教員インタビュー:立石祥子講師

アートはマスコミュニケーション ― IAMASでメディア・イベントを教える
― IAMASとは、どんなふうに知り合いましたか?
最初にIAMASを知ったのは、大学院生の頃ですね。領家町にあった移転前のIAMASに、日本映像学会支部会で訪れました。「映像メディアに関する研究ができる場所があるんだ」というのが、IAMASの第一印象でした。

着任早々訪れた領家町のIAMAS旧校舎。2025年7月に取り壊された。
転機は、2019年の岐阜おおがきビエンナーレです。松井茂先生と伊村靖子先生※1にお声がけいただき、「メディア技術がもたらす公共圏」というタイトルのシンポジウムに登壇しました。このシンポジウムはソーシャルメディアやデジタルファブリケーションなど、情報技術の発達によって、ミュージアムや都市などの公共空間で、芸術体験を共有する意味が変化していることを前提に、新たな芸術の可能性について議論するものでした。私はそこで「メディア・イベントの公共性」についてお話しました※2。
これがきっかけとなって、2020年からIAMASでメディア・イベントについて教え始めます。オムニバス形式からなる理論系の授業で、メディア・イベントをテーマにした回を非常勤講師として担当するようになりました。
2025年4月に専任教員として着任してからは、引き続き、メディア・イベントについても講義しつつ、メディア論や都市論など広く教えるようになりました。
― 最初から、「メディア・イベント」について教えられているんですね。あまり聞きなれない言葉ですが、簡単に教えていただくことはできますか。
メディア・イベントとは、マスメディアによって大々的に報道され、つくり出されていくイベントのことです。例えば、ワールドカップやロイヤルウェディングなど、特別編成で報道されるようなイベントがメディア・イベントに当たります。こうしたイベントはマスメディアを通じることで、スタジアムや道路といった現場を超えて、家庭や私的な空間にも伝播します。ともすれば、メディア・イベントは、人々を知らず知らずのうちに、大きな権力に動員し、ナショナリズムを先導する危険性をはらんでいる。
このようなマスメディア批判とメディア・イベントの定義が1990年代、ダニエル・ダヤーンとエリユ・カッツのMedia Events: The Live Broadcasting of History※3で議論され始めると、日本でもすぐに紹介されて、たくさんのメディア・イベント論の研究が展開されました。90年代後半には、メディア・イベントとして高校野球やラジオ体操を捉えながら、身体的な参加と統制が、どのように戦争や権力、全体主義と連動したのかなど、分析されていました。
これまでのメディア・イベント論は、メディアの送り手側に焦点を当ててきました。これからは、メディアの受け手側がどのようにメディアを乗りこなしているかにも注目すべきです。現代の複合メディア環境では、受け手のメディアの捉え方は多様化し、動員と抵抗の二元論では語りきれない状況があるからです。実際、スクリーンの前に集まっても、みんなで共通のスクリーンを凝視する時代ではなく、テレビの前に座りながら、スマートフォンで別の作業をしていたりしますよね。画面の前の視聴者を、家族や国民の意識を芽生えさせる対象として、一元的に捉えきれない状況が生まれています。
そこで、飯田豊さんと共に編集した『現代メディア・イベント論: パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』(勁草書房、2017年)では、これまでのメディア研究を踏まえたうえで、パブリック・ビューイングや音楽フェス、ZINEなど、最近のメディア・イベントを具体的に取り上げながら、メディア・イベント論の新たな展開を試みています。
― なぜ、メディア・イベント論をIAMASで教えていると思いますか。
アートはマスコミュニケーションだと思います。なぜなら、アートの制作者は不特定多数の人々へ一方向的に情報を伝えようとしているからです。そうであるならば、アートを志す学生は、自分たちが送り手として、オーディエンスに何を仕掛けているのか、どれだけ権力的で危ういことをやろうとしているのかをきちんと理解し、学んだ方がいい。そう判断されて、修士1年生の基礎的な段階で、メディア・イベント論を扱うことになったのではないでしょうか。
また、送り手の視点だけでなく、送り手の予想を超えた行動をしていている鑑賞者やオーディエンスについても、学生と一緒に考えていきたいと思っています。
内容よりも形式を ― メディア論という視座をもって研究する
― どんな関心から、研究の道へ進まれたのでしょうか。
もともと、学部生時代は、ドイツ学(ゲルマニスティク)の学科に在籍し、主専攻に世紀末芸術、副専攻に政治哲学を選択していました。そこで、ファシズムやファシズム文化にとても興味をもつようになったのです。ファシズム芸術は、意外にも、独裁的というよりも平等が重視される、民主的な参加型アートの形式を特徴としていました。演劇であれば、演目や演出、会場の場所、照明方法まで、様々な人々が主体的に参加できるような工夫が随所に散りばらめられているんですね。
そんなことを学んでいくうちに、メディア・イベント論の下敷きになる重要な研究に出会いました。ドイツの現代歴史学の大家、ジョージ・L・モッセの『大衆の国民化——ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化』(パルマケイア叢書、1990年)です。モッセはワイマール共和国の経済的困窮がナチズムの台頭を促したという定説に対して、体操運動家や男子合唱団、射撃協会、モダン・ダンサーなど、文化的な大衆運動の担い手たちによってナチズムへと導かれていったと反駁したのです。
実は、体操(トゥルネン)という概念は、19世紀のドイツで生まれ、広まっています。同時期にイギリスでは近代スポーツが勃興していきますが、スポーツは道具がないとできないし、勝敗を決めて競争主義だ、と体操家たちは批判しました。スポーツに対して体操は、みんなで同じ動きをして、同じ服を着て、平等で民主的だ、というわけです。まして体操中には、言葉で二人称「You」を指す時、相手が誰であれ、敬称「Sie(あなた)」ではなく親称「Du(きみ)」使う徹底ぶりで、体操は連帯と誇り高いドイツを象徴しました。こうした平等で参加型の文化活動が、次第に他民族排斥へと進みます。
