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教員インタビュー:小林昌廣教授

医学・哲学・芸術の三角形の中心に、「身体」を置いて考える

- まず、ご自身の研究活動について教えてください。プロフィールには「医学と哲学と芸術を三つの頂点とする三角形の中心に『身体』をすえて、独特の身体論を展開」とありますが、こうしたスタンスはどのように形成されたのでしょうか?

僕は元々、理学部で分子生物学を学んでいて、その後、医学部の解剖学に移りました。28体くらい解剖させてもらって、神秘的な経験をしたんです。例えば、宮大工だったおじいさんの手をメスで切ったときに、死体のはずのおじいさんが僕の手をぎゅっと握ったんです。手首の神経をメスで切った条件反射なんだけど、僕は「解剖してもいいよ」って許してもらえた気がした。そういう経験を何回かして、解剖学で客観的に人間の身体を理解することができるのかと思うようになりました。
そのうち、医療人類学という80年代の新しい学問に関心を持ちました。医療人類学は医療を「文化」として捉えて、その文化の違いが医療の違いとして現われると考えます。世界的に見ると、病院医療は約45%で、残りの55%は土着医療や(われわれから見たら)神秘的な医療です。そういう医療が実践されている場所では、医療的身体は、その場その場で違う相対的なものとして理解されます。誰が見ても心臓の位置は客観的に同じだという解剖学的な身体とは違って、心臓の捉え方は医療文化によって全然違うんです。僕は東南アジアでフィールド調査をしながら、身体の多様性や多元性に関心を持つようになりました。
また、学生時代から哲学も勉強していました。いちばん影響を受けたのは、メルロ・ポンティ。彼の研究は、ただ身体を哲学的に捉えるというスタティックなものではなくて、子どもが言葉を覚えるとか、ものを見てそっちに向かって歩いていくとか、実践的でパフォーマティブな身体論なんです。
さらに、僕は3歳から歌舞伎を見ています。家族が言うには、客席から身を乗り出して夢中で見ていたそうです。中学生になると、自分で切符を買うようになりました。窓口に並んでいるファンの大人たちの話が抜群に面白くて、今でも僕の宝です。能はかなり後ですが、落語も歌舞伎と並行して見ていて、中学生の頃に日本の古典芸能の洗礼を受けました。大学に入ると、土方巽の暗黒舞踏に出会って、古典芸能とのつながりで見るようになりました。土方は晩年、歌舞伎に興味を持っていて、実現しなかったけど、「東北歌舞伎計画」と名付けて、生まれ故郷の秋田を中心に舞踏の公演をやろうとしていたんです。
このように、医療と哲学と芸術という、僕が経由あるいは並列して走ってきた3つの路線があって、その中心に何を置くかと言えば、やっぱり身体です。だから、僕にとって身体論は3つある。解剖学で学んだ非常に客観的な身体観、哲学的な身体論、舞踏あるいはパフォーマンスとしての身体論です。
60年代当時は極めてラディカルでとんがった表現であった舞踏と、古典芸能。この2つがどこかでつながるんじゃないか。舞妓さんや芸妓さんが舞う「京舞」にヒントがあると思ってずっと調べています。特に、目線を動かすことでその方向に「世界」があると想定する、そういう精神性や身体性に類似性があるんじゃないかと思っています。

 

古典を見ることで、どう現代と接続できるか

- 小林先生は、京都芸術センターでの「伝統芸能ことはじめ」など、古典芸能史の講座や教育活動にも力をいれておられます。先生にとって、「古典の魅力」や「現代社会において古典を考える意義」とは?

「伝統芸能ことはじめ」(京都芸術センター)

最大の疑問は、100年単位で続いてきた芸術や芸能が、なぜ今でも上演されているのかということです。歌舞伎は450年、能なら600年、落語でも300年続いてきたわけです。もちろん、時代によって解釈が変わる部分もあるけれど、時代によっても変わらない表現や精神性があって、それを見る観客がいる限り上演されるんだろうなと思います。つまり、現代の観客が古典を見ることで、自分のいる時代とどうポイントをつなげられるかが重要なんです。
例えば、少し古い話ですが、昭和19年に、歌舞伎の『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』という演目が上演されました。これは、主人公の源氏の武将、熊谷次郎直実が、主君の義経の命令を受け、敦盛の身代わりに自分の息子の首を斬って差し出すという話です。とんでもない子殺しの話なんだけど、戦争中に上演されると、客席からずっと嗚咽が聞こえたんです。観客はみんな、夫や息子が戦争に行ったご婦人ばかりです。彼女たちは、天皇の代わりに自分の息子を犠牲に差し出した物語として読み替えて泣いたわけです。それは論理的に読み替えたわけではなくて、熊谷直実の気持ちが心に迫ってきた。こういうところに、なぜ古典が今も上演されているかという秘密があると思います。僕はこれを非常に感動的なエピソードとして受け止めていますが、今でも古典芸能の舞台で、観客が泣くことがあります。やっぱり、心情とか生理感覚に訴える側面が、古典にはあるんです。
落語もそうです。特に創作落語では、例えば桂三枝(現六代文枝)が実際に高座ですき焼きをしたり、カラオケボックスを持ってきて歌ったり、破格の落語をやってしまう。それは単に目新しい面白さを狙っているわけではなくて、そういう装置を通して古典の世界を現代と同じように捉えることができることを示しているんじゃないか。現代ならすき焼きとかカラオケボックスにあたるものが、かつては別のものだった。それを話芸で表現していた。もちろん今は遊郭もないし、長屋の管理人である「親」がいる時代ではありません。でもそういうものを単なるノスタルジーではなく、置き換えられるオルタナティブがある限り、古典は滅びることがないんです。
逆に言うと、置き換えが難しいものは、滅びていきます。能は元々1000曲くらいあったけれど、今ではほとんど廃曲になってしまって、上演されるのは200曲くらい。「復曲」といって復元する試みや、最近は「VR能」も上演されたけれど、現代との接続点がないと、一回限りで終わってしまうんですよね。
だから、僕は古典芸能の批評を書いたり、講座で話すときは、現代との接点を常に考えるようにしています。そうすると、現実の生活世界と分断されているわけじゃなくて、読者が自分の今いる時代から古典の世界に入っていけるから。

