小林昌廣

-世界の中心大垣で未来の文化を考える-

シリーズ ART at IAMAS #3


小林昌廣(批評家)

合同企画 a+i.Labo 「おいしい図書館」



シリーズ "ART at IAMAS / 創造力の現在進行形"、本学i.Laboとの合同企画として開催された第3回では、2014年春に予定されている本学校舎のソフトピア地区への移転後、さらなる文化発信の場となるであろうIAMAS図書館について、図書館長を務める小林昌廣が語った。


時代、地域、文化の中心としての図書館



IAMASの附置機関であるIAMAS図書館は、大学院設置基準に基づく機関であり、研究科の種類に応じ、図書、学術雑誌、視聴覚資料その他の教育研究上必要な資料を系統的に整理して備えるものである。大学院図書館の持つ機能で、一般的な図書館と決定的に異なるものに、学術情報の提供がある。また、図書館の持つ検索機能は、大学院図書館において特に重要である。


一般的な図書館の機能としては、以下の6つがある。

・図書館資料の収集

・図書館資料の整理(分類、目録作成)

・図書館資料の保存(補修、複製、除籍)

・図書館資料の提供

・集会活動、行事の実施(利用広報活動)

・資料及び図書館利用に関する指導


図書館の機能において、利用者との関係が現れるのは、図書館資料の提供、集会活動、行事の実施、資料及び図書館利用に関する指導であり、IAMAS図書館においても様々な工夫によって、大学図書館の機能としては特権的な企画がなされている。そのため、学内の利用者にとっては開かれた図書館であると言えるのだが、立地の問題もあり、現状では、学外に開かれた図書館であるとは言い難い。2014年のソフトピア地区へのIAMAS移転に伴うIAMAS図書館の移転によって、より多くの人の出入が考えられるため、今後は利用者の支援をより強化する必要がある。



日本における図書館の現状


毎日新聞社によって毎年実施される全国読書世論調査が、2012年8月31日から9月2日の3日間、全国の16歳以上の男女4800人を対象に実施された。その結果とともに、日本における図書館の現状を把握する。


1年間に図書館で本や雑誌を借りたり、読んだりしたことがあるかという質問に対し、あると回答した人は29%であり、約7割の人が図書館を全く利用しない人ことが明らかになった。また、あると回答した人においても、利用回数は1~4回が40%と最も多く、10回以上利用する人は30%に満たなかった。これらの数字から、総じて図書館を利用する機会が少ないことが分かる。また、図書館を利用する理由について、半数以上の53%が娯楽や趣味の情報収集のためと回答した。次いで、勉強、研究、仕事の資料集めのため、高価な本や図鑑など、手に入りにくい本を読むため、暇つぶしと続いた。その他、絵本の読み聞かせや、経済的な理由も挙げられた。




実際に借りる本の種類は、小説が49%と圧倒的に多く、専門書や実用書、雑学の本が各々30%程度であり、次いで児童書や雑誌、絵本が挙げられた。一方、書店ではどのようなジャンルの書物を購入するかという質問に関する昨年のデータでは、小説は37%で3位であり、趣味、スポーツに関するものが46%で1位、暮らし、料理、育児に関するものが39%で2位であった。また、健康、医療、福祉に関するものは小説に次ぐ4位で36%であった。政治、社会に関するものは10%に満たず、宗教、哲学、倫理に関するものの方が上位であったことに驚きを感じたと小林は述べる。


図書館で本を読むにあたり、自分の人生を変えたり、生き方に影響を与えたりした作品はあるかという質問に対して、あると答えたのは全体の約2割であり、うち409人が具体的な著作名を挙げた。挙げられた325冊のうち、重複したのは38冊のみであり、残りの300冊弱においては1人1冊、人それぞれに自分だけの本があることが分かる。また、その本を読んだ時期は10~30代が多かった。


読書時間について、普段書籍を読むと答えた人は49%、雑誌を読むと答えた人は47%で、いずれかを読むと答えた人は65%であり、1日の平均読書時間は、書籍26分、雑誌16分、合わせて42分と、1時間に満たなかった。1ヶ月のメディア別平均読書量について、文庫、新書はともに0.8冊、週刊誌は1冊であったのに対し、ビデオやDVDは2本であったことから、情報視聴覚メディアに傾倒していることが分かった。


