令和7年度 情報科学芸術大学院大学 学位記授与式 学長式辞(2026年3月5日)
2026年3月5日、令和7年度 情報科学芸術大学院大学 学位記授与式を開催しました。今年度は博士前期課程13名、博士後期課程1名が修了しました。授与式では、在校生の有志による第24代リンガーズが《イアマス・リンギング》を演奏しました。
令和7年度 学位記授与式 学長式辞 (2026年3月5日)
学長・鈴木宣也

修了のみなさん、本日は誠におめでとうございます。
生成AIが創造のあり方を揺さぶり、気候変動、社会的分断や戦争が私たちの生き方そのものを問い直す時代にあって、表現の意味はこれまで以上に問われています。IAMASは、アート、テクノロジー、デザイン、サイエンスといった領域を交差させながら、そうした時代の変化に応答するための実践と探究を重ねる場です。みなさんはここで、既存のメディアの枠組みを更新し、ときに批評的に、ときに実験的に、新しい表現のかたちを探ってきました。映像やインスタレーション、デザイン、ワークショップ、論文といった多様なアウトプットは、単なる成果物ではなく、変化する社会との対話の痕跡でもあります。テクノロジーが加速度的に進化する今だからこそ、人が創造するとはどういうことか、他者とつながるとはどういうことかを、みなさんは身体的かつ批評的に問い続けてきました。そのような中で、みなさんは何を培ってきたのでしょうか。
先日、修了研究発表会の企画として、「メディアアート教育とは何か――IAMASの教員・学生インタビューから考える」というトークイベントに登壇しました。客員研究員のクリスティーン(Christine Liao/リョウ クリスティーン)さんが、IAMASの教員や学生へのインタビューを通して、IAMASにおけるメディアアート教育の構造や特徴を多角的に分析した成果を発表してくださいました。外部の視点からIAMASを見つめ直したその分析は、大変興味深いものでした。
その中から二つほど印象的な点をご紹介したいと思います。
一つ目は、IAMASでは特定の技法を教えること自体を目的としているわけではない、という点です。むしろ重要なのは、「なぜこの技術を使うのか」「なぜこの表現なのか」、さらには「そもそもそれはアートなのか」といった問いを立てることにあります。つまり、テクノロジーや社会に対して批評的な視点を持ちながら表現を考えていく姿勢そのものが、IAMASの教育の特徴であるという指摘でした。
IAMASでは、制作と同時に、それを言語化する作業にも取り組んでいます。直感的な制作と、思考を言葉として整理する作業。この二つを往復しながら進めていくことが、IAMASの教育の重要な要素です。そしてクリスティーンさんは、その関係を「葛藤」という言葉で表現していました。直感と理論、制作と言語化、その間に生まれる葛藤こそが、IAMASにおける学びの本質なのではないか、という指摘でした。
そこで私が特に印象的だったのは、学生のみなさんが論文化や言語化に難しさを感じながらも、それを単なる義務としてではなく、「作品をより豊かにするもの」として理解しているという点でした。作品と論文は対立するものではなく、互いに補い合いながら実践を支えるものとして機能している。そして教員は、その二つのあいだを往復しながら学生を支える役割を担っており、それこそが指導の中でも最も重要で、同時に最も難しい部分であるということでした。
IAMASにおける学びは、社会とどのように関わり、どのように問いを立て、どのように応答していくのかを考え続ける営みであったと言えるでしょう。情報社会におけるコミュニケーションのあり方、テクノロジーを通じて構想する持続可能な未来、そして芸術実践による社会への批評的な問いかけ。みなさんが取り組んできたこれらのテーマは、一過性の課題ではなく、これからの時代においても、なお重要であり続けます。加速度的に変化する社会のなかで求められるのは、単なる適応力だけではありません。変化を無批判に受け入れるのではなく、常に問い直す視点を持ち続けること。そして状況に応じて思考と方法を更新しながら、柔軟かつ主体的に向き合っていく姿勢です。それこそが、みなさんがIAMASで培ってきた力なのだと、私は思っています。
話を戻すと、クリスティーンさんの発表では、もう一つ印象的な点があげられていました。それは、IAMASが目指している「協働」についてです。IAMASでは「領域の融合」を掲げていますが、異なる分野の人々が協働することが常にうまくいくわけではありません。むしろ、実際には摩擦や葛藤が生じることの方が多いと言えるでしょう。それは学生だけではなく教員も、この難題に向き合っているということであり、あらかじめ答えが用意されているわけではありません。