私にとって、みんなで同じ格好して、同じ歌を歌ったり、同じ身振りをするというような、何かに参加して、平等であろうとすることが結果的にファシズムに結びついていくという論がとても衝撃的でした。現代のメディア環境においても、スポーツや文化だから、政治とは関係ないと思いながらやっていることが、いつの間にかナショナリスティックなものになっていくものもあるかもしれません。それは何だろうと考えた先に、メディア・イベントに興味を抱くようになり、1936年のベルリン・オリンピックや2002年のワールドカップ、パブリック・ビューイングを事例にメディア・イベント論に取り組むようになりました※4。
― 一見、スポーツに興味をもっているように見えます。どのようにスポーツを捉えていますか。
モッセの議論からメディア・イベント論に踏み出したので、現代のスポーツを考察することに興味はありますが、私自身は熱心なスポーツファンとは言えませんし、ゲームの映像のログをとったり、テキストマイニングや統計を使って、イベントの内容分析をすることはありません。パブリック・ビューイングについても最初は、「ただゲームをテレビ中継してるのをみんなで見てるだけで何が面白いんだろう」と思っていたんです。
当時、スポーツ社会学の枠組みでパブリック・ビューイングを論じる研究もドイツでは出始めていましたが、実際にパブリック・ビューイングに行ってインタビューしてみると、まったくスクリーンを見てない人や、スポーツはわからないと言う人もいました。スポーツというコンテンツではなく、スクリーンに媒介される公共空間での視聴形態という形式そのものが重要だったのです。
そこで、内容よりも形式を重視するメディア論を通して、パブリック・ビューイングを分析してみようと考えました。メディア論というのは、例えば、テレビのニュース番組を見終わった後に、何を見たかを聞くとします。すると、たいていの人はニュースで報じられた内容について答えると思うのですのが、むしろ、ニュースを媒介しているメディア、この場合ならば、テレビや映像、そして視聴するという行為そのものについて考えるのがメディア論です。
今、GeminiやChatGPTなどにしても、それを使って何ができるかの方に人は注目しています。現役で役に立っているメディアやテクノロジーはなかなか前景化しませんが、あえてガラスのように透明化されているメディアやテクノロジーにフォーカスして、暴いていく。このような視点をもって研究しています。
― パブリック・ビューイングのどのような点が興味深いのでしょうか?それは、最近の関心と、どのように結びついていますか。
パブリック・ビューイングが面白いのは、儚さや短命さ(エフェメラリティ)をもつ形式だからです。メディアを介して人びとが集まりつつも、それはすぐに離散してしまい、なんのつながりにも結び付かない。そこが魅力です。だからこそ、そこで普段だと起こらないような見知らぬ人とのハイタッチが起きたりします。こういった「効果」にだけ着目して、例えば婚活の場にパブリック・ビューイングを使って「見知らぬ人とのハイタッチができます」と宣伝したとしても、そんなことはなかなかできないじゃないですか。相手を、これから一生関わっていく大事な人かもしれないと意識している場合と、もう一生会わないかどうかさえ、まったく意識していない場合では、振る舞いが自然と変わって当然です。
パブリック・ビューイングのような一時的な集まりは、カルチュラルスタディーズや欧州の社会学において、無責任で非市民的な態度だとネガティヴに捉えられてきました。私たちも普段、過去の人間関係が続いていくようなつながりに重きを置いてます。
ただ、日常生活には、空港や電車や、あるいは情報環境で一時的に一緒になる機会の方がたくさんあって、その数に比べたら、学校や職場など自分が所属するコミュニティなんて数えられるほどしかありません。コロナ禍でなくなった集まりも、後者ではなく、前者でした。あの時に、切り離されたような感覚を覚えたことは、自分が属していると今まで思っていなかったような一時的な集まりに、本当は属していたことの証明です。私たちにとって、一時的な集まりは必要なものだったということが実感されたと思います。
興味深いことに、中野収の「カプセル人間論」など、日本のメディア論では、そういう一時的な集まりをポストモダン建築や都市論に見ながら、非常にポジティブに評価してきました。こうした消える性質をもつ集まりについて考えることは、私の研究において非常に大切で、今後も取り組んでいきたいと思います。
今とこれから― 制作と研究がセットのIAMASで、だからこその
― 2025年度に着任されて、1年が経とうとしています。この1年を振り返ってみて、IAMASにはどんなことを感じていますか。
教鞭を執るようになってから、IAMASには優秀な学生が集まっていることを実感しています。特に私の専門領域であるメディア論は一般的になかなか理解されにくい分野ですけれど、IAMASの場合、先生や職員の方々だけでなく、学生にも話がよく通じます。当初はこうした環境にとても驚かされました。
私は何かに役に立つかどうかという議論は、メディア論と根本的に合わないと思います。だから、メディア論は総合大学よりも、芸術や建築と近しいところにある美術大学の方がのびのび研究できるだろうと思っていました。メディアアートが盛んなドイツ語圏地域では、メディア論の研究者が、総合大学よりも美術大学や文化機関に所属することが多く、そうした機関のトップもまた、メディア論研究者であることが珍しくありません。日本でもメディアアートの制作と研究がセットで行われているIAMASは、私にとって理想的な場所だと思っています。
― 初年度はどんなプロジェクトに取り組みましたか。
今は本当にやりたいことをたくさん走らせていますが、特に2025年度は「場所・感覚・メディア」というプロジェクト研究が楽しかったです。

