教員インタビュー:鈴木悦久准教授(後編)

前編からの続きとなります。
専門は「電子音楽」― あえて「音響」という言葉を加えない理由
― 鈴木さんは専門領域を「電子音楽」としています。鈴木さんが指し示す「電子音楽」について詳しく教えていただけますか。
これ、実は鋭い質問ですね。この分野については、いろいろな言い方がありますよね。たとえば「電子音響音楽」とか。むしろ、最近は「電子音楽」と呼ぶことが少ないように感じています。
今回、私が専門領域を「電子音楽」にしたのには理由があります。これまでの話を聞いてもらえばわかるように、私の興味は「身体」と「演奏」なんです。音響はそれほど重要視していません。一般的に音響といえば、スペクトラムを含む響きの質を表しますが、私はそれにあまり興味がない。それよりも音楽が成り立つ構造であったり、もっと概念的なものだったり。そういったものに惹かれます。
もし仮に、自分の専門領域を「電子音響音楽」にしたら、私から音響について語れることはあまりないなと思ったんです。
― 響きを重視する「音響」は、繰り返し再生できる音楽データなどのフィクストメディア(Fixed Media)を連想しますが、鈴木さんが重視しているのは、音楽がその場で生成される構造ということでしょうか。
音響化するための音楽をつくるのではなく、音響はある場所で音楽を演奏した結果としてある。その態度をはっきり示したいと思って「電子音楽」を選択しました。すごく悩みましたけどね。
今や、音楽をつくるのは、音響もふくめて、すべてコンピューター内で完結することが当たり前で、それを誰も疑わない。でも、私はライブ演奏は別ものだと考えています。

― 再生ボタンを押せば、いつでもどこでも同じように再生できるという保証が大きくなって、鈴木さんは何が音楽と呼べるのかを、いま一度あらためて確認しているようにも感じられます。
そうですね。やはり、私は電子音楽という考え方も持っていたい。音楽と音響の境界線がいつの間にかグラデーションになって、気づけば全部色が混じるみたいなことになるのは避けたいですね。
そういう意味では、モジュラーシンセはプリセットができないので、音を固定することができません。だから毎回、その場、その瞬間に、生成された音になる。きっと、私はモジュラーシンセのそういう部分におもしろさを感じているんでしょうね。
先端芸術と音楽創作のフィールドを充実させたい―先端芸術音楽創造学会(JSSA)会長として
― 鈴木さんは2026年度現在、先端芸術音楽創造学会(JSSA)の会長を務めています。JSSAでの学会活動について教えてください。
私が先端芸術音楽創造学会(JSSA)の会長になったのは2023年からなので、現在4年目です。
現状、国内で電子音楽をはじめ、テクノロジーと音楽にまつわる芸術全般の研究について、学会で発表するときのフィールドはあまり多くはありません。
たとえば情報系・工学系の学会だと、情報・工学の研究が中心で、先端芸術や音楽創作など、創作を中心とした芸術分野の発表する場が少ないのが現状です。
私のなかに、JSSAを充実させていかないと、この研究分野が先細っていくのではないかという問題意識があります。学会の価値を高めるには、日本学術会議の協力団体になることと、査読論文誌を出すことが重要だろうと考えて、この2つを達成することを目標にしていました。
副会長の横山真男先生、城一裕先生にもご尽力いただき、2025年度にJSSAは日本学術会議の協力団体になり、2026年4月30日に査読論文誌『ソニックアーツ』※1を創刊できました。これによって、この分野の研究が発展し、たくさんの研究が生まれれば、若い世代もこの分野に興味を持ってくれるだろうと期待しています。これからもっと活性化していきたいですね。
もう一つ、去年はJSSAとして国際的な繋がりにも力を入れました。
