ほんの少し傾いた世界を走る
養老山脈の木々が赤黄に萌ゆる。雲ひとつない秋晴れの養老公園に街中を走るママチャリやスポーツバイクとは異なる珍奇な形をした自転車たちが並ぶ。
養老天命反転地 30周年記念イベント「養老天命反転中!Living Body Museum in Yoro」のプログラムとして、ワークショップ「バランスからだ自転車」が2025年11月15日(土)・16日(日)にIAMAS運動体設計プロジェクト※1によって開催された。
本ワークショップの目的はバランスを取ることに焦点をあてた特殊な自転車に乗って体験することで、自転車が並ぶ芝生広場前を通り掛かった老若男女は自身の平衡感覚や初めて自転車に乗った幼少の頃の記憶を頼りに、特殊な構造をした前輪や車輪、あるいは機能を持つ自転車たちと対峙する。

IAMAS運動体設計プロジェクトメンバーと自転車が並ぶ集合写真
養老天命反転地とIAMAS, あるいは荒川・ギンズと自転車のあいだで
筆者は情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の修了生であり、在学中には自転車を用いた作品制作や、サイクリングを通じた土地のリサーチに取り組んできた。その実践の延長から視野を広げていくと、養老天命反転地とIAMAS、そして荒川・ギンズと自転車のあいだには、予期せぬ共通項が浮かび上がってくる。
まず、養老天命反転地とIAMASはいずれも岐阜県の梶原拓知事(当時)のもとで誕生したという共通の背景を持つ。戦後、繊維産業の衰退によって停滞していた岐阜県西濃地区に対し、梶原は「高度情報基地ぎふづくり」という大規模な地域振興構想を掲げ、既存産業の高度化と新産業の育成を推し進めた。その代表的成果が1996年に大垣市加賀野地区に開設されたIT拠点「ソフトピアジャパン」であった。建築家・黒川紀章が設計したセンタービルを中核に、多くのIT関連企業が集積し「情報産業基地」として機能した。その一環として創設されたのがIAMASである。当初、IAMASは領家町の元・定時制高校跡地に設置されたが、校舎の老朽化に伴い、2014年度にソフトピアジャパンセンタービルへ移転した。
一方、養老町に建設された体験型テーマパーク「養老天命反転地」も、梶原政権下で実現した前衛的な文化事業である。美術家の荒川修作と詩人のマドリン・ギンズが30年以上温めてきた構想をもとに1995年に開園したこの施設は、敷地全体が人間の感覚を撹乱するための装置として設計されている。水平や垂直といった基準面はほとんど存在せず、起伏の激しい地形や不規則に配置された人工地平線によって、訪れた者は身体の感覚を大きく揺さぶられる。
荒川修作+マドリン・ギンズが30年間の構想の果てにいきついた、”肉体を再認知させる”ための場です。約1.8haの大地がすり鉢上にえぐられ、その上に様々なパビリオンが点在。計算しつくされた構造が、人間の持つ遠近感や平衡感覚をくるわせます。予想もつかない “不思議”と出会える空間。 その空間を体感し、感性を解き放つことで、 「死」へと向かう人間の宿命を反転させようという試みです。
養老天命反転地を訪れた者は起伏の激しい地形の上で常に重心の揺らぎに向き合うことになる。このぐらつきやすい空間の中で「バランス」を取る行為は自転車の運動原理とも自然に接続する。自転車はペダルを漕ぎ続けなければ倒れてしまう不安定な存在であり、乗る者は絶えず身体感覚を総動員して前へ進むことを強いられる。また自転車に乗るとき、人は周囲の自動車や信号に注意を払い、時に怪我の危険と隣り合わせになりながらも、風を切るその一瞬に強烈な生の実感を抱く。
そうした身体の覚醒や感覚の冴えは、荒川修作とマドリン・ギンズの哲学が貫かれた養老天命反転地の体験と深く響き合っている。

養老天命反転地
自転車が教えてくれる自分のからだ・世界のかたち
自転車は、わずかな揺れに反応し続ける身体と、地形や風といった世界のかたちを直接つなぐ。バランスをとるという単純な動作のなかに、己の身体を知り、世界を知るための多くの感覚が潜んでいる。
自転車は、ほかのモビリティと同様に改造を施すことができる乗り物でもある。今回のワークショップ「バランスからだ自転車」に集まった自転車たちは、ハンドルやチェーンといったパーツの変更にとどまらず、「走る」という本来の機能そのものを拡張するような工夫が加えられている。それぞれが、身体感覚やバランスの捉え方を変化させるための独自の仕掛けを備えている。
ハンドル反転自転車

