国際シンポジウム「活動する物質:アートと自己組織物質 / 物質の行為者性 / プロト・エイリアン」レポート
2019年6月7日(金)、多摩美術大学八王子キャンパスのレクチャーホールCで、「活動する物質」英語では「Matter(s) in Motion」と題された国際シンポジウムが開催された。シンポジウムを企画したのは、今年度の4月からIAMAS准教授に着任したカストロ・ホアン・マヌエルと僕の2名。昨年度から採択されたJSPS科研費、基盤研究(C)「Investigation on wetware art in the post-digital age(ポスト・デジタル時代におけるウェットウエア・アートに関する研究)18K00203」の助成を受けて実現したものである。このシンポジウムは、そのタイトルにあるように「物質とその能動的なふるまい」を参照点として、芸術、哲学、化学、生命科学、宇宙生物学といったさまざまな分野の研究者、創作者が出会い、ウェットウェア・アートの過去、現在、そしてこれからの可能性を議論することを目的に開催された。
生命と非生命の境界線
最初の講演者は、2009年にSpringerから「Art in the Age of Technoscience」という本を出版し、遺伝子工学、ロボティクス、人工生命と現代美術のハイブリッドをいち早く論じた、ウィーン応用美術大学教授の Ingeborg Reichle。彼女は、本シンポジウムのテーマの起源が、Peter Weibel が1981年に書いた「バイオテクノロジーと芸術」という論文にあることを紹介した上で、現代の多くの芸術家がナノマシンやウェットボット、プロトセルモデルの最新の動向に強い関心を持ち、そこから生命と非生命の境界領域、さらには芸術の存在論に対する深い洞察を得ようとしていることの重要性を指摘する。
具体的な事例として、まずドイツのアーティスト Reiner Maria Matysik の組織培養を用いたセミリビング彫刻や、医学的な病理モデルの素材でもあるワックス・モデルの作品を紹介した。生きた細胞による彫刻は、造形的な意味だけでなく倫理的な問題も提起し、2016年に「スペキュラティヴ・バイオロジー」という論文で博士の学位を取得したトルコの芸術家、Pinar Yoldas の幻想的にすら見えるプラスティック生物のプロジェクト「An Ecosystem of Excess」へと思索の糸をつなげていく。
彼女は最後に、デザイン・フィクションの研究者であり、バイオハッカーでもあるMary Maggicの「Open Source Estrogen」というDIYプロジェクトを提示する。架空のクッキングショーというキッチュなイメージが、環境ホルモンによる地球の女性化という、バイオアートが関連する一つの側面である地球環境(あるいは人新世)の問題を照射する。私たちの種は産業革命によって、世界を不確かな結果を生み出す、壮大な実験室に変えてしまった。
Ingeborg Reichle(ウィーン応用美術大学教授) / 山岸明彦(東京薬科大学教授)
豊田太郎(東京大学准教授) / Jens Hauser(コペンハーゲン大学研究員)
撮影:竹久直樹
続く東京薬科大学教授の山岸明彦は、同様の問題を宇宙生物学という観点から考えていく。山岸がJAXAと共に推進するたんぽぽ計画は、国際宇宙ステーションの曝露部に設置したパネルによる微生物採取の実験を通じて、「宇宙で微生物は移動できるか?」「宇宙から地球に有機物がくるか?」というパンスペルミア仮説を検証する。次に、宇宙に存在する元素の分布や、水という物質の普遍性、そして宇宙におけるアミノ酸や核酸塩基の化学進化のメカニズムと生命の起源に対する最新の知見や仮説を紹介する。生命は陸上で、静的な記録物質としてのDNAではなく不安定でダイナミックなRNAから生まれた、というRNAワールド仮説がとても刺激的だったと同時に、火星における生命存在の可能性と蛍光顕微鏡によるその探索方法の紹介は、近い将来に地球外生命に関する大きな発見があることを強く予見させてくれた。
物質の能動性とアート
昼食をはさんで午後の講演は、コペンハーゲン大学研究員の、Jens Hauser の講演から始まった。彼は早くから「ウェットウェア」をテーマにした展覧会を数多く開催してきており、この日も「アート」「エージェンシー」そして「アニメーション」という3つのキーワードが、ウェットウェアによってどのように変化していったか、ということから議論を開始した。この日の議論で重要なのが(日本語に訳すのが難しい)「エージェンシー」の概念である。人類学の視点で芸術を分析した Alfred Gell による「Art and Agency」(1998)から、昨年出版された James Bridle の「New Dark Age」まで、エージェンシーは近年の芸術の意味やありようを考える上で、極めて重要な役割を担う概念となった。今回のシンポジウムの副題に「マテリアル・エージェンシー」とあるように、非人間のエージェンシー(主体性、行為者性)を考えることは、人間中心主義を再考すること、人新世を考えることとも深くつながっている。
