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2017年度 情報科学芸術大学院大学 入学式

4月7日、第17期生として新たに新入生を迎え、2017年度 情報科学芸術大学院大学 入学式を開催しました。新入生の自己紹介からは、今後のIAMASでの研究に対する意気込みや決意が感じられました。


 

平成29年度 入学式 式辞 (2017年4月7日)

学長・三輪眞弘


新入生のみなさん、入学おめでとう。そして、IAMASへようこそ。
今日は、私にとっても、新入生にお祝いを述べる初めての機会です。何を話すべきか悩みましたが、IAMASを代表して「お祝いの言葉」というよりは、みなさんへの大きな期待について作文したので、聞いてください。

創設時からIAMASにいた私は、いつも、IAMASが日本一恵まれた学校だと思ってきました。いまでもそうです。客観的にも、修士課程2年制で、1学年20人の学生に対して、専門のまったく異なる教員が19人もいる大学院など、他にはありません。
IAMASでは、教員も学生も図書館や事務局のスタッフも、誰もが顔見知りで、いつでも話ができます。そして、修士作品や論文の発表では言葉通り、「全学をあげて」皆がそれに立ち会い、学生たちの研究について学校中のいたるところで議論が生まれる不思議な空間、いわば「小さな宇宙」なのです。その「小さな宇宙」であるIAMASにとって、ひとりひとりの学生の存在がいかに重く、大切なものであるかは言うまでもありません。
その大切なみなさんが、岐阜県大垣市のIAMASで生活を始めるにあたって、私が言っておくべきこと。それは「死者たち」、つまりすでに亡くなった無数の人たち、それとまだ生まれていない「子どもたち」のことについてです。
いまここに、みなさんと私が存在するという事実は、私たちの父と母、祖先がいて、それを遡れば、私たちの肉体や精神は、地球上の生命進化の中にあることがわかります。これからも永遠に、人類が有性生殖を続けていくという理由などはないとしても、多くの地球上の生命と同様、人間は、誰もが有限の時間を生き、自分の死後を子孫に託すという営みを続けてきました。いままで何十万年もそうだったからといって、これからもそうであるべきだと言いたいわけではありません。
そうではなく、私たちがいま、何かを計画し、行動するとき、この「崇高」とでも形容したくなる、生命進化の営みに照らし合わせて物事を捉え、さらに「死者たちと未来の子どもたち」のことをいつも考えに入れる想像力、そのような「センス」こそが、私たちにもっとも求められている能力だと、私は思っているのです。
つまり、あなたがこれまでしてきたこと、IAMASにおける2年間の制作や研究としてこれからしようと考えていることは、「死者たちと未来の子どもたち」に見せたいと思えるものであるか? それをいつも考えて欲しいのです。
IAMASにおける制作や研究は、もちろんアートに限りません。美学や哲学はもちろん、新しいデザイン、エンジニアリング、ものづくり、コミュニティ、エデュケーション、何とも分類できないものまで様々です。IAMASという小さな宇宙の中で、同時に進行する驚くほど多様な活動から生まれた表現、つまり「作品」は、すべて、その創造性と共に「死者たちと未来の子どもたち」の眼差しの前で議論されます。換言すれば、「それは“美しさ”につながっているのか?」と、必ず問われるという意味です。この問いこそが、この20年間「科学技術と芸術の融合」を目指して、IAMASが育んできた「アート」の基準であり、IAMASが「アートの学校」であることを自負する理由なのです。

しかし、それはIAMASだけの特別なことなのでしょうか? 「あたりまえ」のことではないでしょうか。ただしそれが「あたりまえ」だったら、この世界はいまほど混乱していなかっただろうと、私は思います。それが「あたりまえ」だったら、例えば数十年しか動かない原子力による電力を得るために、何万年も捨てられない、大量の核廃棄物を未来の子どもたちに残していくことが、どうしてできるのでしょうか? しかしそれが、この日本に生きている私たちが、いま実際にしていることなのです。そして残念ながら、これはたったひとつの例に過ぎません。
これからの2年間で、みなさんは、それぞれの研究テーマのもと、様々な形式の作品を創り、明晰な言葉を与え、その成果を携えて実際の社会に飛び込んでいくことになります。全力で成し遂げてください。
修士課程におけるみなさんの制作や研究は、それぞれの専門分野からみれば、小さな「一歩」にすぎないかもしれません。しかしその「一歩」が、何を目指し、どこに向いているのかは、みなさんの人生にとって、いや、それどころか、これからの社会、世界にとって決定的なことであることに、自覚的でいてください。19人の教員は、今日ここに迎えたみなさんの人生の、大切な2年間に、持ち得る力のすべてを注ぎます。教員もまた、それぞれの良心に従って「死者たちと未来の子どもたち」の前で恥じないでいられるように、必死であることを覚えていてください。

日本では近年、教育の場においても「人材」という言葉がよく使われます。IAMASがアカデミーとして設立されたときにも、しきりに使われた言葉でした。しかし、専門学校であろうと大学院であろうと、私はみなさんを「人材」などと考えたことはありません。大人たちが平然と使う、才能や能力がない若者は存在する価値など無いと言わんばかりのこの日本語が、特に最近「怖い」とさえ感じるのは私だけでしょうか?
あなたは「人材」である前に、死者たちの願いや無念に耳を傾け、それを受け止め、自らの判断で次の社会を築き上げる、かけがえのないひとりの人間、人格であり、混迷を深めるこの世界の、最後の「望み」です。同時に、すでに大人でもあるみなさんは、次の世代の「親」でもあるのです。
みなさんが、いま何としてでも学ばなくてはならないことは、みなさんと未来の子どもたちの「人間世界」が存続するための「アート」、換言すれば、人間が単に地球上で「繁殖」するだけではなく、地球上生物の一員として、人間らしく生きていくために、いったい何が必要不可欠なのかを見抜き、それを実現していくための「技法」なのです。その「技法」を身につけることは、みなさんがいつか必ず、日本一恵まれた学校──岐阜県が構想した奇跡のような学校を、実際に作ってくれた人たちや、IAMASを支え、熱く応援してくれる人たちの志と大きな期待に、真正面から応えることになると、私は確信しています。
「いつか必ず」と言いましたが、それは決して遠い未来のことではありません、たった20年の歴史しかないIAMASの、多くの卒業生たちがすでに、その期待に応えくれているのですから。
では、来週、月曜日からはじめましょう。