ハンドル反転自転車
赤松正行教授によるハンドル反転自転車は、ハンドル操作と前輪の向きが逆方向に連動するよう設計されている。ハンドルを右に切ると前輪は左へ、左に切ると右へと向かう構造で、内部の歯車が噛み合うことでハンドル全体が360度回転する仕組みになっている。フレームおよび反転機構の設計・製作は、Shin・服部製作所が担当した。

360度回転するハンドル
ハンドル反転自転車への乗車を試みた中で気づかされたのは、自転車に乗るという行為が、前傾姿勢でハンドルに体重を預け、そこで生まれる安定を土台にペダルを漕いでいる、という身体の構造である。ハンドル反転自転車は、私たちが当たり前に信じている「身体の延長としての自転車操作」を根本から揺さぶり、その無意識の学習と適応の深さを露わにする。
ペダル反転自転車

ペダル反転自転車
同じく赤松教授のペダル反転自転車は、チェーンをクロスさせることで駆動方向が逆転し、ペダルを後ろ向きに回すと前進するように改造されている。通常とは反対の動きを要求されるため、身体はいつもの自転車操作で形成された自動化された運動パターンを一度解除しなければならない。
乗ってみると、普段はあまり使われないふくらはぎの裏側の筋肉が強く刺激され、ひりつくような感覚が生まれる。前進しながら後ろ向きに踏み込むという矛盾した動作が、身体の重心や力のかけ方を大きく変化させ、使う筋肉の組み合わせを一気にずらしてしまうためである。
ハンドル&ペダル反転トライク

ハンドル&ペダル反転トライク
三輪であることに加え、前方に大きなカーゴスペースを備えているため、車体は重量があり安定して進む。その安定性のおかげで、ハンドルやペダルの回転が逆転していることを、恐怖心なく、落ち着いて確かめながら体験できるのが特徴だ。
通常の自転車とは異なり、三輪車は倒れないため、身体のバランスをとる必要がほとんどない。その結果、操作の反転によって生じる違和感や、思考と身体のズレにより集中でき、「反転」という仕掛けをじっくり観察することができる。
ワークショップ当日はカーゴ部分に子どもが乗り、その後ろでお父さんやお母さんがトライクをゆっくり漕ぐ姿が度々見られた。穏やかな日差しの下、家族の笑顔がこぼれ、会場にやわらかな時間が流れた。反転構造の実験装置であると同時に、誰もが安心して楽しめる乗り物としても機能していた。
Halfbike

Halfbike
ブルガリアのKolelinia社が開発したHalfbikeは、ペダルと前輪が一体となった縦型のフレームを持つ、軽量な立ち漕ぎ専用のミニマルな自転車である。サドルがなく、身体の重心移動によって方向転換や安定をとる独特の構造をしており、乗る者は常に身体の軸を意識せざるを得ない。バランスを取るのは難しいが、その不安定さゆえに、子どもの頃に自転車に乗る練習をしたときのような、身体が世界を学び直していく感覚を呼び起こす。
乗り始めは、車体の反応や重心の置き方が掴みにくい。しかし、少しずつHalfbike特有のクセや操作方法を理解していくにつれ、身体は周囲の風景や地形のわずかな起伏に敏感になり、自転車や周囲の空間との距離が近づいていくような感覚が生まれる。すぐに乗れる人もいれば、練習を重ねることで徐々に身体が馴染み、乗れるようになる人もいた。
連結自転車

連結自転車
そのため、乗る二人はタイミングを合わせてペダルを漕ぎ、ハンドル操作のわずかな揺れや力加減を互いに感じ取りながら、協力してバランスを取らなければならない。ときには相手の動きが思わぬ抵抗となり、前に進むどころか減速したり蛇行したりもする。声を掛け合い、呼吸を揃え、相手の身体の揺れを自分の感覚の一部として取り込むことで、ようやく滑らかに進むことができる。
一台の自転車では決して露わにならない、二人の身体と力学が絡み合う「相互のバランス」が、連結構造によって具体的な体験として立ち上がる乗り物である。
逆さま眼鏡で自転車