プロジェクトで金生山をフィールドワークした時の様子

オープンハウスでのプロジェクト展示準備風景
プロジェクト研究とは、IAMASが修士課程の学生に提供するカリキュラムのひとつで、教員が用意したいくつかのプロジェクトから学生が選択し、1年間そのプロジェクトに参加するものです。私たちのプロジェクトは、フィールドワークをところどころに差し込みつつ、特に前期では場所をテーマにした芸術作品を取り上げて議論おこない、後期は都市の合理的再魔術化や芸術の非合理な再魔術化をテーマにして進めてきました。また、年度末には、学生にも一人ひとつ作品を制作してもらって、展示をし、場所に関連した芸術表現やメディア表現の成立を考えていきます。
また、今回のプロジェクトを通して、「再魔術化」というキーワードが芸術や文化について考える際に重要だと改めて認識しました。来年度からは新たなプロジェクトのなかで、この点をさらに追究し拡張していきたいと思っています※5。
― これからIAMASでどんなことがしたいですか。
メディア論研究者はよく手品師に喩えられますが、メディア論では、まだ誰もよく見えていない透明なものを暴露することが重要です。
これからIAMASで、自分の研究を深めつつ、学生に研究と制作が別物ではないことを理解してもらいながら、学生の研究と作品制作を積極的に結びつけていきたいです。

立石祥子 / 講師
公共空間における一時的な出来事やメディアを介した人びとの集まりを対象としつつ、メディア論的視座から、儚さや短命さといった形式に注目した調査・研究を行っている。
※2 立石祥子「メディア・イベントの公共性」『情報科学芸術大学院大学 紀要』vol.11, 2019, pp. 104-107. https://iamas.repo.nii.ac.jp/records/2000213
※3 Dayan, Daniel. Katz, Elihu. Media Events: The Live Broadcasting of History, Harvard University Press, 1992. (=浅見克彦(訳). 『メディア・イベント:歴史をつくるメディア・セレモニー』, 青弓社, 1996年.)
※4 「立石祥子’s website」https://site141963-5484-8468.mystrikingly.com/
※5 2026年3月刊行の『情報科学芸術大学院大学 紀要』vol.17に研究ノートが掲載予定
インタビュー実施日:2025年11月12日
インタビュアー・編集:服部真吏
撮影:丸尾隆一



