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フォルマント兄弟のプレゼンテーション道場事務局

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企画について

メディアアートというジャンルについては、わが国では「ハイテクを使ったインタラクティブなアート」というイメージが先行していますが、最も広い意味で「装置を使った表現」と定義したとすれば、いまや世の中は「メディアアート」だらけだと言って良いでしょう。音楽においても「装置を使った“音楽”」が無数にあふれています。それはアカデミックなコンピュータ音楽から、ライブハウスのラップトップ・ミュージック、そしてテクノ、ノイズ、ダンス系音楽やポピュラー音楽の巨大な海まで、ありとあらゆる音楽形態を含んでいます。

しかし、これらを包括してメディアアートと呼ぶにはかなり抵抗感があります。そもそも「メディアアートにおける“音楽”」と言ったときに、どこか互いに相容れない居心地の悪さを感じないでしょうか。それは、メディアアートがもっぱら“美術”の文脈で生まれ認知されて来た経緯と無関係ではないでしょう。両者はそれぞれ出自が違い、それゆえ背負う歴史も、表現の舞台も、批評の基準も異なっています。

にもかかわらず、高度なテクノロジーに依存する現代社会において、装置を使って人が何かを表現することが当然となっているいま、私たちはこのような伝統的な文脈を素朴に前提としていられるでしょうか。美術と音楽をジャンル分けして来た歴史性はいまだ健在なのでしょうか。「装置を使った表現」は、音楽と美術どちらにおいても、こうした歴史性そのものを土台から解体つつあるのではないでしょうか。

いま「メディアアートにおける“音楽”」を問うことは、挑戦的な意義を持つはずです。なぜならこの問いは、音楽や美術という制度そのものを、ひいては芸術という営み全体を、今日のメディアやテクノロジーの問題系から根本的に問い直す作業へと結びつくからです。これは、アーティストの側だけでなく批評の世界にも及ぶでしょう。いまは音楽批評と美術批評というジャンル分けを一度カッコに入れて、私たちの文化の問題としてこの問いを引き受ける段階に来ているように思われます。

本企画では以上の「問い」を投げかけ、それに対する若手アーティストの挑戦を広く公募します。そして、批評する側もその「問い」をさまざまな観点から深く掘り下げ、挑戦に対して真摯に応えたいと考えます。