電子書籍について望むことに関する質問において、関心があるのは全体の2割程度で、半数近い人は関心がないと回答している。価格、品揃え、使用方法に関心が集まる一方、電子書籍を読みたいと思わない理由としては、画面で字を読むのは目が疲れる点、画面には再現できない特殊なレイアウトである紙の本に愛着がある点、使用方法や持ち運びに関する不安、高価格である点などが挙げられた。


書店に求めるものは何かという質問に対して、昨年のデータでは、最も多い73%が品揃えを挙げ、次いで、検索システム、入手しやすさ、価格の安さが挙げられた。その他、店員の知識や早朝、深夜など利用時間の柔軟さ、いすなどの読書スペース、イベントの開催などのサービスが挙げられたが、近年大手の書店では実施されているものもある。なお、ウェブサービスを利用して本を購入する人は未だ全体の1割に留まる。これらのうちいくつかは、図書館においても同様に求められると考えられる。



IAMAS図書館の現状


IAMAS図書館における貸出、閲覧状況について、2007年11月から2012年10月末までの5年間の貸出回数からIAMAS図書館の現状を考察する。


『2061:Maxオデッセイ―音楽と映像をダイナミックに創造する!最高の開発環境を徹底解説』や『iPhone SDKの教科書』、『Making Things Talk ―Arduinoで作る「会話」するモノたち(Make:PROJECTS)』など、教員が関わった書物の他、マニュアルや技法書の貸出回数が圧倒的に多いことから、学生においてこれらが実用書として利用されていると考えられる。理論本では唯一、マーシャル・マクルーハンの『メディア論 人間の拡張の諸相』が多く貸出されていることが分かった。マニュアル、技法書を除く統計では、メディアアート、音楽、映像、詩、写真など、様々な分野に渉る本が貸出されていることが分かった。


5年間のデータの集積からでは、これまでの全学生の利用状況を網羅することはできなかったが、これまで公開されることなく、求められることもなかった本自体やデータ自体のアーカイヴによって、現状を把握することができた点は有意義であった。



アーカイヴ論


アーカイヴは図書館のもつ機能の1つであり、資料を整理し、補修、目録化することで検索を可能にし、保存、保管を行うことであり、遡ることができるという意味である。


ここで小林は、フランスの哲学者であるジャック・デリダの『アーカイヴの病』に沿い、アーカイヴについて述べる。デリダは、哲学において正当な方法論である、言葉の起源を遡るという態度を以てアーカイヴについて述べた。アーカイヴという言葉の起源である古代ギリシア語のアルケー(Arkhḗ)は、始まりと掟を同時に名指す。始まりとは、物事が始まるところ、起源であり、掟とは、人々と神々とが支配するところ、法である。アルケーは、外見上2つの原理を1つにまとめあげている。また、アーカイヴの意味はギリシア語のアルケイオン(arkheîon)に由来する。アルケイオンとは、当時の市民を管理していた法を作成し、代表していた上級政務官アルコンの住居である。アルコンが制作した法は、彼らの住居であるアルケイオンに保管され、アルコンによって管理された。このように、様々な物事と市民を法によって管理し、その法をアルケイオンという場において保存、管理すること、これがアーカイヴの起源なのである。


図書館におけるアーカイヴにおいては、その機能を書物の保存、管理にとどめず、図書館を利用する人に対してサポートをするような、アルコン的な機能を拡張することが重要になってくると考えられる。特に、図書館の機能である集団活動、行事の実施、利用に関する指導において、このアルコン的なアーカイヴの働きが期待できる。



前川恒雄と石井敦は、共著『図書館の発見』で、図書館の本質について「図書館の資料で最も重要であり、また最も市民から求められているのは本である。」と述べている。しかしここからは、市民が図書館に何かを求めいている、図書館が市民から何かを求められている、という姿勢が読みとられ、現在では、それに対して図書館の古典的な機能のみで対応するだけでは、不十分であると考えられる。今後は、図書館側で汲みとった市民のニーズをカタチにし、逆に発信し、それを求めさせるといった姿勢で活動するべきである。


