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令和5年度 情報科学芸術大学院大学 入学式(学長式辞全文)

4月4日、第23期生として博士前期課程22名(うち、社会人短期在学コース1名)、第3期生として博士後期課程3名、計25名を迎え、令和5年度 情報科学芸術大学院大学入学式を実施しました。




 

令和5年度 入学式 学長式辞 (2023年4月4日)

学長・鈴木宣也


新入生のみなさん、入学おめでとうございます。教職員とともに、みなさんの入学を心よりお祝い申し上げます。また、これまでのみなさんのご努力に敬意を表すとともに、みなさんを支えてこられましたご家族や関係者のみなさまへも、お祝い申し上げます。 本日、博士前期課程22名、博士後期課程3名のみなさんがこの会場に集まり、お祝いの言葉を述べられることを嬉しく思います。そして、新たにIAMASの一員になられたことを心より歓迎いたします。
まずIAMASのある場所の紹介をさせていただきます。みなさんが入学されたIAMASのある大垣は、その昔、水の都とも呼ばれる城下町として、また東西交流の場としても知られております。かつては学問の町としても知られていました。江戸後期の医師であり植物学者でもある飯沼慾斎が大垣にて活躍し、素晴らしい植物の絵が残されています。医師や学者としての側面だけではなく、植物を描写する卓越した表現力は、学問と表現の両方を駆使した、先駆者と言って良いのではないかと思います。また、明治に学位が制度化されたときには、日本初の工学博士など、当時、大垣は「博士の町」ともよばれ、全国的に注目されるようになりました。みなさんが、こうした大垣において研究し、世界へ羽ばたかれることを大いに期待しているところです。
さて、本日からみなさんは研究を始めることとなります。大学院の研究といえば誰もが学術的な形式にそった研究や論文執筆を思い浮かべることでしょう。しかしIAMASの場合は、それだけではなく、創造活動やものづくりなどの実践的な活動や、その試行錯誤のプロセスも含め、すべてを研究と呼んでいます。また形のある芸術作品はもちろん、ソフトウェアやワークショップなど形のない成果も含め、IAMASでは作品と呼んでいます。その研究や作品という言葉を使っているのは次のような理由からです。 創立以来IAMASは「科学的知性と芸術的感性の融合」を掲げ、学問の世界を切り開いてきました。ここで言う、科学と芸術の融合とは、単に科学と芸術という異なる分野を掛け合わせるという意味ではありません。テクノロジーが社会や人の心へ及ぼす影響を踏まえながら、研究するみなさん自らが社会と対峙し、実践により裏付けした真の価値を深く洞察する研究のことを指してます。多様な領域を横断しながら、その横断の中から創造力を駆使して統合し、形にしていくなかで、作りながら得られる「制作の知」と本学では呼んでいる、知性を見出しながら、新たな文化の創出へ貢献することを意味しています。だからIAMASでは作品や研究を広い意味で捉えているわけです。
それでは作りながら得られる「制作の知」を見出すためには何が必要でしょうか。コロナ禍の特殊な状況によって、社会から個人の内側にいたるまで、混乱と分断が生じています。生活様式や価値観が大きく揺らぐ中で、従来の思考では解決できない、さまざまな問題に直面しています。オンラインによるやりとりには効率的な良さがある一方で、インターネットの中で閉じてしまい、フィルターバブルなどのように、対話や視野が知らず知らずのうちに狭まってしまう現状があります。自分と同じ意見や近しい情報だけに触れ、考え方や感じ方が限定されてしまい、他者への関心や感性、想像力を鈍らせています。ようやく対話が回復しつつありますが、このような状況は我々に社会を見つめ直す、大きなきっかけをもたらしたとも言えるのではないでしょうか。
またきっかけのひとつとして、最近話題のAIがあります。AIがいよいよ実用的になり、人とAIの区別のつかない時代がやってきたわけです。そうした時に、人は何を考えなければならないのでしょうか。現状のAIは文章の「意味」を理解しているわけではなく、統計的に選び出した並びを作っています。そもそも「意味」とは、人が世界と関わる際に生じる、AIとは異なる独自のものではないでしょうか。人が「意味」を見い出すためにしていることは、個人の持つ「感性」によって世界を捉え、相互作用を通じて、経験や知識を活用しながら、「意味」を見い出していると考えられています。そうした「感性」もまた、自然を含む世界との対話だけではなく、多様な人々やものとの対話や交流から「意味」を見い出し、その繰り返しによって「感性」は育まれていくという関係性を持っているのです。社会を切り開いていくためには、「感性」や「知性」を駆使し、それらを統合して創造的に表現すること、つまり「科学的知性と芸術的感性の融合」のもとに、自分たちの役割を意識しながら、考え続けることが必要なのです。「制作の知」とは、その繰り返しのプロセスから見出すことのできる「知」を指しています。
そうしたプロセスは社会と切り離された架空の場で見い出されるものではありません。大学の存在意義とは、実際の社会の中で、何者にも邪魔されない真理を探究しながら社会に対して新たな視点から問い続け、実践へと結びつけることにあります。そうした真理を探究するために大学では失敗することが許されているのです。アイルランドのノーベル文学賞作家バーナード・ショーは次のように述べています。

「間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ」

また、エジソンは白熱灯を発明したときに、新聞記者に「1万回失敗したのでは?」と問われましたがエジソンは、

「私は失敗したことがない。 ただ1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」

と言っています。もしかしたら、「失敗」という言葉は、「実験」あるいは「挑戦」と読み換えることができるかもしれません。 みなさんは、これからたくさんの挑戦をしていくことになりますが、それは、ひとりぼっちでするわけではありません。私たちは互いに知を共有しながら、協力して共に働くという、「協働」する力を持っています。皆さんの周りには専門の異なる多様な学友がおりますし、IAMASの教職員は、みなさんの活動を全力で応援することを約束します。その応援のためには対話が欠かせません。オンラインであっても、対面であっても、コミュニケーションし続けることが重要です。大垣やIAMASは、そうした交流の場であると同時に、領域を超えて研究し続けていく場であるとも言えるでしょう。この困難な時代をものともせず、挑戦し続けながら、これからの未来をみなさんで共に切り開いていきましょう。