赤松正行

-世界の中心大垣で未来の文化を考える-

シリーズ:ART at IAMAS #2


赤松正行(メディア作家)

「ウロボロスのトーチ」〜拡張現実と変容現実



IAMAS、a.Laboによるシリーズ "ART at IAMAS / 創造力の現在進行形"、第2回では2012年8月CAI02(札幌市)で開催した「ウロボロスのトーチ 赤松正行+展」、及びそれに伴い展開された2つの展覧会について、それぞれ赤松正行、白鳥啓、北村穣(東京からskypeによる参加)が語った。



北海道での展示への経緯


この数年、赤松は集中的な作品制作、思考、模索のため、夏に北海道に長期滞在していた。これまで現地での作品の展示はしてこなかったが、昨年現地のキュレーターを紹介され、同じく北海道に滞在していたIAMASの関係者と今回の展覧会を開催するに至った。

一連の企画では2週間で3つの展覧会、コンサート、ワークショップという5つのイベントが開催された。



「ウロボロスのトーチ 赤松正行+展」 赤松正行・北村穣・和田純平・白鳥啓



作品概要


本作は8枚の連作絵画をiPhoneなどのモバイル・デバイスを通して鑑賞するAR(拡張現実、変容現実)型の作品であり、映像効果と音響効果を伴う。展示会場CAI02は地下にあり、ホワイトキューブとは違い打放しコンクリートの空間で、荒々しい特徴のある場所である。

今回a.Laboの会場では、IAMASの学生が作成した展示映像を上映したが、同じく簡易展示によって作品を体験することもできた。これらの映像体験と実体験の感覚には差異が感じられるが、これはビデオ記録の限界であり、みるという行為の本質的な違いを示すと考えられる。


プロジェクトの進行について


赤松自身、普段は作品先行型であり個人で制作を行うが、展示場所、期間が決まっていた本作において、チームによってプロダクション制作的に制作を行った。チームは赤松を中心として、グラフィック担当者、プログラミング、ネットワーク担当者、マネジメント、サウンド担当者の4名のコアメンバーで構成された。プロジェクトはコアメンバーによるディスカッションから始まり、実際の作業にはIAMASの学生もプロジェクト形式の授業の一環というかたちで関わった。


制作過程において、制作手法やスケジュール管理、アイディア出しなどのやりとりのためコアメンバーが実際に集まったのは数回であり、その他は主にskypeやgoogle docs、tumblrなどのサービスを利用して綿密な情報交換やイメージの共有を行った。複数のサービスをまたぐ情報をまとめることは依然困難ではあるが、総じて、遠隔地間での共同作業はますます簡単になってきていると実感したと赤松は語る。

普段実物を伴う作品を制作することが少ないため、絵画のパネルの作成や運搬など、物理的な課題に直面した。また、本作は作品先行型ではないこともあり、使用機器の画一化や大きな展示空間に対する作品の強度の維持、「メディア・アーツ都市」宣言との関係性、作品における新規性・芸術性・娯楽性・社会性の創出、協同制作における制作手法の検討、短期間での作業、そして、立場の違うメンバーで構成されたチーム内での平等性の維持も課題であった。


そして2012年春、本作のタイトル『ウロボロスのトーチ』、”人為と無為の拮抗、事象の循環”というテーマ、そして、使用するモバイルARシステム「ARART」が決定した。


北海道という場所からの発想−自然・文明・未来


北海道での展示ということもあり、その場所から発想する点も多かった。神威岬が北海道で最も好きな場所であるという赤松は、海に向かってのびるその細い岬を先端まで歩いていくと、心が洗われるように感じると言う。スピリチュアルな体験とも言えるかもしれない。一方、神のいるこの神聖な場所から自動車で30分ほどの山陰には、泊原子力発電所が潜む。同じ北海道電力の管理である寿都風力発電所も遠くはない。3.11以降、自然と文明、矛盾するもの、相反するものが並び、押込められているこの状況を思い起こすようになったと赤松は語る。