また、前川と石井の図書館運営の方向は以下の3点である。

1. 利用しない人への働きかけ−広報・文化活動

2. 気持ちが安らぎ、役に立つ図書館

3. 図書館に行けば何らかの手段で求める資料、情報が必ず入手できるようにする。


『図書館の発見』において、前川と石井が1つの理想として挙げた、能登川町立図書館(現東近江市立能登川図書館)の理念は以下である。

「図書館では、求められた資料や情報は草の根を分けても探し出し提供すると共に、図書館が、住民同士の語らいの場、情報交換の場、様々な活動を伝え、広める市民の「広場」としての図書館を目指します。」

行政、市民、図書館の協同により、その規模や機動力を活かし、大きな図書館にはなし得ない活動を展開している。



おいしい図書館


小林の目指す「おいしい図書館」は、図書館をレストランとして捉え、本を1つの料理として提供するものである。ここで小林は、クロード・レヴィ=ストロースの「料理の三角形」の構造と、ブリア・サヴァランの「味覚の生理学」の立場から、書物=料理と捉える考えを提案する。


文化人類学者のレヴィ=ストロースは言語学の概念を食文化に応用することで、2つの「料理の三角形」を提案し、調理法の体系化を行った。1つ目の三角形では、食材そのままで最も自然に近い調理法である「生もの」が頂角に、「生もの」に自然的変形が加わった調理法である「発酵させたもの」、文化的変形を加えた調理法である「火をかけたもの」が、それぞれ底角に配置される。また、火を用い、熱を加えることで食材の加工技術が複雑になった調理法ついて体系化した2つ目の三角形では、火を用いた自然に近い調理法である「焼いたもの」が頂角に、水を媒介にした調理法である「煮たもの」、空気を媒介した調理法である「薫製にしたもの」が、それぞれ底角に配置される。レヴィ=ストロースは、これら2つの「料理の三角形」によって、加工/未加工、自然/文化の関係を表した。


ここで着目したいのは、加工/未加工について、自然的なものか文化的なものかに関わらず、火や空気、水などの媒質を用いて変形させている点、また、生のものとそうでないものとの境界、どこまでが自然でどこからが文化かという点である。


小林は、書物=料理と捉え、「書物の三角形」を提案する。1つ目の三角形では、書物そのままで最も自然に近い状態である「資料としての書物」が頂角に、「資料としての書物」に未加工のまま自然的変形が加わった状態である「立ち読みされる書物」、文化的加工が施された状態である「読まれる書物」が、それぞれ底角に配置される。また、文化的加工が施され複雑になった書物について体系化した2つ目の三角形では、読むという文化的加工が施された「読まれる書物」が頂角に、水を媒介にした状態である「発信される書物」、空気を媒介した状態である「自己化される書物」が、それぞれ底角に配置される。ここで言う「発信される書物」とは、加工によって得られた要素が自己の外部である社会へと溶け出していくものであり、「自己化される書物」とは、加工によって得られた要素が自己の中に保存され、醸成されていくものである。以上の2つの「書物の三角形」によって、書物における加工/未加工、自然/文化を表現した。


「物を食べる」という行為と「本を読む」という行為はよく似ている。19世紀の食通、ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランの『味覚の生理学』について、哲学者のロラン・バルトによって注釈が書かれた『〈味覚の生理学〉を読む』から3つのセンテンスが紹介された。


「種を維持するためには生殖が必要であり、個体が生存するためには食べる必要がある。にもかかわらず、この二つの必要を満たすだけでは人間は満足しない。性欲にせよ食欲にせよ、欲望の贅沢とでも言うべきものが登場しなければならない。」

栄養補給、滋養のための食欲と、快楽のための食欲があるのと同じく、読書においても、無理矢理読まされるものや目に入ってしまうもの、自らの意志で読むものが存在する。何を食べたか、何を読んだかを、秘密にしておきたい、隠しておきたいと考える点では、食欲と読書欲は非常に似ていると感じられる。現在では会食など食べるという行為を共有することも多いが、古典的には、食べるという行為も個的な行為であった。


