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Action Design Research 活動レポート 〜GALLERY CAPTIONでのインタビューを経て〜

今年度、Action Design Research Projectではフィールドワークを中心に据え、ケーススタディとして、岐阜県内及び、近隣の中小企業を中心にデジタル・ファブリケーションの活用事例の調査を行っています。その背景として近年、デジタルファブリケーション機器の普及により、個人によるものづくりの可能性が開拓されてきたことが挙げられます。一方で、従来の産業技術との併用可能性やデザイン・プロセスの開示によるデザイン批評としての側面をどのように考え、構築していけるかは課題として残されたままだといえます。これらの課題に取り組むためには、過去10年ほどの技術的変遷の中で、職人仕事やアーティストの活用によって形成されつつあるデジタル・ファブリケーションへの関心や実情を丁寧に掘り下げる必要があるでしょう。
本稿では、各所でのインタビューに基づき、プロジェクトに参加する各自の視点から考察したことを報告します。

7月10日(水)
インタビュイー:安藤英希(藤工芸株式会社 代表取締役)
執筆者:三木悠尚(IAMAS修士一年)

7月31日(水)
インタビュイー:山口美智留(GALLERY CAPTION ディレクター)
執筆者:幅田悠斗(IAMAS修士一年)

8月1日(木)
インタビュイー:堀江賢司(堀江織物株式会社 取締役/株式会社OpenFactory)
執筆者:鈴木健太(IAMAS修士一年)



 Action Design Researchではその取り組みの1つに“つくりながら、考える”という行為が含まれています。これは従来、完成直前の試作を意味する“プロトタイプ”という概念に対して、企業、職人仕事、そして、個人制作などの活動の中で明文化されていない知見を引き出すための試作やコミュニケーションの意味を盛り込もうとする試みです。
 では、明文化されていない知見とは実際どのようなものなのでしょうか。その手がかりを得るために、今回は岐阜市にある企画画廊 GALLERY CAPTIONを訪れ、ディレクターの山口美智留さんへインタビューを行いました。

 インタビューは、大村大悟さん(木)、植村宏木さん(ガラス)、尹熙倉さん(陶)、藤本由紀夫さん(音、空間)の作品を実際に鑑賞しながら行い、
1. 各アーティストが素材に対してどのようにアプローチを行っているのか
2. それらの作品に対して観客がどのように反応しているのか
という2点の内容を中心に構成されました。
加えて、職人的な要素を含む制作作業に対して、大村大悟さんがデジタルファブリケーションという新たな技術をどのように活用しているのかも伺いました。

 以下ではこのインタビューのポイントの1つであった「素材と人間のコミュニケーションのあり方」について自身が考察したことも含めて報告したいと思います。
 

マテリアリティの移ろいとそのデザイン

 ディレクターの山口美智留さんのお話の中で、自分にとって印象的だったのは以下の部分でした。
「(植村宏木さんのガラス作品「靜なる心」を見ながら)私たちの時代には一般的にプラスチックやアクリルはガラスの代替品で粗悪な素材だという認識があったので、この作品がガラス以外の素材でできているなんて考えもしませんでした。けれど、前にギャラリーに訪れたある高校生はこれをアクリルでできていると思っていて、彼らにとってはガラスとアクリルの価値が等価になっていることを感じました。時代が変化したことで生まれた、素材の質感に対する感性の違いが私にとって衝撃的でした。」
この時、自分自身も山口さんから「これはガラスとアクリルのどちらでできていると思いますか?」という質問を受けたのですが、回答するのに少し戸惑ってしまいました。なぜなら、自分には“作品を作るならばガラスだろうという感覚”と“先入観なしに目の前の素材を見て判断する感覚”の両方が混在していたからです。

 素材との出会い方や過ごした環境が少し異なるだけで、人が素材に対して持っているイメージは異なる場合があるのだということを自分はここで初めて感じました。そして同時に、人々が素材に対して持っているイメージ、つまり、マテリアリティをデザインすることはできないのだろうか?という考えが思い浮かびました。

植村宏木《靜なる心》2016年/2019年

 アクリルという素材は1934年にドイツで工業化されたプラスチックの一種で、元々は戦闘機の風防等に軍事利用されていたと言われています。そして第二次世界大戦の後になって、アクリルを含む様々なプラスチック製品が次第に私達の生活に溶け込んでいきました。建築、アート、デザインなど表現の世界において、この素材は“新しさ”の象徴としてその表現可能性が探求されるようになり、倉俣史朗作品やiMacなどプラスチック系素材を利用した様々なものが誕生していきました。
他方で、プラスチックは安価に大量に生産できるという側面からペットボトルや皿などに使い捨てられる事が多くなり、次第に“消費されるもの”としてのイメージを被るようになっていったのではないでしょうか。山口さんがおっしゃったような“代替品で粗悪なもの”といったイメージも、このようなプラスチックの扱いの変遷によって形成されたもののように感じました。
現在でも作品等にプラスチックを利用することはあるでしょうが、このような、人々が持つマテリアリティから少なからず影響を受けているような印象はあります。

 しかし、プラスチックのマテリアリティは“代替品、粗悪なもの”と断定するにはまだ早すぎるように思えます。なぜなら、ガラスや木材、金属など紀元前から人間と関わりを持ち続けている素材に比べて、その歴史があまりにも短いからです。高校生の目にはガラスとアクリルが等価なものとして映っていたように、プラスチックが持つマテリアリティはまだまだ変化していくでしょう。

 もし今後、“消費されるもの”としてのプラスチックのマテリアリティを別のものにデザインすることができれば、プラスチックゴミによる環境問題にだって寄与することができるのではないでしょうか?そのような新たな可能性を考えさせてくれるお話でした。
 

執筆者:幅田悠斗(IAMAS修士一年)