人為と無為の拮抗、事象の循環


世界で最も素晴らしい自然はどこにあるのだろう?それは例えばチェルノブイリやDMZ(非武装地帯)に違いない。最も危険であり、誰も立ち入らない地域こそが自然の宝庫になるからだ。もしかすると日本の一部もそうなるかもしれない。(『ウロボロスのトーチ』より)


人間が放射性物質を閉じ込めようとしたチェルノブイリや、韓国と北朝鮮の間で硬直状態にあるDMZでは、奇形の動物が生まれ、地雷が爆発するかもしれない。しかし、そこには人の営みが及ばず、緑豊かな自然に溢れているのだ。技術の極限、政治的緊張の果てに、人為に及ばない大きなものが頭をもたげる、これが本作の構想の発端である。


8枚の絵画は連作で、1枚目から順に古代から中世、近代、現代、未来へと人の営みを黒い影絵で表現している。一方、背景に水彩絵の具を垂らしたようなカラフルで連続的な模様を描くことで、いつの時代も脈々とつながる自然を表している。また、この模様は8枚目の最後の部分と1枚目の最初の部分もつながっており、連続性、循環の上に人の営みが成り立つことを表現している。


古代の象徴の1つであるウロボロスは、蛇やドラゴンが自らの尾に噛み付いた形によって、循環、永遠、不老不死を象徴する。本作もまた、自然の循環が人の営みの発達や破綻によって左右されないことを表現している。また、トーチとは松明のことで、それをかざしてみえないものをみる行為を、iPhoneをかざして絵画をみる行為になぞらえた。



ARシステム「ARART」


これまでのAR技術の主流は、GPSによる位置情報やARマーカー、QRコードを認識し、情報のタグや3Dモデルなどの情報を付加してiPhoneやヘッドマウントディスプレイに表示するものであった。


本作ではARシステム「ARART」を使用した。このシステムではiOSデバイスのカメラの画像から、そこに映る実際のものをリソースとして認識し、ナチュラル・コードとして利用するもので、IAMAS関係者が開発し、商用利用も始まっている。本作では、iPhoneの画像の上に、別の画像、アニメーションを表示した。2次元画像を3次元として映像上で表現するための仕組みとして、加速度やジャイロ、距離をトラッキングし、違和感を軽減した。空間によって光の感じを調整することも重要である。また、ネットワークを利用して、iPhoneから得られるトラッキングの情報を制御PCに送信することができるため、展示空間のスピーカーから音を再生した。


このように本作でのAR技術の効果は、現実に対し情報を付加する従来のような拡張現実とは違い、目の前のものを動かし変えてしまう<変容現実>と言えると考えており、これに新しい可能性を感じている。



こうして本作は、子供でもおもしろさを見つけることができ、楽しむことができる、分かりやすく、魅力のあるものとなった。発見する、見つけ出すというみることの本能的な喜びを引き出すことができたと言える。一方、距離によって効果が変わるため、どれだけの鑑賞者が作品の全貌をみることができたかは定かではない。鑑賞者には、多様な見方や能動的な発見が求められていたのである。



「ARART Exhibition」 白鳥啓・向井丈視・朴永孝



本展覧会では「ウロボロスのトーチ」でも使用したARシステム「ARART」を実在の絵画やCD、レコード、絵本に利用した作品を展示した。「ウロボロスのトーチ」が8つの連作絵画、空間、音までを1つのテーマのもとで制作した完結された作品である一方、白鳥らの作品で重要視されているのは”みて動く”ことであり、変容現実を表現するためいかに現実となじませるかである。また、認識対象として現実にどこにでもある、誰でも知っているものを利用しているため、アプリを使用すれば展示会場の外でも変容現実を体験することができる。特にCDを利用した作品では、CD全体が動きだすとその音楽も流れてくるなど、新しい音楽の聴き方を提案することができた。このように、本作の制作に取り組む姿勢は、想像力の限界に挑戦するものだと感じられる。自らの鑑賞行為で時間を動かすという感覚や、微速度撮影による映像を利用することで時間をコントロールする感覚を与えられる本作から、映像表現の新しい局面が示せたのではないだろうか。