韓国に「KEAMS (韓国電子音楽学会)」というJSSAと同じような先端音楽を扱う学会があるのですが、KEAMSの協力により交換・交流イベントとして「Seoul International Computer Music Festival 2025」へのJSSA会員の参加、そして「JSSA音楽祭2025」では韓国の作曲家を招いて開催することができました。
やはり一歩、国外に出て韓国のシーンや作品、観客の熱量にふれることで刺激を受けて、新たな創作意欲が生まれてきますね。それもあって海外との関わりをもっと増やしていきたい。これからもJSSAとして国際的なイベントを企画、開催していきたいと考えています。
― 一方で、JSSAは国内の大学と連携して学生の作品の上演や展示・研究発表する「インターカレッジ・ソニックアーツ・フェスティバル(ICSAF)」を毎年開催しています。
ICSAFを通じて、学生のみなさんの音楽表現や学術研究の幅も広げていきたいと思っています。私たちが学生だった2002年頃って、今よりも世界が広がっていたと思うんです。その後、なぜか閉塞感が生まれて、ここに来て、また少しずつ広がっている感覚があります。
現在、学会の会員数もICSAFで発表する学生数も増えていますし、学生たちに卒業後も創作を続けてもらえるよう、土壌を広げる大事な局面なのかなと思っています。
日本電子音楽協会(JSEM)の定期演奏会―シンセサイザー特集で感じた未来
― 鈴木さんは、日本電子音楽協会(JSEM)の理事も務めていらっしゃいます。今回の定期演奏会も鈴木さんご自身の企画・発案と聞きました。
2026年2月10日に第26回JSEM定期演奏会※3を愛知芸術劇場小ホールで行いました。
名古屋で開催するのであれば、ちょっと自分の好きなことでやりたいなと思って、シンセサイザーを特集テーマにしたのですが、若者をふくめて約70人の観客が集まったことは、新たな動きとして興味深かったですね。
― 演奏会のテーマがシンセサイザーでしたが、作曲者/演奏者のみなさんは広義の意味で「シンセサイザー」をとらえている印象を受けました。「シンセサイザーとは?」という大きな問いを投げかけられたようにも感じるのですが、鈴木さんから見てシンセサイザーの魅力はまだ失われていないと思いますか?
失われてないと思いますよ。私は一家に1台シンセサイザーがあっていいと本気で思っています。私にとってシンセサイザーは、音を遊ぶ電気オルゴールだと思っているんですよ。いつの間にか、音楽をつくること、演奏することが、専門知識と技芸がないとできないものになってしまったけれど、もっと簡単な気持ちではじめていいものだと思います。「今日は天気がいいから、庭でシンセでもしようかしら」みたいに (笑)。
ちなみに私の主観ですが、シンセは自然と相性がいいんですよ。自然の中で演奏するとすごく癒されます。以前、シンセサイザーのワークショップを開催したのですが、「初めてシンセサイザーにさわります」「やってみたかった」という人も多く参加してくれました。
そのときに、シンセサイザーには不思議な魅力があるということを実感しました。
― JSSAとJSEMとの違い、2団体の棲み分けについて意識しているところはありますか?
JSSAは学術寄りで、JSEMは電子音響音楽に関わる人々の交流と発表の場としてとらえています。現代音楽をつくっている人も、モジュラーシンセをやっている人も、エンジニアも、JSEMはもっといろいろな人に参画してもらいたいですね。
演奏文化を将来につなぐために―電子音楽のアーカイブに力を注ぐ
― 鈴木さんはご自身の研究を進めながら、8年前から電子音楽のアーカイブにも力を注いでいらっしゃいます。現在、「電子音楽のアーカイブ」で科研費の助成を受けていますが、アーカイブをはじめたきっかけはあるのでしょうか?
