース「ヒューストン」※領家町キャンパス旧校舎4階

丸尾

これが当時の配信ブースです。僕らはこの配信ブースを本気で「ヒューストン」って呼んでました。

山城

「スタジオヒューストンからお送りします」ってやっていましたね。
これって、MDプレーヤーですよね!今、何年前の話をしているの?

丸尾

16、7年前…。

平林

2003年ってことですよね。先ほどネットから音がして感動したのが始めたきっかけだということでしたが、リアルタイムで配信することにこだわったのはなぜですか。

丸尾

当時はPodcastの黎明期で、流行として「デジオ」という、自分のホームページにラジオのような録音コンテンツのMP3をアップして、それをみんながそれぞれ聞くネットカルチャーがありました。音を録音するだけならデジオになってしまうし、生でやることの熱狂みたいなものがあったというか、それが単純に面白かったですね。

山城

学内と登録者合わせて200〜300人くらい向けだったと思うんですけど、「毎週木曜日に夜9時から放送します」(もっくん)と昼ぐらいにメルマガを配信して。9時から始まると言っているのに、大体配信が始まるのは10時なんですよ。

丸尾

準備が遅くて、とりあえずジングルを流すんですよ。安野君が高校時代に組んでいた茨木愛好会というメタルバンドの音源とか。そうすると1時間位時間がたつんですね。それでも我慢して聞き続けたら配信がはじまるスタイルでした。

▼美チャンネル ジングル集

山城

リスナーからメールも来るんですよ。隣の部屋から来るような茶番もあれば、「今日も楽しみにして聞いています」というOBの方からのメールとか。そういうことを糧にしてがんばってやっていました。
SNSがない中で、文字と写真しかないブログ以上に、もっともっと生の物を誰かに届けることができている実感はありましたね。人数は少ないけど、何か自分だけのものが生まれていることに興奮していたのはあると思います。

丸尾

「ニコ生だったよね」と当時を振り返る人はいますね。

平林

映像系の作家がリアルタイムで何かを配信する意味では相当早かったと思います。

どうでも良いことに光を当てるのが美チャンネルっぽい

丸尾

美チャンネルとしてのクラブ活動は卒業した後も続いていて、先ほど話にも出た2004年アルスのIAMASキャンパス展に美チャンネルとして参加しました。その時は6人で現地に行って、RadioFro(レディオ・フロ)という地元のFMラジオ局のコンテンツを作りました。
昼は展覧会会場で生放送のネットラジオを配信して、夜は録音・編集したMP3をRadioFroに納品、それが深夜に流れるっていうのを7日間毎日続けました。
IAMASでやっていたことと同じですけど、向こうで大相撲大会を開催したりとか。(笑)現地のピンク系の映画館にみんなで行って、こっそり録音したり。そういう音を編集して納品していましたね。

▲リンツ大相撲大会の様子

山城

2014年にIAMASが領家町からソフトピアに移転する際に行われた「IAMAS領家町祭」にも参加しました。

丸尾

美チャンネルは“IAMAS非公認公式インターネットラジオ局”と、非公認なのに勝手に公式と言っていたんですけど、初めて“公式”に呼んでいただきました。その時に企画したのが、「領家町(ヒューストン)から最後の放送 ー ロード・オブ・ザ・リング/容量の滝(2014)」IAMASに関するどうでもいいデータを10テラ集めるというものです。
10テラのハードディスクを買って、みんなが持っているデータを送ってもらってアーカイブするというもので、放送中にどんどんデータが来て、10テラが足りなくなるというイメージだったのですが…。

萩原

「寺バイト」って名付けましたね。おくりびととして領家町の想い出を大往生させるイメージだったんで、領家町に放置された展示台の木箱で墓石をイメージした造形物を作ってたら「寺じゃん」「住職じゃん」「寺のバイトじゃん」と企画のコンセプトが決まっていきました。住職から「10のショック」とか展開したかったんですが、そこは浮かばなかったな。

山城

で、結局集まった容量の滝の合計が20メガぐらいだった。

会場

(爆笑)

山城

昔のデータだからすごく軽いんですよ。「動画が来た!」って喜んでいたら、2.2メガとかで。
送られてきたデータは、卒展の時に散らかしすぎて怒られた「怒られメール.zip」とか、「2007年卒業ビデオ」とか、「2003年度アカデミースタジオ科研究成果発表会の先生たちのコメント用紙」とか。

丸尾

「赤羽先生のポートレート写真」も来たよね。

▲ロード・オブ・ザ・リング/容量の滝で集まったデータリスト一部

山城

あとは「みのやの箸袋」。「みのや」という大垣が誇る伝説のうどん屋さんがあって、ここはアーカイ美味んぐにとって本拠地みたいな店だったんですけど、そこの箸袋のPDF。よくこんなもの出てきたなと思って。やって良かったなと思いましたね。

▲みのやの箸袋

丸尾

ハードディスクの容量が増えたことで、どうでもいいデータが世の中に増えた訳じゃないですか。そういうのに光を当てるのが美チャンネルっぽいよねということで。(笑)

山城

もう一回やりたいね、10テラ集めたい。

丸尾

そうだね。集まらないけどやりたいね。

悪ノリしかしないクラブ活動が、それぞれの制作の血肉に!?

