前田真二郎
前田真二郎
-世界の中心大垣で未来の文化を考える-
シリーズ ART at IAMAS #4
前田真二郎 × 鈴木光
“FUKUSHIMA - BERLIN” 〜鈴木光の日記映画
シリーズ "ART at IAMAS / 創造力の現在進行形"、前田真二郎による第4 回では、本学の卒業生である鈴木光による映像作品『FUKUSHIMA-BERLIN』と、『Mr.S & Doraemon』を上映し、会場とベルリンに滞在中の鈴木光をネットで結び、トークが繰り広げられた。鈴木は卒業後1年間、IAMASのスタッフとして勤務する傍ら、作品制作を続け、その後、2012 年4 月からはベルリンへ移住して活動している。
『FUKUSHIMA - BERLIN』/15min. /2012
本作は、2012 年10 月から11 月にかけて東京で開催されたアート・イベント「テラトテラ祭2012 [NEO 公共]」において、吉祥寺バウスシアターで上映された15 分間の短編作品である。2011 年3 月に起こった東日本大震災、それが引き起こした原発事故は、福島
県出身の鈴木にとって切実な問題だった。本作は、3.11 以後の1 年間を日本で過ごし、2012 年4 月以降ベルリンで生活する鈴木によって撮影された、2011 年と2012 年の素材から成る日記映画と呼べる作品である。日記映画とは実験映画の1 ジャンルであり、独自のタッチによって映像で日々を綴るものである。代表的な作家としては1960 年代、16mm フィルムを使用してプライベートを撮影し、それを自らの作品としたジョナス・メカスがあげられる。日記映画においてはその素材だけでなく、日々の撮影行為からも作品が成り立つと言うことができると前田は語る。
トークは、前田からの問いに鈴木が解答した以下のテキストと共に展開された。
Q1:『FUKUSHIMA - BERLIN』は、毎日撮影して作られたものか?
2011 年の4 月、11 月、12 月、2012 年4 月、7 月に撮影していて、それらの月は、ほぼ毎日撮影していた。
Q2:作品の完成図があって、撮影をはじめたのか?
完成予想図はなかった。初めは震災が起きてから6 月ぐらいまでほとんど毎日撮影をしていた。そこからは、2012 年の4 月ぐらいまで毎日ではないが、週に4、5 回程度、撮影をしていた。そして、それが一体何なのか、いまいちわからず、そのまま、続けるのか続けないのかで悩んでいたのだが、上映発表の話が来て、他に別なものを表現する気にもなれなかったので、もう一度見直してみて… この作品を作ることにした。
̶ 毎日撮り続けて、そこから何かをつくるということを考えていた。
Q3:作品の制作プロセスや注意点について教えて欲しい。
注意点したこと… なるべく自分の生活や、人や大切な時間を撮影すること。構図をあまり気にしないこと。瞬発力を一番におくこと。構成は、3 部構成 +1 になっている。
1) 福島:2011 年4月に訪れた被災地。
『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』をそのまま前半に使用(注1)
2) ベルリンと大垣:自分の生活の周辺
3) 福島:1年後、家族の住む家の周辺
ラストカット:ドイツ(ワンカット)
Q4:後半のインタビューはどういう人を選んだのか?
後半は、「あなたが小さかった頃の夢は?」という質問をして、それに対して複数の人が答えてくれた声を映像に重ねることを思いついたのだが、ドイツ人や他の国の人の声ではなく、ドイツで出会った日本人の声を使うことにした。外国人にはインタビューはしていない。英語やドイツ語でもコミュニケーションはとれたかもしれないが、日本の状況の中で上映されることを想像すると、あまりにも非現実的な気がして、それはしなかった。将来の不安みたいなものや、祈りや願いを引き出したかった。
̶ 作品には日本人の声が必要であった。
Q5:東京の人に見てもらうことを意識したか?
意識はしたが、明らかに自分の今のドイツでの状況と日本を比べると、かなり違っていて、それをどこまで想定できたのか正直わからない。日本に住んでいたときはそれをいつも感じて作っていたような気がするが、それがそのときとは違うため… なんと言っていいか… もちろん意識はしていたが、何か日本にいたときに作るのとでは違っていたような気がする。
̶ ベルリンでは日本人と話す機会が少なく、震災について考える時間も少なくなっていて、完全に「誰のために」ということを想定することはなかった。
Q6:なぜベルリンに住もうと考えたのか?