2020年にプロジェクトを行いました。その少し前から電子音楽のアーカイブをはじめています。
電子音楽のアーカイブを行うのは、私の演奏家としての意識が大きいです。演奏家は過去作品を演奏するのですが、それができるのは楽譜が残っているからです。ですが、電子音楽は楽譜だけでは演奏ができません。楽曲を実現させるには、電子音響部分のプログラムやサウンドファイル、システム図やセッティング図が必要です。
現代音楽の作曲家シュトックハウゼンはステージセッティングから演奏方法にいたる詳細をスコアに記しているので再演ができます。しかし、80年代後半以降のコンピュータを中心とした電子音響音楽では、ソフトウェアやプログラミングが時を経ると動かせない可能性があるので、演奏できない状況におちいる。
それはつまり演奏家としての資産が残らないということです。
一部の演奏家には、これまで演奏されていない作品をみつけて演奏したいという欲求があります。だから作品を見つけてもそれが演奏できないというのは非常にまずい。演奏文化が途切れてしまう。
たとえば、現代音楽作曲家のヤニス・クセナキスの楽曲がわかりやすいのですが、彼の曲は初演の頃よりも、現在の演奏のほうが格段に演奏の精度があがっています。それは初演の演奏家がなんとか音にした段階から、時間をかけてスコアの解釈が進み、それに伴って演奏技術が向上していく。その曲がレパートリーに加わることでより洗練されて、教育にも含まれていく。それが進んで、ようやく10年後、20年後に「本当はこういう音楽だった」ということが明らかになるかもしれない。そういった例はこれまでも数多くありました。
しかし、そもそも再演できない曲では、その経過が生まれません。その危機感から、電子音響音楽のアーカイブをはじめました。
― そういう意味であれば、将来的に日本の電子音響音楽はほとんど残らないかもしれませんね。
とくに電子音パートを譜面に残していない人はたくさんいるので、このままだと大半の作品は残らない可能性があります。
個人的に日本電子音楽協会の元会長だった松井昭彦先生と懇意にしていて、松井先生が繰り返し「このままでは再演できない。電子音楽は未来に残らない」と話していました。その話をそばで聞いて「誰もやらないなら自分がやろう」と決意しました。これは演奏家の「誰も演奏していない作品なら、自分が演奏したい」という意識に近いものがあって、自分の演奏家としての魂は死んでなかったんだな、と後になって気づきました。
どうしたって演奏家としての意識は抜けないし、やはりそこから学びとったことは多いです。
そこで現在はJSEMの定期演奏会の資料のアーカイブを進めているのですが、実際にはじめてみると沼は深くて、再演に結びつく資料が残っていないことが多々あります。それでも今できることはやっています。今は厳しくても、将来、発展させてくれる人が現れることを期待して。
― しかし、当時のパンフレットからテックライダー、相当な量の資料が集められていますよね。非常に重要な仕事だと思います。資料をまとめるのも相当な仕事量ですよね。
些細な資料まで、相当な数をすべてデジタルアーカイブしました。動画117点、録音40点、写真277点、公演プログラムなどの資料691点、その他運営資料489点をJSEMと私で保管しています。資料をまとめたことで作品の文化背景のようなものが見えてきました。使用機材もそうですし、人的関係、なぜこの機材をセレクトしているのか、資料を通して物語が見えてきて、すごくおもしろいんですよね。アーカイブを通して演奏家の美意識と人間関係が非常によくわかります。

〜ミニシンポジウム〜「電子音楽におけるアーカイブの方法論 – JSEMアーカイブの研究報告 – 」登壇: 水野みか子、渡辺愛、鈴木悦久 (2026.2.10)
私の考えるゴールは、楽譜以外の周辺資料を音楽学に基づいて位置づけ、その関係性を示すオントロジーのようなものが完成したときに、作品だけじゃなくて、その作品が上演された出来事や作家像が見えてくるまでに発展させたいんです。
― その話でいうと、タグ付けの話が興味深いです。作者主導で好きな言葉でタグ付けすると、作者自身が自身の作品をどのようにカテゴライズするかということが明示されます。独自のタグも生まれて広がる部分もありますが、総体で見たときにカテゴリーが収束していかない可能性もはらんでいます。収束しなくてもいいということなのでしょうか?