平林

美チャンネルはそれぞれにとってメインの活動ではなくて、自主的に好きなことするサブの活動なんですね。

萩原

個人の活動だとできないことが、美チャンネル名義だとできたのはあったし、発想を壊す突破口にしていたのはありました。

山城

クラブ活動みたいなもので、完全に悪ノリしかしない場所という感じでしたね。

平林

確かに、悪ノリするのが好きな人が集まっていた印象はありますね。

山城

でも、僕らがいきなりそれを誕生させたというよりは、僕らの先輩、IAMASの人達もそうだったから、その文化を受け継いでいて。例えば「るさんちまん」という2人組のグループとか「ARch」「iamasTV」とか、他にもいっぱいあったよね。そういうグループ活動でちょっと変なことしている人たちが先輩にいた影響は、今思い返すとありますね。
メディアアートやコンピュータを使って作品を作ると、どうやってもカッコよくなるじゃないですか。

萩原

小さいフォントで、マウスオーバーでピッと電子音が鳴るようなインターフェースに憧れてました。なんとなくグレーで淡くて、アカデミックな知的好奇心がそそられる、老眼だと見にくいカッコよさ。

平林

あなたたち、そんなにカッコいいものは作ってなかったでしょ。(笑)

山城

僕らのは全くそうではなかったけど。でも気を抜くとどんどんカッコ良くなっていくものを、カッコ良くないものにしている人たちもいっぱいいて。美チャンネルはその最たるもので、ふざけている方が前面に出るようにやっていた記憶があります。

平林

美チャンネルの活動と自分の作家活動の関係性はどうでしたか。当時から今につながっていることはありますか。

丸尾

今はオウンドメディア全盛の時代だと思うんですが、美チャンネルは自分を発信するというか、個人メディアを作る練習の場だったかなと感じています。今もメディアやプラットホームを作る仕事をしていますが、デジタルでメディアを作る側になるための遊び始め、みたいなことではあったと思うんですよね。ふざけることを前提にしてましたけど。楽しみながら積極的に普段やらないようなことに挑戦できる場所という感じで、根底では今やっている仕事と一緒の感覚はあります。

山城

僕は「Nadegata Instant Party」というグループでの活動もしているのですが、ナデガタの活動は色々な地域に通って、リサーチをして、その地域の人たちと共同で作品を作ることが多いんです。
ナデガタの代表作のひとつ、青森県青森市で行った《24 OUR TELEVISION》では、実際に24時間だけ放送するインターネットテレビ局を作りました。地域の人たち100人くらいとテレビ局を作る。実際にはテレビ局を作るのは無理なので、ustreamで配信したんですけど、この作品は美チャンネルから発想しているところがあって。IAMASにいた当時僕が感じていた自分のメディアが生まれる熱狂を、もう少し開いた形にしたのが《24 OUR TELEVISION》かなと思います。

丸尾

《24 OUR TELEVISION》の生配信を見たんですけど、ナデガタのノリは美チャンネルをちょっと小ぎれいにしたと言うか…。

山城

小ぎれいかどうかは分からないけどね。
美チャンネルに関しては作品とは全く思っていないのですが、そういう意味では明らかに自分の血肉になっています。IAMASの人たちとは今も情報交換を続けていて、そのサーキットでの刺激が自分の力にになっていると思っています。

丸尾

「指マラソン」とか面白かったですね。本当に指がずっと映っていて、背景が動いて走っているような映像が配信されていて。あれは何時間くらいやっていたの?

山城

24時間やっていました。3時間ずつ8人がリレーする形式で。

丸尾

つけた瞬間に指マラソンがやっていたから、めちゃくちゃおもしろくて。終わった後、参加者の一人が、「今まであらゆることに挫折をしてきたけど、やりきったぞ」と涙ながらに話していたよね。

山城

感動的でしたね。最後はみんなで躍って終わったんですけど。(笑)

平林

(笑)

▲Nadegata Instant Party(中﨑透+山城大督+野田智子)《24 OUR TELEVISION》2010

萩原

美チャンネルの居心地の良さが何なのかと考えた時に、公式とか、きっちりとしたものが取り逃すことや、そこからこぼれ落ちるものがすごく詰まっているからじゃないかと感じています。
山口情報芸術センター[YCAM]のオープニングの時に、オープン前の様子を残すドキュメンタリー撮影を我々3人が担当しました。1ヶ月間現地に滞在して、第三者として開館の裏側の裏側まで撮影したのですが、それは公式のカメラマンが残さなかったものをかき集めるような作業だったなと思っています。

