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レポート

研究レポート

教員インタビュー:三輪眞弘教授(中編)

#現代音楽 #コンピューター音楽 #音声合成 #メディア論

前編からの続きとなります。

情報化された身体への関心

- 次に、佐近田展康さんとのユニット「フォルマント兄弟」※2の活動についてお聞きします。「逆シミュレーション音楽」とは対照的に、徹底的に生声のサンプリングを排除し、ゼロから人工音声を合成して、様々な歌を演奏しておられます。ボーカロイドと比較されることが多いと思いますが、ボカロと違って、「人間の声を素材として使わない」のはなぜですか?

人間の声のサンプリングを使ったらクオリティが各段に良くなることは分かっているのですが、「絶対に使わないぞ」と意地になってやっています。人間の声を使えば、どんなに変形されたとしても、オリジナルの痕跡が維持され続けるわけです。その痕跡を一切使わず、「完全に無から生み出すんだ」というフォルマント兄弟の原理主義が一番大きな理由です。
ただ、「子音が聞き取りにくい」というネックもあります。例えば、活動初期、「S」という音と「ア」という音を連続して繋げても、「サ」に聴こえないことに苦労しました。発音する時の口や舌の形の移行とも関係すると思います。それを克服するのに、弟の佐近田さんは音響合成の研究論文を集めて苦労を重ねました。
逆に言うと、「声」は、人間がいかに微妙な差異を聴き分けているかというプロセスも含むわけです。そういう意味での身体の影というか、情報化された身体というものにずっと興味を持ってきました。

フォルマント兄弟『夢のワルツ』(Studio version)

- 音響合成の研究者の場合、「どこまで人間の自然な音声に近づけるか」という方向性を科学として目指していると思います。一方、フォルマント兄弟のアーティストとしてのモチベーションは、どこにあるのでしょうか?

まず、ユニット名の由来である「フォルマント音声合成」という原理は、コンピュータ以前の、比較的古典的な音声合成の手法なんです。今は、デジタル技術を駆使した他の音声合成の方法がありますが、あえて古き良きものを使う理由は、原理が簡単だからです。
だから、フォルマント音声合成をいくら追求しても、新しい知見や研究価値には結びつきません。フォルマント兄弟の関心は、技術面ではなく、存在論や哲学的な領域を探究したいという点です。もちろん、より精度の高い声ができたら良いに決まっていますが、本当の興味は、「人間にとって声とは何なのか」とか「録音された声を聴くことはどういう事態なのか」といった本質的な問題にあって、それを考えるための試金石が兄弟の作品だと考えています。

- 「存在論や哲学的な領域に関心がある」ということですが、「声を録音する」とは、声を生身の身体から切り離すことです。その意味で、「録音された声」は、今ここにいない不在の者の声、根源的には「死者の声」であると思います。

写真でも同様のことが言われますが、写真とどう違うのか。やっぱり、声が持っている特別な力というものがあると思います。蓄音機が発明された時、音質は悪くても、それが人の声として聴こえた人々は、本当に驚いただろうと思うんです。今はあまりにも当たり前になっているから誰も意識しませんが。数ある音響のなかでも、「声」は人間にとって非常に特別な音響体験ですから、さらに深く考える余地があると思っています。

 

声と主体のねじれた関係

- フォルマント兄弟のパフォーマンスでは、MIDIキーボードやMIDIアコーディオンの操作によって人工音声を生成し、ムード演歌から革命歌まで、様々な歌を演奏しています。人工音声が「歌っている」ようでもありますが、実際に楽器を操作するパフォーマーが間接的に歌っているとも言えます。そうした、「主体がどこにあるのか」という問題が発生する点も非常に面白いと思います。

楽器を使って「人工音声を演奏する」という場合、「演奏者の身体はいったいどういう身体なのか」という問いが生まれます。例えば、合成した女性の声で歌が歌われる時、声はひとつの人格を持っているように聴こえるけれど、それを操っているのは男性のパフォーマーという不思議な関係です。思い当たったのが、人形浄瑠璃なんです。名のある人形遣いは、顔を出して人形を操っていますよね。ひとつの人格のようなものがあり、それを操る人間が別にいるという構造です。

- そこが、ボカロとのもうひとつの大きな違いだと思います。ボカロの場合、「キャラクターの後ろに、生の人間がいる」ということが完全に覆い隠されていて、初音ミクというキャラクターだけしか見えない。でも、フォルマント兄弟の場合、(例外的に)「フレディ・マーキュリーの声」を人工合成した場合でも、フレディの影みたいなものは見えますが、同時にその後ろで操っている別の人間の肉体があります。

そうですね。つまるところフォルマント兄弟の関心は「主体」の問題なのです。つまり、人がある「声」を聞いたら、その声の主の性別はもちろん、体格や性格などを思い浮かべずにはいられない。それはまさに心の中で「自動的」に起きる出来事なのです。たとえそれがどれほど不自然で機械的なものであっても、です。

フォルマント兄弟『フレディの墓/インターナショナル』 (2009)

フォルマント兄弟『NEO都々逸 六編』(2009)  演奏:岡野勇仁(MIDIキーボード) 田中悠美子(三味線)
 

楽器の汎用性と楽譜の特殊性

- 実際の楽器の演奏、特にMIDIアコーディオンの操作は非常に難しいということですが、もっと操作しやすいように機器の性能に特化していく方向性も考えられます。しかし、あえて既存の楽器を使う理由は?