講義風景(「木ノ下歌舞伎の学校ごっこ」にて)

学生と一緒に並走する教育を

- 後半は、IAMASでの教育についてうかがいます。学内プロジェクト「ライフエスノグラフィ」では、どのような授業をされていますか?

「ライフエスノグラフィ」は、今年度から始まったプロジェクトです。「エスノグラフィ」は文化人類学の用語で、フィールドワークで観察したものを記述することですが、ここで言う「記述」は文字だけではなくて、表現やアートも含んでいます。また、「エスノ」はエスニック、つまり民族や文化による生命観の違いや同一性を描いていくという意味を込めて名付けました。
アートと生命をつなぐ領域としてバイオアート、特に生きた生命を素材として扱う際の倫理の問題に着目しています。社会的な批判にどう対応するか、バイオアートのきちんとした倫理コードをどうつくれるのかといった問題意識があります。医学や哲学の領域で生命がどのように捉えられていて、それがどうアートと接続できるのか。

蔵元林本店(各務原市)にて

具体的に授業では、酵母を使った発酵を取り上げています。学生も予想以上に多く参加してくれて、1年間かけて、発酵や醸造関係の本を読んだり、ビデオを見たり、お酒の醸造工場に見学に行ったり。いろいろ議論しながら、最終的には、2月の卒業制作展で作品を発表してもらいます。例えば、酵母菌が発酵するときの音を使った作品とか、酵母にダメージを与えないような作品です。バイオアアートで「音」ってあまりないから、すごく面白いなと思いました。僕は元々、酵母を使った実験もやっていたので、古巣に戻った感覚もあります。でも、当時は生化学としてやっていたわけで、アートとして考える発想は全然なかった。そこは新しいなと思って、僕自身楽しんでいます。

- IAMASの「プロジェクト」という科目は、とても良い教育システムだと思います。ひとつの共通テーマを据えて、違う専門分野の先生が複数名関わって、いろんなバックグラウンドを持った人たちが議論することで、多角的にひとつのテーマを見ることが鍛えられると思います。

そうなんです。最終的には「発酵」というテーマに収斂するんだろうけど、その「発酵」に行く道筋がものすごくたくさんあることが大切なんです。バイオアートのプロジェクトを受講したからといって、最終的に卒業制作でバイオアートの作品を出す義務があるわけではありません。バイオアートを通して、自分自身の研究に行ってほしい。

- IAMASに入学を考えている学生には、どういうモチベーションを持って来てもらいたいですか?

個人的には、モチベーションは要らないと思うんです。ひとつでいいので、何か秀でたもの、自信のあるものを、表現でも論文でもいいので、具体的に見せてほしいと思います。「IAMASに来たら何か見つかる」と思っていてはダメですね。ここに来たらキラキラしたものが見えるわけではない。自分が持っているナイフで切り拓いて探さないと、見えないんじゃないかな。
逆に言うと、何かひとつ自分のものを持っている、あるいは「持ちたい」という自信があれば、それを目指して一緒に並走することができると思います。IAMASは教員が一方的に指導する場所ではないし、今は「教える―学ぶ」という時代でもないですし。今はネットが発達しているので、情報に対するアクセシビリティは学生の方が高かったりします。でもわれわれ教員には、情報をどう整理するか、松岡正剛さん的に言うと、どう「編集」するかという力がある。だから、学生の興味のあるところに自分が移動して、学生と一緒につくっている感覚が感じられれば、教員として良いなと思っています。


 

小林昌廣 / 教授

1959年東京生まれ。医学と哲学と芸術を三つの頂点とする三角形の中心に「身体」をすえて、独特の身体論を展開。医学史・医療人類学から見た身体、古典芸能(歌舞伎、文楽、能楽、落語)から見た身体、そして現代思想とくに表象文化論から見た身体などについて横断的に考察している。各地で歌舞伎や落語に関する市民講座や公開講座などを行なっている。

インタビュアー・編集:高嶋慈
撮影:小濱史雄(IAMASシステム管理業務専門職)