他にももちろん選択肢はあって、例えば、キューバ、アメリカ、イギリス、カナダなどが候補だったが、一度ベルリンに下見にきたときに、働くことが可能であることや、生活費の安さにもびっくりして、ここなら、なんとか生活できるかもしれないという気持ちになったのが一番の理由。
Q7:ベルリンにアーティストが集まってきているのはなぜ?
ずばり、「芸術の街」だから。絵描きや彫刻家、映画関係者、デザイナー、ピアニスト、作曲家、ロッカー、DJ、ジャーナリスト、哲学関係、 などなど、語学学校でこれらの人々に出会った。皆、全く別の国籍をもちながら、このベルリンに集まってきているという印象。職業を例えば「絵描きだ」と言っても全然珍しくない。この芸術家が珍しくないという感じは日本では経験したことがない。物価も安く、アルバイトや小銭を稼ぐチャンスがそこら中にころがっているのが、ここベルリンだと思う。
Q8:今の生活と今後について。
最近は毎日アルバイトに行って、語学学校に通っている。みなフレンドリーで、すぐに交遊関係が広がるので積極的に情報交換をしている。まずは語学の勉強をして、それからどこかの大学に入る方がよいのではと考えている。学費は無料同然、そしてビザももらえ、学生になるといろいろと安 く生活できる。他の選択肢としては、どこかのプロダクションで働くという道もあるが、ここドイツでは、この国でどんな経歴を持っているのかということが、すごく重要らしく、それがないとなかなか難しい。
̶ 本当に「来てよかった」と思っている。会う人の多くが表現者で、表現に対して寛容な、よい町であると感じている。
『Mr.S & Doraemon』15min. /2012
同じく、鈴木による3.11 を扱った作品として『Mr.S & Doraemon』が紹介 された。本作は『FUKUSHIMA - BERLIN』を制作する以前の、2012 年3 月に発表された作品であり、鈴木はその上映会を終えてベルリンに移住する。
本作における前田の問いと鈴木の解答は以下である。
Q1:編集のプロセスについて教えて欲しい。
2011 年の夏から1 日1カット1秒の逆再生で、3.11の日まで巻き戻っていくところが前半部分。後半部分は、過去の自作『DORAEMON』(注2)を1 カット1秒にして再構成したもので、それに3.11 の明くる日のインターネットのニュース音声を重ねている。震災後撮影し始めた日々の生活の映像から、2011 年3 月から2011 年の夏までの映像1カットを1秒で逆再生していくという映像がまず出来上がったのだが、それだけでは不十分に感じ、自分の過去作である、アニメの背景だけが淡々と続いていく『DORAEMON』と合わせることで完成した。
鈴木の在学中の作品である『DORAEMON』を知る前田は、作品について以下のように語る。
『DORAEMON』は、TVアニメ『ドラえもん』の本編中の、キャラクターが誰も出てこないカットだけを抜き出して構成した作品だが、前半のつながりで見ると、今も警戒避難区域に指定され、誰も住んでいない町が存在する事実を想起させた。それが『ドラえもん』の中の虚構の町と重ね合わされることで、実在する町までもが虚構のものであったのではないかとすら感じさせられる。『DORAEMON』のシーケンスは一見、長く感じるのだが、この長さによって、鑑賞者は様々な発想ができるようになっているように思う。実写ではなく虚構の、20 世紀を代表するアニメーションを扱っていることにも大きな意味があるように感じる。
また、時間軸を持った映像作品において、作品がどう終わるかは重要であるが、ジャンプするような後半の展開を、本人はどう考えているか?と前田は問う。
鈴木は、2008 年に制作した「人のいない野比家の映像」が、4 年後に、3.11の音声と重なってしまったことは、自分自身としても不思議に感じると答える。過去作が現実の状況と重なった作者の驚きが作品に収まっているように感じられたと前田は言う。また、自分の過去作品ともう一度対峙しつつ制作に臨むという態度は、今日の作家にとって重要なアプローチではないかと指摘した。
ディスカッション
質問者1:『Mr.S & Doraemon』のアニメーションについて、長さはどのようにして決めたのか?少し長く感じたが、何か意図はあるのか?ニュースの音声とアニメーションのどちらに合わせたのか?
鈴木:基本的には音声の長さに合わせたが『DORAEMON』を全カット1 秒に直すと、ちょうど音声と同じくらいの長さになった。逆再生の部分も同じ長さに編集し、合わせて15 分間の作品となる。
質問者1:実写映像のリアリティとアニメーションの虚構性のレベルが入れ違いになることや曖昧になることを意識したか?