逆さま眼鏡を着用している体験者の様子
瀬川晃准教授による逆さま眼鏡は、メガネに取り付けられたプリズムによって視界を左右反転させる装置である。光が内部で反射・屈折することで反転した像が網膜に届き、脳は日常とは逆向きの視覚情報を受け取る。視覚の基盤が覆されるため、装着直後は誰もが大きな違和感に襲われ、まっすぐ歩くことすら難しい。
この状態で自転車に乗ろうとすると、困難はさらに増す。バランスをとるには視覚だけでなく、体の傾きを感知する前庭感覚や、手足の位置を把握することが不可欠だからだ。反転した視界と通常どおり働く身体が衝突し、ハンドル操作や重心移動のタイミングが合わず、ほとんど前に進めない。
本来、逆さま眼鏡をかけ続ければ脳は数日から数週間でズレを補正し適応していくという。しかしワークショップの短い体験時間では、参加者はその前段階の混乱と揺らぎの中に置かれることになる。左右が入れ替わった世界で自転車に向き合う行為は、無意識に結びついていた知覚と運動の連動を露わにし、バランスという行為の繊細さを強く意識させる体験となった。
MIKOSHI RIDER

MIKOSHI RIDER
神輿を乗せてペダルを漕ぐことは極めて爽快で、走り出した途端に自分自身が「祭り」そのものになったような感覚が押し寄せる。紫色の紐に括りつけられた鈴がしゃんしゃんと高く鳴って軽い振動が胸の奥まで響く。気分は自然と高揚していく。それは晴れた日に自転車に乗って走り回る楽しみの極みにある、とてつもなく生を肯定する営為のようにも思えた。
そう感じたのは、単なる愉快さや自転車を漕ぐ軽快さによるものだけではないのかもしれない。「死」へ向かう人間の宿命を反転させ、生を肯定する身体の可能性を探ろうとした荒川+ギンズの作品が、すぐ隣にあったからだと思う。
虹チャリ

虹チャリ
また、この虹は走行者だけのものではない。通りすがりの子どもやベンチで休む人の目にも、その人だけの虹が現れることがある。そして、虹という現象を共有することで、交流が自然と生まれる。虹チャリは、走る身体と自然の光が交わる瞬間を可視化し、人と人をゆるやかに結ぶ装置でもあった。
肉体を再認知させるための場
ワークショップが行われた二日間、養老公園の空は一度も曇ることなく澄み渡り、秋の光が芝生と自転車の金属を柔らかく照らし続けていた。多くの人が特殊な自転車に挑戦したが、誰一人として大きな怪我をすることなく、会場には終始やわらかな笑い声が満ちていた。
とはいえ、自転車たちは時折壊れた。ハンドルの噛み合わせがずれたり、チェーンが外れたり、霧のノズルが詰まり、そのたびにスタッフは工具を持ち寄って、調整し、再び走り出せる状態へと組み直す。壊れるたびに介入し、また動かせるように手を加えるこのプロセスは、メディアアートの制作過程とまったく同じだ。作品はしばしば不安定で、予期せぬトラブルをはらみ、手入れや修復を重ねることで初めて「生きる」。今回集まった自転車たちもまた、そうした“生きたメディア”としてその場に存在していた。
ワークショップの風景の中で、ひときわ印象的だったのは子どもたちの表情である。Halfbikeに何度も挑戦して転びながら笑う子、連結自転車で息を合わせようと必死に声を掛け合う兄弟。彼らの姿には、大人が日々の中で忘れかけていた「からだによる学び」がそのまま滲んでいた。
荒川修作とマドリン・ギンズは、養老天命反転地を「肉体を再認知させるための場」として構想した。今回のワークショップに並んだ自転車たちも、まさに同じ方向へと参加者を導いていたように思う。バランスを失いかけながら踏み直す一歩、いつもと違う筋肉を使うことで生じるわずかな痛み、太陽を背に走りながら虹を見つけたり、神輿と共に高揚する一瞬。そうした自転車を通した喜びの積み重ねが、自分のからだと世界のあいだにある見えない境界をそっと書き換えていく。

ワークショップの様子
写真提供:運動体設計プロジェクト
撮影:瀬川晃
※1 IAMAS運動体設計プロジェクト
制作 : 赤松正行、小南菜子、志村翔太、鈴木光泰、瀬川晃
協力:片倉洸一、小峯愛華、寺田博亮、福井悠人、松本朋己、村上萌(五十音順)