「食べ物の真の状態、食品の人間的未来を決定する状態とは液体の状態である。(…)本来的には食事とは体内の水浴である。」

様々な物が溶け込む液体にこそ、最も栄養分が含まれており、それを摂取する食事とは体内の水浴であるとバルトは言う。自身を取り巻く環境に溶け出した知性や情報を浴び、自身に取り込んでいく行為としての読書も同じく、脳内の水浴であると言える。


「身体のモデルはつまるところ風俗画であり、食餌療法は一種の造形芸術となる。」

バルトはダイエットに関する記述も残しており、絵画におけるモデルと、自身の身体との間にズレが生じたとき、失った陰影を取り戻すためにダイエットを行うことを食餌療法による造形芸術と表現した。食事においては、過食、拒食、偏食などの行為が存在するが、読書においても、過読、拒読、偏読などの行為が存在する可能性が考えられる。



1事例としての松丸本舗


書物のあつかい方の1つの事例として、松岡正剛によってプロデュースされた松丸本舗が紹介された。


松丸本舗は2009年10月から2012年9月末まで、丸善丸の内本店内に、売場面積は65㎡、書数約5万冊の規模で実験的に展開されていた書店である。松岡正剛の千夜千冊で紹介された書籍を中心として、1つのジャンルの書籍をツリー状に収集し、さらに次の本へとつなげていく松岡独自の立体的な書籍の収集方法よって書籍がセレクトされていた。新刊では入手できない書籍も含まれていたため、一般の書店としては画期的なことに古書のあつかいもあった。店員による読書処方箋、読書会やワークショップなどの開催も特徴的であり、図書館的な機能としても重要な取り組みであった。これらの取り組みは、他の共同体や図書館で利用されるようになった。松岡は『松丸本舗主義』の中で、松丸本舗を立ち上げるにあたって重要な要素であった「九条の施法」について述べている。


九条の施法

1. 「本棚を読む」という方針
他人の本棚の傾向をみることで、その人の脳内をみることができ、情報を手に入れることができる。「棚読み」を可能にするため、空間設計、レイアウトにも工夫を加えた。

2. 「本」と「人」と「場」を近づける
本を売ることより、読んでもらうことが重要である。この場合の「人」とは、著者、編集者、読者、販売員など様々で、それぞれを出会わせることを重要視している。サイン会などの開催も必要ではあるが、全てのジャンルの本が揃っていることが、人と人をつなぐ有機的な円環として働いていた。

3. 「本のある空間」を革新
65㎡という限られた空間に、できる限り多くの本を配置し、整然とした分類と同時に、ある種の迷宮を生み出した。家の中に無造作に積まれたような本を動かしながら、本を探していく行為の生まれる空間は、松岡の頭の中のようでもある。

4. 「本を贈りあう文化」を発芽
クリスマスプレゼントとして本を選択し、「本を贈りあう」という行為を提案した。手触りや重さ、大きさなど、物としての本との関わり方に気づく機会となった。

5. 「読書モデル」のスタート
理想的な読者、編集者やデザイナーなど、著名人は普段どんな本を読むか、その人に影響を与えた、人生を変えた本は何かなど、本によって関心や考えなど、頭の中をみることができる。

6. 「ブックウェア」の提唱
モバイルのみに限らず、「本とはコンテンツであって、デザインであって、歴史であって。意匠であって主義である。」と松岡は語った。本の持つ意味の多様化を示唆して、ブックウェアとしての本の意味を市場に提案した。

7. 「本と読書とコミュニケーションの方法」を重ねる
読みたい本の検索とは違い、読書処方箋のように、店員と話すことで自分が何を読みたいのかに気づいていくような、本を読む動機付けを行うような仕組みを提案した。

8. 「共読の可能性」の提示
共読とは本を共に読むことであり、日本でも昔は音読が多かったが、戦後は黙読ばかりになっている。子どもへの読み聞かせもその1つである。明治時代の図書館での読書は孤独な黙読であったため、そこにコミュニティが生まれることはなかった。共読をきくことによって潜在的読者となる潜読、さらに潜読者が共読を行い、本を読むという行為が顕在的になることを顕読とした。朗読や語り部のような、伝えるための機能というよりは、単純に声に出して本を読むことの意味の再認識とも言うことができる。