鈴木:ある程度意識はした。
質問者1:『FUKUSHIMA - BERLIN』について、福島とベルリンが対比的に表現されているが、福島出身である自身の軌跡や日記として考えればよいか?それぞれの都市の象徴として考えればよいか?
鈴木:作品を考えるときに『FUKUSHIMA - ○○』といった感じで、2つの地名を併置するイメージがまずあって、今作では BERLIN となったが、大垣でもよかった。実家は福島だが、3.11 当時は大垣にいたので、震災の捉え方は実のところ、大垣の人とあまり変わらない。別の場所にいる方が福島について考えられる。
質問者2:『FUKUSHIMA - BERLIN』と『Mr.S & Doraemon』では映像編集において時間の扱い方が違うと感じた。長時間1 秒の1 カットを逆再生するのは、退屈になるなどリスクがあると思うが、どういった狙いだったのか?。
鈴木:退屈になるかもしれないが、3.11 まで戻る様子を表現するには必要な時間であったと考えている。
質問者2:1 秒という短い時間で区切ったのはどういった意図からか?
鈴木:長いシークエンスで映画のようにみせていく方法もあるとは思うが、日常というものがあるということをだけが伝わればよいと考えた。日常という存在のあとに誰もいない町が現れるという様子を表現したかった。
質問者2:終わり方がアイディアとして初めからあったということ?
鈴木:そうではない。震災後、日常を生きていくことの大切さを感じ、日々を撮影することを始めた。それを作品としてまとめると1 秒逆再生というかたちとなった。
質問者2:初めはアニメーションではなく、他の映像で仕上げようとしていたということ?
鈴木:はい。
質問者1:『Mr S & Doraemon』の時間の使い方について、前半は1 秒を逆再生して3.11 に戻っていくが、後半のアニメーションでも最後に津波が現れる。アニメーション部分において、時間はどのように流れているのか?
鈴木:制作当時は、流された人々はどうしているか、生き残った人はどうしているかというように、震災直後、人々はどうしていたのかということをよく考えていた。逆再生によって2011 年3 月11 日15 時7 分まで戻り、その時間の"点"あるいは"瞬間"を表現したかった。
注1) 『BETWEEN YESTERDAY & TOMORROW』
「ある一日を撮影/前日に声を録音/明くる日に声を録音」という指示書に基づいて制作される5 分の映像作品。指示書制作は前田による。第16 回文化庁メディア芸術祭 アート部門 優秀賞受賞。http://solchord.jp/byt/
鈴木は早い時期に参加しており、相馬市でのボランティアの1日を作品化した。『FUKUSHIMA-BERLIN』の前半の5分は、その作品をそのまま使用している。
注2) 『DORAEMON』
テレビアニメ『ドラえもん』を扱った鈴木の2008 年3 月の作品。人が出ていない部分だけを抜き出して編集しており、野比家の部屋、近所の風景など無人のカットが連続することで独特の印象を生み出した作品。
MIACA のページで「DORAEMON」の一部を鑑賞可能。
http://www.miaca.org/list/031/index.html
『FUKUSHIMA - BERLIN』、『Mr S & Doraemon』は、震災の後、日常を生きていくことの大切さを感じた鈴木によって撮影された、日々の映像から成る作品である。『FUKUSHIMA - BERLIN』の中で、被災地の人々が強く生きる様子を目の当たりにした鈴木は、「自分の仕事を普通にやることが、1 番いいのではないかと思いました。そして、それを続けていこうと思いました。」と語る。ベルリンでは、出会った日本人に「子供の頃の夢」をインタビューする。「子供の頃の夢」とは、人が初めて社会と自らを結びつけた1 つのかたちであるだろう。日々の撮影行為から制作された『FUKUSHIMA - BERLIN』自体が、鈴木にとっての「自分の仕事」なのではないだろうか。
(河合由美子/IAMAS 学生)
鈴木光 | SUZUKI HIKARU
1984 年福島県会津生まれ. 映像作家. 2008 年武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業. 2011 年 情報科学大学院大学(IAMAS)メディア表現研究科修了. IAMAS在学中より映像作品を制作し, 現代美術と映画の領域を横断しながら発表を続けている. 代表作に, シネマドライブ2012・シアターセブン賞を受賞した「安楽島」がある. 2012年3月, KAYOKOYUKI 企画による個展上映会を終えたのち渡欧. 現在はベルリン在住.
鈴木光
"Mr.S & Doraemon" (2012)
"FUKUSHIMA- BERLIN" (2012)
安藤泰彦