この講演で示されたように、今や芸術をつくりだす(支持する)素材を「デジタル/アナログ」あるいは「ハード/ソフト」といった概念で分類することは、ほとんど意味を為さなくなった。それに対して「ドライ/ウェット」という概念は、それが「マクロ/メゾ/ミクロ」というスケールと結びつくことで、擬人化が困難な「マイクロパフォーマティビティ」という概念を生み出す。パフォーマンスが持つ生命概念と、ミクロスケールが持つ非人間性とが結びつくことは、ウェットウェア、そしてバイオ・アートの一つの本質を浮き彫りにする。
そうしたマイクロパフォーマティビティを、油滴やジャイアントベシクル(人工小胞体)によってつくりだす研究を推進しているのが、東京大学の豊田太郎である。豊田のグループによる、あたかも生きているように感じさせる動きを行う、さまざまな人工微小構造物は、それらを目の当たりにした私たちの生命概念を揺さぶり続ける。「プロトセル」と呼ばれる、「外部との境界」「代謝」「増殖」といった生命の特徴の一部を有する、生命らしい構造体のエージェンシーは、豊田が講演の冒頭で引用した、金子邦彦の「普遍生物学」(この宇宙における生命現象の普遍的パターンと、そのバリエーションを探る生物学)の実践的/仮説的アプローチを提供することで、それを現実のものとする。
別の生化学とアート
関根 康人(東京工業大学 地球生命研究所教授) / 久保田 晃弘(多摩美術大学教授)
Juan M. Castro(情報科学芸術大学院大学准教授)
撮影:竹久直樹
次の講演者である東京工業大学地球生命研究所教授の関根康人は、この「普遍生物学」を「普遍芸術」へと敷衍させることで、一緒に「プロト=エイリアン」プロジェクトを進めるホアン・カストロと僕、そして他の参加者すべてを挑発する。それは、アタナシウス・キルヒャーの「普遍音樂」に始まり、近年ではヴォイジャーに搭載された「ゴールデンレコード」を批判的に思い起こさせながらも、地球外の生命が想像のものではなく、現実のもの、実験室で再現できるようなものになった現代の生化学に根ざした、新たな普遍芸術の可能性を夢想させる。土星の惑星タイタン、エンセラダスへの探査機調査によって明らかになった、その豊かな物質のダイナミクスは、そこで生まれ得る生命(的なもの)のエージェンシーを考えることが、決して想像上のものごとだけでないことを力強く示していた。
この関根の協力を得ることで、実現への道のりが具体化したのが、地球とは別の(水を用いない)物質で、生命と非生命の境界にあるプロトセルをつくることに挑戦する「プロトエイリアン・プロジェクト(Proto-A)」である。関根に続いて、僕とホアン・カストロが、まだ始まったばかりのこのプロジェクトのアウトラインを紹介する。他者(エイリアン)という「わからないものをつくる」ことを試みることで、それを考えることは、私たちにどんな思索をもたらしてくれるだろうか。ホアン・カストロがその講演で述べたように、エイリアン生命に関する問いに取り組むことは、人間にはまだ知られていない、新たな種類の地球外(非人間)エージェンシーとその生命らしさについて考えることでもある。最初の(しかし大きな)マイルストーンとして設定した、原始星を囲う粉塵とガスによって形成される環境を再現することで、そこに自己組織性を持った柔らかで活発な塊が動き成長するような、ハビタブルミニ惑星を構築することができれば、その直観的な経験が、物質、生命、自己、および意思に対する人間中心的な概念を、大きく変えていくに違いない。もちろんそこには、このシンポジウムで一貫して論じられてきた、エージェンシーと、マイクロパフォーマンスの問題が含まれるし、システムを内包するオブジェクトとしての活動する物質は、芸術家、批評家、そして美術史家のジャック・バーナムによる、「システムエステティックは、今日の社会=技術的環境の迷宮に対する有力なアプローチになるだろう」という1968年の予言的主張に対する、現代的な解答のひとつにもなるだろう。
追伸:本シンポジウムの(別の)レポートが、DIYとクリエイティブコミュニティのためのメディア MAKERY にも掲載されている:
http://www.makery.info/en/2019/06/18/des-terriens-japonais-sondent-la-synthese-proto-alien/