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令和2年度 情報科学芸術大学院大学 入学式(学長式辞全文)

4月3日、第20期生として新たに18名の新入生と2名の研究生を迎え、令和2年度 情報科学芸術大学院大学入学式を開催しました。新入生の自己紹介からは、今後のIAMASでの研究に対する意気込みや決意が感じられました。

 

令和2年度 入学式 学長式辞 (2020年4月3日)

学長・三輪眞弘

新入生のみなさん、入学おめでとう!
 ウイルスの流行が全世界を脅かしている今、みなさんがここに集まり、みなさんの顔の半分を見ながらこうしてお祝いの言葉が言えることにぼくは深い感慨を覚えています。

 感染を避けるために「集まるな、近づくな、大きな声を出すな」と盛んに呼びかけられている今、どうして入学式が行われるのか。そのような式典はどうしても必要なのか?・・特にこのような状況の中でぼくは、IAMASに入学したみなさんがそのように疑ってみる人になってもらいたいと願っています。つまり「例年そうすることになっている」というのは理由になりませんし、たとえばドイツの大学には入学式も卒業式もありません。つまり、入学式は、流行りの言葉でいえば、「不要不急」のイベントなのかもしれないわけです。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。「祝う」という太古の昔から人間が行ってきた営みの重要性をそもそもぼくらは「合理的」に説明できなくてはならないのでしょうか。
 みなさんが、岐阜県にあるIAMASという小さな大学院大学を知り、入学を志し、試験に合格していま、ここで全員が初めて出会えたことを喜び、みなさんの人生の中でかけがえのない日々をこのIAMASで送れることを祈る、ぼくらの気持ちをみなさんに伝えることが「不要」なことなのでしょうか。あるいは、IAMASを設置した岐阜県やIAMASを応援してくれている地域の様々な団体がみなさんへの期待を伝える機会が「不要」なことなのでしょうか。そうではないはずです。
 しかし、だからといって、最新の科学的知見において、みなさんの健康を危険に晒すようなことはできません。・・一体、何が起きているのでしょうか。

 ぼくは今まで、IAMASの学生が、誰からも教えてもらうことなく「自分の頭で考える」能力を徹底的に磨いてもらいたいと願ってきました。それは当然、知的でなくてはなりません。しかし、そのような「知性」だけでこの世界のすべてが説明できるわけではありません。ぼくら、いや、地球上の生命はみな「価値」、言い換えれば「意味」の世界に暮らしているからです。物理学の世界において、ある「石」には「重さ」があるでしょうが、「重い石」というものは意味の世界にしかありません。つまり、数値で表すことができる重量とは別に、同じ石が「私にとって」重いかどうかという、まったく別の基準があり、ぼくらの暮らしはむしろこちらの基準、すなわち「感性」に従って営まれているということです。この「知性」と「感性」を巡って、今、ここでならば、感染予防に関する科学的知見と入学式を行い、ぜひ新入生を迎えたいと思う気持ち、あるいは、窓のないこのホールの空調設備1時間あたりの換気能力とこの場を清める法螺貝の響きの間でIAMASもまた、引き裂かれているということです。

 開学以来IAMASが掲げてきた理念、「科学と芸術の融合」、すなわち現代テクノロジーと「アート」は、この知性と感性との関係を問題にしてきました。人類がなし得た科学と芸術、それぞれの深化ではなく、その「関係」こそが今、ぼくたちの問題なのです。そしてIAMASにおける「アート」とは、この地球上で起きる様々な出来事の「意味」を深く洞察し、その現実に対してぼくらが現代の科学的知見と共に、実践的に「応答」していく態度に他なりません。
 これからみなさんは修士作品を構想し、それを実現し、論文で説明する、長くて短い道のりに踏み出します。それらは高度なテクノロジーなしには地球で生きられなくなった人類のための「アート」として、新しい「意味の世界」、すなわち文化を切り開くものでなくてはならないということなのです。

 繰り返します。授業の開講すら危ぶまれる中、みなさんの人生におけるかけがえのない日々が今日、このIAMASで始まることを祈っています。そして、IAMASの教職員はそれを全力で応援することを約束します。おめでとう!