▲ラファエル・ロサノ=ヘメル氏とアーカイ美味んぐ。山口情報芸術センター[YCAM]にて撮影データのチェック中。(2003年)

萩原

美チャンネルにも、非公式というか、主で見せられるものじゃないからこその自由さがあるし、ハードディスクを入れ替えたら消えるはずだったような色々なデータが、ひょっとしたらそれが価値のあるものかもしれない。そういうアーカイブの作り方みたいなものは、今でも参考になることが多いなと思っています。ファイル名を決めれないデータだったり、たくさんの撮影データの中のミスショットだったり。その瞬間は失敗と思って消しがちなんですが、年月が経つと意味が出たりするんですよね。

平林

確かに、普通なら、こういうデータはなかなか残ってないですよね。その頃の写メールなんて、機種変更していく間になくしてしまっているもなので。
そう言う意味では、美チャンネルは今ちゃんと振り返る価値があるかもしれませんね。

山城

やっぱりそう思いますか?

平林

少し考えてみるのには良い題材なんじゃないかなと思います。30年後のIAMASがひょっとしたら大事にするかもしれないですね。(笑)
あと残り時間が5分くらいなので…。

山城

じゃあ、いきますか相撲。

平林

いやいやいやいや。会場の皆さん、何か質問はありますか。

会場
(三輪学長)

相撲が見たい!

平林

以上、美チャンネルのアーカイ美味んぐチームの公開インタビュー、なんかぐちゃぐちゃだけど、ありがとうございました。

取材: ソフトピアジャパンセンタービル ソピアホール

編集:山田智子 / 写真:山田聡

PROFILE

GUEST

美チャンネル

丸尾隆一 山城大督 萩原健一

丸尾隆一 /フォトグラファー・ビデオグラファー・映像ディレクター・美チャンネル局長
1983年大阪生まれ。大阪市立工芸高校映像デザイン科を卒業後、2001年にIAMASマルチメディアスタジオ科DSPコース入学。研究生を含め3年間在籍。卒業後は某コールセンターの契約社員をこなしながら制作活動を継続。2006年に、山口情報芸術センター[YCAM]にて映像・写真による記録・アーカイブの専属スタッフとして勤務開始。YCAMではアーティストとの共同作品制作やオウンドメディアの制作・運用などテクニカルスタッフから広報・PR・ドキュメントまで幅広く業務に携わる。
2015年から拠点を東京に移しフリーに。写真・映像メディアを中心に、美術・舞台芸術・教育分野における記録アーカイブ制作やブランディングディレクションに参画している。
東京綜合写真専門学校非常勤講師

山城大督 /美術家・映像作家・美チャンネル現場監督
1983年大阪生まれ。大阪市立工芸高校映像デザイン科を卒業後、2002年にIAMASマルチメディアスタジオ科DSPコース入学。2006年に、山口情報芸術センター[YCAM]にてエデュケーターとして勤務。2006年よりアーティスト・コレクティブ「Nadegata Instant Party」を結成し、全国各地で作品を発表。映像の概念を空間やプロジェクトへ応用し、その場でしか体験できない《時間》を作品として展開する。 主な展覧会に、高鍋町美術館「パラレル・トラベル」、森美術館「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」、ナムジュン・パイク・アートセンター「Wrap around the Time」展、「あいちトリエンナーレ2013」などメディア芸術祭審査委員会推薦作品受賞。京都芸術大学専任講師。

萩原健一 /研究者・映像作家・美チャンネル編集長
1978年山形生まれ。2002年にIAMASマルチメディアスタジオ科DSPコース入学。写真表現を軸に、映像メディアを用いて作品制作をおこなう。2005年文化庁新進芸術家国内研修として山口情報芸術センター[YCAM]滞在後、2007年、情報科学芸術大学院大学修了。IAMAS助教を経て、2017年より秋田公立美術大学准教授。地元企業やプログラマーと協働したメディア教育教材の開発を研究の軸としている。

美チャンネルのマスコット「んぐ君」の公式LINEスタンプ
制作:IAMAS 7期  梅影梢さん

INTERVIEWER

平林真実

IAMAS教授

NxPC.Lab主催。研究領域はコミュニケーションシステム、実世界インタフェース・インタラクション。Web構造解析、位置情報ベースの研究/作品などをはじめ、近年は音楽体験を拡張するためのシステムの研究を行う。多数のクラブイベントでの経 験を生かし、NxPC.Lab名義でクラブイベントを開催することで音楽会場で展開可能な実践的な展開を行なっている。