9. 「ハイブリッド・リーディング」の先端を開く
電子書籍、デジタルデータと本との関係をお互いが補完しあう。



IAMAS図書館の明日


以上の内容から、IAMAS図書館の明日を考える。


・モノとしての書物のあつかい
本を物理的な物として捉え、本としての本質ではなくその物自体のアフォーダンスから考えた利用方法を検討する。

・情報としての書物のあつかい
電子書籍化などにより新しい情報を更新し、ハイブリッドによる本との共生を考える。

・〈場〉としての図書館の活動
IAMAS図書館内でのセミナーなどを開催する。

・地域のなかの図書館のありかた
「書物の三角形」における水の媒介を利用し、地域への発信を行う。

・利用者が得るもの、IAMASが得るもの
活動のアーカイヴを発信し、情報を広める。

・書店や公立図書館との差別化
小規模な大学院大学図書館だからこそできることを考える。


具体的な考えとして以下が挙げられた。

・教員によるブックコーナー

・ブックガイドや書評の発信

・読書会、講座、研究会の発足

・利用者を含めた図書委員会

・cultural productの提唱

・他大学図書館との交流

・定期刊行物の検討


今後はIAMAS図書館を中心として、地域文化、情報文化、読書文化、3つの方向に発信していく考えである。


最後に、詩人、エドモン・ジャベスの『書物への回帰』より、以下の言葉が紹介された。


「希望は次のページにある。本を閉じてはいけない。」

「私はすべてのページをめくったが、希望には出会わなかったのだ。」

「希望は、多分、本なのだ。」



リンクされるIAMASへ



本学i.Laboの教員である入江経一が図書館を巡るコミュニティについて述べた。


世の中には多くの文化施設が存在する。それがたとえ現代建築として有名なものであったとしても、内部で起こる活動を促進するためのソフトが設計されていなければ、コミュニティの活動の場として成功するとは考えられない。


そんな中、コミュニティの活動の場として成功を収めたのが、せんだいメディアテークである。せんだいメディアテークの基本的な機能は図書館であるが、そこを経済的な拠点とするという仙台市の明確な計画のもと、プロジェクトを募りそれぞれに助成を行ったことで、実際の活動の場として成功することとなった。図書館長の巧みな運営によって、せんだいメディアテークが、文化と産業、市民をつなぐ、ネットワークとしての役目を担ったのである。こういったブレーン、シンクタンクの存在があったからこそ、開館から11年経った現在でもなお、文化をつくる側においても、産業の側においても様々なプロジェクトが進行しているのである。


コミュニティをデザインするには、コミュニティとは何かを知らなければならない。ネットワークが機能するには、人と人がつながるリンクが必要である。リンクには必ず方向性がある。コミュニティが成立するためには、他の場やコミュニティにリンクされなければならない。


IAMASも同じである。IAMASはこれまで、様々な情報を発信してきたが、そのリンクは一方向のみで、外部からIAMASやIAMASの活動をみることが困難であった。現在、IAMAS LABOという外の活動などによって、参照される方向のリンクを発信しており、外部からIAMASがみえるようになってきたところである。では、IAMASは何を以てその成果を訴えるか。それは、これまで12年間で培ってきた文化である。生産の場としてのIAMASを背後に抱え、その文化を発信する場としての役割を、IAMAS図書館が担い、次のページを書いていくのである。



ディスカッション



質問者1:やはりIAMAS図書館は、大規模な図書館には蔵書数で負けてしまう。現在のIAMAS図書館の所蔵の図書資料で、特徴を持たせるといったような考えはあるか?


小林:IAMAS図書館がマニュアル、技法書を多く所蔵していることは1つの特徴である。また、DVDやCD-Rなどはかなり珍しいものを所蔵しているが、これまでは体系的に収集していた訳ではなかった。今後、再分類によって小規模な図書館でしかできないような体系にしていきたいと考えている。情報、科学、芸術の分野のコンテンツを「IAMAS的なもの」という篩にかけ、他の教員に意見をいただきながらIAMAS図書館独特の体系をつくっていきたい。


質問者1:映像ライブラリであれば、寿命が少し長いと思うが、マニュアル、技法書などは、賞味期限が短く、ほとんど意味もなくなるものである。それが多く揃っていることにはどのような意味があるのか?実用的な意味があるから借りられており、必要なものであるとは思っている。一方では、本当に実用的なものであるからこそ、電子書籍に置き換えるほうが早いかとも感じる。


小林:整理の仕方が課題であると考える。マニュアル、技法書は古くなると除籍せざるを得ないが、現状では除籍していない。移転のことを考えれば、除籍は必要であるだろう。


質問者1:IAMASの歴史から考えれば、誰も借りないマニュアル、技法書もあるのでは?