「専用のインターフェースをつくればいいんじゃないか」というアイデアは、もちろん考えました。でも、ピッチと音素と息の加減を、同時に、歌う速さで操作できるコントローラーは、たとえ考えられたとしても、それを操る身体能力、つまり技能の習得の方が問題になるのです。
つまり、アコーディオンを使う必然的な理由は、楽譜に書けば、どんなに複雑なリズムでも、楽譜が読める人に練習してもらった上で演奏してもらえる。西洋鍵盤楽器の記譜法をのっとるかたちで解決したのが、アコーディオンという結論でした。最初はキーボードを使っていましたが、アコーディオンだと蛇腹によって人間の息を感じさせることができるので、よりリアルで、生々しい声になります。

- 楽譜は、一般的な五線譜ですか?

はい。ただし、フォルマント兄弟が発明した「和音平均化アルゴリズム」で記述しています。「2つの声は同時に出ない」という前提があるので、2つ以上の音を同時に弾いたら、それらの音が平均化されたピッチが出るというアルゴリズムをつくったんです。そうすると、微妙なイントネーションのニュアンスが可能になります。1音だと半音階しか出ませんが、2音を同時に弾いたら、ドとシの間の音が出るわけです。3音にしたら、半音の3分の1の音が出る。さらに3分の1の音と4分の1の音のコンビネーションにするなど、ものすごく細かいビブラートがつくれるんです。なので、例えば『夢のワルツ』は和音だらけで、相当変な楽譜です。

フォルマント兄弟『夢のワルツ』(アコーディオン歌唱版) 楽譜
※クリックするとPDFが開きます
フォルマント兄弟『NEO都々逸 六編』より 「声を出すなと」楽譜
※クリックするとPDFが開きます

- すると今度は、操作する人間の物理的身体の限界が出てきますよね。

その通りです。ただアコーディオンの場合、ピッチを司る鍵盤は片手でしか操作できないので、どんなに同時に押さえても5つの音しか弾けませんが、そこまで細かいことはやりません。むしろ、子音を起点にして母音を組み合わせたボタンの操作の方が難しいんです。そちらもいろいろ工夫して、今のシステムに至っています。
最初は、アコーディオンのプレーヤーに依頼しましたが、うまくいきませんでした。ボタンの方を同時に3つ押さえて1つだけ離すとか、特殊な操作がけっこうあるので、指がよく独立して動かないと難しい。結局、優れたピアニストが適任なんです。

 

声の本質はどこにあるのか

- 選曲のポイントについてもお尋ねします。コンセプト重視ですか、あるいは「ビブラートが効いている曲をやりたい」といった技術的な要件から選んでいるのでしょうか?

コンセプト重視が前提です。もちろん、これならできるけどこれはできないといった技術的な要件や限界は大きく影響を与えますけど。
最近のフォルマント兄弟は、ボカリーズ(母音のみで歌う歌唱)とか喘ぎ声だけの楽曲といった試みもやっています。母音のニュアンスだけでも、十分いろんなことが表現できるんじゃないかって。
通常は、声を扱うということが、言語を扱うことであるかのように考えられがちです。しかし、声と言語は基本的に別のレベルにあって、言語体系とは関係のない声はいくらでもあるわけです。叫び声とか。むしろ、声の本質はそちらにあるんじゃないかと考えています。

 
後編に続きます
 


三輪 眞弘 / 学長・教授

作曲家。コンピュータを用いたアルゴリズミック・コンポジションと呼ばれる手法で数多くの作品を発表。第10回入野賞1位、第14回ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクール1位、第14回芥川作曲賞、2010年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)ほか受賞歴多数。2007年、「逆シミュレーション音楽」 がアルス・エレクトロニカのデジタルミュージック部門にてゴールデン・ニカ賞(グランプリ)を受賞。


※2「フォルマント兄弟」
三輪眞弘(兄)と佐近田展康(弟)という父親違いの異母兄弟によって2000年に結成された作曲・思索のユニット。テクノロジーと芸術の今日的問題を《声》を機軸にしながら哲学的、美学的、音楽的、技術的に探求し、21世紀の《歌》を機械に歌わせることを目指す。亡きロックスターに日本語で革命歌インターナショナルを歌わせる『フレディの墓/インターナショナル』(2009)で、Prix Ars Electronica 2009 入賞。また、作品と一体となったテクノロジー論/芸術論の言説でも注目を集め、インスタレーション展示、レクチャー・パフォーマンス、講演・シンポジウム登壇などさまざまな形態で発表している。
http://formantbros.jp/


 

インタビュアー・編集:高嶋慈
撮影:八嶋有司

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