「Sapporo north2 Bloomclock」 北村穣



毎日数千人が利用する札幌駅前通地下歩行空間にあるメディア空間「Sapporo*north2」で、約30種類の花が開花する瞬間を微速度撮影によって記録した映像とともに世界の主要都市の時間を65inchの縦型ディスプレイ6面に表示した。実時間とともに微速度撮影によって時間を圧縮した植物の開花の映像を表示することで、インタラクティブな要素を加えずとも感覚を変化させた時間と実用的な時間の関係を行き交う歩行者に向けて表現した。



ディスカッション



質問者1:『Bloomclock』について、数字/時間と花との関係は?花の持つ生死や官能的なイメージをどう考えて制作したか?


北村:”花=生殖器”であるように、エロティックな部分、生死、成長など全て含めて花という記号の持つ意味を感じ取ってもらえればと考えている。数年来のライフワークだが、微速度撮影によって実現される人間の目には捉えられない微細な動きから、新鮮味を感じたり新たな発見をしたりしながら、大きなテーマの中で今後も続けていきたいと考えている。


質問者2:『ウロボロスのトーチ』の展示方法について、連作絵画は8枚がつながっているため、連続的に配置した今回のa.Laboでの簡易展示は効果的に感じる。CAI02で2つに離して展示した意図は?


赤松:空間に対応したという点もある。確かに離すと連続性がみえにくくなるが、今回は想像によって補完させる意図で離して展示した。そのため、つながりに気づかない人もいた。円筒形に配置するなど空間に合わせて様々な方法が考えられる。

北村:分けて配置することで、産業革命、未来など1枚のパネルの持つテーマや意味に気づく人もいた。

赤松:2枚ずつ起・承・転・結になっており、それぞれ描かれているものの間に形や意味などの関連を持たせている。


質問者3:『ウロボロスのトーチ』について、松明(トーチ)をかざしてみるという比喩もあるが、現実をフィルムに切り取る時代から、データを再構成するデジタル時代に移行したことを思い知らされる作品だと感じた。鑑賞行為によって、”みる”という行為自体に変容が生じたと考えられるか?


赤松:みる意識の在処は確かではないが、絵画が変化していく様を実際にみているのはディスプレイの中であって、鑑賞者は実際絵画をみていない。鑑賞によって視覚情報として得られる”みる”喜びは本物か、という問いを投げかける、裏切りの構造になっている。今後は実際に絵画が変わるモノを制作し、裏切りの裏切りの構造を実現したい。

白鳥:鑑賞者をだましている感覚はある。

北村:今回a.Laboへのskype参加を通して、作品の音を聞き、北海道にいるような気になった。視覚的にみるだけでなく、周りの環境を含めて感じていると実感した。

赤松:確かに、手元のiPhoneからきこえる音と、個体を制御しているPCとの連動によって空間からきこえる音の関係もあり、音に意味のある作品であったと感じる。複数の鑑賞者によって複数の音が生じ、他者を感じる、他の世界を感じる瞬間もあったと考えられる。


++++++


古代から現代へと時代が流れる中で、”みる”ための技術はトーチからカメラ、そしてiPhoneへと変化してきた。AR技術や微速度撮影といった技術の出現により、現代は人間には捉えられないものをみる時代となったと言えるだろう。最新のAR技術が使用される『ウロボロスのトーチ』において、鑑賞者は、その”みる”喜びは本物かという問いかけの下、多様な見方や能動的な発見を求められる。人間によって生み出された技術を用いて、”人為と無為の拮抗、事象の循環”をみつめること、そして、チェルノブイリやDMZにみられるように、人為の果てにこそ素晴らしい自然が生じること、これらに感じる違和感の根源には、人間と自然の関係における、共通の矛盾が潜むのではないだろうか。


(河合由美子/IAMAS 学生)

白鳥啓

プロジェクトに参加した学生