そこで重要なのは、何が完成したかという結果だけではありません。むしろ、その制作の過程でどのような対話が行われたのか、どのようなコミュニケーションが積み重ねられたのかという点にこそ、大きな意味があります。クリスティーンさんが特に強調していたのは、協働の中で生まれる摩擦や葛藤を「失敗」や「エラー」として扱うのではなく、むしろプロセスの必要不可欠な要素として捉えているという点でした。異なる背景や価値観を持つ者同士が関わるとき、誤解や衝突が生じるのはむしろ自然なことです。しかし、そうした状況の中でこそ、自分がどの立場から物事を見ているのかが初めて意識化されます。それと同時に、異分野のあいだで起こるミスコミュニケーションを見抜き、それを新しい理解へとつなげていく力が育まれていくのだと思います。
この点は、20世紀に活躍した理論物理学者であり哲学者でもあるデヴィッド・ボームの対話論とも深く通じています。ボームは「誰もが望む未来をつくる方法は対話である」と述べました。彼の言う対話とは、勝敗や結論を求める議論ではありません。自分の意見に固執せず、他者を否定することなく、互いに耳を傾けながら思考を共有していくプロセスそのものを指します。ボームはさらに、対話を通じて感情が共有され、信頼が育まれるとき、そこから隠れていた真実が立ち現れ、真の知性が働き始めるのだと語っています。つまり対話とは、単なる情報交換ではなく、互いの前提や思考の枠組みを揺さぶりながら、新しい理解を生み出していく営み、つまり創造なのです。
彼がこの考えを提示した20世紀と、現在の私たちの状況との大きな違いは、対話の手段が飛躍的に拡張していることです。今日では、言葉だけでなく、映像や空間、データ、アルゴリズムといった多様なメディアが、対話の媒体となり得ます。その一方で、メディアの可能性が広がった分だけ社会は複雑さを増し、問題は分散し、見えにくくなっています。だからこそ、そうした複雑さに向き合い、見えにくい関係や構造を可視化し、新たな対話の場を生み出すことが、メディア表現の重要な役割の一つなのだと思います。そしてその実践を社会の中で続けていくことこそが、みなさんがこれから活躍していくことの意義につながっているのだと、私は考えています。
そこで、修了研究発表会のタイトルである「余熱」という言葉を、とても印象深く受け止めました。「余熱」とは、火が消えたあとにもなお残り続ける熱のことだけではなく、また、激しく燃え上がる情熱とも少し違うようです。外からは見えにくく、静かで、しかしその静けさの中には、どこか荘厳さすら感じさせる力があり、炎のように大きく揺らめくわけでもなく、強い光を放つわけでもない。それでも、確かにそこにあり続け、触れれば温もりを感じさせる。そのような持続するエネルギーと解釈しました。
それは、誰かに示すための熱ではなく、自分の内側でじわりと保たれている熱です。周囲から評価される成果や、目に見える結果とは異なり、簡単には測ることも、数値化することもできない。しかし、だからこそ消えにくく、深いところで長く燃え続ける力でもあります。制作の過程で抱いた違和感、うまくいかなかった試行錯誤の時間、仲間との議論の中で生まれた小さな気づき。それらは派手ではなくても、確実にみなさんの中に蓄えられています。そしてその蓄積こそが、次に何かを始めるときの土台となり、再び火が灯る瞬間を支えるのだと思います。
これからみなさんがそれぞれの場所へ進んでいくとき、培われた感覚や問い、違和感や好奇心は、簡単に消えるものではありません。それらは「余熱」のように、みなさんの中で持続し、やがて新しい創造の火を灯すはずです。その意味で「余熱」とは、終わりではなく、次の始まりの準備状態なのかもしれません。静かに、しかし確実に未来へ、そして世の中へとつながっていく、今は見えにくいエネルギーがみなさんの中で沸々と、いつか爆発させようと、今か今かと待ち構えているように感じました。またそれは次の代へと伝え、引き継がれる熱であるとも感じました。そのような意味で、このタイトルは、いまのみなさんの姿をとてもよく表しているように感じるとともに、自分との対話と他者との対話が、より高度な対話へと深化しているようにも思います。
これから世界の中で、自分の感覚と思考を活かし、今あるものを深く観察する中で、そこから新たな価値を見いだし、形にしていってください。その一つひとつの実践が、未来を静かに、しかし確実に切り拓いていくはずです。これまで以上に多くの人との「対話」をより大切にし、真の知性へとつなげていかれるとともに、「失敗を恐れず」「考え」「視点を更新し続け」「実践」し、最後に言い添えたいのは、IAMASの学位を取得したのだから、ぜひ「自信を持って」活躍していただき、この混乱した社会に突破口を見い出してくれることを期待しております。
修了するみなさんの今後のご活躍とご健勝を祈念し、式辞とさせていただきます。
本日は本当におめでとうございます。