小林:今となってはアナログと言ってしまえるようなマニュアル、技法書もあるため、扱いに関しては今後検討していく。現状の技法書やマニュアルを電子化すれば、貸出数を増やすことも可能である。


質問者1:逆にその歴史的変遷をコレクションにしてしまえば、別の意味が生まれる可能性もあるのではないか?


小林:確かにそうだが、IAMAS図書館では技法書やマニュアルの貸出率が高いため、技法書やマニュアルを刷新していくことは必要である。古くなったものの扱いに関しては、今後検討したい。


質問者1:自分自身の悩みでもあるのだか、日本人は本があれば読むことができる前提であると感じたが、それは現実なのであろうか。1冊の分量の本を最後まで読むには、ある種の訓練が必要であると感じる。多忙なスケジュールにおいては、1冊を読み切るために細かい時間に断片化して読まなければならない現状がある。訓練不足などで、本を読むスピードが遅い場合、本を読み終わることが困難であるというのも現実だと感じる。マニュアル、技法書であれば必要な部分だけを読めば問題ないと感じる。まずは手にとることが必要であると言うことは分かるが、分量のある本を初めから終わりまで読まなければならないが時間が足りない場合、読まれるのか?どうしようもないことなのかと考え込んでしまう。


小林:本を1冊全て読むということはあまりない。書籍を読むコツと言えるかは定かではないが、多くの書籍を読むことで、書籍のどの部分を読めばいいかが分かるようになる。本の読み方を伝授していくことも必要と言えるかもしれない。


質問者1:哲学書のようなものなら、読書会で詳細を徹底的に読むようなこともあると思う。読み方のバリエーションを考える必要があるのか?


小林:余裕の問題である。1冊読むのが困難である人にとっては、1行の細部まで読み込むにはより余裕が必要となる。細部まで読み込む必要のある作品もあるため、その際は、訓練はもちろんのこと、本と対決する態度を変更する必要がある。態度の調整ができればよいが、これは自分自身の課題でもある。


質問者2:食べ物と本の話もあったが、味わうというレベルもあると思う。早く読むとか、必要な情報の部分だけを読むのではなく、ゆっくりとか、楽しむとかというレベルもあると思う。そういうレベルについて考える必要があるのではないか?図書館について、蔵書数や図書の内容自体では太刀打ちできないと感じる。展示などの方法で、周りとのリンクさせるシステムをどうつくっていくかを考えるべきではないか?


小林:小回りできるというメリットはあると感じている。機動性を利用してできることはあると考えている。単に貸出や、読み方を教えるだけではなく、本や書物の書物文化の根っこにして発信していきたいと考えている。学生に「この1冊」を持ってほしいと感じている。10~30代で読む本から影響を受けることが多く、これは学生にとっていい機会であるため、図書館としても手助けをしたいと考えているが、こちらから与えるものではなく、自分自身でみつけるものであろうと感じる。


質問者3:『iPhone SDKの教科書』には、書物と電子書籍の両方がある。改訂の多い技法書において、電子書籍は改訂が更新されるが、書物は改訂されず残っていく。技法書の電子書籍化はあり方として正しいと感じ、今後、電子書籍の第一線は技法書が占めるようになると感じる。IAMAS図書館も電子書籍を扱う必要性を感じるが、そのことについてどのように考えるか?


小林:今後取り組みたいと考えている。多くの人が書物では足りないと感じていると思う。電子化による改訂や更新、ダウンロードといった仕組みにおいて、電子書籍の有用性を評価したい。


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次回「ART at IAMAS / 創造力の現在進行形」第4回、前田真二郎「”FUKUSHIMA - BERLIN” ~鈴木光の日記映画」は12月19日(水)18時30分より。


(河合由美子/IAMAS 学生)

入江経一

会場からの質問