それは、どこかで収束させなきゃとは思っています。私が構築したデータベースの管理画面では適宜整理できるようになっていますが、私は作曲家本人がつけた名称は残したほうがいいと思っています。
周辺資料がおもしろいと話しましたが、記録を残すことで、経過によって名称が変化したり、一番最初にその名称を使った人をたどったりできる。もしかしたら、これはアーカイブ研究のど真ん中ではないかもしれませんが、私はそのときの時代性を反映させながら更新されていくアーカイブをつくっていきたいと考えています。
教員として一緒にポイントを探っていく―IAMASの変わったところ/変わっていないところ
― 演奏家として鈴木さんが即興演奏で大切にしていることについてお聞きしたいです。
即興演奏にもはじまりと終わりがありますよね。けれど、私は演奏がはじまる前から即興演奏ははじまっていると考えています。それは1分前かもしれないし、1時間前、1週間前かもしれない、と。同じように、終わりも終わってはいません。まだ即興演奏が続いているという考え方でいます。あくまで、即興演奏は曲のある一部分を切り取っただけの時間のようなイメージです。
それはmimiZ(現 Mimiz)での演奏時も気持ちとしては同じ。即興演奏を依頼されたときも、そこだけの時間をつくりたくないんですよね。
極端な話、即興演奏を100からはじめようと考えたら、最初から100で演奏することは無理じゃないですか。その前から助走してないといけない。
― それは音楽的な構造の話ですね。ピアニストで作曲家の一柳慧さんの話を思い出しました。「演奏はコンサートの演目を考えたときにはじまっている」という。やはり演奏家の視点ですね。最後に、これからIAMASで学生へ伝えていきたいことや、IAMASに期待することなど、鈴木さんの意気込みを聞かせてください。
IAMASに教員として戻ってきて、変わったところと変わっていないところがあるなと思っていて、変わったところは、教員の指導がとても丁寧になったと思いました。変わっていないところは、藁をも掴むような思いで来る人たちを受け入れる場所になっていること。
先ほどアーカイブ研究について話しましたが、私自身、この研究にたどりついたのは40歳過ぎてからです。それくらいわからないことが多い分野でもある。そもそも芸術表現はわからないからはじまると思うんです。
それを学生と一緒に考えたい。いや、考えるというよりも、一緒に見るポイントを探りたいですね。
たとえば、学生が物事のある一点を視ているとしたら、それに対して、私は異なる角度で視ることができる。そうなったときに、学生と一緒にその間にあるものを探りたいんですよね。多点的に見ていけば、視座が変わったときに導き出されることもあるはず。
そうやって視点を重ねていって球体みたいなイメージでものを視ていくような立場でありたい。

― IAMASの特長として「領域横断」が語られることがありますが、鈴木さんの話だと学生に100%寄り添うでも押し付けるでもなく、その中間にあるということでしょうか。
学生が最初に感じたことが実は一番大事だと思っていて、そこから一度でも動いてしまうとブレてしまう。元の位置がわからなくなることが多々あります。
だからこそ、まずは学生も私も視点は変えないで、自分の位置から考えることが大事だと思っています。抽象的な概念だと思いますが。
最初に自分が思ったことには絶対意味があるんですよ。これまでの私の経験談もそうだけど、結局は最初に戻ってますからね。だからこそ、最初の場所に居座って見続けたほうがいい。
でも、それは一人では続けられないことなので、誰かがもう一つの点を打つことで、ようやくその間になる物事を探れるようになるわけです。
そこに点を打つ存在がIAMASの先生方だと思っています。
その2点の間に、学生が求める答えがあるかもわからないけれど、自分自身を支える杭が増えていくことが大切。私はそういう意識でいます。

鈴木悦久 / 准教授
打楽器と電子音楽を背景に、身体性とテクノロジーを横断する作品を制作している。創作実践を起点とした電子音楽におけるアーカイブの方法論について研究し、テクノロジーを基盤とした芸術作品の保存・修復・再演にも取り組んでいる。
※1 先端芸術音楽創作学会論文誌『ソニックアーツ』 https://jssa.info/journal
※2 「Seoul International Computer Music Festival 2025」http://computermusic.asia
※3 第26回JSEM定期演奏会 https://jsem.sakura.ne.jp/jsemwp/?page_id=2124
インタビュー実施日:2026年5月11日
インタビュアー:福島諭(産業文化研究センター[RCIC]研究員)
編集:森岡まこぱ
撮影:福島諭(産業文化研究センター[RCIC]研究員)



